2024年10月31日木曜日

パソコンのデータ整理・整頓

 仕事が一段落したのでまずはMacのデータの整理・整頓をすることにした。よく「整理・整頓」と言うが「整理」と「整頓」両者の違いを明快に理解している人は意外と少ない。以前働いていた会社でも安全衛生会議という報告だけの会議があり、その中で4S活動だか5S活動だかそういうのがあった。Sとは整理、整頓、清掃、清潔、躾けらしい。「躾け」とはまたずいぶん子供扱いだがこの手のことを会社でやっている人たちは所詮その程度だから文句を言っても始まらない。それよりそもそも整理と整頓の違いすら誰ひとりわかっていないのがどうにもだった。この両者には明確な違いがある。整理とは必要・不要を判断し不要なものを処分することを指す。整頓とは残った必要なものをあるべき所に戻すことを指す。とかなりはっきりと意味の違いがある。報告ばかりの意味の無い会議ををしている連中はそいうことはどうでも良く、つまり本質なんかより、決めたことをちゃんとやってますという、いわば「手続き」、「パフォーマンス」が大切だったのだろう。

さて、くだらない話はこのくらいにして、本質的な話に戻ろう。私がこの「整理」と「整頓」の違いに拘るのには理由がある。片付けの際、たとえば引き出しのなかをきちんとしたいとき、この「整理」と「整頓」を同時にすることも多い。不要なものを捨てながら必要なものをあるべきところに置いていく。それはそれで良いのだが、たとえば一旦引き出しの中の物をテーブルの上にひっくりかして片付けるようなときは整理と整頓を分けて考えた方がよいことも多い。片付けの苦手な人は私が見ているといつも同じように片付けをしていて、数週間で元の木阿弥になっている。これは引き出しでも本棚でもパソコンのデータでもなんでもみんな同じで、整理を始めにしないので絶対量が減りにくく、それですぐにまたごちゃごちゃになる。整理は本来「必要なもの」と「不要なもの」の2分化だが、私は少し違うと思っている。この2つに加えて「ここにあった方が本当によいか」を考える。これは本来「整頓」の範疇であるがあえて整理と考え「整頓」の前に済ませておく。たとえばどこか別の場所の方がよいまたは別の場所でもかまわないものを一旦ダンボール箱の中にでも仮置きし、残ったものを整頓する。圧倒的に量が減るが空いたスペースはそのままにしていてもかまわない、むしろそのまま空けておく方がよい。このように片付けるとすぐに又ごちゃごちゃとはなりにくい。そしてこれがすごく大切なことなのだが、元の木阿弥にならないので、片付けがイヤにはならない。好きになる。好きなら楽しめる。

パソコンのデータも全く同じ。

私の場合次のように考えている。私の仕事では受注物件は短期のものは数日から長いものは数ヶ月以上におよぶこともある。データ量も業務期間に比例して増えることが多い。データはあとで「あれはどこかしら?」とならないことが重要で、そのためには一般的つまり原則としてのルールをしっかり決めておくのが基本となる。つまり案件の短期長期にかかわらず、またデータ量の大小にかかわらずルール通りに整理し整頓する習慣である。もちろんストレージの不意の不具合に対処するためのバックアップは常識であるが、ここでは省く。


ディスクアイコンとプロジェクトフォルダー




これは私のMac、Mac Studioのデスクトップに表示されるディスクアイコン(左)と物件ごとに生成されるフォルダの中のサブフォルダのアイコン(右)である。
デスクトップのディスクイメージは毎年年末か正月明けに写真をプリントしながら待ち時間に作り替えている。今年のはハードディスクの内部をイメージして作ってみた。0から順に番号を振って名前をつけてある。たとえば1は仕事のメインのデータストレージで、2がそのバックアップである。
そして1の中にはクライアント別のフォルダがあり、さらにその中にプロジェクトフォルダがある。実際にはもう少し複雑だがここでは説明を省く。またデスクトップには基本的にデータを置かない。置いたとしても仮置きでせいぜい数分から長くても1時間以内だ。

