打合せで出かけた帰りに家族と待ち合わせをしてオカダヤで布地を買ったりデパ地下でクリスマスケーキの予約をしたりして、それから食事をして帰った。帰りに近所のスーパーマーケットで買い物をしていたら娘とカミさんが「たまにカレーもいいね」と珍しいことを言うので、それならば、とカレーの材料も買って帰った。そう、ウチではカレーはあまり作らない。年に数回で、1度作ると3ヶ月から半年は作らない。外でも食べない。会社勤めしていたときは付き合いで昼食にカレー屋さんに、というのも何回かあったが自分から進んでということはなかった。カレーはいつまでも口に残るのがあまり好きではないから。でも時々食べたくなる。KFCのチキンみたいなもの。KFCのチキンも時々食べたくなるが一度食べるとしばらくはいい。
それが娘とカミさんが食べたいと言う、これはめずらしい。というわけで明日の夕食は久しぶりの「具なしカレー」にしよう。
 |
| 具なしカレー |
具なしカレーとはその名の通り具が入っていないカレーで、我が家のカレーはいつもコレ。実際には豚バラブロックのかたまりと人参が丸々1本入っているが、これはカレーの具ではなく、つまりカレーの中で煮込むのではなく、圧力鍋で柔らかく煮込んだものを飯と同じようにカレーをかけて食べる。で、カレーの方には何も入っていない。だから「具なしカレー」と呼んでいる。材料は豚バラブロック2本、人参6本、タマネギと市販のカレーのルウとS&Bのカレー粉、その他である。
まずはタマネギをみじん切りにして弱火でよーく炒める。テフロンのフライパンを使って油は1滴も入れない。炒め始めると始めタマネギから水分が出てくるので焦げることはないが、10分くらい経つと水分がなくなってくる。やかんで湯を少しずつ回しかけながら炒め続ける。焦げたりきつね色に色づいてもタマネギは雑味が出てうまくない、弱火で湯を少しずつ回しかけながら最低でも1時間、できれば1時間半くらい炒める。
 |
1時間半炒めたタマネギのみじん切り
|
今日は娘が手伝ってくれた。いろいろ話をしながら料理をする。料理は何でもそうだがこの1時間ちょっとを「面倒だ」と親が感じてそれが態度に少しでも出ると娘には「料理はめんどうなこと」という意識が確実にすり込まれる。そうなったら、まず手伝ってはくれないか、手伝ってくれたとしてもイヤイヤとなる。
さて、娘がタマネギを炒めているヨコで私は豚バラと人参を準備する。人参はピーラーで皮をむき、よく洗ってから上下をカットする。豚バラは大きめにカットして鉄のフライパンで強火で軽く炒める。鍋に入れ、別で沸かしてあった湯を入れる。
 |
豚バラブロックと人参 |
火にかけ沸騰し始めたらアクを取る。そこにタマネギのみじん切りを1時間以上炒めてペースト状になったものを加え、圧力鍋に最低でも1時間以上煮る。
話は変わるが、今日たまたま情報サイトを見ていたらコロッケは1時間とか手間がかかる割に・・・お店で売ってる出来合いのものはおいしいし・・・作り甲斐のない料理だよね・・・なんて書いてあった。こういう記事はネット社会のマーケテイング指向の問題が露呈する格好の題材で、読者はみなマトモに料理なんか作らないのが集まって皆こぞって「そーだよねぇ」の大合唱になる。マーケティング指向というのは「いいね」欲しさに耳ざわりがよく何となく共感が得られるようなネット特有の思考形態で、たとえば料理なら「1日働いて疲れているから料理にそこまで手をかけずに簡単におしいものを作りたいあなたへ」みたいなのを言う。少々オツムの弱い人たちがコロッといってしまう指向で、ネット社会ではこういうのばっかりなのである。もしここで「コロッケは家で作るよ、別に特別ではないし自分で作るとおいしいから」なんて言おうものなら総スカンを食らう。一生懸命やる人よりそうでない人の言い訳の集合の方が圧倒的に強く声も大きいからである。人は良いことで結ばれるより弱みで結ばれる方が絆が強い困った生き物なのである。
