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2026年5月23日土曜日

書斎の改良-1

 5月も後半になり、少しずつ仕事が増えてきた。現在、受注済みが9件、引き合いが4件、完了が2件といった状況である。

黒板

黒板
もう見慣れた2列表示だが、もともとこの黒板は1列表示を想定していた。開業時、同時受注して制作する件数はせいぜい10件程度で、少しゆとりを見て15件あればと考えていたのである。しかし昨年度末など同時に30件を超える数の仕事となり、今のように2列表記が標準となったのである。たくさん仕事をいただいて、ありがたい限りである。
ところで、私は黒板とホワイトボードでは黒板の方が圧倒的に好きで、特にチョークで書くときのカチカチという音とフィーリングが大好きなのである。逆にホワイトボードマーカーのヌルヌル感が苦手で、またキャップをいちいち外したり付けたりのも面倒で、さらにだんだんインクがかすれてくるのも嫌いで、何が何でも黒板!、と決めていた。

先日、日本橋で丸善に寄ったらこの黒板用に欲しかったチョークが売っていたので買って帰った。そう、チョークにもこだわりがあったりする。

ゴールデンウィークに始めた書斎の改良は着々と進んでいる。現在半分くらい終わっただろうか。

今日は久しぶりに部屋の写真を撮ってみた。この「写真に撮って眺める」のもすっかり習慣となっている。撮った写真を眺めて改良点を考えるのによいからだ。気がつきにくい問題点が見えてくるのがいい。ただし撮影時に片付けたりしないで、ありのままを撮ることが大切だ。写真は見せるためではなく、考えるために撮るのだから。

まずはMacの作業机

Macの作業机

さっきまで食べていた柿の種の皿や飲み終わった炭酸水のペットボトルが見えるが、それを除けばここはいつもこんな感じである。ここは今のところこの状態が理想型だと思っている。


次にサイドデスク

サイドデスク

仕事があまり忙しくないのでここも片付いている。ここは仕事があるときは仕方がないがそうでないときは何も置かないことが基本。

次が書棚

書棚

書棚の下の引き出しキャビネットを新しいものに替えた。Amazonで購入した1万円弱の木製キャビネット。それを3台買った。値段が値段なので品質はそこそこだがそれでもプラスチック製よりしっかりしており、見た目も良いので満足している。書棚の本は読書の時間があったので少しずつ増えてきている。ここも合格かな。

次が作業机

作業机

ここは散らかっているが仕方がない。片付けの最中なので。いったんココに置いてそれを引き台などに収納していく。

最後についでにステレオ装置

ステレオ

スピーカーを少し移動し配線を調整しスピーカーグリルの色も黒に変えた。ダンボールは片付けの途中のものを入れて仮置きしているもの。テーブルがひっくり返っているのは脚を少し長くしようと改良中なので。ここはもう少しかかりそうだ。ひっくり返して脚のウラ面のフェルトを丁寧にはがし、これに9センチほどケヤキの脚をネジ止めして天板を9センチ高くする予定。ケヤキは東急ハンズで買った。

ロボクリ君は今は暫定でココに置いてあるがあとで移動の予定。

現在仕事の量はピーク時の1/3くらいだろうか。ピーク時は1日15時間くらい働かなければならないが1/3なら5時間程度、つまりまだ時間はそれなりにある。ただし28日に取材があるのでそれまでに少なくともよく見える部分だけでもキレイにする必要がある。まあ何とかなるだろう。

その後書斎の改良もほぼ完了し、ステレオまわりも使いやすくなった。

ステレオまわりもキレイになった










2026年5月12日火曜日

ステレオ装置と趣味なんて自己満足なんだから、という・・・

 5月中旬になり少しずつ仕事が来るようになった。そんな中、使っているソフトのユーザーインタビュー取材の依頼が来た。もう少し早ければヒマだったので良かったが、このタイミングなので月末でどうですか、と返事を返しておいた。もう一つ、5月前半は前にも書いたがヒマだったので図書室、工房、そして書斎の改良をはじめることにした。

左足のつま先の関節を痛めてあまり無理はできないので、やりかけの図書室と工房はかなり手間がかかるので一旦延期することにし、書斎のレイアウト変更に着手した。こちらはのんびり作業しても1週間程度で終わるだろうから足の負担を考え休み休みできる。それに書斎は仕事場所なので忙しくなるとレイアウト変更なんてまずできない。

そんな訳で始めたがおかげで今は書斎がめちゃくちゃになっている。この状態では取材はちょっと受けれそうもない。よって月末にお願いしたわけだが、仕事も少しずつ入ってきたのではたして月末までに終わるだろうか。

さて、まずはメインのステレオ装置まわりの変更から。メインのステレオ装置はレコードプレーヤー2台とCDプレーヤー1台、それとMacからDAC経由を音源とし、スピーカーは3ウェイで、これをプリアンプ、チャンネルデバイダー経由マルチアンプで鳴らしている。マルチアンプというのは3ウェイスピーカーならアンプを3台使う方法で、そのためスピーカーケーブルは左右3本ずつで全部で6本となる。ケーブルは床上に這わすとホコリが溜まるし、掃除もしにくい。またロボクリなどがケーブルに引っかかってしまうこともある。6本もあればなおさらである。

そこで以前自作のケーブル受けを作り、これを壁に留めてケーブルを壁に固定することにした。今回スピーカーの位置を少し動かすのでケーブルも少し調整する必要がある。

スピーカーケーブル、カナレ4S8
このケーブルはスピーカーの後ろなので見えなくなる。これは配線のためスピーカーを50センチほど前に出して作業している写真である。


スペーカーケーブルを壁に留める治具


スピーカーケーブルはカナレの4S8を使っている。スピーカーケーブルは様々なケーブルが売られているが私の考えではケーブル長が10メートル以内であれば電気器具に使われているビニル平形コード、いわゆる普通の電源ケーブル程度の性能で問題ないと思っている。ただしビニル平形コードは極性がわかりにくい。赤黒のものあるがちょっと見た目が悪い。そこでカナレの4芯ケーブルである。見た目は黒のキャブタイヤで強度もある。キャブタイヤというのは断面が円形のケーブルで家具などに挟まれても断線しにくく、取り回しもしやすい。また平形コードのようにねじれる心配もない。

よくオーディオ好きのおじさんで電気的な知識のない人たちはやたらと電線にこだわるが、私の考えではお金の無駄だと思っている。ヒドイものは数メートルで何十万円なんてものもある。それでオーディオ関連の評論家やライターが音の鮮度がどうのこうのと言うものだからその気になって買うようだが、何十万円は馬鹿らしくて試したことはないが、1m数千円のケーブルと1m80円くらいの普通の電線で聞き比べをしたが何度聞いても違いはわからなかった。アホらし。ただしケーブルなら何でもいいかと言えばそうでもない。やめた方がいいのはAmazonお薦めのAmazonスピーカーケーブルで、評価も高くその評価を読むと皆「私にはコレで十分」「違いがわからないからこれでいい」とか言ってる。そう、違いはそれほどないかもしれない。特にミニコンポでスピーカーケーブルが3m以下なんて場合、音的にはまず差はない。だがこのケーブル、なんとクラッド線である。クラッド線というのは基線がアルミでそれに薄く銅をめっきしてあるもので、外力にものすごく弱い。なのでアンプやスピーカーにつなぐ部分など数回曲げるとポロポロと切れてしまう。そんなケーブルは絶対使わない方がいい。Amazonには銅線のケーブルもあるようなのでそっちを買った方がいい。

さて、私はカナレの4S8だが、これは4芯で直径8ミリのケーブルという意味でもちろん銅線で、電気抵抗的には10mで0.15オームなので性能としては問題ない。カナレには4S6や4S11があり、4S6は直径6ミリ、4S11は11ミリだ。スピーカーケーブルが5m以下なら4S6でも全く問題ないだろう。4S11は線が太くて家庭用としては取り回しがしにくいのでお薦めしない。銅線には純度によりグレードがあるがいわゆるタフピッチ銅という安い銅線で問題ない。銅の純度を上げると確かに電気抵抗は減るがケーブルがよほど長くない限り音質に差は出ないだろう。

また例えばカナレを買うならAmazonは値段が高い。4S8が1mで890円もする。同じケーブル、サウンドハウスは280円だ。サウンドハウスでも3千円以上で送料無料だ。

ついでにインターコネクトケーブルについても少し、これはCDプレーヤーなどとアンプをつなぐケーブルで通常RCAピンケーブルを用いられる。このケーブルは電気抵抗はあまり気にする必要はない。だが流れる電気信号は微弱なので空中の電波などを拾うとやっかいだ。なのでシールド線になっている。このシールドがきちんと作用していれば良く、ケーブルの性能としてはあとプラグがしっかりしていればよい。性能としてはそれ以上でもそれ以下でもない。シールド性能についてはCDプレーヤーで何も音楽をかけずにアンプのボリュームを上げてみればノイズをどのくらい拾っているかわかる。シールド性能が不十分だと小さくラジオが聞こえたりする。具体的にはあまり長いケーブルは使わず、機器間の距離に少しだけ余裕がある程度の長さのケーブルで例えば1mのケーブルなら1本千円〜2千円程度のもので十分と言える。これも50センチで1万円のケーブルと1mで800円のケーブルで聞き比べをしたが違いは全くわからなかった。