各プロジェクトフォルダ内部は上図の右の分類となっている。このフォルダはこの中から必要なものだけをコピーして入れているので通常こんなに多くはならない。ここもカスタムアイコンを使い、一目でわかりやすくしてある。

例えばイラストレーターを使って、またはインデザインを使って何らかの冊子を制作したとすると、イラストレーターのファイルやリンク画像のファイルは1つのフォルダにまとめて入っている。ファイル名にもルールを適用している。こうすることで何年経ってもすぐに目的のデータを簡単に見つけることができるようになる。そしてデータ製作中に例えばイラストレーターデータを上書き保存する場合はよいが、別名で保存した場合、古いイラストレーターデータは予備データとなり不要になる。つまり整理によって処分される対象となる。しかし何らかの理由でそれがまた必要になることも考えられるので、削除することはできない。リンク画像も同様であるがそのようなファイルつまり使わないが捨てられないファイルはそれら専用のフォルダを作ってそこに移動する。こうすることでメインの作業フォルダには余計なものは無い状態が担保されるので、制作中はもちろん入稿の際も手際よく作業できるし、後にデータが必要になった際にも効率よく見つけることができる。

データには他にも、たとえばクライアントから送られてきたデータやその他参考データなどもあるが、これらもきちんと管理することが大切だ。今ちょっと見てみたが、ある物件では1年半に渡り25回データを受領していた。25回というのは決して突出して多いわけではない。そしてこれらは制作中に何度も見返すことがあるので絶対ごちゃごちゃにしてはならない。例えば仕様など途中訂正されながら何度か送られてくることもある。どれが最新かファイルのタイムスタンプに頼るのは危険だ。だから受領日ごとにフォルダを作成し保存する。このようにしておくと何十年経っても必要データの在処は明快だ。

よくデスクトップにフォルダをつくってそこで作業して、ある程度目処がついたらストレージに整理整頓して収納するという人を見かけるがこの方法はダメである。こういう人たちにオンゴーイングプロジェクトの何々のデータをくださいといっても100%すぐには出てこない。仮に出てきたとしてもリンク切れがあって使えなかったりする。何々というリンク画像のデータがないのだけど、と聞くと、ちょっと待ってくださいといってファイルをさがすのではなく、わざわざイラレを開いてリンク画像の場所を調べてそれから、となる。つまりデータの所在が決まっていないのである。そして数分待たされる。やっと出てきたら次にまたリンク切れがあって、と。時間のムダもいいところだ。で2つ3つリンク切れでえーとえーととやっていると、「すみません、あとできちんと整理してサーバに入れておきます」となる。もう10分くらい経っている。そういう時間は何も生み出さないムダな時間だ。おそらく1つずつイラストレーターのデータを開きながらリンク画像がどこにあるか調べながら整頓しそしてイラストレーターでリンクを変更して・・・と何時間もかけてムダな作業をすることになるだろう。

またデスクトップに100個もアイコンが並んでいるなんてのもダメだ。ウィンドーズの人に多い。たいてい「えーとえーとどこだっけな」となる。部外者を含めた会議などでそんなPCをプロジェクターにつないでみんなにデスクトップを披露するなんて情報管理的に??だ。いいのか、それ?。だがそういう人は結構多い。デスクトップにセンスの悪い壁紙を使い、アイコンがうじゃうじゃなんて見せられているこちらだって会議が始まる前から気分が悪い。シンプルにすっきりできないのかなぁ、と思う。さらにそういう人はノートパソコンのバッテリーが少なくなって会議やプレゼンの途中でバッテリーが怪しくなったりする。

さて、ファイルだがきちんと整頓すれば、目をつぶってもその在処がわかるようになる。つまり「探す」にかかる時間をミニマイズできるのである。これはコンピュータに限らず工具や文房具などでも全く変わらない。そしてこれがとても重要なポイントなのだが、整頓に要する時間は探している時間の総和より遙かに少ないのである。

