2025年3月6日木曜日

デスクまわりの「ちょい置き」について

 今日は久しぶりに電車で少し遠くまで行った。先日完成した遊園地アトラクションの模型の納品に奥多摩の少し手前まで。こんなところにオフィスがあるのだ。オフィスに着くと「遠くまでわざわざすみません」と挨拶されるような場所だ。でも空気は山の空気で気持ちが良い。深呼吸しながら歩いた。


奥多摩の山が近い



帰宅後いろいろ来ていたメールに返信してふと机のまわりをながめるとすごく散らかっている。やれやれ、忙しいのもあるが、こんなのダメである。反省を込めて写真を撮った。

まずはMacの作業机、3D-CGのレンダリング中に撮影しそしてこれを書いている。


Macの作業机


ここはそれほど散らかってない。でもスピーカーの上になぜか木工用ボンドが置いてある。

次はサイドデスク

サイドデスク


ここはひどい、打合せに持って行ったお茶のペットボトル、読みかけの本が2冊、色見本帳、スケッチ、レシートなどひどいことになっている。それぞれ理由はある、お茶は残ったのでもったいないので仕事しながら飲もうとここに置いた。本は今日電車で読むのに持って行ったので帰ってからお茶と一緒にカバンから出して置いた。色見本は模型の色確認でここ数日ちょこちょこ使ったので置いてある。レシートはヨドバシから届いたプリンターのトナーの領収書、トナーを下に入れてレシートはサイドデスクに仮置きしてそのままになっていた。スケッチは乾くまでここに置いておきスキャナーで読み込んだ。とそいういうことなのだが、言い訳してもダメなものダメ、やはりこの「ちょい置き」をどうにかしないと問題は解決しないように思う。

次に本棚

本棚


本棚の下はプリンターとアンプが置いてある。プリンターの上に図面が置いてある。先日相談を受けた一戸建ての図面である。確認は終わったのでスキャナーで取って処分しようと思っていたのだが取るヒマがなかったのでここに置きっぱなしになっている。やはりここでも問題はちょい置きである。

次に作業机


作業机


ここもきたない。今日郵便で届いた仕事関連の請求書、模型の材料や道具が置きっぱなしである。

最後に黒板


黒板



ここだけきれいさっぱりである。月初めなので一旦すべて消してキレイに拭き掃除して後で書き直す予定なので。右下には娘がいたずら書きしたふーちゃんがあり、これは消さなかった。

わかってはいるが「ちょい置き」をどうするかである。少し真面目に考えることにしよう。今思いつく解決策は2つ、「ちょい置き」そのものをやめるか、「ちょい置きスペース」を別につくるかである。そうすれば今のように机の上やサイドデスクなどは散らからない。他に方法あるかな?

で、まずは何はともあれ片付けることにした。幸い仕事は忙しいが3D-CGの仕事なのでレンダリング中はいろいろできる。


3D-CGムービーの計算中






サイドデスクの上のものもすべて片付けた


色見本帳をすぐに引き出しに戻さなかったのは引き出しの前に交換用のトナーが置いてあったからで、これを別の場所に移動し、引き出しの出し入れを邪魔するものがなくなった。

本棚



読みかけの本をすぐに棚に返せるように少しレイアウトを変更した。また絵はがきも2つだけにした。これで出し入れが楽になる。

作業机



さて、ここが問題だった。ここには「ちょい置きスペース」を作ることにした。方法はいまモニターの上に置いてある小物・雑物の入ったボックスを3つだけにする。ボックスはもともと8個置いてあったが、アクリルガッシュと梅ざらの入った3つをここから別の場所に移し、またここにないと不便なきわまりないもの以外はすべてここから別の場所に移動した。これが結構多かった。それで空いたスペースに「ちょい置きトレー」を2つ並べることにした。


製作中の「ちょい置きトレー」



3D-CGのレンダリングはいくつもあるので、計算をセットして工房へ行き作業し、戻ってデータをチェックして次を計算して・・・とそれのくり返しである。

なんとか2つトレーが完成した。

「ちょい置きトレー」



出し入れをしやすいように前面はオープンにした。材料はセリアという百均で売っている木材を使った。トレー1つの材料代はなんとたったの300円である。

これを先ほどの空いたスペースに入れて使いながら様子を見ることにした。

ちょい置きスペースができあがった




これで少しは良くなるはずだが、すべて解決とはいかないだろう。それでかまわない。またその時考えればいい。少しずつでも良くしていくことが大切で、そのための時間や労力を惜しまないことである。そう、よく「どうせまた散らかるんだから・・・」とか「どうせやらないんでしょうね・・・」とかそういうことを言う人は嫌いである。なぜ、そんな風に批判しないと気が済まないのだろう?。いいではないか無駄だったとしても、そのときまた考えればいいのだし、おもしろがって見ていればいいだけではないか。