2024年9月22日日曜日

写真の解像度アップにAI補完ソフトTopazを使う

 今回は久しぶりに写真のこと。

最近のカメラはスマートフォンも含めて解像度の高い写真が撮れるようになったので、解像度の低い写真の扱いに悩まされることはほとんどなくなった。だが、古い写真やネガフィルムをスキャンした画像の一部は解像度が低く、そのままでは使えないこともある。ちなみに例えば印刷物に使用する写真の解像度は240〜350ピクセル/インチと言われている。理想が350ピクセル/インチで、最低でも240ピクセル/インチはほしいという意味である。このピクセル/インチとは1インチに何ドットあるかと同じ考えで、ドット/インチと言われることもある。ドットとは「点」のことである。ピクセルは「画素」である。それぞれ略してdpiとかppiなどとも言う。先の350ピクセル/インチは350ppiとか350dpiなどと書く。なぜインチかというとアメリカ発祥の技術だからで、テレビの画面サイズを65インチなどと呼ぶのと同じである。

さて、解像度の低い写真のピクセル数を増やすにはPhotoshopで画像解像度で補完しながらピクセル数を増やし、全体にアンシャープをかけて少しだけパキッとさせる、というのが今までの方法だった。

最近、AIを使ったピクセル補完をするユーティリティソフトを手に入れたので、今回は従来のPhotoshopによる方法と比べてみることにした。

使うソフトはTopaz.Labs の Photo AI というソフト。このソフトとは別にビデオの補完を行うVideo AI というソフトもある。価格はPhotoが3万円くらい、Videoが4.5万円くらいだったかな。このソフトは仕事用で購入したものでクライアントから提供される写真やビデオが古かったり、なんらかの理由で解像度が足りない場合、それらを少しでもなんとかできないかと考えたためである。さてPhoto AIだが結論から言うと業務で使える確率は半分くらいというのが私の感想である。もう少し詳しく言うと写真によって使えたり使えなかったりということで、「これはイケる」というのが1/3、「まあまあ」が1/3、「使えない」が1/3といったところ。そしてまあまあの場合、最終イメージサイズが小さければ使えるが、大きいと辛い。

ただし業務での写真はAIによる判断がむずかしい題材が多い。打率5割は決して悪くないと言える。人や風景、ペットなどと違い、なんだかわからないような物が多いからである。こういうものをAIがどう判断するかはやってみないとわからない。やってみなければわからないような事例を紹介してもあまり参考にならない。今回は人の写真でどのくらい使えるかを紹介する。

使う写真は古いフィルムカメラで撮影したネガフィルムをフラットベッドスキャナーで読み込んだもの。ネガフィルムということで解像度は今のデジタルカメラの300万画素〜600万画素相当しかない。それをフラットベッドスキャナーで読んだ時点でさらに解像度は低下する。画像ファイル上は3000×2000ピクセルほどあるが、実解像度は1/2以下である。つまり輪郭がぼやっとしていてさらに輝度ノイズも多い。

これがPhoto AI でどう変わるか、さっそくやってみよう。

娘の幼稚園のときの運動会の写真、親と一緒に出る競技。一眼レフを使いASA感度100のネガフィルムで撮影した。レンズは135ミリだったと記憶している。ちなみにこの当時撮影したフィルムは結構たくさんあるが、この写真はカミさんと娘以外ほとんどみんな向こうを向いている、また遠くでこっちを向いている人はピントが不鮮明である。つまりサンプルとして好条件の写真である。やはり他人の顔が鮮明に写っているものを無断でネットに上げるのは法律がどうのと言う前にあまりよいことではない。だからこういった作例では写真選択には気を使う。これは数少ない使える写真である。

まずはネガをフラットベッドスキャナーで読み込んだ画像。

フィルムスキャナで読み込んだ状態






同部分拡大



少々アンダーで色合いも辛気くさい。これはスキャン時に補正せずにphotoshopで補正するつもりだったので仕方がない。先に色補正をかけてから補完するというのもあまりお勧めできない。だからまあ仕方がない。写真編集には順序があって、傾きやあおり調整、そして補完による解像度アップなどは最初に行う。露光量や色温度調整がその次、そしてゴミ取りなどしてから、部分部分のレタッチを行う。
さて、
次にPhotoshopでの補完2倍の同拡大、ただし2倍に補完後サイズを半分に戻しているので見た目はオリジナルと変わらない。まあ、そうだよね。

Photoshopで2倍の後元のピクセル数に戻したもの



つぎにTopaz Labs Photo AI で2倍に補完後サイズを元に戻す
Photo AI 2倍補完



このソフトは特に人の顔への適用に優れているようで、あきらかになめらかで輪郭もパキッとし、さらにノイズも減っている。オリジナルに比べプリントサイズを確実にワンサイズ上げることができる結果となっている。たいしたものである。