オーディオ機器で音に差が出るのはケーブルなどではなく、スピーカーである。音質についてはここがだいたい8割くらいのウェイトを占める。当たり前だがこれは誰が聞いてもわかるほど製品によって違いがある。次がレコードプレーヤーのカートリッジ、これもスピーカーほどではないが結構違いが出る。CDプレーヤーやアンプはその次である。

CDプレーヤーやアンプなどはある程度、それぞれだいたい15万円以上のものなら何を選んでも大丈夫だろう。ただし操作性や見た目も結構大事かもしれない。そのあたりは好みで選べばいいと思う。例えばパナソニックの高級アンプなんて笑ってしまう外観で、誰がどう見たって上下逆さまなのである。これ、おそれくデザインの「デ」の字もわからないオジサンが固定観念にとらわれないつもりでデザインしたのかもしれないが、ボリュームつまみというのは操作部で、メーター(インジケーター)というのは表示部である。そしてボリュームつまみを手で操作するとき、表示部が下にあると手で隠れて見にくい。だから人類の機械づくりの歴史の中で操作は下で表示は上になっているのが自然に見え、これを逆にするとおかしなものに見えるのだ。

パナソニックのおかしなデザインのアンプ

少し極端な例だがこんなアンプを使っていると、せっかく良い音楽を聴いていても落ち着かない可能性が高い。もちろん気にならない、という人もいるだろうが、私に言わせれば「にぶい人」である。

こういう機器などの「たたずまい」というのは生活空間の中ではとても重要で、これは機器だけでなく例えば「本棚」や「食器棚」などでもそうと言える。本棚を例に取ると、そこに並んだ本が私たちに何かを語りかけてくるのであり、知や教養が気取ったものではなく、楽しみとして生活に溶け込んでくるための装置なのである。

だから同じ本棚でも何とか全集みたいなのをズラーッと並べるようなのは単なる成金趣味ぽく見えてすごく浅く薄っぺらく見えてしまうし、そういう本棚の人と話をしても教養は感じられず、たえず誰かにどう見られるか、どう見られたいかばかりを感じてしまうのである。

家電製品でも本棚でも食器棚でも何でもそうだが、ステータスなんて微塵も考えずに、どれだけ本を読みたくなるたたずまいなのか、おいしい料理を作ってみたくなるたたずまいなのか、深く音楽を楽しめるたたずまいなのか、といったことを考え選ぶことだ。

さて、スピーカーの位置調整とケーブルの配線がおわり、スピーカー回りがようやく片付いた。

スピーカー回りの片付けが終わった

このモニターは映画鑑賞用ではなく仕事のデータを確認するためのものでほとんど使うことがない。デジタルサイネージはタテ使いだがそれはあまり原寸で確認する必要ないのでこれは使わないが、展示会などで流している動画は音声と共に原寸に近いモニターで確認した方がよいと考えチェック用に購入した。だが最近はこの手の仕事にも慣れ、大型モニターでのチェックまでは必要なくなったのでほとんど使わなくなった。そもそも私はホームシアター的なものがあまり好きではない。まずもってテレビ放送はもう20年以上全く見ていないし、映画はよく見るが大画面で観たいとはあまり思わない。だからリビングにでっかい液晶テレビなんてウチには不要なのである。私は映画はひとりで観ることが多い。だから書斎で仕事の合間や少し時間ができたときに観る。27インチモニターで観る。

さて、次はスピーカーを除くステレオ装置まわりの掃除である。けっこういろいろ装置があるので、時間がかかる。レコードプレーヤーが2台、昇圧トランス1台、フォノイコ2台、CDプレーヤー1台、プリアンプ1台、真空管パワーアンプが3台である。これらを丁寧に掃除する。アルコールを含むウェットティッシュで拭く。

拭き終わったので久しぶりにメインのステレオで音楽をかける。ずっと仕事が忙しかったのでほんとうに久しぶり。レコードが聴きたいがそれは今度にして今日はCDで我慢。マックスリヒターのスリープを聴く。CD8枚組だが今日聞いたのは1枚目。マックスリヒターはオーケストラにシンセサイザーの低音を加えた曲が特徴で、このスリープもそうである。各ユニットがきちんと再生するかをチェックするのにちょうど良い。普通のクラシック音楽では低音は一番低くてコントラバスの50Hzくらい。ただしコントラバスの50Hzなんて実際の曲の中では音が小さすぎてわかりにくい。だからこのCDを選んだのだ。ちなみに高音はピッコロやバイオリンが4000Hzくらいかな。ただし例えばバイオリンの高音などは倍音を伴うので3000Hzくらいの音でも4倍音で12000Hzくらいまではよく聞こえる。だがそれ以上は聴覚がついて行けない。私が自分の聴覚をサイン波を流して確認したところ15000Hzが限界だった。アウトドア用品の店舗などで蚊を近づけないためだろうか高音を流しているあれが15000Hzくらいかな。

一時期ハイレゾなどといって40000Hzまで再生可能なスピーカーなどが出ていて、それに合わせハイレゾ音源なるものが流行ったことがあるが、あれは全く意味がないと思っている。ソースの多くは既存のCD音源を使って擬似的に超高音を加え、さらにイコライジングにより音の傾向を変えただけのものだった。ヒドイ話である。それでもオーディオおじさんなどは聞こえなくても感じるとか訳のわからない理屈を言う人がいるらしい。まあ勝手にすればいいが、そういう人達は音を聞いて音楽を聴いていない人が多いように思う。つまり好きな音楽の好きな演奏より、最優秀録音盤みたいなのを好んで買うひと達で、もうまったくハナシが通じないのである。ついでに言うとこれは音楽だけでなく、車やカメラなどでも同じで、高性能を求めそれを「持つ喜び」、「使う喜び」なんてすごく薄っぺらいことで、そんなことにこだわってモノ選びをするなんて実にもったいないのである。

車なら多少ポンコツくらいが楽しく、それにステキな彼女でも家族でもワイワイ楽しみながら買い物に出かけたり山や海に行くのがいいし、カメラもフルサイズのものよりマイクロフォーサーズの軽いもので楽しく最高の写真をたくさん撮ってそれをプリントして楽しむ方がはるかにイイ。料理でも数百万円の高級キッチンで絶えず汚さないことを気にしながら料理するより、クリナップのフツーのキッチンでおしいものたくさん作って恋人や家族とケラケラ笑いながらおいしく食べる方がはるかにイイ。つまり何を持つかではなく、どう使うかがあってこそそこに自分自身が投影できるわけで、そこに始めて有意義な時間が生まれるのである。趣味なんて本人が満足ならそれでいいという訳ではないのである。

その後スピーカーのサランネットの張り替えも終わり、その他の片付けも一段落した。まだ細かな作業は残っているがそれらは急ぐ必要もない、期限を決めずにのんびり進めればいいだろう。

ステレオ装置





2026年4月28日火曜日

ウォーキングシューズを買う



 左足中指の付け根の関節を痛めてしまった。3月まで仕事が忙しく、ほとんどウォーキングができなかったのを取り返そうと、4月第2週あたりから積極的に再開、毎日1万歩以上歩いた。だが急に運動を始めたせいか左足の中指の付け根の関節が徐々に痛み始めた。靴が合わないのが原因かとも考えウォーキングシューズを買うことにした。

私はもう何十年も同じ靴を愛用している。ハッシュパピーという会社のバックスキンの靴で、数年経ってくたびれてきたら同じ靴を買い直すをくり返しずっと使ってきた。同じものをくり返し購入使うというのは靴だけではなく服や道具なども同じで、気に入ったものをずっと使うのが好きなのである。ネクタイなんて全く同じものを3本くらい買って傷んできたら捨てて新しいのに変えて、と言った具合だ。なのでいつまでも同じネクタイを何年も使うことになり、他人から変に見えるかもしれないが全く気にせず通してきた。

長年愛用のハッシュパピー

この靴、色違いもあるのでフォーマルなときは黒も持っているのでそれを履いている。

だが、関節が痛み始めたので仕方がなくウォーキングシューズなるものを買うことにしたのである。くつ屋でいろいろ試して購入したのがこれ。あまりデザイン的に好みではないがまあマシで履き心地もよかった。それでこれに履き替えウォーキングを続けていたのだが、関節痛は治まるどころか悪化してゆき、ついにほとんど歩けなくなった。


メレルという会社のウォーキングシューズ


思い出した、確か2年くらい前も同じ症状があった。整形外科で湿布を処方してもらい1週間くらいで痛みが治まった。だが今回2回目なので、ちょっと気になり別の整形外科に診てもらうことにした。医者は「関節炎ですね」と、原因は無理な運動か痛風かもしれないとのこと。「尿酸値高くないですか?」「いやそれほど・・・」「うーん」といった感じ。また痛風の場合足の甲が痛むらしいが私の場合足の裏である。甲は強く押しても全く痛くない。「安静にして経過観察」ということになり、飲み薬と湿布薬を処方してもらった。飲み薬は痛み止めと胃薬らしい。私はこの手の胃薬というのが嫌いなのでよほど症状が悪化してじっとしていても痛むようなら飲もうと思い、帰宅後2、3日ゴロゴロとだらしなく過ごすことに決めた。湿布薬は寝る前に毎晩貼ることにした。

