2021年6月2日水曜日

ファム・ファタールとベルクの「ルル」

ファムファタール(フランス語Femme fatale)とは、直訳すると「運命の女」だ。fataleには単に「運命」というより「致命的」といったニュアンスがあるので、「あなたは私の運命の人です」のような意味でなく、「男を破滅させる運命の女」ということになる。


男を破滅させる女なんて小説や映画では数え切れないくらいたくさんある。わかりやすくておもしろく、そしてスリリングで色っぽい、つまりエンターテイメントの要素がばっちり入っている。

しかも、その女性は絶対に魅力的でなければそもそも物語が成立しない。

だが、それだけではどれも似たようなストーリーになり、飽きられる。そこでアメリカ映画では得意のドンデン返しでオチをつくる。

主演女優が誰かで注目を集め、色っぽいシーンで評判を呼び、オチでかろうじて映画の体(てい)を繕う。

それはそれでよいのだが、ファム・ファタールというと、どうも方向性が違っていると思うのは私だけだろうか?

そもそもアメリカ映画では、単純に「ファムファタール=悪女」だ。
ドンデン返しで悪女ではなかったというのもあるが、本質的には何も変わらない。

しかし、本来ファムファタールとは、必ずしも悪女である必要はない。
あくまでも結果としての破滅であって、悪意による破滅とは限らないからだ。

そういう意味で良くできたファムファタール作品の一つにベルクのオペラ「ルル」がある。

作曲者のアルバン・ベルクは19世紀末から20世紀初頭にかけての現代音楽の作曲家で、代表作にオペラ「ルル」のほかに「ヴァイオリン協奏曲」がある。

シェーンベルクに師事し十二階音を取り入れた作曲手法だが、メロディがある程度残されており、無調ではない。

「ルル」についての前に、ヴァイオリン協奏曲のことを少しだけ。
このヴァイオリン協奏曲は素晴らしい曲で、ベルクは当時作曲中だった「ルル」を中断して仕上げた曲だ。
献辞に「ある天使の思い出に」とある。




ベルク、ヴァイオリン協奏曲のCD
左:イザベル・ファウストとアバド モーツァルト管弦楽団
右:クリスチャン・フェラスとプレートル パリ音楽院管弦楽団
聞くなら、圧倒的に良いのは左のファウストのCD

よく使われるジャケットの絵は、クリムトのイレーネ・クリムトの肖像。

イレーネクリムトは画家クリムトの弟の娘。弟が早くに亡くなり、クリムトは残された夫人と娘の面倒をみていた。ちなみに夫人の姉とクリムトは愛人関係にあった。

この曲の献辞の「ある天使」とは、親交のあったアルマ・マーラーとマーラーの死後再婚した夫グロピウス(建築家、バウハウスの校長)の娘マノンのことで、マノンが若くして亡くなり、その訃報にベルクはルルを中断してこの曲を2ヶ月ちょっとで書き上げた。

ちなみにアルマ・マーラーはものすごくモテた女性だった。

マーラーと結婚する前は画家のクリムトと付き合い、その後師事していた作曲家ツェムリンスキーからもプロポーズされている。結局周囲の反対を押し切ってマーラーと結婚したものの数年でうまくいかなくなり、画家のココシュカや前述のグロピススと付き合い、結局はグロピウスと再婚、マノンが生まれた。ベルクはアルマはそういう関係ではなかったようだが、アルマがベルクをかわいがっていたらしい。確か7歳くらいアルマが年上だった。

19世紀末というのは音楽や絵画などがたいへんおもしろかった時期だ。

絵画では、ベルギーのアールヌーヴォーは言わずもがな、ドイツでのユーゲントシュティール、イギリスではリバティスタイル、オーストリアでは分離派などなど実に美しくそして楽しいムーブメントが時代を彩った。音楽でももちろん様々な新しい試みや素晴らしい作品が多く誕生した。



ウィーン世紀末の歌曲集のレコード。オペラ「ルル」ではひどい演出でボロボロだったハンニガンだが、このレコードはいい。

アルマ・マーラーの曲、アルマの先生だったツェムリンスキーの曲、ベルクやシェーンベルク、ウェーベルンなど。どれもいい。そして音もいい。限定版で1000枚のプレスらしい。まだあるかな?ウチのは300番台だったが。

