先月だったか、YouTubeでたまたま昔の時代劇を見つけた。「素浪人花山大吉」という1960年代のテレビ時代劇である。
私は大学生の頃、この番組の再放送をテレビで観たことがあった。確か大学4年生の秋頃だったかな。卒業研究もだいたい終わっていて学科も必要単位は3年生の時にほとんど取り終わっていたので、ヒマだった。なのでよく本を読んだ。思えば人生でこの時ほど本を読んだことはない。ほとんど毎日一日中読んでいた。週に一度ゼミで学校に行くので帰りに横浜の有隣堂という本屋に寄って毎週10冊くらい買って帰った。それを片っ端から読んでいた。
朝9時か10時くらいに起きてしばらくベッドで本を読み、11時頃に朝ご飯を食べながら「花山大吉」を観て、それからまた読書。夕方まで読んだら家族の夕食の準備をした。私が炊事当番だった。そして夕食後少し休んでまた本を読んだ。その後ゼミの勉強などを3時か4時頃までして寝る、という生活だった。決して外に出るのが面倒とも思わなかったので、誘われれば友人とピクニックでも映画でも行った。だが家に居る時間の方がはるかに多かった。
そんな懐かしい時代の話である。
で、最近たまたまYouTubeで見つけた東映の動画で、古い時代劇の1話と2話だけYouTubeで観られるというので、前述のように花山大吉を観た。懐かしさとおもしろさで家族にも見せた。みんな笑って観ていた。それで詳しく調べると月額いくらか払えばAmazonプライムビデオで全話観られるらしい。トライアルで契約してみた。だがMacはどうも?だったので仕方なく契約は解除した。
さて、花山大吉は2話しか観られなかったが他にも東映の時代劇が無料で2話だけ観られるので、いくつか観てみた。それで発見したのがコレ「用心棒シリーズ」。
主演は栗塚旭、おもしろかった。花山大吉より何倍もおもしろかった。放送はこれも1960年代。
ちなみについでにチェックした高橋英樹とかが出ているその後の時代劇はどれもツマラナイものばかりだった。いくつか観て、内容の薄っぺらさと演技やセリフのつまらなさにうんざりしてしまった。
で「用心棒シリーズ」である。おもしろかったのでDVDを買うことにした。初めはこんなの面白いと思うのは私だけだろう、と仕事をしながら流していたのだが、カミさんと娘も気になるみたいで、それでダイニングのモニターで流してみたら2人ともすごく面白がって毎日食事のあと観ることになった。娘は課題をやりながらも観ている。
用心棒シリーズのDVD
DVDのパッケージ、手前は描きかけのスケッチ。仕事である。このスケッチをもとにCGを作成するのである。スケッチをスキャンしてクライアントに送り確認するのである。結構大切なプロセスである。
さて、用心棒シリーズだが、DVDが3セット発売されている。第1作が写真右端の「俺は用心棒」全部で26話ある。1話だいたい50分。その後ヒットしなかった第2作があるがDVDにはなっていない。第3作が上の写真にもある「帰ってきた用心棒」でDVD2セットで全部で36話ある。さらにその後第4作として「用心棒シリーズ、俺は用心棒」もあるがDVD化はされていない。
で、このシリーズ第1作と第3作、内容が少し難しいものもあり、途中でトイレに立つと戻ってきて続きを観てもわからなくなることが多い。そのあたり高橋英樹主演とは大違いなのである。高橋英樹の桃太郎侍なんかは初めの10分と最後の5分だけ観れば途中を見ないでも内容はほぼわかるような幼稚なストーリー。まあこれは高橋英樹が悪いわけではなく、観る側のレベルがどーんと落ちたからである。こういう幼稚で単純なものが好まれたからこうなった、ということである。
用心棒シリーズはストーリーが複雑なものもあるし、そもそもあまり説明的ではない。倒幕だの佐幕だのと幕末の話なのだが尊皇攘夷の意味もわからない人には??だろう。ウチでも娘はときどき??になって、そのたびに私にどうして?今の何?と聞いておった。また、ストーリーの特徴として多くの回で用心棒の活躍むなしく巻き込まれた無実の人たちが死んでしまう。はじめは「これ、別に死ななくてもよかったのでは?」と思うようなものがいくつかあるなと思っていたのだが、ある日その理由がポンとわかった。
これは反戦作品だったのだ、と。この番組が制作されたのは1960年代である。まだまだバリバリの戦後である。日本人の教養人はあの戦争は何だったのかを少なからず考えていた時期である。太平洋戦争では軍部が言わば尊皇攘夷を訴え、国民に多くの犠牲も求めた。お国の一大事なのだからトーゼンだろ・・・と。だが結局何にもならなかった。政府は「戦争は悲惨だったが死んだ人は英雄」、という立場だったが、そうではない。あきらかに無駄な犠牲だった。「大東亜共栄圏」なんてものは軍隊が作るものではなく。経済が作るものだったはずで、知識人にはわかっていた。だから死んだ人はただただ哀れなだけだった。用心棒シリーズの時代背景は幕末、尊皇攘夷、倒幕を訴える側と佐幕側とのいざこざがあり、そんなことどうでも良い人たちが巻き込まれ無残に死んでいくのである。倒幕や佐幕に狂った者どもは「お国の一大に・・・」と庶民に犠牲を強いる。まさに先の大戦と同じである。
