2025年3月20日木曜日

ファクシミリ付き電話機を買う

 4月から新しく取引開始する会社と受発注の件で打合せに行ってきた。受発注システムは自動でFAXを送信するので受信したら記入して送り返すことになるらしい。今どきFAX?などと言ってはいけない、この手の仕組み作りにはすごく費用がかかるので、いったんできあがった仕組みを変えるのはよほど重大な理由がないとやらない方がいいからだ。

特に安易にコンピューターソフトによるシステムを作ろうものならサラリーマンの年収の何倍もの費用をソフト会社に払うことになる。さらにOSのアップデートとサポート終了に伴うソフトウェアの更新にも多大な費用がかかる。

以前働いていた会社で私はファイルメーカーというソフトを使って自分の事業部の売上管理やら外注費支払い管理のプログラムを作って使っていた。使うたびに時間があると少しずつ改善してみんな結構便利に使っていた。会社の他の事業部はマイクロソフトエクセルで毎回作っていて、あほらし、と感じてファイルメーカーで作ったのだが、自分で言うのも何だが必要な作業時間が5分の1から10分の1くらいになった。ただしソフトのバージョンアップは面倒なのでしなかった。

その後会社のメインの売上管理システムをソフト屋さんに依頼してファイルメーカーベースにするという話を聞いた。別にどうでもよかったが、なぜか私の部にも影響が出て、これを機にソフトをバージョンアップせよとのお達しがきたのである。面倒なのでその会社にやってもらったら?とテキトーに答えておいた。そしたら見積りが来たらしい。いくら?ときいたらコンバージョンだけで結構な費用で(確か40万円くらいだった)、それでバージョンアップに伴う不具合の修正はしない、というから驚いた。へ?じゃあ仕方がないから自分でやるかな、と言って最新版に変換した。ほとんど不具合はなかたったが多少調整は必要だった。これ全部合わせて半日もかからなかった。ちなみに調整が半日でコンバージョンは10分で終わった。いや、正確には3分くらいだったと思う。3分40万円かぁ、でもべつにそのソフト会社を悪くは思っていない。ソフト関連ではよくよくある話だからだ。

だから新規の取引先で古いFAXによる発注と聞いたときに、どちらかというと良い会社だなぁとすら感じたのが正直なところだ。

そんな訳でFAXである。でもウチにはFAXはない。以前業務用のFAX機を持っていたが、全く使わなくなり処分してしまった。仕方がない、購入することにした。FAXはほかにWEBによるPDF変換してメールで送ってくれるサービスなんかもあるらしいが、仕事で相手がある話でそんなサービスは使いたくない。セキュリティの保証がないか、あってもこちらできちんと確認するスキルもヒマもないからだ。そんな面倒なことするくらいだったらFAX機能付き電話機を買うほうが安いし楽というものだ。そのFAXも使うのはおそらく月に1度か2度かその程度だろう。受けたFAXも送ったFAXもスキャンして電子データで保存しておくので、シンプルで安い機械でいい。そんなわけで、価格ドットコムで調べてみたのだが、安いものはほとんど1種類しかなく、それを買うことにした。パナソニックの3万円くらいだったかな家庭用ファックス機能付き電話機、ヨドバシに注文したらすぐに届いた。

他に選択肢はないし、FAX機能付き電話機なんてどれも似たようなものなのでしかたがない。とりあえず開封してサイドデスクの上に置いてみた。

FAX機能付き電話機



うーん。必要なものだから仕方がないとは言え、これは絶対目の届くところには置きたくない。私の書斎には絶対合わない。すごく浮く。このFAX機能付き電話機、用紙をセットしていつでも受信できるようにしておく必要はあるので、他の機器のように使うときだけセットして・・・という置き方はできない。
用紙をセットすると高さは35センチほど必要で、用紙を排出するスペースとして前面にA4サイズの奥行き、トータルで機械の奥行き+30センチ程度=50センチ強必要ということになる。もう少し真剣に考えるべきだったかもしれない、と後悔しても始まらない。どこか目立たない「ほら穴」のようなスペースを見つけて、そこに置くしかないのかも。