さらにこのソフト、FaceRecoveryというオプションがある。これはさらに人の顔をAIできれいに仕上げましょ、というモードである。

Photo AI 2倍補完+Face Recovery


たいしたものである。
カミさんのどアップはちょっとなので娘の顔のオリジナルとの比較
左:オリジナル、右:PhotoAI 2倍補完+Face Recovery


少しキレイにしすぎ、そこでパラメータを変更しほどよい補正に変更する。

右端、パラメータを調整したもの



塗り絵っぽかった補完画像がだいぶ自然な感じになった。
補完が終わったらいつものようにPhotoshopで色調整やゴミ取りなどをしてレタッチ完了となる。

完成写真


ちなみにこのFace Recoveryだが、横顔でもきちんと認識して補正してくれる。

横顔でも大丈夫



また、例えばAIが部分的に勘違いしておかしな補正をかけている部分があれば、レイヤを使って元画像やphotoshopによる補正画像と合成しレイヤマスクで調整するという使い方もある。上の写真でカミさんの髪の毛の生え際は不自然にコントラストが強調されているし、カチューシャの少し左側で髪の毛に明らかな不連続が見える。
こういう場合にはこの方法で調整すればレタッチせずに自然な感じに仕上げることができる。つまり1枚の写真の中で、AIが勘違いした部分は、その部分だけAIの画像は使わずに、Photoshopの補完・補正画像を使うということだ。これも常にこの方法でうまくいくという訳ではないが写真によっては有効な選択肢と言える。下の写真、AI補完とPhotoshop補完をレイヤマスクで調整して1枚に仕上げてみた。上の写真の不自然さがなくなった。

元画像とAI補完をレイヤマスクを使って合成


時間の関係でゴミ取りはしていないが、これなら十分プリントにも耐える品質と言えるだろう。

最後に、ではこのソフトは買いかどうかというと、最近写真を始めた人には不要だろう。最近のカメラやスマホは十分な解像度で撮れるから。また古い写真もあるがそれらを今からどうこうしようと考えていないなら同様に不要なソフトだろう。トリミングして一部を拡大したいが解像度が足りない、といった場合は使えるが、それなら撮影の際工夫して引きと拡大を撮る習慣をつけた方が何倍も良い結果が得られるだろう。ただし古いデジタルカメラの写真やフィルムの画像をプロラボでのスキャンなどせずに自分で透過原稿の読み取れるコンシューマー向けのフラットベッドスキャナーで読み込んだりし、しかもそれをある程度大きくプリントしたい場合などには使い方によっては使える、ということである。つまり過信は禁物で、それを理解して購入するならよい選択肢だと言えるだろう。





2024年9月14日土曜日

模型製作と新しい工具

 前回も書いたが、模型製作のために新しい工具をいくつか導入した。テーブルソーとスライド丸ノコなど。テーブルソーは使う時には台が必要だが、定置式の台では場所をとるので狭い狭い工房には向かない。作業台の下に入れられて、引っ張り出して使える専用台を製作することにした。またスライド丸ノコは脚付きの台は不要だが作業台にのせるための天板にのせるための板を作製することにした。これはスライド丸ノコに比べ今の作業テーブルの奥行きが17センチほど足りないためである。

板にのせたスライド丸ノコに2’×4’材をセットしたところ


スライド丸ノコは安定して使えるようになり、これを使ってテーブルソーの台を製作。

テーブルソーの台のパーツ


台の製作にあたってはカットはもちろん、ジョイント部の仕口の加工もスライド丸ノコで行った。このスライド丸ノコ、5万円弱だったがとても使いやすく満足している。マキタのM244という製品。ヨドバシの通販で購入した。ヨドバシはお取り寄せとなっており、Amazonは翌日か次の日配達で値段はあまり変わらなかったが、なるべくヨドバシを使うことにしている。理由はヨドバシが好きなのではなく、Amazonが嫌いだから。Amazonは他に選択肢がないとき以外なるべく使わない。

さて、上の台のパーツは仕口の加工に少し時間がかかったが塗装も含めて丸1日くらい。その後脚を製作して取り付け塗装にさらに1日で計2日で完成した。

テーブルソーの台


取外し式の渡し材をセットしてその上にテーブルソーを設置する。テーブルソーは材料を押しながらカットするので、この渡し材の上でテーブルソーが振動と横力で徐々にズレるとまずいので、必要なら、ずれ止めを取り付ける予定。

さて、今日は制作中のカタログの打合せで大手町のクライアントのオフィスに行った。今日も暑い。もちろんワイシャツ、ネクタイ、ジャケットで出かける。どんなに暑くてもベトナム人スタイルは苦手なのでこれは守る。

