前回から引きつづき写真のプリントをしている。さて、プリントした写真はどのように鑑賞するか。額に入れて部屋に飾るのが一番だ。そうすれば鑑賞する機会は他の方法に比べ圧倒的に多くなる。そして毎日見ていると次はどうすべきかも見えてくる。素直に反省して次の撮影で解決するように撮ればいい。
さて、そのためにはまず大切なのは「気づき」である。気づかなければそれまでである。すべてはこの「気づき」から始まると言っても過言ではない。写真が趣味の人というのは社交性が今ひとつの人が多く、そういう人は写真も下手で上達しない傾向がある。何人も知っている。「これでいいんだ」「こういうものだ」系のおっさん達は特にこの傾向が強い。
知人で山の写真を撮っているおじさんがいた。カメラは100万円超の高級機だ。写真アルバムを見せていただいたが、小学校低学年でも撮れるような写真の連続で、景色のいい方向にカメラを向けてシャッターを切りました。みたいな写真しかない。それが何百枚も続く。また別の人は花の写真で、みんな同じような画角の、できの悪い植物図鑑のような「庭の水仙が咲いたので朝起きてパジャマのままちょこっと庭に出て撮ってみました」みたない写真。それを会社の会議室みたいなところに何枚も飾っている。管理職の人なのでだーれも「ダサッ」なんて言わないのだろう。ハッキリ言ってウチの娘が始めてアジサイを撮影したときの写真の方がマシだった。
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| 娘が撮影した最初の花の写真 |
これは娘にオリンパスの一番安いデジタル一眼のダブルレンズキットを買ってあげたときに練習に近所の新宿中央公園で撮影したアジサイの写真。アドバイスしたのは「花にこだわらずに背景にこだわって望遠で絞り開放で撮ってごらん、ただしピントは花に合わせてね」ということだけ。カメラを買ってあげてすぐの頃。
写真で大切なことは自分で撮影した写真をしっかり眺め、この写真は何が違うのか、何が新しいのか、を絶えず自分自身に問いかけることだ。
そんな堅苦しいこと言わないで趣味なんだから自分の好きなように撮ればいい、という意見も多いが、それはある意味正しい。だが私の考えでは同時に決して正しくない。人に迷惑をかけていないし法律違反でもないし自分が楽しいのだから「正しい」と言える。だがそれは「正しくないことはしていません」という消極的で空虚な「正しい」であると私は思っている。もちろん一部の撮り鉄の人たちのように「正しくない」ことをするのは論外だが、自己満足という名のゴミのような写真を何万枚も撮り続けることは決して正しくはないと信じている。たえず写真と真摯に向き合い、悩み、工夫して、試して、また考えて・・・とそれを何年も続けるから写真に「意味」が生じるというのが私の考えだ。好きなように撮ればいいじゃん、ではないのである。つまり「意味」のないことは「正しくない」とは言えないが決して「正しい」とも言えないということだ。そう信じている。
さて「気づき」だった。これは撮影の時も撮影した写真の鑑賞の時もかなり重要な要素で、「気づき」がうまく発動しないと何も始まらない。そもそも「気づき」は写真に限らずデザインでも料理でも同じように重要で、例えば料理の下手な人はいつまで経ってもレシピ片手に大さじ小さじなのである。そこに「気づき」は起きにくい。手続きの連続に忙殺されてしまうからだ。気づく余裕がない。もちろんそんなやり方も「正しい」のだろうが、それでいいのだろうか。
何にせよ気づくことが初めの一歩なのである。そして気づけば「考える」。何も言われなくても考える。そして「どのように考えるか」に進むことができる。
写真では「もう少しアンダーの方が」とか「被写界深度が深い浅い方が」などが考えることと思われがちだがそうではない。そんなこと考えたらそれで終わってしまう。先のおじさんの仲間入りとなる。
アングルや露出やピントの調整というのは目的ではなく手段である。さらに言うと、「目的はいい写真を撮ることでアングルや露出やピントはその手段」というのもダメである。手段を極めたからといって良い写真が撮れるわけではないからである。もちろんアングルや露出などは大切なことである。だがそこには考えるほどの奥行きはない。電車に乗って目的地に行くのにいくらの切符を買って何行きの電車に乗るかみたいなもので、知識としては必要だが時間をかけて考えるほどのことではないからである。
ではいったい何を考えるのか、私は「物語」だと思っている。この写真は何を物語っているのか、何を物語るようにするのか、それこそが目的であり、意味だと信じている。
ただしこの場合「物語」は文脈のあるいわゆる「ストーリー」ではない。絵本の絵とはちがうのである。「ぐりとぐらは森へ宝探しに出かけました」みたいなストーリーとは全く異なる「物語」である。
たとえば女性ポートレート、「この女性は今こういう経験をしてこんなことを考えている」ではストーリーになってしまう。私の言う「物語」とは例えて言うなら「磁場」のようなものであって、その時の彼女のまわりに発生している「なにか」でありそのなにかを仮に「磁場」と呼ぶことにすると、この「磁場」がオーディエンスに何かを語りかける、という「物語」である。だから物語るのは彼女ではなくその写真を眺める「私」であり「あなた」とも言えるのだ。また、だからこそその写真に作品としての普遍性が宿るのである。
そして、ここで最初に戻るのだが、写真を鑑賞するときに「物語」を感じることが大切で、そのために最も適したメディアがプリントなのである。わたしがA2サイズのプリントに魅力を感じているのもこのサイズのプリントが最も訴求力が強いと感じているからなのである。
もちろんA3やA4がダメという意味ではない。だが並べて眺めるとA2サイズはまるで違うのである。それは経験によって裏打ちされた私にとっての事実なのだから変えようがない。また大きければ大きいほど良いとも限らない。A1サイズ以上になると手に取って眺めることができない。鑑賞には大きな壁面が必要になる。残念ながら我が家にはA1サイズを何枚も並べて俯瞰することができるようなそんな大きな壁面も部屋もない。その点A2サイズは額に入れても手に取っても眺められるサイズ感が鑑賞にとって最適なのである。だから少々費用はかかるがA2サイズでプリントすることにしている。
さて昨夜も仕事の合間に何枚かプリントした。乾燥が終わって手に取って眺めてみる。最高の時間の過ごし方だ。
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| A2サイズでのプリント |
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| Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/30 ISO100 |
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| Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/60 ISO400 |
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| Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400 |
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| Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400 |
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| Melancholy GR-digital(元祖) F7.1 SS1/320 ISO64 |
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| Boat E-420+70-300 F5.6 SS0.8s ISO100 |
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| Moon E-M1II+M300 F4 SS1/20 ISO640 |
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| Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/40 ISO100 |
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| 絵はがきサイズのプリント |










