2024年8月14日水曜日

お盆休み、写真表現の探求とアンドレ・ブルトン

 今日は月に一度の通院の日、実は仕事が忙しく伸ばし伸ばしになっていたが、今日も決してヒマというわけではないのだが、お盆でクライアントからはメールも電話もないし盆明けからはまた忙しいだろうから今のうちに行くことにした。毎日ほんとうに暑い。クリニックへ行くときは、待ち時間に本を読むことにしている。今日はロザリンド・クラウス著「オリジナリティと反復」を持って行った。確か1990年代後半に読んだ本である。

オリジナリティと反復



当時、私は写真の芸術性や表現手法について研究していて、この本もその参考として読んだのを覚えている。本にはあちこちに当時の書き込みがある。今日はその書き込みを中心に目を通した。書き込みから当時かなり真剣にそして必死に考えていたことが伺える。自分で言うのも何だが結構イイことも書いてある。少しだけ紹介しよう。

ちなみにこのタイトル「オリジナリティと反復」というのは邦題としてどうなのだろう、原題は「The Originality of the Avant-Garde and other Modernist Myths」である。当時私も不可解に感じ、「前衛や現代美術におけるオリジナリティについて」の方がよい、と朱書きしてある。今ならもう少し気の利いたタイトルを考えるかな。

さて、これは前書きが終わり、第1章の扉に書いてあったメモ。



こう書いてある。
グリッドは近代において象徴と神話的機能を有し、相矛盾するこれらの領域を制御するマザーシステムとして働いた。芸術と精神を統合し、制御することができるものとしてグリッドは長い間モダニズムの構造であった。

モダニズムはキリスト教の神に代わってグリッドやスピードの中に神を見いだした?
現代は神の不在ではなく、神の置換えによって機能している?
意識によって作られるものを排斥し、意識そのものに働きかけることを重視したのも、そうした置換えが行われたから?
以上が右ページのポストイット、続けよう。
構造主義(静的構造)
・研究対象を構成要素に分解し、要素間の関係を整理
 類似する他対象との共通点を探るメタ的アプローチまたは関係
・言語や表現などが形作っている構造に着目
 顕在的な現象と潜在的な既定条件としての関係性を扱う
・要素還元主義を批判、関係論的構造理解を重視
 (1つの要素は他のすべての要素との関係において相互依存的に決定される)

これらとはちがうアプローチ
・元型アプローチ(元型が対象の中でどのように用いられているか)
・機能主義的アプローチ(対象が社会に対してどのような機能を持つか)

ポスト構造主義
・構造そのものが生成され変動するという視点に立つ

まあ、この辺は90年代の流行のさらっとしたまとめ。ちょっとなつかしい。

少しページをすすめて、第1章5節の「シュルレアリスムの写真的条件」の扉


写真が表題もなく1枚存在する場合
 それはインデックスとしての性格を持つ写真としての一面性となる→91ページ
転じて写真がテクスト又は表題の影響を受けて、単に写っているものではなく、
 「写っているもの」+「テクスト」で、例えば「社会的傾向」などが表現されるとき、写真はインデックスではなく、フォトモンタージュ(ひとつの特別な種類の芸術)となる。

うーん、ここは少し読みが浅いというか著者に引っ張られているなぁ。確かにシュルレアリスムは言語表現の芸術だったけどね。ダダも含めてね。
もう少し詳しく書くと、日本ではシュールレアリスムとはシュールなリアリズムとして現実離れした風景をレアリズムつまり写実的に描画する絵画という独自解釈が先行し、ダリのぐにゃりと曲がった時計の絵こそがシュールレアリスムであるとの説が定着した。だが、ブルトンが1924年に出版したシュールレアリスム宣言は全く異なる。ブルトンは文学において、それまで主流であった「その場の空気を表すためだけのだらだらと続く描写」をすべてやめ、それが「登場人物に何らかの決定的意思や経験としてもたらされる事象のみを機械的に綴る」ことを文学として重視した。そしてそのためにはアンシャンレジュームと決別し、自身を受容体として常に高感度に保ち、できごとを思い返したり要約したりまたはそれがどういうことなのかなどと考えるまもなく記述していく、それをシュールレアリスムと呼んだ。

ブルトンの本



「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」と彼の代表作「ナジャ」そして後年出版されたブレッソンの写真集「太陽王アンドレ・ブルトン」この中でおもしろいのは「ナジャ」かな。「太陽王アンドレ・ブルトン」なんてブルトンだし写真はブレッソンだしと期待は高まるかもしれないがはっきり言ってツマラナイ。ブルトンはこのときすでに65歳となかり高齢でほとんど意味不明、ブレッソンの写真もそのほとんどがサエない。この本で最も良い部分はシュルレアリスムは「無意識と偶然の瓦礫のなかを意のままに探求していくことを教えてくれた」という実に洒落た一文だけかもしれない。写真も65歳のブルトンは太陽王と言うよりはむしろ偏屈王で、詭弁踊りでも見せてあげたい。ここはやはり若い頃の写真の方が1万倍イイのである。

