2025年7月17日木曜日

写真のプリント-2

 前回から引きつづき写真のプリントをしている。さて、プリントした写真はどのように鑑賞するか。額に入れて部屋に飾るのが一番だ。そうすれば鑑賞する機会は他の方法に比べ圧倒的に多くなる。そして毎日見ていると次はどうすべきかも見えてくる。素直に反省して次の撮影で解決するように撮ればいい。

さて、そのためにはまず大切なのは「気づき」である。気づかなければそれまでである。すべてはこの「気づき」から始まると言っても過言ではない。写真が趣味の人というのは社交性が今ひとつの人が多く、そういう人は写真も下手で上達しない傾向がある。何人も知っている。「これでいいんだ」「こういうものだ」系のおっさん達は特にこの傾向が強い。

知人で山の写真を撮っているおじさんがいた。カメラは100万円超の高級機だ。写真アルバムを見せていただいたが、小学校低学年でも撮れるような写真の連続で、景色のいい方向にカメラを向けてシャッターを切りました。みたいな写真しかない。それが何百枚も続く。また別の人は花の写真で、みんな同じような画角の、できの悪い植物図鑑のような「庭の水仙が咲いたので朝起きてパジャマのままちょこっと庭に出て撮ってみました」みたない写真。それを会社の会議室みたいなところに何枚も飾っている。管理職の人なのでだーれも「ダサッ」なんて言わないのだろう。ハッキリ言ってウチの娘が始めてアジサイを撮影したときの写真の方がマシだった。

娘が撮影した最初の花の写真

これは娘にオリンパスの一番安いデジタル一眼のダブルレンズキットを買ってあげたときに練習に近所の新宿中央公園で撮影したアジサイの写真。アドバイスしたのは「花にこだわらずに背景にこだわって望遠で絞り開放で撮ってごらん、ただしピントは花に合わせてね」ということだけ。カメラを買ってあげてすぐの頃。

写真で大切なことは自分で撮影した写真をしっかり眺め、この写真は何が違うのか、何が新しいのか、を絶えず自分自身に問いかけることだ。

そんな堅苦しいこと言わないで趣味なんだから自分の好きなように撮ればいい、という意見も多いが、それはある意味正しい。だが私の考えでは同時に決して正しくない。人に迷惑をかけていないし法律違反でもないし自分が楽しいのだから「正しい」と言える。だがそれは「正しくないことはしていません」という消極的で空虚な「正しい」であると私は思っている。もちろん一部の撮り鉄の人たちのように「正しくない」ことをするのは論外だが、自己満足という名のゴミのような写真を何万枚も撮り続けることは決して正しくはないと信じている。たえず写真と真摯に向き合い、悩み、工夫して、試して、また考えて・・・とそれを何年も続けるから写真に「意味」が生じるというのが私の考えだ。好きなように撮ればいいじゃん、ではないのである。つまり「意味」のないことは「正しくない」とは言えないが決して「正しい」とも言えないということだ。そう信じている。

さて「気づき」だった。これは撮影の時も撮影した写真の鑑賞の時もかなり重要な要素で、「気づき」がうまく発動しないと何も始まらない。そもそも「気づき」は写真に限らずデザインでも料理でも同じように重要で、例えば料理の下手な人はいつまで経ってもレシピ片手に大さじ小さじなのである。そこに「気づき」は起きにくい。手続きの連続に忙殺されてしまうからだ。気づく余裕がない。もちろんそんなやり方も「正しい」のだろうが、それでいいのだろうか。

何にせよ気づくことが初めの一歩なのである。そして気づけば「考える」。何も言われなくても考える。そして「どのように考えるか」に進むことができる。

写真では「もう少しアンダーの方が」とか「被写界深度が深い浅い方が」などが考えることと思われがちだがそうではない。そんなこと考えたらそれで終わってしまう。先のおじさんの仲間入りとなる。