さて、では私がどうして改めて、今データ整理整頓が必要なのかといえば、理由は大きく2つある。1つは上記の基本ルールではうまく整頓できない案件の対応である。例えば冊子とポスターパネルを同時期に受注した場合など、私は冊子は冊子、ポスターパネルはポスターパネルと入口で分けている。もしこういう分け方をせず商品ごとに分類してあれば簡単なのだが理由があってそうしていない。なのでちょっと面倒だ。コンテンツは同じものを使用しているが解像度設定は当然異なる。ただし両者の紐付けは必要だ。他にも写真の元データや3D-CGのモデリングデータはどちらに属するのが良いかなどなど、これらの分類はどうしてもイレギュラーになり、これを後日「オリジナルはどこ?」とならないよう整頓するのはなかなかむずかしい。なので全て終わってからどうするかな、と考えることになる。

もう一つは、今回制作したコンテンツの中から部品としてライブラリーに登録し、今後の仕事の材料とする作業だ。これ、地味に重要なことで、このライブラリーの充実が仕事の能率化に大きく関わってくるからである。ライブラリーに登録するには次回以降使いやすいようにある程度手を入れる必要がある。だから仕事が一段落するまではできない。それを手が空いた今まとめて片付ける。

ライブラリーの一部、これは建設機械


その後、ふとこれを機にストレージを大容量のものに入れ替えることにした。ただしメインのMacではなくサブのMacの方である。サブのMacは現在、8テラが2台、4テラが4台の合計6台の外付けハードディスクがつながっている。これを12テラ2台に置き換える。12テラのハードディスクはヨドバシに注文したら翌日に届いた。現在データの移植中。その他いろいろと変更し、この作業に3日間ほどかける予定。どうして3日もかかるかというとデータ量が多いので移動に時間がかかるからで、1テラバイトの移動に2時間くらいかかる。単純に新しい大容量ディスクにまとめるだけなら一晩で終わるが、そのほかあれこれ整頓するとなると何日もかかる。まあこれは仕方がない。仕事の片手間でのんびり片付ければいい。ついでにコンピューターラックの掃除もしよう。





2024年10月24日木曜日

模型製作と交通機関のバリアフリー

完成した模型



ずっと製作中だった模型がほぼ完成し、今日は確認のため日比谷のクライアントのオフィスへ持って行った。模型はたいていベース(台)の大きさで外箱の幅と奥行が決まる。展示の際に安定させるにはベースの大きさがある程度大きい方がよい。特に今回のように少し高さがある場合はなおさらである。それはわかっていたのだが、いざ運ぼうと思うと改めて大きいと感じる。キャリーに乗せてカラカラ引っ張っていく。

朝夕の混雑時を避け空いている昼ごろの電車を使う。駅のエスカレーターは使えなくもないがエレベーターがあればその方が良い。家の近くの駅は問題ないが途中どうしても乗り換えがある。この乗り換え駅のエレベーター事情がよくない。

他線に乗り換えるときエレベーターが使えない、または非常に使いにくい駅は結構多い。どの駅もたいてい乗換えの上下移動はエスカレーターが便利に使える。だがエレベーターはあるにはあるが場所が非常にわかりにくいとか、改札階にはいけるが乗換え階には行かないとか、乗換えとは逆のホームの先にあったりとか必ずしも利便性が高いとは言えない。まあ距離が遠いとか路地をくねくねと何度も曲がってたどり着くくらいは我慢して歩いても、一旦改札を出て違う入口から入り直さないと乗換えもできないなんてのはある意味欠陥ではないだろうか。例えば同じ都営地下鉄への乗り換えでも一旦改札を出て再び入ることになるわけで、運賃が余計にかかる。おそらく駅員に事情を説明すれば大丈夫なのだろうが、それでは不便極まりない。