それに気づいたきっかけは「帰ってきた用心棒の」第22話「地獄極楽わかれ道」を観たときだった。ネタバレはしたくないのでストーリーは書かないが、頭の少しおかしくなった殿上人(てんじょうびと、皇族やそれに近い人、この話では確実に皇族)に菅貫太郎、それに何これ?な三浦徳子演じる御所人形(妹君)が出てきてこの人たちに悪意はないけど、なんでこんなののために・・・というオハナシ。製作者も狂った世界を演出するためか、この回だけ音楽がハチャメチャなのである。東条英機が学徒動員で大声で「てんのーへーかばんざーい」と叫んでいた状況と同じなのである。つまり、まがいなりにも国家の最高権力者がまだ10代の学生に「天皇の名のもとに国のために死になさい」と命令したわけである。当時誰も「NO!」と言えなかった状況にこの番組では用心棒とさらに巻き込まれた世話役の内儀(武家の妻)までが「NO!」というのである。高森和子演じる内儀が最後の方で御所人形に「NO!」という時の気迫がすべてを物語っている。
ちなみにおかしくなった皇族役の菅貫太郎はこの演技が有名になり、たびたび同じような役のオファーがつづき、本人は嫌だったらしい。
また、この用心棒シリーズ、基本的にはハードボイルドである。チャンドラーのマーロウに通じるユーモアのセンスがある。日本では松田優作らが出てくるユーモアのかけらもない、ただ汚らしいアレがハードボイルドと言われるようになりハードボイルドの意味が変になってしまったのが残念である。
チャンドラーは大金持ちの家を「バッキンガム宮殿より小さいし、クライスラービルより窓の数が少なかった」とか、大鹿マロイ(オツムの弱い大男)を「自由の女神みたいにデカいの」というユーモアのセンスがあり、そして何より身なりはきちんとしていてダンディである。大違いなのである。私はユーモアの基本は「たとえ方」にあると思っている。決して関西お笑い芸人のような揚げ足取りにではない。ユーモアのセンスがある人は揚げ足は取らない、ポンッと膝を打つたとえのうまさにある。
さて、もう少しこの用心棒シリーズのどこがおもしろいのか書いておこう。
例えば「白い目じるしの宿」ではシジミを買うために旅籠(宿)の奥さん(三原有美子)が軒下にシジミ売りに見えるように白い手ぬぐいをぶら下げる話がある。そのサインを訪れた侍が自分の嫁のぶら下げたサインと勘違いして宿を間違える、というのがある。
これ、今風に言えば旅籠の奥さんに罪はない。だがこの奥さんは自分がしたことでうまくいかなくなった、という事実を重んじてたいへん責任を感じる。追っ手がせまっている中で、命の危険を冒してまでも侍の奥さんのところに知らせに行こうとする。「何も知らず待っている侍の奥さまのことを考えると、申し訳なくて・・・」と。こんなこと今なら絶対考えられない。100%「私は何にもわるくない、そりゃ気の毒とは思うけど・・・」となるだろう。そう、たしかに悪くないのだが、結果に責任を感じるという価値観のちがいに観る側はガツンとやられるのである。この「白い目じるしの宿」はウチの娘の一番のお気に入りらしい。なるほどね、そういえば私の人生でも、かつて「私、なにか間違ったこと言ってますか〜?」と言うような人にロクな人はいなかったなぁ、と。
また、共演の二人(左右田 一平と島田順司)の掛け合いもいい。「武士渇して盗泉の水は飲まず」なんて今の人たちに最も不足しているセンスではなかろうか。こんなセリフがサラッと出てくる。くどくどと説明する代わりにさらっと出てくるところが実にいい。そうね、最近よく見聞きする「私はカワイソーな人だから悪いけどそんな余裕はない」みたいなのが今の潮流で、まあ日本人も落ちたものだなぁ、と。以前働いていた会社でもスタッフにいた。離婚してカワイソーだかららしいが、3日に一度「悪いけど私はこうするしかないの」みたいな話を聞かされて「そうなの、たいへんだね」とテキトーな相づちを打っていたが正直うんざりだった。最近ではパキスタンの貿易相か何かが会見で「パキスタンはカワイソーな国だからロシアから安い原油を買うけど許してね」みたいなことを言っていた。黒澤映画「七人の侍」で三船が「かわいそうなヤツは大嫌いだ」と言うシーンがあるが、まさに同感である。誤解のないように言うと自分で自分のことをカワイソーと言うヤツのことである。
掛け合いと言えば、奉行所同心と岡っ引き2人の掛け合いもおもしろい。またこの3人、決して説明的でない用心棒の言葉に??となるのが逆にこちらに理解の機会を与えてくれて心地よい。実に話の組立てがうまいのである。
そしてこの「掛け合い」が楽しい。何度も言うが低俗な関西お笑い芸人の「何か言わせて揚げ足を取る」みたいな掛け合いとは大違いなのである。
この同心岡っ引きトリオの掛け合いはあまり教養がなくとも理解できる内容なのに対し、左右田 一平と島田順司の掛け合いはある程度教養がないと理解できない内容になっている。こういうところも重層的でおもしろい。
さて、娘のお気に入りは「白い目印の宿」だが私はなかなか1つに絞り込めない。2つ選ぶなら第1作第24話「拾った道」と3作19話「半鐘は二度鳴る」かな。「拾った道」は花園ひろみ演じる殿様の求婚から逃げてきた娘がなかなかよい。この女優、いくつか時代劇に出ているがちっとも魅力はない。だがこの「拾った道」だけは例外的によい。「半鐘・・」の方は始まって30分くらいまでは何が何だかさっぱりわからないところがいい。観終わってわかる、この話はミステリーだと。ミステリー映画などは、観る側もミステリーと知って観始める。まあそうとわかって観るのだからお化け屋敷みたいなものである。だがこの時代劇はそうではない。はじめの30分は表面的なことは除き、何が起きているのかさえよくわからない。観終わって「これはミステリーなんだ」と気づくことになる。おもしろい。