アングルや露出やピントの調整というのは目的ではなく手段である。さらに言うと、「目的はいい写真を撮ることでアングルや露出やピントはその手段」というのもダメである。手段を極めたからといって良い写真が撮れるわけではないからである。もちろんアングルや露出などは大切なことである。だがそこには考えるほどの奥行きはない。電車に乗って目的地に行くのにいくらの切符を買って何行きの電車に乗るかみたいなもので、知識としては必要だが時間をかけて考えるほどのことではないからである。

ではいったい何を考えるのか、私は「物語」だと思っている。この写真は何を物語っているのか、何を物語るようにするのか、それこそが目的であり、意味だと信じている。

ただしこの場合「物語」は文脈のあるいわゆる「ストーリー」ではない。絵本の絵とはちがうのである。「ぐりとぐらは森へ宝探しに出かけました」みたいなストーリーとは全く異なる「物語」である。

たとえば女性ポートレート、「この女性は今こういう経験をしてこんなことを考えている」ではストーリーになってしまう。私の言う「物語」とは例えて言うなら「磁場」のようなものであって、その時の彼女のまわりに発生している「なにか」でありそのなにかを仮に「磁場」と呼ぶことにすると、この「磁場」がオーディエンスに何かを語りかける、という「物語」である。だから物語るのは彼女ではなくその写真を眺める「私」であり「あなた」とも言えるのだ。また、だからこそその写真に作品としての普遍性が宿るのである。

そして、ここで最初に戻るのだが、写真を鑑賞するときに「物語」を感じることが大切で、そのために最も適したメディアがプリントなのである。わたしがA2サイズのプリントに魅力を感じているのもこのサイズのプリントが最も訴求力が強いと感じているからなのである。

もちろんA3やA4がダメという意味ではない。だが並べて眺めるとA2サイズはまるで違うのである。それは経験によって裏打ちされた私にとっての事実なのだから変えようがない。また大きければ大きいほど良いとも限らない。A1サイズ以上になると手に取って眺めることができない。鑑賞には大きな壁面が必要になる。残念ながら我が家にはA1サイズを何枚も並べて俯瞰することができるようなそんな大きな壁面も部屋もない。その点A2サイズは額に入れても手に取っても眺められるサイズ感が鑑賞にとって最適なのである。だから少々費用はかかるがA2サイズでプリントすることにしている。

さて昨夜も仕事の合間に何枚かプリントした。乾燥が終わって手に取って眺めてみる。最高の時間の過ごし方だ。

A2サイズでのプリント

ほとんどが女性ポートレートだが何枚か静物や景色もある。物語は必ずしもポートレートでなくても体現できる。ただし風景では難しいこともあるが・・・

今回撮影した写真その2
Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/30 ISO100



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/60 ISO400


Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400


Melancholy GR-digital(元祖) F7.1 SS1/320 ISO64



Boat E-420+70-300 F5.6 SS0.8s ISO100



Moon E-M1II+M300 F4 SS1/20 ISO640



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/40 ISO100


最後にプリントサイズについてもう少しだけ。私にとってA2サイズが一番と書いたが、もちろん広い広い家で写真を飾るスペースが十分にあったらA1サイズでもA0サイズでもよいと思うし、そういう展示ができたらいいだろうなとちょっと憧れるものもある。逆に、スペースによってはA4サイズを何枚か並べて展示するのもよいと思う。もっと小さくて絵はがきサイズもありだろう。要は場所と眺め方で適当なサイズは異なるのでどのサイズがベストとは一概に言うのは難しいかもしれない。ただしA2サイズというのは手に持って眺めることができる最大サイズであることは大きな特長ではあると思う。昔々まだフィルムカメラだった頃はA2サイズのプリントなんてできなかった。いや費用がいくらかかっても良いというならできただろうが、現実的な値段では無理だった。おそらくプロラボに頼んで3〜5万円くらいだったと思う。ウチのインクジェットプリンターの1枚1000円程度とは比べものにならないくらい高かった。だからこそ今写真を撮っている人にはプリントすることをお勧めしたいと思っている。
ちなみに私は絵はがきサイズというのも好きで、これはたくさん並べて展示できるのがよい。仕事のスペースの横にも絵はがきコーナーがあって15枚くらい飾ってあって半年に一度くらいいくつか入れ替えて遊んでいる。
絵はがきサイズのプリント