そんなわけで計画していた工房の改装もそのほかもすべて中止した。それらは足が治ってから仕事がヒマなら再度考えればイイ、と。

2年前の時もそうだったが、運良く今は仕事もなく、従って打合せに出かける必要もないので助かった。何しろトイレに行くのすらびっこを引きながら結構大変なのである。

その後3日間ほどゴロゴロ寝て過ごしたが、さすがに寝るのも飽きてきたので、仕事の帳簿の改良や書斎の写真の入替えなんぞをしながら過ごし、そうこうしているうちに徐々に痛みは引いてきた。

やがて家の中の移動はほとんど問題なくなった。さすがにウォーキング再開とはいかないが近所のスーパーマーケットへの買い物もなんとか行けるようになった。

痛みの原因ははっきりしない。おそらく整形外科で再診してもたいした話は聞けないだろう。どうも左足の中指の付け根の関節に何らかの問題があって、無理をすると腫れて、そうなると体重がかかる部分なのでどんどん悪化する、とまあそんなところだろう。

さて、今日は夕食の準備をしているとカミさんが「虹が出た!」と大喜びしているので窓辺でみんなで眺めた。結構長い時間見られたが、何しろ外を歩くのはなるべく避けたいので、仕方なく家の窓から眺めるのにとどめた。



さて、その後ゴールデンウィークも後半になり、関節の痛みもだいぶ引いてきた。短い距離ならウォーキングもできるようになった。ただし無理は禁物で少し歩きすぎたな、というときは帰宅後少し痛む。関節炎はとにかく無理をしないことだ。あとメレルのウォーキングシューズはなかなか快適で最近はこれしか履いていない。先にこれを履いてもどんどん痛くなったと書いたが、これはこの靴がダメなのではなく、歩いてはダメだったのだ。




2026年4月13日月曜日

2026年、仕事の作業環境と良寛の本

 4月になり半月が経ったが仕事は相変わらず全く入ってこないので、これを機に前半のんびり、後半お片付けの日々である。今日は久しぶりに作業環境の写真を撮ってみた。ただし、今回は反則で片付けたあとの撮影である。3月中は仕事がかなり忙しくほとんど片付ける時間がなかった。また模型製作ではどうしても作業机の上に製作中の模型のパーツや工具などがあり片付けることができなかった。4月に入りヒマになったがまずは数日のんびりで、片付けも後回し。こんなことは珍しい。だがそれほど疲れていた。

そんな訳で放ったらかしのままだった作業環境だが、4月中旬になりようやく片付ける気になった。そして片付け後写真を撮り、この状況を基本として、今年2027年の作業環境をどのように改良していくかを考えることにした。

今まで何度も書いてきたことだが、仕事の作業環境というのは作業効率の上でも重要なことは言うまでもないが、快適に作業できることが効率と同じくらい重要で、我慢しながらではなく、楽しみながらできることがとても大切なのである。会社勤めをしていたときはできなかった自由が今は何でもできるのである。しない手はないのである。

と言うわけで写真。まずはMacの作業机。

Macの作業机

ここはほとんど変わらない。ほぼ完成形と思っている。前回からの変更点はモニターで、中央下のメインモニターの調子が悪くなったので、新しいモニターに変更したこと。今回もナナオ(EIZO)のColor Edge27インチ。調子が悪くなったモニターは画面の下3センチくらいが黄色っぽく変色してきてしまった。そこでこれを右のパレット用モニターにした。右下のモニターこの写真でも偽色がわかる。だがパレットはほとんど下数センチは使わないのでこれで全く問題ない。また、現在3台のMacを使っているが、これを今年の後半には2台にしようと思っている。メインのStudioが壊れた時用予備のMacと音楽をかけるために使っているMacを兼用させようと思っているからで、そのためモニターの構成を一部変更した。今日は小さなタオルをミューズ石けんで洗い、石けん成分が少し残る状態で机の天板などをゴシゴシ拭いてサラサラで気持ちがよい。マウスやキーボードや机が少しでもペタペタするともう我慢できないので、週に1回、これからの季節は最低でも週2回は拭くことにしている。

次にサイドデスク

サイドデスク

ここは特に変更する予定はない。ただしサイドデスク下のワゴンは作り直すことも検討している。理由はこのワゴンの上に収納してあるスキャナーがそろそろ寿命のような気がするからで、そもそも以前は仕事で写真スキャンがある程度あったが今は全くないので、高品質スキャンの必要がなくなったこと。つまりスキャンするのは書類などの保存用のみなのである。なので画質より起動の早いLEDベースのスキャナーに変えるのもありかな、と言うわけである。

写真用スキャナー

ちなみに今使っているスキャナーはエプソンのGT-9800Fでもう15年以上使っている。故障もなく安定していてとても良いスキャナーだった。だがさすがにそろそろ寿命のようだ。

次のスキャナーの候補が見つからないので慌てずゆっくり決めることにしようと思っている。そして機種が決まったらワゴンも作り直す予定である。

次は本棚。

本棚

ここは大きな問題はないがもう少し本を置きたいので、カメラを別の場所に移動させようかなと思っている。それくらいかな。

最後に作業机。

作業机

ここは大いに問題ありで、そもそもここで接着剤を多用した模型の組立は考えていなかった場所だった。だが模型の仕事が増え、工房が手狭なこともあり、仕方なく模型製作の主戦場となってしまった。本来紙を切るためだけの目的で置いたカッターマットが接着剤や塗料でご覧の通りである。やはりここは本来の目的である手描きで絵を描いたり、ちょっと紙をカットしたりという作業机にし、模型は工房を改良しそっちを作業スペースとするように変更したい。これは今年中には解決したいと思っている。

最後に黒板

黒板

黒板は仕事の進捗管理に使っている。冒頭に書いたように今は仕事がなく、このありさまだが、まあ今はその空いた時間をのんびり過ごせばいいだろう。

その後、本棚のカメラを隣の本棚に移し、図書室から何冊か本を持ってきて並べた。音楽を聴きながらペラペラとページを繰るのによさそうな本を選んだ。

本を何冊か持ってきた


仕事が忙しいときはなかなかこういう時間は取れないので、今のうちに楽しんでおこうと思う。今日はビル・エバンスを聴いている。ビル・エバンズはレコードとCDを4枚ずつ同じものを持っている。今はCDをitunesに読み込んだものを聴いている。昨日散歩の途中で寄ったパン屋のカフェテリアでかかっていたので久しぶりに聴きたくなった。今朝は外は良い天気だが、暗めの書斎で本のページを繰りながら聴くのがなんとなく自虐的でもあり、でも気持ちよくもあり、と

松岡正剛著「外は、良寛」

図書室から持ってきた本の一冊「外は、良寛」をペラペラと読むともなし見るともなしにページを繰りながらつまみ食い。松岡さんはこの書の中で「良寛の書はキースジャレットのケルンコンサートと合う」ようなことを書いているが、まあそうかもしれないけど、それってそれすぎるような気がして、私はビル・エバンスを小さな音で聴きながらページを繰るのがいいかな。モノトーンというイメージはその通りだと思うけど。そうね、キース・ジャレットのケルンコンサートのような精神性を極限まで高めた演奏より、そうでないが決して軽薄ではないビル・エバンスの音の中に時々おとずれる何かが良寛の書と繋がるように感じるような気がするので。もちろんビル・エバンスが良寛ぽい、と言うわけでは全くない。そうではなく小さな音でビル・エバンスを聴きながら暗い書斎でページを繰るのが「外は良寛」という時間を感じると、そういうことなのだが・・・

ちなみに良寛についての本は実に多い。本屋で立ち読みをする程度で全てに目を通したわけではないが、どうもあまり好きになれなかった。良寛が、ではなく良寛のことを綴る著者すべてが、である。なんかこう「良寛を理解することはすなわち」、とか良寛の「心」だの「生き方」だの。「私は読者より理解している、それでもまだまだだ」みたいな論調、そういうのが苦手だった。

その点松岡正剛はいい。なんかありがたい話にしないで、断片的に思うまま綴っている。なのでこの本だけ例外的に読むのである。



2026年3月26日木曜日

信用できない脳の働き

 3月末になり今年度の仕事もほとんど片付き、今や黒板には5件のみとなっている。

仕事の進捗管理の黒板

しかも全てが待ちの状態なので、つまり今日現在仕事がないのである。自営業としては本来ヒマほど恐ろしいものはないのであるが、今まで忙しすぎたのと年度末のこの時期は元々仕事が少ない時期なので、恐ろしい、といった感じはなく、今までできなかったことを順に片付けていこうと楽観的になっている。それでも正直に言うと心の隅に「このまま仕事が無くなったら・・」と少しチクチクするものを感じなくも無いのだがそれはまあ仕方がない。

さて、今までできなかったことを始める前に、今月いっぱいはのんびりすることにした。何もしないで映画を観たり音楽を聴いたり家族と散歩に出たり、と。旅行に出かけるという選択肢もあるが年度末なので事務手続きの対応を早急にする必要が出てくる可能性も高いのと、去年の11月に旅行に出かけて旅行積立金が底をついているのでなしだ。なのでひたすらのんびりである。

と言うわけで今日は日頃考えていることを少しだけ書いてみようと思う。それは「自身の脳は信用できない」ということで、正確に言うと「完全に信用してはいけない」ということだ。