何はともあれ動作確認、とも思ったがぜーんぜんやる気にならず、そのまま置いてある。

このファクシミリ付き電話機、コードレスの子機も付いていたが開封せず袋に入れたままダンボールに放り込んだ。

話は変わるが私は今の新築住宅や共同住宅(日本でマンションと呼ばれているもの)のあのビニールクロスの天井、壁が好きになれない。だからウチではビニールクロスはトイレと脱衣室くらいしか使っていない。壁は漆喰がいい。古くなった木部が古色を帯びてくるのも好きだ。だがあのビニールクロスというものは家が完成したときが一番良く、何年経っても味など出てこない。薄汚れてみっともなくなるだけだ。そうするとまた貼り替えるのである。それでしばらくはキレイ、そしてまた薄汚れてくるのくり返し。だが漆喰や木はちがう。ヨゴレや傷が味になる。どちらがよいかは考えるまでもないように思うのだが。また住宅の天井にデカい蛍光灯(今はLED照明)というのも嫌いだ、ビニールクロス+天井照明だともう全く落ち着かない。この真っ白なプラスチックのFAX機能付き電話機はそれに通ずる何か違和感がして生理的に受け付けないのである。

独立して、自分の気に入ったものだけ身の回りに置いて、楽しく仕事をするぞー、というのもこんなFAX機能付き電話機1台で台無しになってしまうものなのだなぁ。と諸行無常を感じる1日だった。






2025年3月13日木曜日

デスクまわりの「ちょい置き」その後

 前々回だったか、仕事をしているとどうしてもデスクまわりに「ちょい置き」があり、これが仕事場所が散らかる元凶になっている。だからちょい置きは極力やめにして、どうしても必要な分は、つまり避けられないものは「ちょい置きスペース」を作り、そこだけに置くことにする、と書いた。

その後、ちょい置きスペースも木製のトレーを2つほど作った。以来届いた郵便物や参考の冊子などはこの「ちょい置きスペース」を活用している。

いまのところうまくいっているように感じている。今日は仕事で水彩画を描いているが、絵の具が乾くまでの間にデスクまわりのチェックをした。

コンピューターの作業机は特に問題ないのでサイドデスクと作業机だけチェックする。以前も書いたがこの写真を撮るときには一切手を加えず、ありのままを撮るのがルールである。片付けたのでは意味がないからだ。まずはサイドデスク。

サイドデスク


ここは問題ない。書類が置いてあるが、やりかけの仕事で必要な書類なのでこれらはよい。

次に作業机


作業机



ここも問題ない、描いている水彩画の道具だけである。少しモニター前が散らかっているが、これくらいはよいだろう。ちょい置きスペースにもあれこれ置いてある。つまりちゃんと使っている。よしよし。描いているのは鹿の絵、カタログに使う水彩画に鹿を入れてほしいという要望があったので鹿を描いている。カタログの挿絵の場合、芸術作品ではないので、鹿だけ描いてスキャン後画像合成で入れる。だから元の水彩画には手を入れず、鹿だけの絵を描いている。下図を描いて水彩画に仕上げてでだいたい20分くらいだろうか、もっと短いな、多分。だが描いては乾かし、また描いては乾かしなのでそういう意味では30分以上かかる。乾くのを待っている間にこれを書いている。

以前は3Dの計算中に水彩画を描いたりしていたが、最近のコンピューターはスピードが速いので計算時間はとても短い。ちょっとしたカットならウチのM1ultraのMac Studioなら数分で計算は終わる。だから思考が分散しないように3Dは3D、水彩画は水彩画とすることが多い。ときどき1時間くらい計算にかかるものもあるが、そんな時は計算中に別の仕事をすることもあるが、最近は少ない。

さて、鹿も描き終わったので乾くのを待ってスキャンニングである。乾くまでもう10分くらいだろう。ついでに撮った本棚の写真


本棚とアンプ、プリンター置き場



ここも問題ない。ちょっと気になるのがこのアンプやプリンターの下に置いてあるプリント用紙や大型の孔あけパンチや中綴じ用のこれまたデカいステープラーである。かなり大きいので他に置く場所がないのだが、そのうちなんとかしたい。

さて、鹿の絵だが合成したが納得いかず結局すべて描き直すことにした。やれやれ。


描き直した絵



これは透明水彩を描いている人には常識かもしれないが、透明水彩のパレットはめったに洗わない。それぞれの小窓にバランス良く絵の具をチューブから出しておき、これに水を含んだ絵筆でなでて筆についた絵の具を広い場所で他に色と少し混ぜて色を作ってそれで絵を描く。透明水彩は乾燥してカチカチになっても水を加えればまた溶ける。だから毎回チューブから出して塗る必要はない。実に経済的だし、描きたいなとおもったらすぐに描けるのがいい。