打合せは1時間弱で終わり、帰りに新宿でカミさんと娘と待ち合わせをして買い物。まずはカミさんはオカダヤで布地、厚手の布地を10m位買い、結構重い。みんなで交代して持ちながら歩く。わたしもスエードを2mほど買った。そのあとお腹が空いたのでねぎしで牛タンを食べることにした。ここはいつだったか値上げをして定食が2500円くらいになってからお店はガラガラでほぼ確実に並ばずに座れる店になった。でも私は焼き肉とか牛タンはあまり食べないので半分カミさんと娘にあげる。これはいつもそう。次に東急ハンズ。模型材料のアクリルの値段を調べるとAmazonより倍くらい高い、仕方がないのでAmazonに注文することにした。何も買わないのもなんだからテーブルソーの滑り止めの木材を買った。娘が別の階も見たいというので行くと昔、東急ハンズが東急だった頃にくらべ置いてある商品もその陳列の方法もものすごくダサくなっていて、私も娘もがっかり。これはきっと買収したホームセンターが埼玉とか栃木とかの田舎の企業でそこの本部のおじさんが企画しているにちがいない、ということになった。本当かどうかは知らないけど。調べる気もサラサラない。だが知性の香りがするおもしろい商品はもう期待できそうもない。

ガッカリした後はデパ地下で夕食を買って帰ることにした。

明日はテーブルソーを台にセットして工房の作業台下にセットする予定。そろそろ模型に本腰いれないと終わらない。

翌日、工房の作業台の下を片付けてテーブルソーとスライド丸ノコを収納した。

テーブルソーとスライド丸ノコの収納時


奥行きがあるのでどうしても作業台より飛び出すが仕方がない。これはそのうちこの部分だけ作業台を大きくした方が良いかもしれない。だが今は時間がない、模型製作が待ったなしだからである。

両機械を収納したことで久しぶりに作業台の上が片付いた。模型製作を始める。事前検討は済んでいるので悩むことなくどんどん作業できる・・・はず。まあ検討通りに進むことはなく、このあとも検討が続くのだが・・・。だが検討とはそういうもので、変更になるからちゃんとやらなくてもいい、ということはなく、かと言って検討結果つまり計画に固執してもうまくいかない。歩きながら考えるというイギリス式も一度決めたらあとは突っ走るフランス式もダメということ。

久しぶりに片付いた作業台


奥にあるのはプラスチック加工用のミニテーブルソー。あまり使い勝手はよくないが大活躍している。

また、今回の模型ではアクリル板の曲げが必要なので、アクリル加工台も製作することにした。当初はこんな感じであり合わせの材料で簡単な折り曲げ台を作って使い始めたのだが途中で気が変わって長く使えるきちんとした台を製作することにした。

当初作ったアクリル板の加工台


上の写真、OSBという板にラワン材でヒーターを留め、天ぷら温度計と汎用のパワーコントローラーを使った。問題点はリアルタイムで温度が測りながら作業がしにくいこと、OSBの表面がでこぼこで、そこにホコリがたまりこれが静電気でアクリルに付くこと、そして何よりヒーター+ラワン材が飛び出ているので使いにくいこと。

新しく作る加工台は板材(無塗装)で作ることにした。何しろヒーターは150度くらいになるので塗装はできない。同様に合板や集成材は糊の加熱が心配である。だから板材を選んだ。ホームセンターで板材を見ていたらファルカタというバルサに近い柔らかい板材をみつけた。そういえば昔黒板ふきをこれで作ったのを思いだした。これで作ってみよう。表面は柔らかくちょっと心配だったがそれほど力をかけるわけでもないし、何より軽いのが魅力だった。あとヒーターで加熱して反ったりねじれたりしてもフレームが変形を抑え込むことができると考えた。強度のある材木だと反りをフレームで抑え込むなんて無理である。

また、加工台は普段は棚に置き、必要なときに作業台にのせて使う。軽い方がよい。ファルカタは羽根のように軽い。

アクリル加工台のベース、ヒノキのフレームとファルカタの天板



中央のスリットにヒーターが入る。また、今回は温度計とパワーコントローラーを内蔵させることにした。これが思っていたより大変で、いろいろやってうまくいかずに別の温度計やらパワーコントローラーを買い直して・・・と苦労したがなんとか完成した。

完成したアクリル加工台



手前のパンチングメタルはパワーコントローラーの放熱用、奥が温度計。パワーコントローラーは台の下に入れてしまうこともできたが、これはじつは当初別のパワコンを買ってうまくいかず、買い直したら台の中に収まらずこんなことになった。もっともヒーターは両端10センチずつは温度が上がらないので加工には使えない。だからこの位置にこれらがあっても作業上は問題ない。フレームを作り直すには時間もかかるし、厚くなるのも重くなるのもいやなのでこれで妥協した。温度計の方は表面にアクリル透明カバーを付けて表面をフラットにした。収納しやすさを考え極力出っ張りはなくした。コントローラーのつまみも彫り込んである。電源ケーブルもジャックタイプにした。