さて、ベルクだが、この曲を仕上げた後すぐに病死してしまい、「ルル」は未完成となった。

現在は未完の第3幕はベルクの手稿をもとに後に追加されて、全3幕のオペラとして完成している。

ルルの原作は、ヴェデキント作「地霊・パンドラの箱」という2編の戯曲(演劇のための小説)で、ルル2部作と呼ばれている。


ルルの原作「地霊・パンドラの箱」

オペラ「ルル」のあらすじは、

貧民窟のルルはシェーン博士に拾われ愛人関係を続けながら、医事顧問官の男と結婚させられる。画家がルルの絵を描くがルルの美しさにルルを押し倒したところにちょうど医事審問官が帰ってきてあらびっくり、心臓発作で死ぬ。ルルは画家と結婚するがルルの過去を知り耐えられずに自殺してしまう。その後ルルはシェーン博士の息子(作曲家)の作品の踊り子となり舞台に立つようになる。そこにシェーン博士も婚約者と観に来る。ルルは婚約者と一緒の彼を見て、楽屋で「あなたと私は離れられない」と説き、婚約を解消させる。

結局シェーン博士と結婚したルルだったが、貧民窟時代に関係のあった男や他の怪しい男達、同性愛の伯爵令嬢たちとルルとの関係に絶望し、ルルに自殺するよう迫る。ルルは渡されたピストルでシェーン博士を撃ち警察に捕まる。舞台上ではサイレント映画「ルルの逮捕・裁判・投獄」が上映される。

投獄されたルルは先の伯爵令嬢がうまく入れ替わり脱獄に成功するが、怪しい男達のもとに戻ったものの、彼らにゆすられる羽目になる。ルルは逃亡し、逃亡先のロンドンで売春婦となる。シェーン博士の息子、伯爵令嬢も一緒だ。ある日、売春客とのトラブルでその博士の息子も死ぬ。最後はルルも客の切り裂きジャックに殺される。

ヴィーデキントの原作もほとんど同じだ。

ルルと関係のあった、男達が次々の死ぬが、ルルによって殺されたのは自殺を迫ったシェーン博士一人で、それも言わばシェーン博士の自業自得とも言える。だがシェーン博士の気持ちもわからないでもない。

博士はルルに我慢ができない。もう限界だった。普通は別れておしまいだが、それができない。ルルの魅力のためだ。そこで自殺するよう迫る。

貧民窟で育ったルルには、そもそも一般的なモラルも常識も通用しない。ただ賢く、そして何より特別美しかった。つまり絶対的な価値を持ち、人間が作り出した価値と無関係というのがルルの本質だ。

まわりにしてみれば「価値観の崩壊が起きながらそこから目をそらすことができない状況」だ。

私はファムファタールの本質はここにあると考えている。

「既成の価値観の否定」というのは人には辛い、私にもあなたにも。もし既成の価値観の否定が大好きだ、という人がいたらその人は、相当オツムが弱いか嘘つきだ。

だが、既成の価値観を「100%信頼している」という人もまずいない。

ファムファタールとは、価値観の否定に対して「少しは疑ってかかるべき」という受け入れやすい領域を遙かに超え、「命にかかわるぎりぎり」くらいまで刃先が到達する状況なのである。当然受け入れられない。

ルルの原作者ヴェーデキントという人も、作品が認められないばかりか投獄されたりと散々な人生だったようだ。

音楽界においても大多数の価値観の崩される作品は同じような運命にある。ファムファタールではないが、有名なのはストラヴィンスキーの春の祭典だ。歴史に残る初演大失敗バレエだ。観客の野次とブーイングで劇場は大混乱、警察まで出動したらしい。だが、現在ではその音楽もニジンスキー演出のバレエも20世紀を代表する音楽として高く評価されている。

つまり、初演当時は音楽界の常識やバレエの常識を大きく逸脱し、価値観を否定したものだったと言える。

音楽界のファムファタールの初演大失敗の代表はヴェルディ作曲の「椿姫」だろう。

椿姫はルルほど過激ではなく、関係する男が次々に死んだりしない。だが観客の目に明らかなのは、椿姫を取り巻く男どもが実につまらない連中なのだ。サロンに出入りする男達だ。そしてそれはこのオペラの観客そのものなのだ。それらを無価値なものだと切り捨てる。