だがあえて言いたい、決してそうではない。ダメな人に合わせる必要はない。そして何より合わせることでどんどん人はダメになっていくのだ。
考えてみれば、料理で1時間なんて決して特別ではない。「ロールキャベツ」だって「ちらし寿司」だって「豚の角煮」だって「ミートソーススパゲッティ」だって「ぎょうざ」だって「春巻き」だってどれも特別な料理ではないが1時間以上かかる。また、市販がおいしいと言ったってコロッケは家で作れば「うま味調味料」が入らずいい挽肉を使ったジャガイモの風味が生きている本当においしいコロッケを作ることができる。先の「そーだよねぇ」の連中に組みすると料理は面倒なもの、あと片付けはやりたくないこと、という空気が家庭に蔓延することになる。さきほど書いたようにすっかり刷り込まれた子供たちも親と同じように感じ考えるようになる。絵に描いたような不幸の始まりである。
ウチでは料理とはおいしいものを作る「楽しい時間」である。だから今日も夕食後「明日の下ごしらえちょっと手伝わない?」と聞くと娘はうれしそうに「やる、やる」と言って手伝ってくれる。
後片付けだって同じで、楽しい食事の時間の延長なので、「さーてと」と言うとみんな「私が洗う〜」とただの一度も押し付け合いなど起きたためしがない。
料理だけでない。先日の模型の納品でも、「来週模型を会場に持って行くんだけど手伝ってくれる?」と聞くとみんなで手伝ってくれる。決して「えー」なんて誰も言わない。会場でカミさんと娘と一緒にエッサホッサ模型を運んでいると、客先の担当者が「いいなぁ」なんて言ってたけど、ウチでは普通のことである。仕事のお手伝いができて楽しい、と感じてくれる。それで終わったらご苦労様で少し奮発してみんなでおしいものでも食べて帰ろうか、となる。
また、先週末土星食があった。土星が月の向こう側に隠れる現象で、日本ではかなり広い地域で見られた。
 |
土星食直前(月の左上に見える点が土星)Olympus E-M1ll+ED300+MC20 |
ウチのカミさんは特に天体が好きというわけではないが、私が外に出て見ているとやってきて「どう?」というので見てごらん、と天体望遠鏡で覗いてもらう。あれが土星?などと言っていた。娘も私と一緒に眺めていた。寒かったけど。
思うに、例えば結婚前に付き合っているときは何でも相手の興味あることを一緒に楽しんでいたのに結婚して何年か経つとそうでなくなるのはなぜ?。なぜ何もかにも面倒くさくなるの?テレビでくだらいバラエティ番組やi-phoneのゲームの方が一緒に土星を見るよりよくなるの?さっぱりわからない。「あ、そう、私はいいや、面倒くさいし寒いから・・・」そばで会話を聞いている子供は「めんどうくさい」が口癖の子供になる、間違いなく。
一緒に楽しむなんてごく当たり前のフツーのことができなくなっている家庭が実に多いようだ。どこかでボタンを掛け違う前によーく考えた方がいい。教育とは子供に何かさせたり禁止したりではなく、どう感じるようになってもらうかが最も大切なのである。
さて具なしカレーだが、圧力鍋の後しばらく放置して冷ます。次に中の人参と豚バラブロックをトングでそーっと取り出し皿によけ残った汁は油が白く固まっているので取り除く、さらに濾し網で濾しタマネギの出がらしも取り除く。澄んだ濾し汁にカレーのルーを溶かし火にかけ温める。取り出した人参と豚バラブロックは軽く洗って表面のタマネギの残りを洗い流す。豚バラも人参も圧力鍋で煮たのですごく柔らかいので丁寧に扱う。最後にこれらをカレーの鍋に戻し弱火で10分ほど温めたら完成。