2024年7月25日木曜日

60年代後半〜70年代初めのロック

 この時期、つまり梅雨が明けて(実際にはまだ明けていないが連日35度の猛暑で夏の盛りである)暑いこの時期、仕事をしながら聴く音楽、ひとつは先日紹介したグラナドスのピアノ曲、そしてもう一つは60年代後半、70年代前半のロックである。ピンクフロイドやイエス、フリートウッドマックなど、学生時代にレコードやカセットテープで聴いていた音楽。ただし60年代後半なんてリアルタイムエイジではないので、録音されたものを聴いていたので、そういう意味では今の若者と変わらない。

もうリアルタイムエイジな人たちはみんな壊れかけの爺さん婆さんである。

でもかまわない、ジリジリと暑い日は学生時代の夏休みを思い出させ、その頃聴いていた音楽を懐かしく思う。お金はなかったけど楽しかった。

村上春樹は小説でドアーズとかヤードバーズなどを登場させ、その時代を感じさせる手法をとっている。だがこれは実はドアーズもヤードバーズもロクに聴いたことがない世代に対しての方便でもある。そしてその方便の使い方がすごく上手いのが彼の小説である。誰も彼も「そうね、そんな時代だったね」と感じる嘘の付き方である。人は真実でつながるより、嘘でつながった方が強い、つまり共感できるというのを上手に使った手法である。

だが、実際にドアーズなんて聴いたことある人、多分相当少ないが、そういう人には「ちょっとこの空気、違うんでは?」となる。そうなった途端彼の小説は耳障りは良くても、どこか表面的で、微妙な違和感が残るのである。そんなわけで最近はほとんど読まなくなった。

ドアーズのどの曲を聴いてもあの頃のあの夏の雰囲気はない。基本ポップなロックバンドだからで、「ジリジリ感」がないからである。そこが違和感のもとであり、何度聴いても「これかなぁ」となるのである。

Doors、Light my fire(YouTube)


こういう音楽は結構多い。つまりイメージと実際が乖離している例。

他にもストイックなロックバンドがお気軽ラブソンググループになってしまった例もある。例えばフリートウッドマック。このバンドが有名なのは大ヒットアルバム「Rumore」に寄るところが大きい。だが私の好きなフリートウッドマックは違う。「Rumore」のポップバンドではなくリズム&ブルース「English Rose」のフリートウッドマックである。「ジリジリ」とした夏の空気がそこにある。

English rose (YouTube)

Freetwood Mac「English Rose」 


こういう例は他にもまだある。

たとえばイエス、有名なのはポップバンドYESの「ロンリーハート」だが、夏のジリジリとは無関係だが、プログレッシブロックバンドYESの「Close to the edge」や「Fragile」の方が何倍もいい。

YES



シカゴもポップバンドでの「素直になれなくて」ではなくブラスロック時代のシカゴ「長い夜」。

長い夜(YouTube)


ピンクフロイドも「ザ・ウォール」以降のピンクフロイドではなく、「神秘」や「雲の影」のピンクフロイドで、PULSEではなくポンペイライブのピンクフロイドである。

ポンペイライブ(YouTube)

Pink Floyd 「Umaguma」


ついでに書かせてもらうとイーグルスの「ホテルカリフォルニア」なんて大嫌いだし、ツェッペリンの「天国への階段」もダメ、聴く気にならない。ションベン臭いから。

イーグルスはさておき、ツェッペリンは好きなバンドなので時々聴く。1stアルバム、2ndアルバムがダントツにイイ。ライブ盤のHow the west was wonのDaze and cofusedも大好きである。3rd.アルバムでうーん、4th以降はPresenceも含めてどうもねぇ、なのである。これ、いわば当たり前のことと思っていたのだが、そうでもないらしい。4thアルバムのBlack Dog 、Rock and Roll そして天国への階段とかいいよね、という人結構多い。ふーん。Rock and Rollなんて高校の学園祭レベルだと思うんだけどね。曲の最後のドラム、聴いてみなさいよ、何よコレ!とか思う。ジョンボーナムのドラムはね、こんなのではないのだよ、と。そうね、たとえばこれを聴けばわかる。