今日は脳の働きについて考えている。

生物としての人は生存のため次のように考える傾向がある。

1. 複雑に見える事物はシンプルな要素の集合でできている、だからそれぞれの要素にしっかり取り組めば決して困難ではなく、正しい選択、正しい理解、正しい回答にむすびつく。また1つの物でも特長や性質などを単純化し、その集合体としてとらえることで理解を深めることができる。

こういう独立した要素の複合で形成する考えを近代的手法というが、つまり近代になってから導入された手法で、技術の大幅な進歩の元となった考え方である。


2. 人は経験と思考によって、正しい判断をすることができ、またそれでも間違った判断や解釈をしてしまった時も方向修正することができ、そしてそれも経験として自己の中に蓄積される。

1、2とも一見もっともなようだが、これが大間違いなのである。いやこれも正確には、必ずしもそうとは限らないことがある、と言った方がよいだろう。

1つめの単純化、たしかにどんなに複雑な機械も単機能の部品の集合でできていて、これを理解しようとしたら各要素に分解し、それぞれがどのように働き、そして全体が作り上げられているかを理解することができるし、作るときだって同じだ。それは間違いない。だがその理屈を本来それが当てはまらないような事象にも強引に結びつける傾向があるのが問題なのである。当てはまらない事象は非常に多い。そしてこのブログでも以前書いたが脳は複雑な物事を複雑なまま理解しようとはしないで、極力単純にしようとする。従って脳はささやく「単純化こそが真実への道だよ」と。そして脳はそれを常に全てのケースに当てはめ何でも単純化するようになるのである。

2つ目の判断や理解についてはもう少したちが悪い。分かりやすい例で言うと必要な正しい情報をインプットされれば正しい判断ができる、そしてそれが万一間違っていたときもすぐに方向修正できる、と本気で信じることである。これの問題点は後述するが、こうして文章化するとなんとなくダメそうな気がすると思わないだろうか。

さて、この2つを組み合わせると、正しい情報がインプットされ、それを単純化し演算し、自身のデータベースと照合し、その結果を何らかの形で正しいものとしてアウトプットする。という「理想図式」ができあがる。

1つめの単純化の問題点は前述のように、単純化することで変わってしまうものやそもそも単純化などできないものも世の中には数多く存在するがこれらをどう扱うかはあまりきちんと議論されないということ。

2つめの問題点は始めに与えられる情報は「確実に正しい物がヒエラルキー順に並んでやってくるわけでは無い」そしてそもそも「正しいかどうかの判断」も「ヒエラルキーに沿った並べ替え」もほとんど不可能なことが多々あるということ、また、演算装置つまり脳も多くの誤差を含んでいる。そしてさらにやっかいなのが「脳は一度下した判断をなかなか変えようとしない」ということだ。この判断を変えないという性格は脳の身勝手な性格を最も明確に表すものと言える。つまり「そうじゃないかと思っていた」とか自身では「一貫して変わっていないつもりでも明らかに考えが変わっている」ことがあったり、「判断を間違えたのは私のせいではない」といった風に。これは困ったことに本人は本気でそう思うことが多く、たとえば「本当にはじめからそうだと思っていた」と信じるようになるのである。

この「途中で変わったことにもかかわらず、初めからそうだと思い込む」というのは非常に身勝手なことだが、「そんなこと私は絶対にない」という人ほど怪しい。脳はそのように作用するものなのだ。だからタイトル通り「信用できない」と疑ってかかった方がよいのである。

脳は常に「安定したい」と無意識に思っている。そして「安定した状態」こそが最も大切であり。事実をありのまま受け止めてストレスを感じるより、なんとか「安定」した状態にしようとあの手この手なのである。したがって往々にして事実より「こうだったらより安定する」というものを事実に置換え「採用」する。結果、「はじめからそうだと思っていた」というふうになるのである。

これは他人を批判しているのではなく、私自身が陥ってしまう可能性が高く、だから常にその可能性を警戒しながら何事も考えることが重要だと言っているのである。このブログは全ての記事を上から目線で偉そうに書くために始めたものではない。自身で何十回もいやもっと多く読み返すという目的ために始めた部分が大きい。つまり自分に対して「お前はどうなのか」というブログなのである。一時期写真教室みたいなのも書いてみたが、基本は自身の読み返しのためなのである。だがコソコソと書くのもイヤなので公開はしているが閲覧数やいいねとは無関係なのである。

ある時点で「こうだ」と思ったことを、のちに言い訳できないようにストレートに言語化し、それがその後「ブレないもの」と、「これは違ったなというもの」、を自身ではっきり評価する、評価できることに最も意義があると考えている。

つまり、考えを言語化する過程でイメージのみだったことも明確に文章にでき、しかもそれをしっかり残すことができる、ということが最も大切なことなのである。

そうして作成した文章は「オーディエンス受け」を狙った当たり障りのない文章とはならないのである。そして後に違ったと判明したときは、何をミスしたのか、自分のどういうところがミスを招いたのかを考えることが辛くもあるが楽しみでもあるのだ。

この自身を客体化しながら眺める、というのは私にとって最も重要なポリシーのひとつなのである。






2025年12月27日土曜日

2025年を振り返る

 1月

Mac用の音声などのコントロールボックスを製作した。仕事をしながら聴く音楽は集中したいときや電話がかかってきたときは音を止める必要がある。Macのボリューム調整でミュートにすることもできるし、アンプのリモコンでも調整できるが、入力切替などもできるようにしたいので、コントローラーを作りモニターの下に設置することにした。Mac3台のUSBポートや音声の入力切替も付け、これがたいそう便利でとても気に入っている。

コントロールボックス(モニターの下)


2月

写真撮影用の照明を作り直した。もともとのアンブレラはボロボロになり、しかも光度が足りなかった。また補助照明も同様にアーム部を作り直し、撮影位置のマーキング用レーザーポインターこれは今回新規に制作し、すべてを箱に収納した。おおむね計画通りにはできたのだが、実際に使ってみると改善すべき点もいくつか見えてきた。だが仕事が忙しく、まだ改良に着手できていない。

写真撮影用照明

3月

はじめて遊園地のライドの模型を作った。2月末に着手し3月の頭に完成し納品した。この模型はプレゼン用模型だったので製作範囲も限られ細部も簡略化した。装飾のデザインをクライアントに見せるための模型である。

ウェーブスゥインガーの模型

4月

長年懸案だった図書室のリニューアルがようやく完了した。もともと自作の木製本棚6本と既製のスチールの本棚2本だったのを、スチールの本棚は撤去して木製の本棚6本を追加し合計12本とすることにした。使いやすく収容量も大幅に増え見た目もすっきり、仕事のファイルなども置けるようになった。

図書室の本棚

5月

シーラー台を製作した。ロールフィルムをセット冊子などをパッキングするための台。シーラー本体は昔購入したものがまだ使えるので消耗品を取替え再利用した。これで作業効率が大幅に向上した。

シーラー台

6月
図書室が完成して次は書斎の仕事の環境を少し改善したいと考え、あれこれ計画し始めた。まずは現状の問題点を把握するため、仕事中に手を休め作業環境を写真に撮影し、客観的に眺めることで問題点を明確にした。一度ではなく期間をあけて何度か写真を撮りながら改善方法を考え、すぐにできる改良は実施しながら、進めることにした。
仕事の環境


7月

仕事が結構忙しくなり、休みなく働くことになった。図書室の次は・・・などと考えていたのが一旦すべて中止で仕事に追われる日々が10月中旬まで続いた。せめてもの楽しみとして以前撮影した写真の中から15枚くらいA2サイズでプリントすることにした。1枚ずつ丁寧にデータを確認し、A4サイズのテストプリントのあとA2サイズでプリントする。プリンターから徐々に出てくる写真を眺めながらコーヒー片手に好きな音楽を聴きながら、仕事はひと休み。私にとって忙しい時の休憩としては最高の時間の過ごし方。

写真のプリント

8月

仕事の忙しさが一層高まり、仕事だけの毎日が続く。新規の顧客からの依頼もあり全く自由な時間が取れない。毎日夜遅くまで土日もなしなのである。せめてもと客先との打合せの時少し回り道をして景色を眺めながらリフレッシュした。ジリジリと暑い夏の日差しもあまり出かけない身からすると心地よかった。

打合せのついでに撮った写真

9月

皆既月食があった。前回の月食から2年ぶりくらいだろうか。今回は時刻も遅く、カミさんと娘は体調を崩して寝ていたので、ひとりで家の外で眺めた。

9月8日の皆既月食


10月
ようやく仕事も一段落し、10月中旬以降はかなりヒマになった。そんなとき国分寺に住む娘から机と本棚の相談があり、いっしょに作ることになった。10月末から製作にかかり11月中旬にほぼ完成した。あとは塗料の臭いが収まったら運んで設置して完了の予定。
娘の机と本棚



11月
久しぶりに旅行に行った。四国一周旅行。高松でレンタカーを借りて1週間で四国を一周した。海沿いを気持ちよくドライブできてよかった。カミさんと娘も気持ちよさそうに寝ていた。
四国旅行

12月
今年はこのままヒマな年末になるかな、年が明けていつまでもヒマだったら困るな〜、などと考えていたが、杞憂だった。四国旅行のあと仕事が立て続けに入ってきた。みるみる年末年始も休めない量になった。毎日仕事でかなり忙しい。あと、カミさんが風邪をひいてこれが少し長引いたので毎日うどんの朝食である。毎日同じ、ゴボウのかき揚げうどん。香川で食べたうどんより美味しいと家族の評判も上々である。
ゴボウのかき揚げうどん