さっそく試しに使ってみた。
今はメインスイッチがないのでコンセントに差し込むとスイッチオン、温度計をチェックしながら待つこと10分弱。透明アクリル2ミリの板を曲げてみた。

試験曲げ加工



キレイに曲げることができた。めでたしめでたし。
ちなみにアクリル曲げ加工では、「アクリル板の厚み」「ヒーターの温度」「アクリルの加熱時間」の3要素で決まる。ヒーターが十分加熱していないとアクリルが狙った位置できれに曲がらないし、加熱時間も長くなり歪む。かといって温度が高すぎると表面が柔らかくなりすぎ溶けて仕上がりが悪くなる。だから温度を最適に保ちながら手際よく作業することが大切なのである。この加工台なら問題ないだろう。あとは曲げる際、曲げ角度に応じた治具が必要なので、これは後日作ることにしようと思う。





2024年9月9日月曜日

今度こそ図書室

 ずっと仕事が忙しかったが少しずつ終わりが見えてきた。現在仕事は10件ほどになった。そのうち2件は大物なのでまだ1ヶ月くらい忙しい日は続く予定だが、その先は少しのんびりできるはずだ。季節的にも涼しくなり図書室の改修に好機である。逆にここを逃すと今度は寒くなって工房作業には辛くなる。今年こそはぜひとも終わらせたいと思っている。なにしろ本が入りきらない。そして何より本に囲まれて考え事をしたい。そういう場所が早くほしい。

今の図書室


これは以前撮影した図書室の本棚。現在もほぼ同じで、ごちゃごちゃである。場所が無くて本を積み重ねている。ときどき本を探しに行くが結構なストレスである。こう言っては何だが、図書室というのは家の中にあってはリゾートのようなもので、そこにいるだけで楽しい場所でなければならない。気取った言い方をすれば「知のリゾート」である。ストレスを感じるようでは全くオハナシにならないのである。そしてこんな状態がもう何年も続いている。だから今年こそは、なのである。

改修のための計画図や設計図はすでにあるので材料の購入である。本棚を新規に6本作るので結構な量である。木材の価格も大幅に上がっているので予算の見直しも必要だ。

何しろ今はまだ忙しいのでスタートできるタイミングを図ることしかできない。

いろいろ考えている。各本棚の棚にはタイトルを付けて「日本史」「世界史」「思想・哲学」「美術・画集」「建築」「デザイン」「音楽」「写真」などと本を分類する。このタグ用金物は新しく作る予定の本棚の分も含めてすでに用意してある。そして古い本棚には取り付け済である。

家にはあと3つ本棚があるのだがそこにある本もここに移す。料理や服飾の本、コミックが収納してある。また映画のDVDなども当面ここに移す予定である。いまはダンボール箱に入っていて探すのが大変なので。

さて、今日は受注した模型の最終検査で模型屋さんへ行く。ここ2、3日少し涼しかったのが今日はまた暑い。最終確認を終え写真を撮り帰宅後簡単にレポートにまとめてクライアントに送る。あとは来週の引き渡しだけである。

その後ヨドバシに注文してあった最後の機械が届いた。スライド丸ノコという電動のこぎり。取説にざっと目を通して基本操作を頭に入れて、試しに厚さ25ミリ幅250ミリの集成材をカットしてみた。5秒くらいでキレイにカットすることができた。これは結構使える。ただしこれも音は結構デカい。夜間は使えそうもないがまあいいだろう。

スライド丸ノコ


これもやはり台を作る必要がありそうだ。やれやれ。

で、数日後作った。ただしスライド丸ノコは可動部分の寸法をチェックすると今の作業台の天板が手前にあと17センチあればよいことがわかった。そこで今の天板の上に17センチ長い、つまり17センチハネ出すようOSBの板をのせ、そこにスライド丸ノコをのせて使うことにした。もうひとつ、このスライド丸ノコは回転刃をスライドさせ一番奥へ持って行ったとき、少々バランスが悪い。手前の足が浮きそうになる。この手の工作機械は動いてはダメだ。危険なので。浮き防止のストッパーを取り付けることにした。また手前のハネ出し部分に力を加えた時向こう側が浮くのもダメなので奥に差し込みを作りさらにここにはクランプ(写真奥の赤)を付けた。

ストッパーを木工用ボンドで接着し、仮クランプ(手前)で固定しているところ


これら諸々の加工に少し時間がかかり、トータルで2時間半もかかってしまった。だがテーブルソーの台の製作では確実にこのスライド丸ノコが大活躍する予定なので仕方がない。明日、木工用ボンドが固まったら裏側からストッパーをビス留めし完成の予定である。あとは使いながら手を加えればよいだろう。