ちなみにアクリルガッシュは同じ水性だがこういう使い方はできない。乾くとカチカチになり水を加えても二度と溶けない。だから梅皿も使い終わったらすぐに洗わないと使えなくなってしまう。アクリルガッシュは水性ペンキとほぼ同じように思われる。

もう一つ、エアブラシで使うラッカー、これも塗装が完全に乾燥してもラッカーを付けた布地などで少しこすると溶けて取れる。だから部分的に失敗しても先の尖ったタイプの綿棒で塗装を剥がし、再度エアブラシを吹くことができる。平らな面の場合はラッカー補修よりは目の細かいサンドペーパーまたはスポンジヤスリで軽くコシコシと塗装を落としエアブラシを吹く。エアブラシはオタク文化なので、いろいろ細かいこだわりを持っている人が多いので、こんなこと書くと「わかってないなぁ」なんて言い出す人がいるので、まあこのくらいで。

私は透明水彩が好きだが芸術的な絵が描けるほどの腕はない。だがときどき描く。3D-CGやイラストレーターとはちがった味があり、それが最適な場合があるからだ。だがまだまだうまく描けないので時々YouTubeなどの動画で勉強している。今は猛烈に忙しいのでそんな時間はないが、4月に入って少し落ち着いたらまた練習再開である。

思えば仕事の上での私のスキルはどれもまだまだで、世の中には上には上がいる。それは痛いほどよくわかっている。ではどうして私のところに仕事の依頼をいただけるのかというとそれには理由がある。と少なくとも自分ではそう思っている。例えばグラフィックデザイナーなんて世の中に掃いて捨てるほどたくさんいる。だからわかりやすいチラシのデザインなどは価格競争となることが多い。こういうやり方でこんな風に、でいくらで?となる。デザイナーAさんが10万円でデザイナーBさんが7万円だったらBさんの仕事になる。食い詰めデザイナーのCさんが5万円といえばCさんが時間単価1000円以下で取ることもある。仕事なくて遊んでいるより安くてもいいから、という理由で受ける。だからデザイナーはそういう仕事を生業にするのは大変厳しい。別の言い方をすれば長続きしない。こんなことやっているよりスーパーのレジ打ちの方が時給がいい、なんてことになるからだ。ソフトのスキルがあってデザインセンスもそこそこあってもそうなってしまう。

私の仕事は、建設系のカタログなどのデザインが多い。そしてダメ元で必ず提案を入れる。その提案は却下になることも多い。お客もいろいろで、言った通りでないと気に入らない人もいる。だが提案を真面目に検討してくれる人もいる。

お客は、たいてい「ウリ」を特長として列挙してくる、当然だ。だがそれが7つも8つもある場合、読み手はウンザリしてしまい、まず読んでくれない。だからこういう風に絞ってこれとこれはこういう風に表現してはどうでしょうか、と提案する。そのためにはこちらが技術をきちんと理解する必要がある。そうでないとそもそも提案など絶対できない。ちょっと文章が多いので少なくできませんか?なんて抽象的なこと言ってもなかなか動いてくれない。具体的にこういうのいかがしょうか、と提案できて初めて検討してもらえる。当然お客から提供される資料も理解する必要がある。図面が読めて技術資料の内容と照合しながら提案を考える。図面に関しては間違いを見つけて指摘できるくらいまでしっかり読む。

例えば今制作中の製品のカタログでは、基礎に特長があって通常製品ではコンクリートを使って大きな基礎を作ることが必要なのだが、この製品はコンクリート基礎無しで転倒モーメントに耐えられる構造になっている。お客さんは「コンクリート基礎が不要です」という説明書きを加えることを考えている。だが私は「どうしてコンクリート基礎無しでこれだけの応力に耐えられるのか」を説明する絵があった方がいいだろうと考え、それを提案する。

幸い私はお客に恵まれていて、黙って言ったとおりに作ってくれ、というお客はまずいない。いや以前はいたがそういう人は全部自分で原稿を作って、あとは印刷さんのデザイナーに安くキレイに仕上げてもらった方がよいので、私との関係は長続きしないということかもしれない。だが完成したカタログなどを見比べれば差は一目瞭然なので私への依頼は減らない。自慢ぽく聞こえるかもしれないが、これが実に大事なことなのであえて言わせてもらいたい。