これが私の2025年。






2025年11月6日木曜日

仕事が一段落したので家のことをいろいろ

仕事がだいぶ片付いて時間ができた。こんなことは独立して仕事を始めて以来滅多になかったので、旅行の計画を立てたり、家のことで今までできなかったことをやりたい。

旅行はさておき、まずは仕事の環境の改善から始める。3D-CGのアニメーション制作や写真編集の時、モニターがもう1台あったら便利だと思っていたので購入した。ナナオ(今はEIZOとか言うらしいがナナオの方が好きなので今でもナナオと呼んでいる)のColorEdge27インチモニター。今メインで使っているモニターとほとんど同じもの。


モニターが6台になった


現在、作業スペースのMacは3台あり、メインで仕事に使っているのはMacStudioでこれに今回追加の1台を加え4台のモニターとなった。このStudioだがStudioの最初のバージョンでCPUはM1ultraである。最新型はM3ultraなので、先月だったかAppleStore新宿に寄った時スタッフにどのくらい違いますか?と聞いたら、正直な良いスタッフでM1urtraならまだ替えなくていいと思いますよ、と言われた。ふーん。じゃあ次が出たら考えます、と言って帰ってきた。
で、モニターである。どうして4台あると便利かと言うと、1つは3D-CGのアニメーション制作の時、メインのモデリングモニター、パレット用のモニター、モーション設定のモニターと3台あると作業がスムーズで、これに客先からのPDFなどを表示するモニターを加えて4台なのである。
もう1つの理由はPhotoshop 作業の時、2つの画像を並べて表示しながらレタッチをすることがあり、その場合、ナナオと同じ品質のモニターがもう1台欲しいからで、実はパレット用やモーション設定用のモニターは色品質にあまりこだわらないので、I/Oデータという会社の安い27インチモニターを使っていた。当然ナナオとは比べものにはならないのだが値段も1/4くらいだったので不満はなかった。だが写真編集では使えない。そこでナナオがもう1台あったらなぁ、と考えていたのである。
新規のモニターは設置にも調整にもそれなりに時間がかかる。なので仕事が忙しいときは「そのうち・・」と先延ばしになっていた。
モニターはすべてスタンドを外しVESAの金具でモニターアームに留めてある。なので下地も含めると取付けにはどうしても半日くらいかかるし、画像調整もそれなりに時間がかかる。合わせると順調にいっても丸1日作業なのである。
ようやくヒマができて今がチャンスということで急ぎ購入、今日までに設置も色調整も終わった。これでとても使いやすい環境になって大満足である。ただ1点問題があり、モニターの後ろに置いてあったFAXに手が届かなくなってしまった。仕方がない、FAXの置き場をまた考えることにする。まあこれは大きな問題ではないのでゆっくり片付けようと思う。

2件目は、国分寺に住んでいる娘から本棚と机がほしいと相談を受けたこと。相談する前に机は通販で安物を買ってしまったらしい。でその横に本棚を置きたいなんて言う。「本棚は壁に金物でしっかり留めないと地震の時倒れると怪我では済まないよ」、と言うと、「どうしよう〜」と言うので、机はもったいないけど本棚と机を組み合わせて集成材で作れば絶対に倒れない物ができるので、そうすることになった。

大きな地震の時、家具の転倒を甘く見てはいけない。軽いタンスなどでも倒れて人に当たると命を落とす可能性が非常に高い。ましてや本棚となればその危険性はさらに増す。地震のとき、家具はゆっくりバッタンとは倒れない。揺れによって壁に当たり、揺れる壁ではじかれ、かなりの勢いで倒れる。阪神大震災で亡くなったひとの多くは建物の崩壊ではなく、家具に当たって亡くなっている。タンスの倒れる勢いは時速40キロの車にハネねられる勢いにもなるという実験結果もある。車は人をハネるとき運転手は当然急ブレーキを踏む、それで30キロ以下で当たって亡くなっている。だから40キロはオハナシにならないのである。なのでためらわずに微妙な転倒防止金具みたいな何の役にも立たないものの付いた本棚はやめた方がいい、とアドバイスした。転倒防止という商品がホームセンターなどでいろいろ売っているがそのほとんど全てほぼ効果は期待できないと私は見ている。

対策で効果的なのは壁の下地にアングル金物を使い数カ所しっかり太めのビスで留めるか、机とセットで倒れないような形状にすること。それしかない。娘は壁に留めるのはイヤだというので、それなら倒れない形状を集成材で作ればイイ、大きさも自由に決められるし。ということで製作のお手伝いである。


製作中の本棚ユニット


仕事が忙しかったらできなかっただろうから娘も運が良い。1ヶ月ちょっとかかって製作の予定である。娘も時々来て手伝うことになっている。こういう時間もまたよいものである。

最後に、涼しくなり仕事もそれほどでもないのでウォーキングも再開した。夏の暑いときもあれこれ試してみたのだがなかなかうまくいかず、仕事も忙しくなって全くウォーキングどころではなかったので、久しぶりである。神田川沿いの遊歩道を歩いて落合や笹塚まで歩いたり、ショッピングついでに新宿をあちこち歩いたり。

先日散歩の途中でApple Store新宿に寄ってi-phoneを見てきた。今使っているi-phoneはSEというタイプで購入してから5年くらい経つ。そろそろ買い換えかな、と新機種を見てみよう、ということになった。だが新機種はどれもカメラレンズの出っ張りが大きく、欲しいとは思わなかった。今の人は写真もスマホなので各メーカー、アップルも含めカメラの高性能化に伴う大型化は仕方がないことだとは思うが、私はきちんとした写真はカメラで撮影するのでi-phoneのカメラにそれほど性能は求めない。なので出っ張らない方がいい。チェックしたのはi-phone17proとi-phone Air、どちらも全く欲しいとは思わなかった。17proのオレンジ色もすごく下品に見えてイヤだった。どうしてこんな色にしたのかさっぱりわからない。白やグレーもあるようだが、それにしてもこのオレンジ色はヒドイ。諦めて帰ろうとしたら娘が「いいのあった」とうれしそうに言うので見るとi-phone16eという比較的安いモデルだった。「ああ、これならいいかも」と今度買い換えに来るときはこれにしようね、ということになった。カミさんは写真もi-phoneがメインなので、「私と娘はコレがいいけど、どうする?」とカミさんに聞くと「私も同じのがいい」という。「でも写真は17proの方がキレイに撮れると思うよ」と言ったら「イヤイヤあんなの使いたくない」と新型i-phoneの評価、ウチではボロボロである。まあこれでもイイという人も多いだろうから、これはウチが特殊なのだろう。


今使っているi-phoneSE、これくらいがイイ


さて、今までのところは以上だが、この先年末に向けての予定も備忘録として書いておく。

1.一つ目は上にも書いたが行き場のなくなったFAX電話機の置き場づくり。これは簡単なラックを作りサイドデスクの下に収納しようと思う。

2.次はMacの配線の変更。コレは前回のコンピューターラックの改良で不十分だった配線部分の改善である。ラックを作り直す検討もしたが、今回は既存のラックと配線スペースの改良のみの予定。

3.最後に工房の片付け。今年購入した加工機械や材料の残材などでスペースが取られ作業スペースが十分ではなくなっているので収納方法を含め改良したい。ひとたび模型の仕事を始めると結構大変で、日頃から使いやすいスペースにしておくことは大切だ。今までは模型は頻度も少なく、仕事も忙しかったので後回しになっていた。今が改良のチャンスである。

そんな訳で仕事は忙しくないが年末に向けやるべきことはかなりあるので、せっせと工作なのである。もちろん仕事が入ってきたら作業を中断して仕事優先となるが、どれも完成が遅れても問題ないので気楽に考えている。





2025年10月28日火曜日

おでんと神田川

 すっかり涼しくなり、書斎では冬の部屋着で仕事をしている。エアコンもあまり使わなくなった。使うのは3Dのレンダリングやヒートガン使用時など発熱量が多いときだけである。

涼しくなると「おでん」が食べたくなる。

わが家のおでんの具は、大根、こんにゃく、油揚げ、厚揚げ、がんもどき、さつま揚げボール、ちくわぶ、昆布、結びシラタキ、たこ、豚バラのスライス。

ウチではちくわやソーセージやゆで卵は入れない。これなぜか家族全員の一致した好みで、娘は親の影響だろうが、カミさんともほぼ好みが一緒なのである。強いて言えばカミさんは厚揚げが好きでがんもどきはあまり食べない。私はその逆だが、二人ともじゃあ食べないかといえば必ずしもそうではない。でも「ちくわ入れてみる?」と試しに聞いてみたら「え?なんで?」と言われてしまった。

豚バラは長時間煮てホロホロになったのが美味いので入れる。娘も大好きである。ただしちゃんとアクを取らないと出汁が濁るので要注意。

さて、まずは出汁を取る。かつお節で取る。おでんは何と言っても出汁がうまいので、大鍋にたっぷり出汁を取る。せっせとカンナでかつ節を削る。それに薄口しょうゆ、酒、白出汁少々、海塩少々である。塩は必ず天日干しの海塩を使う。