アンドレ・ブルトン(ちょっと恣意的すぎるきらいもあるが好きな写真)




マン・レイの写真集にあるブルトン(マン・レイもブルトンも遊んでいる)


さて、「オリジナリティと反復」の朱書きに戻って続けよう。



これは第2章4節の扉に書かれたメモ
ここでは本書にインスパイアされつつも本書を離れて私自身の持論をグリグリ展開している。本書にはこれら以外にもたくさんの朱書きがあるが、なんといってもここが一番おもしろかった。若い私が精一杯努力して、新しい表現をなんとか見つけ出そうともがいていた時期のロジック側の展開である。ちょっと文章起こしに疲れたので、今日は画像の貼り付けに留めるが、ポートレート写真、花の写真と当時の私の理論的側面がここに結実している。
ヒマを見て少しずつ文字起こししていこうと思う。




さて、診察を終えてクリニックの帰りにデパ地下でハムとベーコンを買い、近所のスーパーマーケットでもいろいろ買い物をして帰った。暑い時間はデパ地下もスーパーマーケットも比較的空いているのでよい。
帰宅後みんなで昼食を食べる。
今日もサンドイッチ。ウチは家族全員パンが好きなので米の飯よりパンの方がみんな喜ぶ。もちろん私もパンの方が好きである。ただしスーパーマーケットのパンはほとんど買わない。ごくごくたまにタカキベーカリーというメーカーのパンを買うくらい。打合せなどで出かけるとデパ地下などでパンとハムやベーコンを買って帰る。だからお盆中のように出かけることがないとパンが食べられない。真夏でなかったら散歩がてら買いに行くのも良いが、連日こう暑いと足が遠のく。今日はクリニックの帰りに寄れたので家族みんな幸せである。



デパ地下で買ったクルミパンにレタスとハムをはさんでサンドイッチ。あとコーヒー。ただし今日は暑い中少し歩いて汗もかいたので、キンキンに冷えた炭酸水もうまい。コーヒーを飲んだり炭酸水を飲んだり。
クルミパンにしたのはオーブントースターを使いたくなかったから。ウチは古い家なので、ダイニングキッチンは冷房の効きがすごく悪い。だからなるべく熱源を使いたくなかったので。パン屋で買ってきたクルミパンはトーストしなくても十分美味かった。ま、厳密にはコーヒーを淹れるのに湯を沸かしたけど。最高の昼食のあとは書斎で仕事。だが待てよ、久しぶりに仕事の環境チェックをしておこう。忙しいとは言えお盆休み中なので少しだけ自分自身のための時間を取りたい。だから「まてよー」と考える。

さて、今日は黒板から。
黒板には何も書かれていない。毎月、月初めにi-phoneで写真を撮ってから全部消して掃除をし新たに書き直すことにしているのだが、今月は忙しかったので今日になった。月に一度だけぞうきんで水拭きする。黒板は水拭きすると表面が傷むので水拭きは最低限にするほうがよい。ウチはだいたい月に1度である。

黒板


この黒板はすごく気に入っている。何より好きなのはチョークを当てたときのカチカチという感触である。

次にMacの机。

Macの作業机

朝、薬を飲んだときの水の入ったコップが置いてある。左端には薬も見える。うーん。ちょっと考えよう。

次、サイドデスク。

サイドデスク

毎回サイドデスクにはうんざりさせられる。よし、この盆休み中にここだけは何とか手を打とう。確か前回もここは何とか・・・と言いながら結局何も変わっていない。ダメである。

最後に作業机。


作業机


仕事の途中で試しプリントしたものが置いてある。少し気になる点もあるが、まあここは今回はパス、サイドデスクを重点的に改善しよう。


その後、サイドテーブル回りの改良が終わった。飲み物のピッチャーとグラス、夜中時々チビチビやっているグレンリベットのボトルなどをテーブル下に棚板を付けてそこに移動した。飲みかけの薬や書きかけのメモ用紙は簡単に取り出せるキャビネットの引き出し最上段に。電話機もテーブル下に移動。メモブロックは量を減らしテーブルライトのベースの上に置いた。これでだいぶすっきりした。もちろん仕事の時はここにファイルやらメモ用紙やら色見本帳などが置かれることになるが、それは全く問題ない。

サイドテーブル(改)