バリアフリー法ができて1日の昇降客数が5千人以上の駅はエレベーター設置が義務付けられた。つまり少なくとも東京の地下鉄駅は全部である。短期間で対応するために、あればいいのでしょ的に取付けたエレベーターも多い。先の一度改札を出ないとなどはその最たるもので、鉄道事業者側の言い分は明快で、「施工上難しいのでこうなった、あとは駅員が必要に応じて個別にサポートする」ということだ。つまり健常者とは違うルートにはなるが乗り換えまで駅員がサポートしますのでいいでしょ、なのである。馬鹿な話である。車椅子利用者が健常者と同じように自立移動できることがバリアフリーの意味である。それができないなら適応したとは言えない。重要なのは自立利用、自立移動が可能かどうかなのであり、誰かのサポートが不要な社会がバリアフリー社会なのである。もちろんサポートなんて必要がないという意味ではない。例えばみんなよく知らないが白杖を持った人が電車に乗ってくるとたいてい扉近くに立っている。車内を移動すると白杖で他の乗客の足に触れることになり、それを気にしているからである。また同じ理由で席にも座れない。だがもちろん彼らだって座りたい。だから席が空いていれば教えてほしいそうだ。そしてひじを貸してあげて席まで誘導してあげればいい。たいしたことではない。そしてそれは機械や装置ではなかなかできないことなので、人がサポートするのが良い。

だが移動方法に関しては装置でなんとかなるのである。それをその装置を使うために誰かのサポート云々というのは、もう少し考えたらどうよ、と言いたくなるのは私だけだろうか。

以前、障害者団体と会合を持ったことがあるが、彼らはやはり誰かに手助けしてもらうより、できる限り自分の力で、と考えている。例えば一部のエスカレーターで段に少し手を加えて車椅子を昇降できるタイプがあるが、その作業と移動の間、つまり自分のために多くの他の利用者に階段を使うことを余儀なくさせていて申し訳ない、と言っていた。その気持ちはすごくわかる。

バリアフリーの理想は例えば大門での大江戸線から浅草線に乗り換える部分を例に取ると、エスカレーターの横にエスカレーターと同じ並びに斜行エレベーターがあり、エスカレーターのすぐ横をエスカレーターと同じように移動することである。エレベーターのカゴはガラス張りになっていて閉塞感がないことも大切だ。ただし斜行エレベーターの移動速度はエスカレーターの半分でよい。間違ってもエスカレーターより速くしてはいけない。理由は言うまでもない。それが理想だろう。どれだけ工夫し、そして費用をかけるかが課題となる。大門を例に出したのは、あの駅は都営大江戸線から浅草線経由京浜急行で羽田や成田に行くルート上の乗換駅で、大きな旅行カバンを持った乗客が多い。そして長いエスカレーターをコロ付きの旅行カバンを持って乗るわけである。エスカレーターが長い分かなり危険だ。本来バリアフリーは身体的にハンデキャップのある人と妊婦や小さな子供連れが対象だが、荷物を持った人も加えてよいのでは、とこれは私がずっと考えていることだ。

今回、キャリーをカラカラ引っ張りながらそんなことを考えながら打合せに行った。

さて、模型の検査も無事終わり、模型のできにも大変喜んでくれたので、積み残しの最後の仕上げをすませて来週幕張メッセの展示会に持って行く予定である。長く辛くそして楽しい仕事ももう少しで終わる。

その後幕張メッセへの輸送と設置も無事に終わった。輸送にはカミさんと娘も手伝ってくれた。通常はこれで仕事も終わりなのだが今回は少しイレギュラーで今回の展示会終了後模型を一旦引き上げ11月中旬に今度は都内の展示会への持ち込みまでとなっている。

だが製作中の忙しさからは解放される。また他の仕事も今は数が減って比較的のんびりできる。本棚を作り図書室の改造を始めようと思っている。でもその前に少しデータの整理整頓と書斎の片付けもしよう。データは基本的にMacのデスクトップに置きっぱなしはないがそのプロジェクトを始めたときのルールを少し変更する必要があるものをあとからわかりやすいようにすることは時々必要なので。