さて、明日はいよいよ模型会社で模型の引き渡しである。朝9時半に車で引き取りに来てくれることになったので、私は少し早め9時過ぎくらいに模型会社に着いてスタンバイしている必要がある。模型会社は少し遠いので明日は7時前に起きるので今日の作業はここまで。今3時なのでこれから風呂に入って洗濯して乾燥機にかけて寝ると4時過ぎくらいかな。3時間弱しか寝られない。うーん。






2024年8月31日土曜日

マカロニサラダ


台風が来ている。数日前に九州に上陸しのんびり北上しているらしい。時速15キロくらいということはこの台風はママチャリで移動しているということだ。今日はママチャリは紀伊半島あたりらしい。遅い台風というのは通常風はあまり吹かない。だが雨の影響は長く続くので水害や土砂崩れの恐れが高まる。東京は台風の影響でここ数日降ったりやんだりの日が続いている。降ると土砂降りになる。ウチは大雨が降っても心配のない場所だが、買い物にも出かけにくいのが少々辛い。今日の朝食もあり合わせである。

マカロニサラダを作った。

マカロニサラダは超簡単でコツなんてほとんどないが、2つだけは守った方が断然美味いのでココに書いておく。

1つ目はマカロニは塩を少し多めに茹で、茹で上がるタイミングでフライパンでベーコンのみじん切りをカリカリに炒めここに茹であがったマカロニを加えてそのまま一緒に2分ほど炒め、これをフライパンごと冷ましておく。コクがあってマヨネースの量が少なくても美味いマカロニサラダができる。

マカロニ、扇風機で冷やし中

うちではソファのクッションの上に乾いた台拭きを置いてその上にフライパンごと置いて扇風機で風を当てて冷ましている。扇風機を使うと3分くらいで結構冷える。ちゃんと冷まさないとこのあと混ぜたキュウリがすぐに傷む。

冷ましている間にキュウリをよく洗ってスライスする。スライス厚は2ミリくらい。これをマヨネーズで和える。マヨネーズはキュウリとマカロニを合わせた分を先にキュウリに入れてよく和える。そこに冷ましたマカロニを入れて全体をざっくり混ぜる。マカロニには直接マヨネーズはかけない、これが2つ目のポイント。マカロニはどんな形にせよマヨネーズが穴やくぼみに入りやすい。例えば穴に入った分は味はしないのにマヨネースの量だけが増える。だからキュウリと先に和えておく。

最後にゆで卵のスライスを並べる。以上、おしまいである。マカロニサラダはマカロニのゆで時間やら冷ます時間などで時間は結構かかる。30分くらい。だが、茹でているときも冷ましているときもタイマーをセットして書斎で仕事をしているので、実際にキッチンにいる時間は半分以下。なので比較的楽な料理である。

今日の朝食


ソーセージサンドイッチとマカロニサラダの朝食。


ちなみに今は仕事が忙しい。例年この時期は忙しい。9月は上期末なので仕事の締切が集中するからである。

ブログは3D-CGの計算中に気分転換に書いている。だから計算が終わると中断して仕事に戻り、再び計算のときにブログのつづきを書くのだが3回に1回くらい何を書くか忘れるので、そのたびに思考がリセットになっている。なんで忘れるかなぁ?

さて、翌日台風はどうも紀伊半島沖で熱帯低気圧だか温帯低気圧高に格下げになり太平洋を南東に進み本州はその影響から外れたようだ。詳しくは見ていないが、8月末の気象庁の発表では紀伊半島沖からまっすぐに北上する進路予想だった。海水温を見ても気圧配置を見ても北上する予想の理由が全くわからなかった。どう考えても東または東北に進むように思えた。実際には東南に進んだ訳だが、大丈夫かね、気象庁?

さてそんな訳で今日は買い物に出かけた。模型の材料とパンとハム、カミさんは化粧水がほしいらしい。それに支払いも1件あったのでオンラインでできない振込みなので仕方がない銀行でお金を下ろしてコンビニで支払った。

出かけた理由はもう一つあった。3D-CGで店舗の絵を作っているのだが店舗というのは少々やっかいで、窓からお店の中が見える。アパレルにしても雑貨屋にしてもこれをデータで作るのは大変である。現実的ではない、といった方がよいかもしれない。そこでカメラを持って行き、道からウィンドウの写真を撮ってこれを3D-CGでマッピングする。もちろん遠景でしか使えない技である。もっと近い場合はモデリングするしかない。

それで台風一過のフェーン現象だがなんだか知らないが蒸し暑くてどうにかなりそうな中少し歩いて写真を撮った。途中新宿住友ビルの行きつけの甘味処で休憩。その後パンとハムを買って帰った。