ちなみにAORなんて死んでも聴かない。演歌や歌謡曲と同じくらい聴かない。つまり全く興味がない。

このように書いてくると、今まで音楽の趣味の合う人とはほとんど出会わなかった。映画もそうだ。しかしそれでいいと思っている。

さて、その後カミさんと炎天下の下近所のスーパーマーケットに行くとき、梅雨の話になったら「あら、とっくに梅雨明けしたわよ、先週だったかな」と言われた。知らなかった。





2024年7月16日火曜日

デザインのこと

模型製作の仕事は、試作模型ができあがったのでクライアントのオフィスへ持って行き、確認の打合せ。軽いが大きくてかさばるので地下鉄で運ぶので打合せは朝夕の通勤時間を避け、昼すぎにしてもらった。模型は好評でおそらくそのまま仕様は変えずに本製作になる見込み。さてどうやって作るか・・・

その翌日、新規の仕事の相談で遊園地に下見に行く。夏休み前の平日の遊園地は外国人が圧倒的に多い。気温は一昨日より若干下がったとは言えかなり蒸し暑い。帰宅して熱いシャワーを浴びて、少し横になって休む。バテたので。

以降、今日まで缶詰になって仕事をしている。ただし昨日と今日は少し涼しかったので工房にエアコンを取り付けた。一体型の安いエアコンである。本体が確か5万円くらいだった。取付工事は自分でするのでかかった費用は本体購入費用だけである。


冷房機を付けた壁は工房改修時に設置した壁で以前勝手口があった。冷房をつけるときは玄関から出て外を回って勝手口を開け、廃熱を逃がしてやる必要がある。少々面倒だが冷房のない工房で夏場は作業できないので、それに比べれば勝手口を開けに行くくらいどうということはない。そのうち冷房機の排熱口部分だけ扉をカットしてわざわざ開けなくてもよくしたいが、それはまあそのうち。この冷房機の右側の壁には棚板を付けようと思っている。物が入りきらないからである。ただしそれも少し先でいいだろう。

さて、今日は少しデザインのことを書こうと思う。今どきデザインとは見た目をカッコよくすることである、などと思っている人はまずいないだろう。だが実際には、たいした機能があるわけではない外観を渋くシンプルにしただけのつまらないオーブントースターがデザインの良いオーブントースターなどと言われており、デザインという言葉の本質的な意味と慣用的な意味の間には未だ大きな隔りがある。特に日本や東南アジアではその傾向が顕著であり、そのため最終的にデザインに費用をかけることを無駄とまでは言わないまでも贅沢あるいは余裕があればすることとの意識が根強い。

本来、製品において安全性や利便性、経済性などに直接大きく影響のある「デザイン」という要素が、「無くてなならないもの」ではなく「贅沢なオマケ」となり、ヘタをすると「タダでやってくれるなら・・・」と、見た目をよくするためのお化粧と同じ扱いになっているのである。

ではせめて「見た目」だけでも独自の魅力を追求しているか、と問えば、それすらも悲しいかな、目を背けたくなるものが多い。例えば自動車のデザイン、利益が1兆円を超える日本を代表する自動車メーカーが製造するタクシー、そう、最近よく見かけるジャパンタクシーなど、明らかにロンドンタクシーの程度の低いコピー商品でしかない。オリジナルとの比較は大安吉日に明治神宮へ行くと見ることができる。明治記念館という結婚式場で式を挙げるカップルとその親族は明治神宮に参拝する際、その移動にロンドンタクシー2台とジャパンタクシー数台を使っているので両者が並んでいるところを見ることができるのである。見た目をまねした程度の低いコピー商品なんて日本は何年も前に卒業したと思ってはいけない、今でもまだ続いているのである。