11月12日に第2の展示会会場へ設置し、この模型の仕事も完了となった。今回は池袋だったので家からタクシーで運んだ。タクシーで運びながら、模型の仕事を頻繁に請け負うなら車があったほうが良いのだろうな、などと考えていた。車だけではない、レーザー加工機や3Dプリンターなども必要なので、設備投資だけで何百万円かかるやら、とそこまで本格的に模型の仕事をしようとは思わないので、ぼーっと考えていたのを両手で払い、やめやめ。ふぅ。


会場に設置した模型2台





2024年10月11日金曜日

FM Transmission Barricade

Barricadeのロゴ、本家はヘタクソだったので3分で作ってみた
 


模型製作が佳境である。今月末の展示会に間に合わせるため急ピッチで作業している。現在の予定では20日に完成、21日に検査である。ただし引き渡しは月末に展示会会場での設置時になる予定。

つい先日模型を1点納品したばかりで模型つづきになるが、前回のは模型屋さんに製作を依頼したので私の仕事はプロデュースとデザインだったが、デザインはそれほど工夫があるわけでもなく、むしろ客先と模型製作会社の調整業務がメインだった。売上金額の大部分が模型屋さんへの支払いにまわり商売としては割の合わないものだったが、それは覚悟していたので不満はない。だが完成予想のCGを製作し、何度も打合せや確認があり、その他作業時間も含めると収支は結構厳しいものだった。

できあがった模型はまず横浜での展示会に展示された。中華街で食事がてら家族で見に行った。クライアントにも喜んでもらえてよかった。

横浜での展示会


さて、今回の模型はと言うと、これも予算的に厳しいので模型屋さんには見積りはお願いしたが、どう考えても無理そうなので私が製作することになった。

この模型はCLTという集成材を使う構造体の模型なのでまずは製材から始めることにした。ホームセンターでイイ感じの木材を探すところから始めて、その後工房で何日も材料の切り出しと仮組みである。これが結構しんどい作業で、木の粉がすごいので、ガスマスク、ゴーグル、帽子と完全武装で作業する。しかもかなり危険なので気が抜けない。何度かヒヤッとすることもあった。安全には十分気を使っていたのだが切断中の木材の破片が回転刃にかんでパーンと吹っ飛ぶのだ。これ、かなり怖い。気をつけてゆっくり作業していてもパーンとなるときはなる。今回は切り出す木材のサイズが小さいのでこうなる。たとえば長さ1mの材木を半分に切断するようなときはこの現象は起きない。だがこの模型で必要な木片のサイズはもっと小さい。数センチである。するとカットした小片がひょいと動いて刃にかんでパーンとなるのである。今回はなんとか終わったが次回同じような作業があればやり方を考える必要がある。そうでないとヒヤヒヤと健康にも良くない。パーン1回で寿命が5分縮む。両面テープなどで切り出し側を仮固定してカットするとか別の工具を使うとか・・・

木材の切り出し作業が終わると、工房を掃除して次は組立てと塗装である。組立てはプラスチック部品は書斎の作業デスクで行い、木材は工房で作業している。そしてまた次のパーツのために切り出し作業に戻る。これのくり返し。

つまり1日のうち工房で過ごす時間が結構長い。工房では音楽を聞きながら作業している。古いi-phoneをミュージックプレーヤーとして利用し、自作アンプとスピーカーで聴いている。

ミュージックプレーヤーとしてのi-phoneと自作アンプ


この自作アンプは3チャンネルアンプで、入力信号を2分割し、1つは普通にデジタルアンプで増幅、もう1系統は左右の音をオペアンプでミクシングしてさらに100Hz以下を取り出しスーパーウーファー用としてこれをアンプで増幅している。つまりこの箱の中にはデジタルアンプが2台とウーファー用のフィルターが入っている。
ということでスピーカーは基本フルレンジだがプラスでスーパーウーファーを使っている。この組合せで音楽を聞く。なにしろ加工機械の騒音の中なので静かな音楽には向かない。ポピュラー音楽を中心に聞いている。