マッピング用の写真


うんと小さく使うので、貼り付けてもどこのお店かわからなくなるので、まあいいだろう。この手の写真は店舗などの敷地内で撮影するのはNGだが公道から撮影するのは問題ない。そもそも写真を撮ってはいけませんという法律はないので、それぞれのお店やビルの施設管理基準みたいなローカルルールでダメを出すしかない。ローカルルールなので敷地内しか実行力はないので、公道からの撮影は問題ないことになる。また店舗やビルが著作権や肖像権によって公道からの撮影を禁止することはできない。ただし通行人が個人を特定できるような形で写真に写り込むのは避けた方がよい。まあこんなところだ。ちなみにビルの警備員というのはあまり賢くない人も多いので、この辺の法律などを知らずに「ダメデスヨー」と言ってくることもある。そういうのを相手に議論をしてもムダなので、「ソーデスカー、ゴメンナサイ」と言って立ち去るのがイイ。写真を見せろとか消せなどとは言ってこないので。こういうのはエホバの証人とかなんとかも一緒で、議論するだけムダなのである。「ソーデスカー、でもゴメンナサイ」でしっかり消えてくれる。

知らない人も多いがキリスト教の布教活動の多くは、布教して断られたり怒られたり反対されたり迫害されたりしてそれでもめげずに布教をするのが神様へ通じる道、というのがある。モルモン教もエホバの証人もそうである。彼らは反対され、また、あっちへ行け、と追い払われればそれでけ幸せを感じるのである。お正月初詣の道ばたで「死後裁きにあう」などとやっているのもおそらく無意識にこちらが不快に感じるようにわざとやっているのである。みんな不快に思って、多分布教している私への風当りも大きい、だからこそホレ私はこれを続けるのだ、ということ。どう考えてもこちらに勝ち目は無いのである。だから「ソーデスカー、でもゴメンナサイ」しかないのである。

ちなみに私は断じてアンチキリスト教というわけではない。ロッセリーニの「神の道化師フランチェスコ」なんて好きな映画だしね。





2024年8月30日金曜日

時短で豚汁を作る

 豚汁を作った。仕事がいそがしく、いよいよ料理にもあまり時間がかけられなくなってきた。豚汁はまじめに、つまり丁寧に作るとそれなりに時間がかかるので、手抜きで30分で作ることにした。

まずはゴボウのささがきから。ウチはカミさんも娘も豚汁は大好きだが、豚汁に入っている豚肉はいつも食べずに残す。なので豚肉は少なめ。でもゴボウは大量に入れる。ゴボウは2本使う。これをささがきにする。ぱっぱとやってもどうしても2本で5分くらいかかる。

ゴボウのささがき


ささがきが終わったら水をはり、しばらくアクを抜く。ただしゴボウのアクは別に身体に悪い物ではないのであまり神経質に30分も漬けておく必要はない、5分で十分。

待っている間に豚バラ肉を鍋で炒める。ウチは肉の量は少なめ。炒めながらこんにゃくと油揚げを切る。

ゴボウとこんにゃくと油揚げ


豚バラ肉がある程度火が通って油が出てきたらこんにゃくを加えて炒める。豚汁で大切なことは豚肉、こんにゃくを炒めること。これをせず茹でては台無しになる。炒めている間に油揚げをお湯でちゃっちゃと洗い軽く油抜きをし、これも鍋に入れて炒める、ただし焦げつかにないよう気をつける。これにゴボウを加えてさらに3分ほど炒める。

豚バラ、こんにゃく、油揚げを炒める

ゴボウが少ししんなりしてきたところで「ほんだし」をパラパラと振りかけさらに炒める。次にやかんで沸かしていたお湯を鍋に加えてフタをし煮る。

フタをして煮る


煮る時間は3分くらいでよい。その前に炒めているので火は通っている。煮ている間に大根を短冊状に切って水にさらしておく。3分もさらせば十分。

だいこん


大根を鍋に入れる、つまり大根だけは炒めない。柔らかくなりすぎると美味くないから

大根も入れる

これで具材は全部入ったので中火であと2分くらい煮る。煮ている間に味噌を用意する。いったん火を消し味噌を溶く。

味噌を溶く

ふたたび火を付け煮立つ直前で火を消して完成。ま、だいたい全部で30分。ただし豚汁で忙しいのは初めの15分で、残りの15分は手を動かす時間は少ない。そこでその15分を使って別の料理を作る。今日は豚肉の生姜焼き。これはカミさんも娘も好きでよく食べる。

熱して油を回したフライパンに豚バラを放り込んで少し炒めてから追いがつおつゆをかける。ザルを重ねた片手鍋に肉を空けて、片手鍋に肉汁を落とす。

肉をざるに空け汁を切る


このとき、肉には火が通っていなくてよい。片手鍋にたまった肉汁をフライパンに戻し、ごま油とザラメと濃い口しょうゆを加え煮詰める。肉を入れたまま煮詰めると肉はどんどん硬くなる。だから汁だけで煮詰める。