この会社、みっともないド派手なラジエターグリルをつけたミニバンも作っている。現在の技術では乗用車のラジエターグリルは不要か、またはあってもかなり小さくても十分である。おそらくミニバンという外観上差別化の難しい、つまりどう工夫してもつまらないものにしかならない車になんとか差別化するため、ガバッと目立つ物を付けたのだろう。そういうメソッドは私はデザインとは呼びたくない。ただしこうしたデザインの不毛は、単にこのメーカーにその責があるとは言えない。大衆のニーズがそこにあるからというのが大きい。あのチャンピオンベルトのようなラジエターグリルのみっともないミニバンは結構人気があるらしい。

そもそもミニバンとは一体何だろうか。家に旦那と奥さん、子供3人、じいちゃんばあちゃんがいて週末はみんなで仲良く車で出かけるのだろうか。それなら仕方がない、乗車定員の関係でミニバン以外に選択肢はないからである。だが夫婦と子供2人だけならミニバンなんて必要ない。いざというときたくさん乗れた方がいい、とか家が狭いのでせめて車は広々と・・・ということだろうか。なんて情けないみみっちい発想だろう。

そんなこと個人の勝手だ、と鼻息の荒いアホも出てきそうだが、それならこう言いたい、あなたがミニバンを選ぶのはあなたの勝手だろうし、それをどう思おうとそれは私の勝手だ、と。

ウチは以前ニュービートルに乗っていた。家族は4人である。だから4人定員の車で十分だった。後ろの座席は狭かったがみんなでワイワイ楽しくドライブしたものだ。車なんてそんなのがいいのだ。ミニバンが必要になるような事態、つまり6人も7人もなんてことは年に1度もなかった。そんなときはレンタカーでも借りればいい。みみっちい発想でミニバンなんて買うことはないのだ。

New Beetle

映画ローマの休日でグレゴリーペックが相棒の写真家の車から降りるシーン。先に降りたヘップバーンが笑いながら見てる。これ車がすごく小さい、でも実に楽しそうに見える。これでいいのだ、車なんて。

ローマの休日から


これはカメラにしてもパソコンにしても同じだ。以前働いていた会社で同僚から、Macを買いたいのだけどどれがいいですか、と聞かれた。何をするか決まってるのか聞くと、これからいろいろやってみたい、とのことだった。彼は28万円のMacブックをこれが候補、と言っていた。そうね、私のアドバイスは一番安い10万円のMacBook Airかな。これだと例えばビデオ編集なんかを本格的にやろうと思ったらちょっと辛いし、モニターがモニターだから写真編集もね、でもできないわけではない。だからいろいろこれでやってみると1年くらいでかなり不満が出てきて、そしたらその時ステップアップした方がいい、と答えた。当時はMacはほぼ毎年モデルチェンジしていたので1年か2年経つと今のフラッグシップと同じくらいの性能がエントリークラスで出てくるし、それに用途によってはデスクトップの方がよい場合もある、と説明した。彼は結局28万円のを買った。1年後、調子はどう?と聞くと、ネット見るくらいしか使っていないと言っていた。彼には申し訳ないがこういうのを「みみっちい発想」と呼ぶのだ。

カメラも全く同様で、初めからフルサイズなんてバカみたいと思うのだ。この「コレ買っておけば間違いない」という発想がみみっちいのである。お金をケチるからとか貧乏だから、みみっちいのではないのである。カメラなら安いの買って余ったお金を撮影に費用をかける方が10倍いいし100倍楽しい。

コレも趣味なのだから個人の自由で、撮る楽しみもあるし持つ楽しみもあり人それぞれだという間抜けもいるだろう。そうだその通りだ。私はダメだなんて言っていない。私の目から見ると間抜けでみみっちいと言っているだけである。筒井康隆の小説に「農協月へ行く」というのがある。あの小説、冒頭に金蔵という農家が出てくる。駅前の畑が不動産屋に数億で売れて高級品に囲まれて生活している。持つ楽しみというのが金蔵のアイデンティティーである。もちろん金蔵が高級家具を買うのも金蔵の自由である。趣味なんだから。筒井康隆が金蔵と農協を笑い飛ばすように、私も声高に「趣味なんだから個人の自由」なんて言ってる間抜けを笑い飛ばすのである。