つまり、デザインできます、イラレ使えます、ではまず食っていけないのである。中にはすごいイラストを描く人もいて、それで仕事もいっぱいあって、というのはあるだろうが、そこを目指すのは茨の道である。

もちろん技術を理解するのも常に学習が必要で、それはそれで大変だ。だが学習した分だけ確実に知識が増える。それの積み重ねでお客さんと充実したコミュニケーションが可能にもなる。そしてそこからアイデアも自ずと沸いてくる。あとはそれをどう表現するかだ。表現手法の提案があってはじめて説得力も出てくるというものだ。だから私は3D-CGもIllustratorも水彩画も使う。そのスキルは高ければ高いほどいいのは間違いないが、限られた時間のなかで、全部をナンバーワンを目指すのは無謀である。だがひとつだけに注力しすぎるのもよくない。それほどシビアに考える必要はないが、自分を斜め上方から眺めるようにバランスを取ることが肝要だ。

また、現状に満足して歩みを止めたらおしまいなので、いくつになっても学習とスキルアップは続けていく。

学習とスキルアップが楽しくて仕事をしているようなものである。





2025年3月6日木曜日

浦壮一郎著「サカナと水辺と森と希望」を読む

浦壮一郎著「サカナと水辺と森と希望」

これは今読んでいる、と言っても読み終わってもう一度おさらいしているというのが正確なところだが、その本の紹介。よい本だったので。



副題に「なぜ、魚はいなくなったのか」とあり出版社は「つり人社」、つまりどう見ても釣りが趣味の人に向けて書かれた本のように見える。それは正しいのだが、本書はそれだけにとどまらない、そしてそのとどまらない部分がとてもよかった。そもそも私は釣りはしない。小学生の頃ごはん粒を餌にフナを釣ったくらいしか釣りの経験はない。だから魚釣りと環境問題みたいなハナシばかりだったら正直イヤだななどと考えていた。ではどうしてこの本を読むことになったかといえば今仕事をしているクライアントが土石流などの水害対策の商品を扱っていて、カタログを作る際、今の治水を理解する上でこの本を読むことを薦めてくれたからだ。

構成は4章から成るが、1、2章では川魚、主にイワナやヤマメの生態とそれらが生育する環境について、そしてその環境の現在を問題点と解決にむけてを実例とともに丁寧に解説されている。

3、4章は川に治水を目的に作られたダムなどの構造物のもたらす影響とそれらが生態系へ大きな影響を与えていることと、主目的の治水上の効果へもおおいに疑問があることなどを検証している。

本全体を通して一貫しているのは、今までこの方法が良いと信じられてきたことがそうでもない、いやむしろ悪い影響を与えていることもある。というもので、これが非常に興味深かった。

魚が減ってきているので稚魚を放流しましょう→効果は限定的でかなり効率が悪くさらに悪影響を与えているものすらある。

ダムは魚にはかわいそうだが洪水を防ぐには有効→洪水抑制能力は考えられているよりかなり低く災害はむしろ増えている。

などなど

そして本書のよいところは、「だからやめるべき」といったアンチ宣言を声高に叫んで終わるのではなく、ではこれらに代わって、またはこれらに加えて。またはこれらをこういう風に改善して、と代替えや改良案がきちんと示されているところだ。しかもその内容が淡々と冷静にそして多角的に分析され理論的に述べられている点がよい。いろいろ事情があってすぐにできないものは段階的にこうした方が良いみたいな書き方をしているところもある。行政が推し進める国土強靱化にもいろいろ問題があって、まかせておけばいい、ではなく、みんなでそのこともっと考えて未来につなげましょうという内容になっている。それが本書のタイトルの「希望」の部分でもある。

また本書の後半で何度も紹介されている書籍「洪水と水害をとらえなおす」大熊孝著も気になったので購入し読んでみた。これもなかなか読み応えのある良書だが、学術的な記述も多く、すこしむずかしい部分もあった。内容を要約すると、近代以降のダムをはじめとする産業技術による治水には限界があり、日本中至る所で水害が発生し、その数も減っていない。洪水を完全に止める防災から洪水が発生しても人命や家屋などの被害を減らす防災への変換が必要、というものである。つまり「何が何でもあふれさせない」ではなく、「あふれても深刻な被害にならない」への変換である。だが行政はこういうのには前向きでないとも述べられている。それもうなずける。