ファムファタールのオペラは他にもある、「カルメン」や「蝶々夫人」などだ。

いずれも魅力的な女性の、男性社会の既成概念にとらわれない役どころという意味では共通だ。そしてこれらすべて、初演は大失敗に終わっている。つまり受け入れられない、観客にとって不愉快なものなのだ。

だが時間は常に正しい物差しを提供し続ける。初演は大失敗でも、時間が経つにつれ評価は変わり今ではどれも傑作として歴史に残っている。

だが、どれだけ時間が経っても正されないものもある。たとえばカルメンだ。

今ではカルメンなどは見たことはないけど内容は知っているという人も多い。悪女にたぶらかされる男の話、くらいに思っている。だが、カルメンはたばこ工場で働く普通の女の子だ。だがめちゃくちゃカッコイイ女の子なので、隊長さんが一目惚れ、恋仲になる。でも隊長さんはつまらない人なので、闘牛士に乗り換え、怒った隊長さんに殺される。

私にはこれがどうしてカルメン=悪女になるのかさっぱりわからない。むしろダメダメ隊長さんというべきと思うのだが。男側の身勝手な価値観を肯定するとカルメンは悪女と呼ばねばおさまらない。考えてみれば、他にイイ男ができて今の恋人と別れて新しいのと付き合う、なんてフツーを通り越して退屈なくらいよくあることだ。むしろ、いなくなった女をいつまでもウジウジ想い続けたり、つきまとったり、復縁を迫ったりの方がよほど犯罪だ。だが当時は気の毒な隊長さん、自由奔放な悪女カルメンなのだ。今でも教養のない人はそう思い込んでいる。

さて、ルルに戻ろう。

ルルにとって結果的に良かったのは、完成したのが作曲家ベルクの死後だいぶ経ってからだったことかもしれない。時代がようやく作品に追いついた頃完成した。

ルルは外見は顔もスタイルもパーフェクトな女の子だ。だが常識は通用しない。だから常識的な考えでフツーに生きてきた男は吸い寄せられ破滅する。自ら崩壊する。

彼らにはルルのような絶対的な美など無縁であり、常識的というレールの上を何事もないよう生きる以外に生きる方法を知らない。つまり脱線=死だ。男達はルルが自分と同じレールの上を一緒に歩んでくれると期待するが、無駄だ。男達は悩んだあげく、レールからルルの方へ飛び降り、そしてそこで終わる。

だから観客には受け入れられない、絶対にヒットなどしない。
観客は「わからない」か「苦しむ」か「自分には関係ない」のどれかだ。
「わからない」人は素直で、「自分には関係ない」人は間抜けだ。

「苦しむ」人がその苦しみをおもしろがれることのみが唯一の救いであり、それこそがファムファタールの存在意義と言える。

わざとらしいアメリカ映画ではなく、そういう真のファムファタールの登場を切に希望する。



アルバン・ベルク作曲オペラ「ルル」のDVD
左から、
クリスティーネ・シェーファーのルル

シェーファーがうまい、育ちの良さそうな雰囲気がちょっとルルとは違うが、それを差し引いてもたいへん良い。このDVDの最大の魅力はなんと言ってもグレアム・ヴィックの演出の素晴らしさだ。ウィーン世紀末の持つ雰囲気を最もよく再現している。

次がパトリシア・ペティボンのルル。ペティボンがいい。イメージに最も近いルルと言える。だが残念なのが演出だ。どうでも良いところに力を入れ、肝心な所が手薄だ。もったいない。それでもペティボンの魅力で十分観る価値がある。

ちなみにペティボンはもう1つルルを演じたDVDがあるがあまりおすすめしない。

アイヒェンホルツのルル。アイヒェンホルツは割とキレイな歌手なのだが、どうしたことかこのオペラでは意地の悪そうな悪女にしか見えない。セットはもっとひどい。オペラ史上最も手抜きのセットだ。歌手陣の服も自前か?制作サイドのだれも真面目に考えていない。残念ながら観る価値はない。

ハンニガンのルル。
ハンニガンはあまり好きな歌手ではないのだが、時々すごく良い。先のウィーンの世紀末のレコードなどはたいへん良い。だがここでは最悪だ。だがこのDVDに限って言えば、ハンニガンのせいではない、演出が最悪だからだ。観る価値はない。




ヘンテコな演出のおけげで客席で歌う美しいペティボンのルル