デザインとは物の本質であり、選ぶ人のライフスタイルや思想に大きく影響され同時に影響を与える。だからこれ買っとけば間違いない、みたいな発想で選んでいると生活の本質までもがミニバンになってしまうのである。

筒井康隆著「農協月へ行く」


ちなみに、決して何でもかんでも安い物を買っておけばイイなどと言っているわけではない。工具や事務用品などは決して100均などで揃えず、初めからある程度良い物を買っておいたほうが良い場合が多い。この違いは説明するまでもないだろう。




2024年7月4日木曜日

作業環境のチェックと絵本作り



自分の作業環境を定期的にチェックすることにしている。仕事の環境は「仕事をしやすく、快適なこと」が大切だ。これをもう少しかみ砕いて考える。

「仕事をしやすい」「快適」とはどういう状態か。「快適」は本来「仕事をしやすい」の一要素ではあるが、「しやすさ」だけではないプラスαを考えてここではあえて別にした。

「仕事をしやすい」というのは、作業場所に十分な広さがあり、道具や材料が手近にわかりやすく置かれていて、かつそれらが扱いやすく十分に機能を発揮することができる状態にある、ということだろう。さらに作業を阻害する要因を十分遠ざけておくことも大切だ。

次に「快適」だが、ここでは例えばいい音楽とか気持ちの良い空気、飲み物やスナックがあったり、そしてこれはとても重要なことだが「遊び心」があることである。

日本人は生真面目で「仕事」≠「遊び」であり、「仕事とは耐えることで、ずっとオレもそうしてきた」みたいな大馬鹿者が職場に一人でもいるとそれはもう辺り一帯を巻き込んで皆で不幸になる。「(仕事とは)そういうものだ」とか「そういうものじゃない」が口癖の者がいても同様だ。対処法は1つしかない。「テキトーにおだてて、ある程度目をつぶってもらう作戦」である。これはかなり有効なので試してみるとよいだろう。ちなみに「どーもやりたくない」ことはその逆をすればよい。すぐにやらなくてすむようになること受け合いだ。

さて、個人事業主である私は上記とは完全に縁が切れて、今となっては敵は自分だけである。だがこの「自分」が予想以上に強敵なのである。つまり「つい・・・」、「時間がなくて・・・」、「今はこれをやらないと・・・」といった言い訳をはじめる。これはデザインに限らないと思うが「言い訳の仕事」はロクなものにならない。やれ「時間がないから」だの「クライアントの要望通り」だとか、そういう人とは絶対チームを組まない。つまり共同作業はしない。きっぱり。そしてこれが大切なことだが自分自身がそういう言い訳モードの罠に落ちないように常に気を配る必要がある。

どんなに忙しくても何度かの、「待てよ・・・」が必要であり、ぱっと立ち上がって「あたりを見渡す」のが必要なのだ。私の場合は、「待てよ・・・」はコーヒーを飲みながらやこうしてブログを書きながら考えることにしている。「あたりを見渡す」は近くに置いてあるデジカメで作業環境の写真を撮ることにしている。ちなみにこのぱっと立ち上がって写真はすごく効果的だ。このとき当然だが一切片付けてはダメだ。ありのままを撮る。そして眺める。眺めるだけでよい、何がダメなのかすぐにわかる。すごく効果的だ。

今回も撮ってみた。


まずは作業机。ここは、娘が昨夜遅くまで作業に使っていた。ただし寝る前に片付けることをルールにしているので今は割とキレイだ。作業しながら飲んでいた麦茶のグラスが残っている程度、まあよいだろう。