ここからは話が変わるが、両書を読み読み思い出したことがある。防災とは関係ないが、以前バリアフリーが今のようになる前、つまりこれからいろいろやっていきましょうという時期に、産官学で情報発信を切り口に研究活動をおこなうワークショップがあった。私もなぜかそのメンバーに入り会議に参加した訳だが、国土交通省の役人、大学の教授、大手電機メーカーの人が集まり、会議はなかなか前に進まなかった。特に行政と学者の求めるものがなかなかかみ合わない。行政はもうすぐ始まるのだから2、3年のスパンで考えようとするのに対し、学者は来るべき未来にあるべき姿、と譲らない。だから具体論にさえなかなか入ることができず、電機メーカーも口の出しようがない、という状況だった。行政は現実主義、学者は理想主義などと言うつもりはまったくないし、事実そう単純ではない。ただしフィールドが異なると考え方が大きく異なるものだなぁ、と感じた。そこでちょっとひねったアイデアを出して両方まあ100%ではないにせよ賛同していただき、うまくまとめることができたのでよかったのだが、こういう行政と学者問題はおそらく至る所にあって、これらをうまく何らかのストリームにもっていくというのはある意味すごく重要なことかもしれないと感じたものだった。

治水に関しても、ダムに固執する役人が能なしで、学者が卓越した知見の持ち主という訳ではあるまい。この両書のように理論のみで流れを変えることはなかなか難しい。そこをどうすれば動かしていけるのか、そのテクニックは残念ながら学者の多くは持ち合わせていないようにも感じる。

ちなみに私は役所の人も学者も決してバカになどしていない。私なんかより何倍も優秀な人たちだった。そして人間的に好きだった。それこそ自分が働いていた会社の同僚や上司なんかより遙かにコミュニケーションが楽しかった。お役所の人は国土交通省の本庁のエリートですごく言葉遣いも丁寧で素敵な女性だったし、学者は本郷の教授で、それはそれはすごい人だった。その両方を私はとても尊敬して会議に臨んでいた。そしてそれは私にとってたいへん有意義な時間で学ぶことも多かったのである。

ここからはオマケだが、ちなみに本郷へは何度か足を運んで、そこでも会議に参加させてもらった。所属していた社団法人の理事長に頼まれて参加することになったのだが、最初の会議は今でも忘れない。私ともうひとり別の財団法人の人が呼ばれていて、そこで10分くらいそれぞれ所属する団体の活動について話すことになっていたのだが、私のほうは当日理事からちょっと本郷に行って10分くらい話してね、資料も何もいらないから、と言われたので、いいですよ、と軽く返事をして出かけた。本郷に着いて広い広いキャンパス内をテクテク歩いて会議室のあるビルに着くと、教授の助手がパワポのデータをセットしますのでください、なんて言う。えっ?いいえデータはありませんのでホワイトボードを使わせてください。ととっさに答えて席に着いた。持ち時間も30分と聞かされた。で会議の出席者がまたすごかった。大手自動車会社の研究員ばかりで、全員博士だった。これは名刺交換してわかったことだ。で、先に財団の人がパワポで慣れた様子で説明している間、私は何を話すか必死に考えた。それでここにいる人たちの専門でないおもしろいハナシをホワイトボードを使って30分間話をした。これはまあまあうまくいったと思っている。先の財団の説明では何人か寝ていたが私の時はみんなおきていて聞いてくれたからだ。まあ若い私がかわいそうで寝なかっただけかもしれないが。

私の話が終わって、席に戻ると携帯電話が鳴った。廊下に出て電話に出ると私に出席を依頼した理事だった。いつまでやってるの、新橋に飲みに行くよ、だって。こっちはたいへんだったんだよ、といって電話を切り、その後会議も終わって新橋に着くと、どっと疲れがでて、今日は私は飲み会費ナシだね、といって飲んだのを覚えている。久保田千寿が身体に染みた。




デスクまわりの「ちょい置き」について

 今日は久しぶりに電車で少し遠くまで行った。先日完成した遊園地アトラクションの模型の納品に奥多摩の少し手前まで。こんなところにオフィスがあるのだ。オフィスに着くと「遠くまでわざわざすみません」と挨拶されるような場所だ。でも空気は山の空気で気持ちが良い。深呼吸しながら歩いた。