次に大根、油揚げ、厚揚げの下茹で。特に大根はアクが出るのでしっかり下茹でをし、ざるに空け余熱で水分を飛ばす。油揚げなどは軽く茹でたら水洗いして油分を取り除く。

こんにゃくは塩をつけて手でゴシゴシ洗う。

出汁の入った大鍋に次々に材料を入れてゆく。そうすると鍋がいっぱいになってもう入らなくなる。そこで大鍋から片手鍋に出汁をお玉ですくってよける。その片手鍋にちくわぶを入れて沸騰したら火を止める。ちくわぶは茹ですぎると溶けてしまうので片手鍋に避難なのである。

また、タコとさつま揚げボールはまだ入れない。これらはあまり火を通しすぎると美味くない。

大鍋の方は沸騰したら火を弱火、ごく弱火にして3時間くらいコトコト煮る。沸騰はさせない。

そうそう、誕生日に家族からもらった日本酒があったね。ずっと仕事が忙しくてお酒どころではなかったが、ここのところ少し落ち着いてきたので、おでんと冷酒である。

さて、涼しくなったことでおでんとは別にもうひとつ、ウォーキングを再開した。夏の間はさすがにウォーキングは無理で、それでも西新宿の地下道を歩いてみたり、ショッピングモールを歩いてみたり、はたまたウォーキングの途中で喫茶店で涼みながらの休憩を入れたりといろいろやってみたのだが、どれも今ひとつで続かなかった。西口の地下道は2,3回で飽きてしまったし、ショッピングモールは人が多く、お店を眺めながらではほとんど運動にならない、喫茶店は休憩の後もう歩こうとは思えず・・・と、まあ根性がないのである。

おまけに8月の盆明けから9月末までは上期の〆で仕事が結構忙しく、そんなわけでウォーキングはなしになってしまった。

10月の中旬から少しずつ時間にゆとりもでき、気候もよいのでウォーキングを再開することにした。よく歩くのは神田川沿いの遊歩道である。

神田川は三鷹市の井の頭から杉並区、中野区、新宿区、文京区、中央区と東京を横断する川で、以前は支流も含め大雨によりたびたび氾濫を起こし首都機能に大きく影響を与えかねない理由により、河川幅や流域面積は小さいが一級河川である。神奈川県の横浜市を流れる鶴見川は神田川より100倍くらい大きいが二級河川である。

一級、二級は所轄するお役所が違う。一級河川は国が管理する川で二級は都道府県管理である。一般にいくつかの県にまたがり規模の大きい川は一級河川で、それ以外は二級河川である。だから東京都内で完結し規模も川幅10mくらいの神田川は本来二級河川規模なのだが、例外的に一級河川なのである。

まあ東京都はお金持ちだから神田川くらい自前で河川改修できるので二級河川でもよさそうだが、神田川はもともとは独立した河川として東京湾に注いでいたが、今では浅草橋近くで隅田川につながっており、隅田川はもともと荒川の本流なのでつまり現在の神田川は荒川水系の支流という位置づけなので一級河川なのかもしれない。

さて、その神田川には遊歩道が併設されている区間がそれなりにあり、水質も悪くないので臭ったりしないのでウォーキングにはまあまあよいのである。まあまあというのは不満もあるからで、おおきく次の2点である。

ひとつは河川改修で河床を大幅に下げ、遊歩道を歩いていても水面はほとんど見えないこと。まあ洪水対策は大切なので沿線住民にとっては景色どころではないのだろうが、都市景観という観点からはちょっと残念なのである。

暗渠オーバーフローと親水空間のある都市河川

でも地下に今より大きなオーバーフローを作ってその上を親水空間として河川整備すればすごくよいと思うのだが、どうなのだろう。

もう一つは道路橋が多く、遊歩道近くに横断歩道がないヶ所が結構あり、そのたびに大きく迂回して歩かなくてならないこと。そもそも今ある道路橋は1/3くらいに減らしてもよいと思える。車なら300mくらい迂回するのはどうってことはないからだ。やめてしまう2/3の橋のうち半分くらいは人道橋として架け替えをする。鉄骨造のスリムでおしゃれで安価な橋で、幅も2mくらいでよいだろう。

50mおきに道路橋がある神田川山手通り付近

まあ、いろいろ理由があって今の神田川なのだろうが、東京の街を魅力的にするには都庁のプロジェクションマッピングなどよりこういうところを少しずつでも着実に、なのでは?と思うのだが。





2025年9月11日木曜日

時間がもう少しほしい

 仕事が忙しくなり、今月は休みなしで働いている。個人経営のデザイン会社なんて仕事があって忙しいのはとてもうれしいことなのだが、もちろんだから頑張って働くのは全く苦にはならないが仕事以外の時間がほとんど取れないのが少し辛い。

仕事の管理表

黒板の仕事の管理表は今年は1列でMAX15件くらいにしたいと思っていたが、現状29件で2列となっている。このうち青のマグネットは制作作業は終わっていてあとは請求なのでそれらを除くと17件、結構頑張ったね、でもまだ多い。

今日ふと思ったのは最近レコードをまったく聴いていないということ。仕事しながら聴くitunesだけになっている。レコードも買っていない。タワーレコードのポイントも失効してしまったようだ。まあそれは仕方がないかな。でも今日見たらレコードプレーヤーのカバーの上に小さな蛾が死んでいるのを見つけて、なんか「ふうっ」とため息がでた。

もう1ヶ月以上さわっていないメインのステレオ


読書の時間もあまりない。半年ほど前にクライアントから勧められた一冊の本から始まった一連の自然災害に関する読書も最近は電車の中以外では読む時間がとれないので進みが遅い。

手前の3冊が最近買った本

そんな毎日ではあるが、比較的時間をかけていることが2つある。ひとつは食事である。料理や食事の時間はできる限りしっかり取ることにしている。だいたい料理に1時間、食事に1時間、そして食後に30分くらいである。もちろん切羽詰まってのときはご飯に目玉焼きをのせて急いで掻き込んでおしまい、なんてこともあるが、そんなのは年に数回だ。普段はいくら忙しいと言ってもそうまではならない。
さて、ウチは1日2食なので毎日5時間くらいは食事に時間を使っていることになる。料理は気分転換になるし何より好きなので苦にならない。食後はよくデザートを食べながらコーヒーを飲む。そして映画を観る。30分かせいぜい1時間くらいなので1本の映画も分割して観る。
最近観た映画でおもしろかったのは「侍タイプスリッパー」と「あのこは貴族」の2本。「侍・・」は単館ロードショー映画だが、かなり口コミでヒットしたらしい。まあおもしろいのだが私のお薦めは「あのこは貴族」の方だ。こっちの方がはるかにおもしろいし、映画としての出来もよかった。これは読んだことはないが原作もよいのだろうが、脚本と監督のチカラによるところが大きいだろう。キャラクター設定、ストーリー展開、カメラワーク、音楽とどれを取ってもまったく欠点が見つからない。こんな映画は久しぶりだ。監督は岨手由貴子、主演が門脇麦と水原希子、さらに脇を固める助演の俳優陣もみなとてもよい
あのこは貴族

あえてストーリーは書かないが、この映画、登場人物に悪人はひとりも出てこない。わかりやすい善と悪ではないのである。ストーリー展開上「イヤなヤツ」に見える人もいるがそう感じる人は見方が浅い。みなそれぞれの価値観のなかで全うに生きている。
この映画、電通やテレビ屋の映画のように主演の女優が「めいっぱいキラキラ」するようなこともない。また基本、女子映画なのだが「かもめ食堂」や「すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」のような善良だがナイーブで少しオツムの弱い女の子ウケのする映画ともまったく異なっている。
そしてそのストーリーも「説明的」になりすぎる昨今の映画とは一線を画している。全てが淡々と進んでいく。
カメラもいい。今の東京を良いとか悪いとかでなく淡々と映し出す冒頭のシーンから、登場人物たちの距離感や背景など、どれをとっても完璧なのである。この映画を観た後「侍・・・」を観るとまるでテレビ番組のように見えるから不思議だ。それくらい「あのこは貴族」は映画としてよくできている。
「侍・・・」はテレビの時代劇がテーマなので意図的にあのようなテレビっぽい絵作りなのかもしれないが、そうであったなら、テレビ的絵作りの部分と映画的絵作りの部分をうまく使い分け、全体でどのように構成していくかにチャレンジしてほしかった。
さて「あのこは貴族」だが、カミさんもすごく気に入ったらしくて、もう何度も観たよ、と言っていた。
おすすめの映画だ。

さて、私の話に戻ろう。もうひとつ時間をかけているのはお風呂だ。忙しくても身体をしっかり洗ってそして少し熱めの湯船にゆっくり最低でも15分ほどつかる。15分は結構長いのでのぼせてしまう。だから風呂場の窓と入り口の扉を開けて外の空気を入れている。前にも書いたが熱い風呂に時間をかけて入ることで身体がリセットされ、ウィルスなどに対抗する作用があるように思っている。まあ私は専門家ではないのではっきりとしたことは分からないがたぶん間違いないだろうと思う。だからちゃっちゃとシャワーだけで済ます人は病気になるリスクが少し高いのでは、と思っている。