PIONEER PE-101を使った自作フルレンジスピーカー



自作スーパーウーファー


で、具体的に何を聞くかだが、先日収納庫で探し物をしていたら、懐かしのカセットテープが出てきた。その中に昔FM東京で放送していたFM Transmission Barricadeという番組を録音したテープを何本か見つけた。懐かしいので聴いてみようと思いSONYのデンスケ(TC-D5M)というテープレコーダーを引っ張り出してきて再生しようとしたが回転系が故障しており残念ながら使えなかった。プーリーのベルトが切れたようだった。そこでヨドバシのサイトをチェックするとまだ作っているのだねカセットテープレコーダー。いくつかあったがどうもどれも怪しいが、そのなかでまあまあマシそうなものを注文した。

カセットプレーヤーFiio CP13 中国製


Fiioという中国の会社のカセットプレーヤーで2万3千円くらい。作りはまあまあ、音も値段を考えるとまあまあ。決して良くはない。冷静に考えればカセットデッキ全盛期だったらゴミのようなプレーヤーだが今となっては貴重である。

思うにオーディオやカメラなど趣味の機械は最新を追い求めるだけでなく古いアイテム、たとえばレコードや真空管、そしてテープデッキ、フィルムなどを細々とでよいので供給し続けるような、そういう社会の実現は無理なのだろうか。

日本では無理なのだろう。例えばオーディオ、70年代のオーディオブームに乗って各メーカーはその規模をどんどん大きくしていった。どこの家にもステレオセットがあって歌謡曲のレコードが何枚かしまってあった。ステレオは売れに売れ、メーカーは大きな工場とたくさんの従業員の大企業になった。そういう会社はマスつまり主流を追うことで成長を続けることが宿命だった。従ってオーディオブームが去るとどうにもならない構造だった。長年培ってきたノウハウや技術も将来性がなければ何も残らない、残さないという構造である。これはカメラも同じだろう。デジカメが出てきたときはこんなんダメ。それが技術向上でフィルムを駆逐しはじめると今度は一気にデジタルの波に乗り、フィルムは捨ててしまう。

レコードやフィルムのリバイバルブームが来ても捨ててしまったあとなのでテキトーなことしかできない。まだ息の根はとまっていないがどうだろう、だが先があるのだろうか。

メーカーはカセットテープデッキやフィルムカメラなどおそらくもう作れない。今度はカメラ業界がなんとか生き抜くために以前オーディオメーカーと同じようなことをするのだろう。

そういえばSONYはアナログレコードがリバイバルブームなので国内でレコード生産を再開した、と数年前にニュースで読んだ。ほぉ、SONYもまんざらダメダメというわけでもないかな、と一瞬思ったが、記事をよく読むと、カッティングマシンは全部捨てちまったのでアメリカから中古を持ってきただの、製造の技術がわかる人がもう誰もいないのでトライ&エラーだのと、やはりダメな会社だった。おまけに国内再生産第1号のアナログ盤に選んだのがビリージョエルと大滝なんとからしい。これたしか国内初CDと同じ、どーでもよいこんなところにこだわり、そしてセンスがない。そして技術はカラッポなのである。

そんなわけで中国製のこんなガラクタがアリガタイ存在となるのである。ちなみにこのプレーヤーCP13だが、操作系はシンプルで再生、停止、早送り、巻き戻し、ヘッドホンボリュームのみである。ノイズリダクションおろかクロームテープも使えない。再生はテープエンドで自動停止する。電源は内蔵バッテリーで連続再生で半日くらい。充電はUSB-Cで充電しながら再生もできる。音声出力はステレオミニジャック、以上おしまい。何色かカラバリがあるようだが今頃カセットテープを使うのだから透明タイプ一択だろう。リールが回転しているカセットテープを眺めるのがこのプレーヤーの唯一の存在意義と言ってもも過言ではない。

