仕事はそこそこ忙しいがなるべく散歩するようにしている。
最近は再び遊園地の仕事が増えてきた。新型コロナもだいぶ落ち着いてきて、各遊園地とも集客増を狙って新しいアトラクションや施設の改善に積極的なのだろう。
この日の散歩のカメラはDP2Merrill。画角は45ミリ(APSC30ミリ)なので、眺めている景色、つまり視野角の半分を撮影する画角となる。
正確には人間の視野角は180度近くあるが、意識して見られる範囲は60〜90度くらい。
45ミリレンズの視野角が約40度なので、だいたい半分くらいとなる。
見ている風景の半分を捨てる、ここが辛くもおもしろいところ。
新宿のような高層ビル群の街並みでは、人間の視野角より少し広いレンズを使った方がダイナミックでおもしろい写真が撮れる。しかし広角はどうしてもありきたりになりがち、誰が撮っても同じようになる。
それでもダイナミックで非日常的な視野はそれだけで良く見える。
そう、「非日常」、これがキーワードのひとつ。
非日常とはどういうことかと言うと、例えば空の色が青だと特別感はない。だが夕焼けで真っ赤に染まると特別感があり、それだけで価値が上がったように感じる。紫や緑になったらもっとすごい。それが非日常性ということ。
以前、南の島のビーチリゾートで休暇を過ごしたことがある。いわゆる「真っ青な空、透明な海、真っ白な砂浜」というところ。私にとっては「非日常性」のすんばらしい眺め。
水深5mくらいのところでも海底をクリアに見ることができる。泳いでみた。空を飛んでるみたいになる。正に「非日常」。
そのリゾートでバイトをしている近くの漁師のおっちゃんと話をした。
彼が言うには、ここで生まれてずーっと見ているから別に何とも思わない、と。
彼が特別なのではなく、人とはそういうものなのだ。大変勉強になった。
景色を撮るというのもそういうことで、見慣れたもののなかに見慣れない何かを発見をすることがおもしろみなのだろう。
普段あまり気にしないものに改めて注意を向ける、そんなような。
だからDP2Merrillで撮影するときも、そんな風に被写体を探してみる。
撮ってみてイマイチもたくさんある。気にすることはない。それがスキルアップというものだ。お湯を注げば誰でも失敗せずに作れるカップヌードルに料理の面白さは無いように、失敗しない写真にもおもしろみは無いはずだ。
さて、今回はカラーと白黒を同じ写真で生成してみる実験をしてみることにした。
白黒写真はそれがダメだとは思っていないが、白黒にするだけで安直に作品ぽくなる、という危険をはらんでいる。
だから街撮りで白黒は非常に危険とも言える。
これは芸術の特性というものと関係してくる。美術評論の高階秀爾氏の著書「現代美術」(筑摩書房)に「芸術は常に現実から何かを引き去ることで成立する」というたいへん示唆に富んだ名文がある。
絵画は現実から立体3次元から1次元を引き去り2次元にする。次元を引き去る。
彫刻は3次元のままなので、材質やスケール感を引き去る。だから等身大で着色された彫刻はほぼ存在しない。そんなものは蝋人形と同じで芸術性は全く感じられない、と。
無論引き去ればそれで合格、ということではない。引き去ることは必要条件ではあるが十分条件とは言えないからだ。
しかしながら写真の場合、色を引き去ることで芸術性が高まったように感じてしまうのもまた事実だ。だから「非常に危険」なのである。
風景写真は難しいのだ。
ナイアガラやマッターホルン、ゴビ砂漠、フィレンツェ、そんな所に行けば非日常的で素晴らしい景色が眼前に広がっている。だが過去に数万人、いや数千万人が同じような写真を何億枚と撮っているだろう。
そういう景色が近くに無いことを嘆くより、身近にありながら埋もれているおもしろみを発見すること、そして単に白黒にして「なんちゃってノスタルジック写真」にするのではなく、そうではない何かを歩きながら見つけることがおもしろみだと思う。
普段あまり気にしない彫刻に夕陽が当たり激しいコントラストで際立っていたり、悪趣味な超高層ビルが新しくできた美術館の窓ガラスに、まるで映しだすことが目的だったかのように反射していたり、高さのまるで異なる高層ビルと街路灯がまるで語り合うように向かい合うように見えたり、と。
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| アイランドタワー近くのこれはリキテンシュタインの彫刻かな DP2merrill f/4.5 SS1/800 ISO100 SPPカラー現像 |