さて、いろいろ書いてきたが、時間がなくてできないことが結構たくさんある。それを今日は備忘録として書いておこうと思う。

・仕事の管理用データベースの制作
今はそれぞれの仕事のフォルダの中に費用関係のフォルダがあって、そこに見積書やら注文書、納品書、請求書、外注費の支払いなどのファイルが並んでいる。この方式の良いところは物件のデータと費用のデータが同一の物件フォルダに入っているので成果品と費用の紐付けがわかりやすいこと、それと特にデータベースなどプログラムしないでエクセルやPDFなどを作って入れておけばよいのでインフラの整備がほぼ不要なこと。強いて言うならエクセルで見積書や納品書のフォームを作る程度で、数時間でできる。逆に欠点はいろいろな案件が同時進行する中、費用についてチェックするときいちいち一つずつ物件のフォルダを開いてファイルを探す必要があること。物件の数が少ないときは今の方法でよかったが多くなっているとデータベースで一元管理した方が良いので、時間ができたら具体的に検討をしたいと思っている。

・メインのステレオの埃対策
メインのステレオはスピーカーは別にして、レコードプレーヤー2台とCDプレーヤー、プリアンプと真空管パワーアンプ3台、そのほかにフォノイコライザー2台、昇圧トランス1台がある。このうちレコードプレーヤーと真空管アンプは埃を嫌う。いまはレコードプレーヤーにはカバーをかけているが真空管アンプは1ヶ月も放っておくとうっすら埃がたまる。カバーをかけるか扉をつけるか何らかの対策をしたい。レコードも最近買っていないので時間ができたら何枚か新しいのを買いたいとも思っている。

・工房のリノベーション
工房は模型製作のために購入した大型の機械などが増え手狭になっている。かといって絶対的な部屋の広さはどうにもできないので、効率的なレイアウトと収納方法で快適な作業ができるようにできる限りのことはしたいと思っている。幸い昨年冷房を取り付けたので暑い日でも快適に作業できる。だが、なにぶんにも時間が取れずにそのままになっている。なんとかしたい。

・図書室の本棚の本と資料の整頓
念願の図書室が完成して、少し涼しくなったら図書室でのんびり本でも読みたいと思っているのだが、その前に図書類の整頓が必要だ。これはのんびりやればいいと思ってはいるが、まったく進まないのはあまり良くない。少しずつでも進めていきたい。

・2階の廊下の漆喰
2階の廊下の漆喰壁が傷んで所々ヒビが入っている。そこで全面的に漆喰を上塗りしようと思っている。これも寒くなると乾燥が遅いし、漆喰特有の海藻のにおいが抜けにくくなるので冬が来る前に済ませたいのだが。

・そのほか細々としたこともいくつかある。倉庫のダンボールの整頓、脱衣所の棚の改修、2階の引き戸の交換、模型材料の整理、大型事務機の作業スペースの製作、写真のプリント、レコードを買ったり聞いたり、水彩画の練習、などなど。




2025年9月4日木曜日

運転免許の更新で思ったこと

仕事は忙しいが散歩は好きなのでまだまだ暑い日が続くが打合せなど出かけたときは少しだけ散歩するよう心がけている。

打合せの時撮った写真、隅田川

特にウチの近くには海や川や森はないので、そういうのが見られる場所の時は少し早めに家を出て散歩するのが楽しい。

 さて、先日運転免許の更新に東陽町まで行ってきた。普通であれば無事故無違反なら最寄りのウチだったら歩いてすぐの新宿警察署か都庁である。だが前回うっかり失効してしまい、おかげで保険料率は高いわ、更新にわざわざ東陽町まで行かねばならないわ、で踏んだり蹴ったりなのである。失効はもちろん私が悪いのだが、更新のお知らせハガキが届かなかったのも不運だった。どうして届かなかったのかはわからない。届いたが毎日大量に投げ込まれるピザ屋のチラシなどと一緒に誤って捨ててしまったのかもしれない。

また今でも覚えているが免許証に平成34年の誕生日まで、なんて書いてあったこと。私は天皇制に賛成でも反対でもないがこの平成だの令和だのにはことごとく不満なのである。「年」というのは大きく2つの用い方をする。1つはいつなのかという表記である。申込書の今日の日付を書いたり、生年月日を記入するような時。そしてもう一つはある年から別のある年まで何年間あったかという期間を計算する際の起点と終点の表記である。そしてこの両方に平成だの令和だのは不便極まりないのである。

例えば前述の平成34年の誕生日である。年号が変わると意味不明になる。もう一つ期間もそうだ。「1960年代後半からの高度成長期」とあれば今から何年前のハナシなのかは小学生でも5秒で計算できる。だが例えば「昭和60年のヒットソング」なんて言われても今から何年前なのか絶対誰も5秒ではわからない。「あっ、それわかるよ昭和は25足すと西暦になるから昭和60年は1985年・・・」なんて言うアホもいるだろう。一旦西暦に変換してどうすんの、と言いたい。

まあいい。そんな訳で、前回泣く泣くブルー免許になったのだが、今回新しく交付された免許証見たら年号のところにカッコで西暦が追加になっていた。見た瞬間「バカタレ、遅い!」と東陽町の4階で小さな声で言ってしまった。

また今回の更新でゴールドに戻るかなと思っていたら、これが違っていた。一旦失効してブルーになると5年間修行が必要で、3年後の更新時ではまだ修行が足りないのである。やれやれである。もう東陽町なんぞに行かなくて済むと思っていたのに〜。帰ってカミさんに話したら、「じゃあ次は品川だっけ、そこにしたら〜」とケラケラ笑っていた。そだね。

さて、今回東陽町で運転免許を更新して普段気づかないことにも気付かされたのがおもしろかった。私が普段コミュニケートする相手は優良企業の技術や営業の人たちで、そういう人達とは会議でもメールでも、ひと言で言うと「効率的で無駄が少ない」つまり「まともな」コミュニケーションが成立する。たまに「うーん」ということも無いわけではないが、そんなときはちょっと困ったなぁとなるのだが、まあその程度だ。

だが実は世の中の平均はもっとドーンと低くて、たとえば交通安全協会だかの教官も受講者も一緒に働くのはありえないなぁと思うのである。これはまあ向こうも私に同じことを感じているだろうから、世の中の平和は維持されると考えよう。教官は毎日毎日同じことをもう何十回も話しているだろうになぜ?。受講者も同じでマークシート式の問題のシートが配布され鉛筆でもボールペンでも何でもいいので設問に丸バツで答えてくださいと言われた。もし何も持っていない人は鉛筆を貸しますよと。まあうっかり筆記具を忘れる人も1人か2人、筆記具なんてぜーんぜん持ってこないマヌケも2、3人はいるのだろうなどと思いながらヒマなのでぼーっと考え事をしていたら、その教官が、では筆記具を何も持っていない人は前に来て鉛筆を受け取ってください、と言ったとき、なんと受講室の半分以上の人が一斉に鉛筆を取りに席を立ったのだ。一瞬呆気に取られたがすぐに思い直した。普段私が打合せをしている人達がむしろ特別で、そういう人たちとだけ仕事ができるということを素直にありがたいと思わなければいけない、と。

それで思い出したことがある。以前会社勤めをしていたとき、東南アジアの国に技術指導ということで出張に行っていた。そこで始めのミーティングで、「今日の午前中は講義をするので全員会議室に集まって下さい」と言ったら、誰ひとりノートもペンも持ってこなかった。「うーん、そこらへんから教えないといけないのね」とまるで小学校の先生である。「今から講義をするけどノートは取らなくて大丈夫なの?」と聞くと、スタッフのひとりが恐る恐る言った「私たちまだノートもらってません」。そこで「ペンは持っているの?」「デスクにあります」「じゃあコピー用紙は?」「コピー機のところにあります」「じゃあそれとペンを持ってきたらメモが取れるね」「そうです」「じゃあ持ってこようか」でやっとみんな準備を始める。ちなみにやりとりは全部英語でお互い言っていることが分からないということはない。

運転免許試験場の風景はその思い出を見事にフラッシュバックさせてくれた。ああ今や日本も半分は発展途上国になったのだね、と。

でもその東南アジアの国のスタッフはみんな素直で、私が「講義のときは必ずノート、なければコピー用紙でもいいけど、かならずメモが取れるようにして集合すること」と伝えたら全員次から必ず紙とペンを持って集合した。今の日本はため口きいて言うこと聞かないのが多そうで、「必要ならそっちで用意したらいい」なて馬鹿が結構多そうである。そういう意味では日本は発展途上国以下かもしれない。

日本は何をまちがえたのか。「ゆとり教育」と「多様性の尊重」だ。これは間違いない。ゆとり教育は単に努力しない「怠け者」を量産化し、多様性は「わがままな馬鹿」を量産化したにすぎない。ゆとり教育も多様性も各教科ごと成績上位10%にのみ通用する手法で、ゆとり教育したかったら成績上位10%に入りなさい、とやるべきだったのだ。

学校教育といえば、もう一つ。以前取引のあったソフトウェア会社のリーダーの人と海外出張のとき食事をしながら話しをした。ちょうどウチの子の小学校受験のあとだったのだが、その人が言うには子供が小学校に入学するとき、近くの公立小学校で説明会があった、その時集まった多くの親の姿を見て、急いで私立の受験に切り替えた、と。その人が言うには「普段見ないけど、この人達はどこから湧いてきたの」と思ったらしい。

日本は今貧富の格差がどんどん進んでいる。同時に能力格差や教養格差も同じように着実に進んでいる。やがてこれが階級格差のようになって犯罪も増えてくるのだろう。階級格差は必ず犯罪を増加させる。なぜなら下の人は自分たちが下なのは搾取や不平等の結果で、社会は自分たちを守ってくれない。社会は上の方の人たちが自分たちに都合が良いようにしているから、と妙な原因説を流布する人たちの言説に簡単に乗っかり「そうだ、そうだ」となるからで、これはどうやっても止められないからだ。

