2021年6月14日月曜日

ベルク「ヴァイオリン協奏曲」


アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲だが、ここ【<音楽>ファム・ファタールとベルクの「ルル」】で、イザベル・ファウスト+アバド モーツァルト管弦楽団の演奏と、クリスチャン・フェラス+プレートル パリ音楽院管弦楽団の演奏について書いたが、もう少し他の演奏を聴いてみたくなったので、ギドン・クレーメルやムターその他のCDを聴いてみることにした。


左上:ギドン・クレーメル
右上:ムター
左下:フェラス
右下:ファウスト

フェラスの演奏は少し物足りないが他はどの演奏も特徴はあるが優劣つけがたい。

最も特徴がはっきりしているのはファウストの演奏だろう。この曲をこれほどまでに痛々しく演奏したものはないだろう。演奏も素晴らしい。だが、ほんとうにこれでよいのかな、という微かな疑問がどうしても頭から離れない。今回新たに、ギドン・クレーメルとムターのCDを買ったのも、このファウストの演奏がどうしても引っかかっていたからだ。

この曲は若くして亡くなったマノンのために書かれた曲だ。作曲の依頼はヴァイオリニストからのものだったが、作曲の原動力はマノンだ。マノンはアルマ・マーラーとワルター・グロピウスの娘で、アルマと交友があったベルクがとてもマノンをかわいがっていた。美人で頭のいい娘だったらしい。

このヴァイオリン協奏曲は2部からなり、1部はマノンとの思い出、2部は死とレクイエムから成る。

1部では、かわいらしいマノンをヴァイオリン、それを見守るベルクがオーケストラの低い音の旋律だ。

先のファウストの演奏に関するわずかな違和感は、この1部のマノンをあまりに悲痛に演奏していることだ。辛く悲しいのは2部の前半で、1部はそんなに悲痛な演奏に固執しなくてもよいのではなかろうか、また2部の後半はレクイエムであり、最後は亡きマノンの魂が永遠の安息と絶えざる光のもと天に昇る穏やかな雰囲気がほしい。もちろん演奏者の解釈はいろいろあって良く、ファウストが間違っているなどとは全く思わない。そもそもこの曲は2部の悲壮な旋律の一部が1部にも繰り返し使われているので、ファウストの解釈は間違いとは言えない。全編を通して悲痛な曲とする解釈だ。

だが私の思い描くこの曲のイメージと少し違っている。なのでもう少し聴いてみたい。

まずはギドン・クレーメルの演奏から。
Vn:ギドン・クレーメル
コリン・デイヴィス指揮、バイエルン放送交響楽団、1984年
繊細な演奏で、この曲のお手本のように聞こえる。間違いなく名盤と言えるだろう。だが第1部の演奏はそこまで神経質でなくても、と感じる。
そう、それならいっそファウストの方がおもしろい、と思えてしまう。第2部は完璧だ。

次にムター。
Vn:アンナ・ゾフィー・ムター
ジェームズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団、1992年
この人は情緒感たっぷりに第1部はすごくいい。あまり暗い影を落とさず、思い出を回想する雰囲気が良く出ている。たいへん美しい。ヴァイオリンもオケも。
だが第2部前半の緊張感が少したりない。だがこういうのもいい。間違いなく名盤だ。

次は少々古く、グリュミオー。
Vn:アルチュール・グリュミオー
イゴール・マルケヴィッチ指揮ロイヤルコセルトヘボウ管弦楽団、1966年
さすがに少々古くさい。50年代のアメリカ映画のBGMみたいだ。1小節から8小節までのハープに続くシンメトリーな導入部分はこれではちょっと辛い。ここにはマノンもベルクもいない、楽譜があるだけだ。ちょっと残念。だが一緒に入っているストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲はとてもいいので、CDとしては良いかもしれない。









1小節から8小節、ハープとソロヴァイオリンのパート、ベルクお得意のシンメトリー

さて、この曲の第1部は生前のマノンとの思い出だが、この曲に限らず、さらに音楽以外でも、こういう回想シーンのように、心の状態を表すのに音楽はたいへん効果的だ。特に映画などでは顕著だ。

ただし、映画では映像により、多少の自由度はあれ想起されるイメージはほぼ一元化されるのに対し、純粋に音楽だけの場合は、想起されるイメージは聞き手のイマジネーションに委ねられる。

映画なら誰が見てもそれとわかるが、純粋に音楽だけでは気がつかないこともある、ということだ。

気がつかないリスクはありながら、いや、だからこそ、逆に音楽は、聞き手側が想起するイメージの自由度が大きくなる。
まあそれこそが音楽のおもしろいところでもあるのだが。

ベルクのヴァイオリン協奏曲でも、例えば第1部を少し聴けば、どの音がマノンでどの音がベルクかすぐにわかる。ただし、マノンの方はマノンだが、ベルクの方はベルクでもあるしアルマやグロピウスでもある、そして私やあなた自身でもある。

そして想起されるイメージは千差万別だ。
つまり、私やあなたが、会ったこともない少女を回想するのだ。自由度どころではない。
映画では感情移入によって、主役=観客=私たち、が回顧する。

映画では、映像が主であり、音楽が副である。音楽は見えないものを表したり、場の効果を盛り上げる。わかりやすい音楽で全員一致で同じ方向に導くこともあれば、そうでなく、私たちにある程度自由に想像させることもある。

だがあくまで映像が「主」で音楽は「副」だ。

ここで少し脱線するが、現代音楽は、純粋に音楽としては商業的にはあまり成功しなかった。だが、映画、とりわけホラーやサスペンス映画などの効果音楽としてはたいへん成功した。現代音楽は人類が千年以上かけて積み上げてきた音楽の分解や破壊が主体となったものが多い。だが創造的破壊には世紀単位で時間がかかるが、単純否定と要素分解なら数時間で誰でもできる。なので結果はひどい物も多かった。まあ、おもしろいにはおもしろいのだが。

不協和音や不快音の連続、12音階は、まさにホラーやサスペンス映画に、最適だった。

もちろん全ての現代音楽がそうだということはない。そしてこの「最初にやった者勝ち」の「単純破壊・分解・一要素の摘出」ではない何かに現代音楽が世紀を超えて価値をもつ理由があったはずだ。

ベルクのヴァイオリン協奏曲もそのひとつといえよう。

さて、もう少しこの曲の他の演奏を聴いてみよう。

次は、ギル・シャハム
Vn:ギル・シャハム
ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ響
2021年の演奏
最新の録音で少し期待していたのだが、まあまあかな。繊細さがたりない。技術だけで弾いているように聞こえてしまう。決して悪い演奏ではないのだが。



最後にバイバ・スクライドとネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管のこれはBlu-ray。

演奏にはあまり期待していなかったが、映像が見られるので買ってみた。
その通りで、演奏はまあまあ。だが演奏風景は実に良かった。

さて、ここではレコ芸ではないので番付はなしだが、ギドン・クレーメルとムターのが良かったかな。時々ファウストも。そんなところかな。

今週は、ずっとこの曲を何度も何度も聞いていたが、さすがにちょっと聴きすぎだ。

少し間をあけてまた聴いてみよう。

左上:アルチュール・グリュミオー
右上:ギル・シャハム
下:ネルソンスのBlu-ray