2025年7月10日木曜日

写真のプリント-1

 今日は打合せで午後外出、帰宅は夕方6時近くになった。カミさんと娘も散歩がてらついてきた。打合せのビルの下のおしゃれなカフェで待っていて一緒に帰った。帰りはラッシュ時である。ひとりなら我慢するが二人がいっしょなので比較的空いている路線を選び少し遠回りをして帰った。

夕食前にスイカのスムージーを作ってみんなで飲んだ。夕食はとろろそばと刺身とミニステーキ。ウチはみなステーキはわりと好きだが量はたくさんは食べない、食べられない。なのでサーロイン1枚をみんなで分けて食べることが多い。それでも最後余ったりする。

毎日暑い。今日もおそらく35度くらいあったと思う。私はいつも仕事ではワイシャツにネクタイ、ジャケットででかける。どんなに暑くても襟付きのワイシャツの場合はネクタイとジャケットである。だからあまりに暑くてジャケットもネクタイも辛いときはスタンドカラーのワイシャツやブラウスにする。これはポリシーで変えるつもりはない。幸い今年はまだネクタイとジャケットでもなんとかなっている。もちろん多少は汗をかく、それは仕方がない。だが汗臭いのはもう絶対ダメなのでそこには気を使っている。汗は本来無臭なので汗をかいても汗臭いとはならない。脇などが臭う人は雑菌が繁殖しているからで、そうなったらボディブラシにミューズ石けんつけて1日に数回ゴシゴシ洗えば数日で臭いはなくなる。

さて、仕事がどんどん新しく入ってきて忙しさは例年以上となっている。だが今日はちょっと疲れた。なにかこう夏バテのような感じで、まったくやる気が起きない。そうは言っても・・・となるのが通常だがこんな時に無理に働いてもロクなことはない。デザインの仕事では特にだ。あとでやり直しになるのが目に見えている。

なので今日は、今日だけは仕事をさぼって楽しい楽しい写真のプリントをすることにした。

写真は前回書いたようにデータベースがあるのでそれを眺めながらプリントの候補を選ぶことが多い。そうして選んだ写真を次にファイルしてあるA4サイズプリントを眺めながらチェックする。

今日のプリントはA2サイズなので1枚のプリントに千円以上かかる。プリントしてイマイチだとちょっともったいない。なので念入りに写真をチェックする。ヨシ、となったら念のためもう一度A4サイズでプリントして色味を確認後A2サイズでプリントする。プリンターはEPSONのPX-5002、プリント用紙はエプソン純正写真用紙絹目調。エプソンの写真用紙にはクリスピアというのもあり、どちらかというとクリスピアの方がメジャーのようだ。だがクリスピアの光沢の強いテッカテカの紙は高級感は出るが写真そのものをきちんと表現、鑑賞するには光沢が強すぎる。なので絹目調の方が優れていると私は感じている。絹目調というのは誤解されやすいネーミングだが半光沢紙という意味で昔のDPEショップの絹目調とは全く異なる。反射が強すぎるクリスピアに比べ絹目調は自然な仕上がりで好感が持てる。一時期ノートパソコンのモニターや安いホームユースのモニターがテッカテカの反射の強いものがお店で高級に見えるので人気があったが、クリスピアはあれと似たような感じだ。だから私はほとんど使わない。

写真用プリント用紙いろいろ(A4サイズ)

いろいろ試してエプソン写真用紙絹目調に落ち着いた。もちろん紙によって雰囲気がだいぶ変わるのは事実でそれを作品作りの一部として楽しむのはアリかもしれない。でも私はあまりそういうことには興味がない。局紙なんておもしろいけど数回使って「なるほどね」でおしまい、もう何年も使っていない。クリスピアも光沢紙指定されたとき以外はまず使わない。