作業机のヨコには金尺(金属製の定規)が4本とブラシなどが下げてある。金尺は使用頻度がとても高い道具なので常にここにぶら下がている。定規は材料の下に埋もれやすく、いつも探してばかり、というのは時間のムダなので、連続して使うときを除きすぐに戻すことを心がけている。金尺は「アル助」だったかな、そんな名前のアルミの定規でとても使いやすい。裏に滑り止めのゴムが貼ってあり、カッター仕事ではずれにくく優秀だ。長さは、30cm、45cm、60cm、1mの4種類を使っている。ただしアルミなので正確な長さは測ることができない。アルミは温度で伸び縮みが大きい。1mの定規で気温が40度変わると1ミリ差が出る。20度でも0.5ミリ変わる。0.5ミリは場合によっては無視できない。ただし室温が15度〜25度くらいで保たれていれば、あまり神経質にはならないでも良いが、一応誤差が出ることは知っておくことが大切だ。

さて、次


ここはコンピュータの机のヨコのサイドデスク。ここは散らかりやすい場所である。そもそもこのサイドデスクというのは仮置き場であって、仕事の資料やファイル、メモなどを置いて、それらを見ながらMacで作業をするための場所である。だから仕事中はある程度物が置いてあるのは仕方がない。麦茶のポットとおつまみの瓶もまあ仕方がないだろう。さらに見てみると奥に名刺整頓のローロデックス、その手前にスケッチを描いた黄色のメモ用紙、スタンドの足元にポストイット、あとはペンとファイル用の輪ゴム。それに電話機やメモブロックなどなど置いてある。
ただし冷静に考えれば、ここは改善の余地がありそうだ。まず奥行きがあまりないところに麦茶のピッチャーはどうだろうか。仕事中の水分補給は頻度が高いので席を立たないですむほうが良いが、天板の下でもよい。また、固定電話機はいらないかも・・・。もともと名刺の電話番号が携帯電話だけというのがインチキ商売っぽくて嫌だったから設置したのだが、最近いろいろな会社が名刺には携帯電話オンリーとしていて、それなら私も、と名刺から固定電話の番号を消してしまった。
それだけでもずいぶん変わるはずだ。

次はサイドデスクの延長線上の棚である。

手前から、メモブロック、置物のバレリーナ、置き時計、アンプと置いてある。アンプのヨコはカラーインクジェットプリンター、そしてその上は本棚である。カラーインクジェットプリンターにはホコリよけの黒いカバーがかけてある。また、本棚には本のほか、ポストカードが立ててある。またアンプの上には自作のオブジェ、プリンターの向こうにはアート作品が置いてある。
まあ、ここはこのままで良いだろう。
問題はさらにその上、見えないところにLANの機器が置いてある。見えないのでケーブルもごちゃごちゃしている。ここは少し整頓した方がよいだろう。

さて、今日は外注に指示を出したり、印刷の手配をしたり、請求書を送ったりクライアントと電話で話したりと雑用が多かった。手のかかる面倒な仕事は自分自身にエンジンをかけてこれが温まる前に別のことで邪魔をされるとやりにくい、非常にやりにくい。いろいろと考えていることが飛んでしまうので。なので今日の仕事はキャラクターデザインのブラッシュアップとコンセプトブックづくりにした。これなら途中で邪魔が入ってもすぐに復帰でき、中断が問題ないので。