さてこのプレーヤーで聴いたのが先に述べたFM Transmission Barricadeである。当時新しい音楽を知る最もメジャーというかほとんど唯一の方法がラジオだった。1990年頃だったかな。だがほとんどのラジオ番組は流行歌ばかりでちいともおもしろくなかった。もちろん聴かなかった。私が聴いていたのはNHK-FMのFMクラシックアワーと朝のバロック、FM東京のBarricade、それとクロスオーバーイレブンだった。ちなみにクロスオーバーイレブンは始め良かったが翌年からダメになって聴くのをやめてしまった。たしか初代DJは石橋蓮司で翌年は富山敬だったかな。石橋蓮司はチンピラ専門の俳優だが声はよかったのである。この番組は今でもやっているようだが何とかとか言うアイドル歌手みたいなのが喋りも最低で、もう二度と聞くことはなさそう。

その点Barricadeは良さがブレなかった。だからよく聴いた。土曜の深夜3時からだった。ここで知ってレコードを買ったものもいくつかある。なつかしい。

ちなみに私はラジオ以外の方法では、家の近所にあった新星堂というレコードショップの店員と仲良くなり、土曜など時々行ってレコードを何枚かサワリだけ聴かせてもらってその中から3枚とか4枚とかよく買って帰った。私の音楽発見方法はラジオと合わせてこの2つだけだった。よく友人知人からのオススメというのもアリと聞くが、残念ながらそれで良い音楽に巡り会ったことなどタダの一度もなかったので、そのうち自然と「ほーそうですか」と相づちだけ打ってスルーするようになった。

新しい音楽との出会いは今とはまったく違っていた、というオハナシ。

で、工房でガーガーと作業しながらこれが聞きたいな、とFM Transmission Barricadeをi-Tunesに読み込むことにした。AmazonであやしいADコンバータを買って、QuickTimeで読み込む。音質はまあこんなものだろう。


DAコン、これもおそらく中国製、デザインも中国らしさ全開


音楽データの読み込みは計算用の予備のMacを使った。ほったらかしでよいのでドンドンできる。テープは何本もあるのでだいたい40時間分くらいできたところでプレイリストを作りWIFI経由で工房のi-phoneに飛ばした。材木をカットしたりサンドペーパーをかけながら聞いている。

さて、その後Macに読み込んだ音楽を聞いているとどうも音が変。高音が出ていない。どうした?壊れた?でも待てよ、ヘッドが汚れたらこんな風になったな、とアルコールをつけた綿棒でヘッドを掃除すると元に戻った。よかった。だが無音で放ったらかしで読み込みはどうもダメのようだ。10本ほど読み込みし直しになった。今度は聞きながら読み込むことにした。こんなアホ相手でも手抜きはダメよ、ということらしい。だがまたしても音が変。どうしたどうした?どうやらこのプレーヤーは置く向きによって音が変わるようだ。走行系がいい加減なのだろう、中国製だから仕方がない。もうさすがにイヤになってしまった。

その後、やはりどうしても音質が気になりデンスケで読み込み直すことにした。デンスケは以前2台持っていて1台は回転系の異常で使えなかった。もう1台はだいぶ前に友人にあげたのだが、理由を説明して少しの間借りることにした。それで再生してびっくりした。音が全然違う!昔のFM放送の録音だしカセットテープだからと思っていたのだがこんなに良い音で録れていたのだ。SONYは今はあまり好きな会社ではないが当時はよかった。このデンスケなんて傑作である。

ちなみに当時FMを録音したのはパイオニアのTC-97というでっかいカセットデッキだった。今はもうないが使っていた頃が懐かしい。


SONYのデンスケ(手前)と中華ゴミプレーヤー(奥)




そんなわけでこのゴミプレーヤー、もう使う気にはならない。もったいないけどポイかな。