奥多摩の山が近い



帰宅後いろいろ来ていたメールに返信してふと机のまわりをながめるとすごく散らかっている。やれやれ、忙しいのもあるが、こんなのダメである。反省を込めて写真を撮った。

まずはMacの作業机、3D-CGのレンダリング中に撮影しそしてこれを書いている。


Macの作業机


ここはそれほど散らかってない。でもスピーカーの上になぜか木工用ボンドが置いてある。

次はサイドデスク

サイドデスク


ここはひどい、打合せに持って行ったお茶のペットボトル、読みかけの本が2冊、色見本帳、スケッチ、レシートなどひどいことになっている。それぞれ理由はある、お茶は残ったのでもったいないので仕事しながら飲もうとここに置いた。本は今日電車で読むのに持って行ったので帰ってからお茶と一緒にカバンから出して置いた。色見本は模型の色確認でここ数日ちょこちょこ使ったので置いてある。レシートはヨドバシから届いたプリンターのトナーの領収書、トナーを下に入れてレシートはサイドデスクに仮置きしてそのままになっていた。スケッチは乾くまでここに置いておきスキャナーで読み込んだ。とそいういうことなのだが、言い訳してもダメなものダメ、やはりこの「ちょい置き」をどうにかしないと問題は解決しないように思う。

次に本棚

本棚


本棚の下はプリンターとアンプが置いてある。プリンターの上に図面が置いてある。先日相談を受けた一戸建ての図面である。確認は終わったのでスキャナーで取って処分しようと思っていたのだが取るヒマがなかったのでここに置きっぱなしになっている。やはりここでも問題はちょい置きである。

次に作業机


作業机


ここもきたない。今日郵便で届いた仕事関連の請求書、模型の材料や道具が置きっぱなしである。

最後に黒板


黒板



ここだけきれいさっぱりである。月初めなので一旦すべて消してキレイに拭き掃除して後で書き直す予定なので。右下には娘がいたずら書きしたふーちゃんがあり、これは消さなかった。

わかってはいるが「ちょい置き」をどうするかである。少し真面目に考えることにしよう。今思いつく解決策は2つ、「ちょい置き」そのものをやめるか、「ちょい置きスペース」を別につくるかである。そうすれば今のように机の上やサイドデスクなどは散らからない。他に方法あるかな?

で、まずは何はともあれ片付けることにした。幸い仕事は忙しいが3D-CGの仕事なのでレンダリング中はいろいろできる。


3D-CGムービーの計算中






サイドデスクの上のものもすべて片付けた


色見本帳をすぐに引き出しに戻さなかったのは引き出しの前に交換用のトナーが置いてあったからで、これを別の場所に移動し、引き出しの出し入れを邪魔するものがなくなった。

本棚



読みかけの本をすぐに棚に返せるように少しレイアウトを変更した。また絵はがきも2つだけにした。これで出し入れが楽になる。

作業机



さて、ここが問題だった。ここには「ちょい置きスペース」を作ることにした。方法はいまモニターの上に置いてある小物・雑物の入ったボックスを3つだけにする。ボックスはもともと8個置いてあったが、アクリルガッシュと梅ざらの入った3つをここから別の場所に移し、またここにないと不便なきわまりないもの以外はすべてここから別の場所に移動した。これが結構多かった。それで空いたスペースに「ちょい置きトレー」を2つ並べることにした。


製作中の「ちょい置きトレー」



3D-CGのレンダリングはいくつもあるので、計算をセットして工房へ行き作業し、戻ってデータをチェックして次を計算して・・・とそれのくり返しである。

なんとか2つトレーが完成した。

「ちょい置きトレー」



出し入れをしやすいように前面はオープンにした。材料はセリアという百均で売っている木材を使った。トレー1つの材料代はなんとたったの300円である。

これを先ほどの空いたスペースに入れて使いながら様子を見ることにした。

ちょい置きスペースができあがった




これで少しは良くなるはずだが、すべて解決とはいかないだろう。それでかまわない。またその時考えればいい。少しずつでも良くしていくことが大切で、そのための時間や労力を惜しまないことである。そう、よく「どうせまた散らかるんだから・・・」とか「どうせやらないんでしょうね・・・」とかそういうことを言う人は嫌いである。なぜ、そんな風に批判しないと気が済まないのだろう?。いいではないか無駄だったとしても、そのときまた考えればいいのだし、おもしろがって見ていればいいだけではないか。