このキャラクターはクライアントから地方で展示会があるので少し相談にのってほしい、と依頼された仕事である。ブースデザインと展示パネルの制作というのが依頼内容だったのだが、キャラクターつまりマスコットの提案をしてみた。建設系の展示会はたいていツマラナイ。乱暴に言うと遊び心がまったくないからである。ふざけた展示がいいという意味ではなく、製品や技術のコンセプトをただツラツラと書いただけのパネルでは多くの人の記憶にはとどまらない、ツマラナイ。だから今回はキャラクターをデザインしそれに少し説明を手伝ってもらう手法を提案した。それで先日プレゼンがあったのでその趣旨を説明し採用されることとなった。こういう会社は大事にしたい。どういうことかというと、このように予定のないもの、特に予算しばりが厳しい場合はまず「却下」されることがほとんどだからである。「おもしろいけど今回はそこまでは・・・」「予算的にちょっと・・・」「もう会議で方針が決まっていて・・・」「上に説明するのがいまさら・・・」と。8割くらいは跳ね返される。そういう会社にはうんざりである、というのは嘘で、全く気にならない。こちらも「だめ元」だからである。

今回は採用になって良かったが、費用縛りが厳しいらしいので、極力費用を抑えながら効果的に使う提案を考えることにした。詳しい説明はここでは書かないが、キャラのコンセプトを説明したら喜んでもらえたので、それを冊子にまとめることにした。もちろん配布する予定は全くない。だが展示する・しない、配る・配らないに関係なく出展する当事者に楽しんでもらうこともあっても良いのだ。そう、「仕事とは耐えること・・・」「ムダを省いて効率的に・・・」のあえて逆をいくのである。そう、一見矛盾したことを書いている。「キャラは効果的・・・」と「あえてムダかもしれないものを・・・」という相反する考えである。

そう、阿呆は「矛盾!」と言って喰ってかかるかもしれない、まさにここが仕事のものすごくおもしろいところなのである。この2項目が決して矛盾していないことは言うまでもない。こういうことが理解できない人とは仕事どころか、あまり話もしたくない。


で、つくったコンセプトブック。全部で10ページ。キャラクターの説明をさらりと絵本にまとめてみた。出版するわけではないので完成度は高めていない。そもそもそんな時間もない。これは3時間でつくった。わたしに今かけられる時間の限界がそれくらいということ。ちゃんと絵本にするならおそらく何十倍も時間がかかるだろう。だがストーリーは頭の中にできている。電車で移動中や夕食の準備をしながら、または寝ている時になんとなく考えていたものをツラツラと描くだけである。本来時間がかかる作業は絵本全体を通してキャラクターの連続した見え方である。少しむずかしい言い方をすると自己同一性の維持ということになる。絵本の中でキャラクターは当然動きがある。右を向いたり左を向いたり上を見たり・・・。この時キャラクターの特に顔が同じキャラクターに見えないとダメである。もちろん桃太郎が金太郎になるようなことは誰もしない。だがほんのわずか、微妙な違和感を感じないよう十分時間をかけて描いていくことが大切である。今回は時間の関係で顔はほとんど変化しない。ブルーナ方式である。だがブルーナはさておき、これでは作品に奥行きが出ない。だからここは大切というシーンであえて顔の向きや表情を変えることにした。ここに少し時間をかけた。ちなみに今回の絵本は幼児向けに販売するわけではないので漢字にルビは振らなかった。本来幼児向けであれば全ての漢字に、小学校高学年向けなら小学校で習う約1000字以外の漢字にはルビを振る必要がある。以前小学校高学年向けに作った絵本では漢字を全てチェックし、必要なルビを降ったり、ひらがなの方が良いものはひらがなにした。例えば「出来る」は「できる」にする。ちなみに私は「出来る」が嫌いなので通常の出版でも特にクライアントの希望がない限り「できる」を使うようにしている。

さて、できあがったコンセプトブック(絵本)は1部だけマット紙にプリントして製本した。できあがりをチェックするためである。娘がやってきておもしろがって見ていた。句読点抜けの誤植も見つけてくれた。

さて、その後クライアントとの打合せでこの絵本の印刷が決まった。部数は300と少なめだがそれでも配布するというのだから驚きだった。しかし同時に予算はかなり厳しいということで、あまり時間をかけてブラッシュアップすることは費用的にも時間的にもむずかしい。
仕方がないので、手弁当で半日かけてブラッシュアップして印刷所に入稿した。