さてA2サイズのプリントである。

A2サイズでプリント中のポートレート



大きなサイズで徐々にプリンターから出てくるのは多少のドキドキとそして自分で言うのも何だがその美しさに最高の時間だ。音楽も大切だ。今日はヒューイットのバッハ。ちょっとブレッソンかぶれかな、まあいい、今日出かける前に朝食を食べながら見たブレッソンの記録映画に感化されたのは否定しない。そしてその時、ああ写真のプリントもいいな、最近あまりなかったし、と思ったのだった。

もう1枚は燃える花

プリント中の「燃える花」



これもポートレート同様にA4サイズで確認プリント後A2サイズでプリントした。

最後にプリントしたすべての写真を物干し竿にぶら下げて乾燥させる。バインダークリップ(目玉クリップ)の挟む部分にフェルトを貼って印画紙にキズがつかないようになっている。だいたい12時間くらい干しておけば問題ないようだ。


乾燥中の写真



さて、リフレッシュできたと言っていいかな、明日からはまた仕事が忙しい。

翌日、仕事の合間にまたプリント。正確に言うと仕事をしながらプリントである。写真のプリントというのはどうもちょっと中毒性のようなものがあって、一度手を出すともう1枚、さらにもう1枚となかなかやめられない。昨夜は眠くなってやめたが、寝る前に乾燥させていた写真を今日ファイルやポートフォリオフォルダに収納しながら眺めているともうダメであるもっとプリントしたい。仕事の片手間でもよいから・・・となった。

昨日と今日プリントしている写真はオリンパスのE-420というカメラで撮影したものが中心で、レンズはパナライカの25ミリ。今の高性能カメラと比べるとまるでおもちゃのようなカメラである。だが当時私はカメラの性能に依存するような写真に抵抗を感じていて、ニコンやキヤノンのフルサイズカメラもかなり価格的は下がってきて決して手が出ないようなものではなかったのだが、このオリンパスで通していた。オリンパスは安かったのもあるがとても軽いので長時間の撮影も無理な姿勢での撮影もなんとかこなすことができた。

もちろん高性能のカメラを否定するつもりはないが、カメラの性能がよいと良い写真が撮れるなんて考えている人もまずいないだろう。だが高性能を手にしてそれで撮影する喜びなんてものは結構あるのでは、と思っている人も多い。わたしはそういうのがいやだった。

道具はドンドン使って腕を上げる。常に自分に厳しく、工夫して、試して、悩んで、考えて・・・。それを何年も続ける。デザインだって3D-CGだって水彩画だって料理だってそうだ。テレビを見るヒマもゲームするヒマもないくらい根性と気合いで取り組む。根性は続けるために、気合いは始めるために、だ。そうすればこうして何年も前におもちゃのようなカメラで撮った写真を今でも大きくプリントして楽しむことができる。その時の私の最大限がここにはしっかり宿っているのだから。もちろんスキルの上達に伴い、道具が確実に足をひっぱてしまうこともある。そんな時はフルサイズでも中判サイズでも購入すればよい。だが私に限って言えば今のところマイクロフォーサーズで事足りている。

今日の1枚目、ポートレート

プリント中


私は前にも書いたがポートレートの場合カメラ目線の写真はあまり撮らない。これはめずらしくカメラ目線である。もちろん理由があってのことだが、小難しい話は今回はパス。

今日の2枚目、これもポートレート
プリント中のモノクロポートレート


3枚目
次々とプリントする


というわけで今回はここまで、
今回つまりこの2日間でA2サイズでプリントした写真

Portrait E-420+Leica Summilux25mm F7.1 SS1/200 ISO400



Brazing Flower E-420+3535macro F4.5 SS1/5 ISO100



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F2.2 SS1/60 ISO400



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.8 SS1/125 ISO400



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F4.5 SS1/80 ISO400