肉汁とごま油、ザラメ、しょうゆを煮詰める

これくらいまで煮詰める。そこにザルに空けておいた肉を戻し肉汁を絡めながら炒める。最後に細く千切りにしたショウガを振りかけ混ぜずに火を止め皿に盛る。

細切りのショウガを振りかける


豚肉の生姜焼きは肉汁が出てきたところでそのまま肉汁が蒸発するまで焼くと肉が硬くなり味もしみこみすぎて今ひとつになる。肉汁だけ煮詰めたところに肉を戻すのがポイント。ショウガは煮汁で煮詰めない。最後にパラパラとかける。

今日はこれと先日食べきれずに残ったギョウザをフライパンで焼く。ギョウザは一度に48個つくるので余るので余るときは結構余る。今回は16個余っていた。これをテフロンのフライパンに並べて火にかけ、水をコップに半分入れてフタをし、水分が蒸発してから少しチリチリいうまで焼けば終わり。なので豚汁、生姜焼きと平行して料理できるし火にかけたあとは放っておいてよいので手間はほとんどかからない。

というわけで、豚汁と生姜焼きとギョウザの簡単夕食。かかった時間は全部で30分ちょっとかな。


最近ネットで夫婦共働きで食事の準備、つまり料理も交代にしているが、夫が当番だと下手でまずいのが困る、という記事を読んだ。これに対して作ってくれるだけイイと思いなよ、みたいなリアクションがあったりして、なんかウンザリしてしまった。なんともレベルの低いハナシと感じてウンザリなのである。文句を言う奥さんにウンザリ、料理のできないような夫にもウンザリ、そして作ってくれるだけマシというオーディエンスにウンザリなのである。そもそも料理なんてそんなにむずかしいものではない。何もプロになろうというのはない。家族みんながおいしいねといって食べられる料理を作ればいいのだから。簡単な料理から始めてまずは馬鹿の一つ覚えみたいになってもいいので工夫しながら徐々に良くしていけばよい。例えば肉じゃがとか豚汁なら5回も作ればそこそこ上手くなるだろう。ただしいつも考えながらそして覚えながらそして何より楽しみながら作ることだ。1日働いて疲れているなんて言い訳はしないことだ。立ち仕事で疲れているなら座って料理する方法を真剣に考えればいい。こういう時すぐに「だって・・・だから」などと言う人は何をやってもうまくいかない。料理に限らず、楽しむ方法を考えてコツコツと続けられる人がうまくいくのだ。




2024年8月26日月曜日

写真の理論について(後編)

前編では当時を思い出しながら写真撮影、私の場合は主に「花」と「女性ポートレイト」だったが、いくつか当時の写真を紹介しつつ同時にいろいろ考えていたことを書いた。

「花」と「女性ポートレイト」での撮影は、花は人格を持ったポートレイトのように撮り、逆に「女性ポートレイト」は人格を消し去り「花」のように撮ることが多かった。これは物を人のように、人を物のように、と取られがちだがそうではない。例えば「花」は物語を意識すると少なからず花と言葉を交わすような感覚が必要で、実際に話しかけたりはしないが、イイ表情を探しながら光をコントロールする作業に注力した。「女性ポートレイト」では表面的な人格の「現れ」を嫌い、それが消え去るまで根気強く待ったりした。一般によくある女性アイドルの写真集なども買ってみて、反面教師としたのを覚えている。たしか今でも図書室にあるはずだ。ただし反面教師として見るつもりだったのが何枚かはむしろ参考になるものもあったりして、それはそれで悩まされた。「これはアリ?」などと問いながら・・・

さて、後編は「オリジナリティと反復」の私の朱書きのテキスト起こし。

なお、テキスト起こしに際し、その内容は変更しないが用語や文章に若干の捕捉と置換えを行った。

オリジナリティと反復


本来写真はインデックス(指標)として、「どこか」で「いつか」おきた現実の事象とつながっていた。

そのままでは「記録」であり、「作品」となりにくい→作品性の付与が必要となった。

「テクストの追加」又は「コラージュ化」(作品に対する撮影者の意思を加える)

疑問-1

撮影される対象の選択、切り抜き(フレーミング)その他撮影要素は芸術作品としての「力」を持ちうるか?