さて、先の東南アジアでの出張の時、休日ヒマだったのでショッピングモールに音楽CDを買いに行った。クラシックは無理っぽいけどジャズならあるだろうと思い、店員に「ジャズはどこですか」と聞いたら親切にこの棚です、と教えてくれた。ずいぶん少なかったが、仕方がない、その中から探そうと思いタイトルを見て驚いた。いわゆるジャズは1枚もなく、ディーンマーチンとかフランクシナトラとかバリーマニロウのCDが並んでいた。仕方なく手ぶらで帰ったが、今思うに日本もこの先どんどんこういう風になっていくのだろう。つまりJ-popやらK-popやらAORみたいなのばかりになり、しかもそれらを配信サービスで聞き流すだけに。そうなるとまともに音楽を聴きたい人も音源を入手するのがどんどん難しくなるのだろう。


運転免許試験を出て地下鉄の駅に向かう途中に見えるアパート群。なんだかすごく不安な気持ちにさせる風景で、だから苦手なのかもしれない。





2025年7月17日木曜日

写真のプリント-2

 前回から引きつづき写真のプリントをしている。さて、プリントした写真はどのように鑑賞するか。額に入れて部屋に飾るのが一番だ。そうすれば鑑賞する機会は他の方法に比べ圧倒的に多くなる。そして毎日見ていると次はどうすべきかも見えてくる。素直に反省して次の撮影で解決するように撮ればいい。

さて、そのためにはまず大切なのは「気づき」である。気づかなければそれまでである。すべてはこの「気づき」から始まると言っても過言ではない。写真が趣味の人というのは社交性が今ひとつの人が多く、そういう人は写真も下手で上達しない傾向がある。何人も知っている。「これでいいんだ」「こういうものだ」系のおっさん達は特にこの傾向が強い。

知人で山の写真を撮っているおじさんがいた。カメラは100万円超の高級機だ。写真アルバムを見せていただいたが、小学校低学年でも撮れるような写真の連続で、景色のいい方向にカメラを向けてシャッターを切りました。みたいな写真しかない。それが何百枚も続く。また別の人は花の写真で、みんな同じような画角の、できの悪い植物図鑑のような「庭の水仙が咲いたので朝起きてパジャマのままちょこっと庭に出て撮ってみました」みたない写真。それを会社の会議室みたいなところに何枚も飾っている。管理職の人なのでだーれも「ダサッ」なんて言わないのだろう。ハッキリ言ってウチの娘が始めてアジサイを撮影したときの写真の方がマシだった。

娘が撮影した最初の花の写真

これは娘にオリンパスの一番安いデジタル一眼のダブルレンズキットを買ってあげたときに練習に近所の新宿中央公園で撮影したアジサイの写真。アドバイスしたのは「花にこだわらずに背景にこだわって望遠で絞り開放で撮ってごらん、ただしピントは花に合わせてね」ということだけ。カメラを買ってあげてすぐの頃。

写真で大切なことは自分で撮影した写真をしっかり眺め、この写真は何が違うのか、何が新しいのか、を絶えず自分自身に問いかけることだ。

そんな堅苦しいこと言わないで趣味なんだから自分の好きなように撮ればいい、という意見も多いが、それはある意味正しい。だが私の考えでは同時に決して正しくない。人に迷惑をかけていないし法律違反でもないし自分が楽しいのだから「正しい」と言える。だがそれは「正しくないことはしていません」という消極的で空虚な「正しい」であると私は思っている。もちろん一部の撮り鉄の人たちのように「正しくない」ことをするのは論外だが、自己満足という名のゴミのような写真を何万枚も撮り続けることは決して正しくはないと信じている。たえず写真と真摯に向き合い、悩み、工夫して、試して、また考えて・・・とそれを何年も続けるから写真に「意味」が生じるというのが私の考えだ。好きなように撮ればいいじゃん、ではないのである。つまり「意味」のないことは「正しくない」とは言えないが決して「正しい」とも言えないということだ。そう信じている。

さて「気づき」だった。これは撮影の時も撮影した写真の鑑賞の時もかなり重要な要素で、「気づき」がうまく発動しないと何も始まらない。そもそも「気づき」は写真に限らずデザインでも料理でも同じように重要で、例えば料理の下手な人はいつまで経ってもレシピ片手に大さじ小さじなのである。そこに「気づき」は起きにくい。手続きの連続に忙殺されてしまうからだ。気づく余裕がない。もちろんそんなやり方も「正しい」のだろうが、それでいいのだろうか。

何にせよ気づくことが初めの一歩なのである。そして気づけば「考える」。何も言われなくても考える。そして「どのように考えるか」に進むことができる。

写真では「もう少しアンダーの方が」とか「被写界深度が深い浅い方が」などが考えることと思われがちだがそうではない。そんなこと考えたらそれで終わってしまう。先のおじさんの仲間入りとなる。

アングルや露出やピントの調整というのは目的ではなく手段である。さらに言うと、「目的はいい写真を撮ることでアングルや露出やピントはその手段」というのもダメである。手段を極めたからといって良い写真が撮れるわけではないからである。もちろんアングルや露出などは大切なことである。だがそこには考えるほどの奥行きはない。電車に乗って目的地に行くのにいくらの切符を買って何行きの電車に乗るかみたいなもので、知識としては必要だが時間をかけて考えるほどのことではないからである。

ではいったい何を考えるのか、私は「物語」だと思っている。この写真は何を物語っているのか、何を物語るようにするのか、それこそが目的であり、意味だと信じている。

ただしこの場合「物語」は文脈のあるいわゆる「ストーリー」ではない。絵本の絵とはちがうのである。「ぐりとぐらは森へ宝探しに出かけました」みたいなストーリーとは全く異なる「物語」である。

たとえば女性ポートレート、「この女性は今こういう経験をしてこんなことを考えている」ではストーリーになってしまう。私の言う「物語」とは例えて言うなら「磁場」のようなものであって、その時の彼女のまわりに発生している「なにか」でありそのなにかを仮に「磁場」と呼ぶことにすると、この「磁場」がオーディエンスに何かを語りかける、という「物語」である。だから物語るのは彼女ではなくその写真を眺める「私」であり「あなた」とも言えるのだ。また、だからこそその写真に作品としての普遍性が宿るのである。

そして、ここで最初に戻るのだが、写真を鑑賞するときに「物語」を感じることが大切で、そのために最も適したメディアがプリントなのである。わたしがA2サイズのプリントに魅力を感じているのもこのサイズのプリントが最も訴求力が強いと感じているからなのである。

もちろんA3やA4がダメという意味ではない。だが並べて眺めるとA2サイズはまるで違うのである。それは経験によって裏打ちされた私にとっての事実なのだから変えようがない。また大きければ大きいほど良いとも限らない。A1サイズ以上になると手に取って眺めることができない。鑑賞には大きな壁面が必要になる。残念ながら我が家にはA1サイズを何枚も並べて俯瞰することができるようなそんな大きな壁面も部屋もない。その点A2サイズは額に入れても手に取っても眺められるサイズ感が鑑賞にとって最適なのである。だから少々費用はかかるがA2サイズでプリントすることにしている。

さて昨夜も仕事の合間に何枚かプリントした。乾燥が終わって手に取って眺めてみる。最高の時間の過ごし方だ。

A2サイズでのプリント

ほとんどが女性ポートレートだが何枚か静物や景色もある。物語は必ずしもポートレートでなくても体現できる。ただし風景では難しいこともあるが・・・

今回撮影した写真その2
Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/30 ISO100



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/60 ISO400


Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400


Melancholy GR-digital(元祖) F7.1 SS1/320 ISO64



Boat E-420+70-300 F5.6 SS0.8s ISO100



Moon E-M1II+M300 F4 SS1/20 ISO640



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/40 ISO100


最後にプリントサイズについてもう少しだけ。私にとってA2サイズが一番と書いたが、もちろん広い広い家で写真を飾るスペースが十分にあったらA1サイズでもA0サイズでもよいと思うし、そういう展示ができたらいいだろうなとちょっと憧れるものもある。逆に、スペースによってはA4サイズを何枚か並べて展示するのもよいと思う。もっと小さくて絵はがきサイズもありだろう。要は場所と眺め方で適当なサイズは異なるのでどのサイズがベストとは一概に言うのは難しいかもしれない。ただしA2サイズというのは手に持って眺めることができる最大サイズであることは大きな特長ではあると思う。昔々まだフィルムカメラだった頃はA2サイズのプリントなんてできなかった。いや費用がいくらかかっても良いというならできただろうが、現実的な値段では無理だった。おそらくプロラボに頼んで3〜5万円くらいだったと思う。ウチのインクジェットプリンターの1枚1000円程度とは比べものにならないくらい高かった。だからこそ今写真を撮っている人にはプリントすることをお勧めしたいと思っている。
ちなみに私は絵はがきサイズというのも好きで、これはたくさん並べて展示できるのがよい。仕事のスペースの横にも絵はがきコーナーがあって15枚くらい飾ってあって半年に一度くらいいくつか入れ替えて遊んでいる。
絵はがきサイズのプリント