回答-1(yes):

持ちうる場合も当然ある。例えば白川義員の写真など。

誰も行かない、行けないところに行って写真を撮ることによって、その写真には明確な撮影者のメッセージが付加される。

回答-1-1、ほんとうに誰も行けないところに行く。月でも火星でも南極でもヒマラヤでも

回答-1-2、被写体は特別ではないが、それを誰も思いつかないような方法で撮影する。

1-2a:被写体に何かを加える→考えられない組合せなど→被写体と○○のコンビネーション(炎、水、空気、無・・・・)→意味性(美、はかなさ、死、永遠・・・)後述のコラージュとつながるか。

1-2b:被写体の持つ新たな一面をさらけだせる→被写体を切り開く(隠された何かを引き出す)→見えなかった何かを見せる

1-2c:被写体を違うものに見せる(トリック)


回答-2(no):

持ちにくい場合もある。花の写真、ポートレートなど→ではこれらの写真にどうやって制作者(撮影者)の意思を付加するか?

回答-2-1、構成的編集、コラージュ、A+B+Cでで意味性を持たせる。またはA→B→Cでストーリー性を持たせる。→わざとらしい?

回答-2-2、テクストの追加、つまりダイレクトにメッセージを追加、例えば写真にテクストをオーバーラップ、例えば写真にテクストを添える、例えば写真の中にテクストを写し込む、例えばテクストと同等の効果のあるものを写し込む。→芸がないだろうに、でも物語は?

回答-2-3、絵画的手法の導入、絵にしてしまう。例えば絵画的色使いに変えてみる(フィルターワークやソラリゼーションなど)→安直?、例えば絵画的構成で被写体を構築する(絵画的構成、イコノロジーの分析、テーマは歴史的テーマ、オーナメントスタイル)→うーん、しかしここかな。これを基本に他をちりばめるか?


以上である。

まあ若かったというのもあるが、理論的詰めの甘い部分もあるが、実際の撮影とリンクしていたのがわかる。ただし撮影の時はこのメモを見ながらなんてことはせず、割と自由に遊んでいた。つまり理論をそのまま実践しようとは全く思っていなかった。だから実際の写真は時間が時々逆戻りしている。

このような理論と実践において、理論が先行しそれを忠実に実践してもまずうまくいかない。実践が先行してこれに理論をかぶせようとするのもダメである。

理論は理論で徹底的に考え、実践は理論をある程度忘れて望むのがよい。ただし徹底的に考えた理論であれば、それは少なからず実践に影響を及ぼす。ここが大切だ。理屈づけに奔走するのではなく自然に理論の一部が取り込まれる状態にしておくことだ。だから理論の部分は常に考え続け、そして時々これを書き留める。書き留めることで例えば漠然としたイメージを言語化することになる。これらが実践のときに良い感じで発動しアクションに結びつくのである。「理論なんて無駄」というわけでは断じてない。

よく学校で習った微分や積分なんて将来何の役にも立たない、なんてことを言う間抜けがいるが、そうではない。微分的または積分的ロジックが少なからず役に立つのである。例えば微分的に傾向を把握し積分的に予測するとか。それと同じである。

ついでに書くとテスト前の丸暗記でなく、このように学習した場合、その後の人生においても今回書いたような「理論と実践」的な活動においてかなり役に立つ。

さらに言えば、こういう経験を重ねることで、学ぶこと、そして考えることが衣食住と同じくらい生活の基本であると感じるようになるのである。私はそう信じている。

さて、写真に戻ろう。このように理論と実践を交互に写真を撮ってきたのだが、撮影は苦悩の連続でもあった。だが同時に楽しかった。

書斎には当時撮影した女性ポートレートの額装や絵はがきサイズにプリントした写真が飾ってある。写真は撮ったら撮りっぱなしというのは最悪だと思っている。ハードディスクにタイトルと日付で整理してその中に入れておしまい。これでは何にもならない。数枚選んでインスタやFBというのは少しはマシかな。だがそれも不十分だ。もったいないからである。

自身で撮影した写真を自身でじっくり眺めることが、ステップアップのために重要なので次につなげるためにも、ここはテキトーはダメである。

デスク脇の絵はがきサイズプリント


私がプリントにこだわるのはコレが理由のひとつだ。プリントして額装し貼ってあれば何千回何万回と眺めることになる。たとえばクローゼットの近くにある写真は服を着替えるたびに眺めることになるし、仕事机のヨコの写真はもっと眺める頻度が高い。私のようにポートレイトを飾れば、女性アイドルの写真みたいなのはまず飾らないだろう。ツマラナイから。では何ならオモシロイのか?それを考える。この考えるキッカケ、「思考の信管」が全ての創造の源であり、写真においては直接的に最も効果的に体現できるのであるから、それをしないという手はないのである。

以前、小学生だったかな、家に本の少ない子供は学校の成績が悪い、と書いた。これは批判もあろうが事実(アメリカでの調査結果)である。

これは本を読まないようなバカな親の子供は遺伝的に親に似てバカが多い、なんてことでは全くなくて、本というのが人間を知的探求へ誘導するメタファとして1439年以降現在に至るまで機能しているからであり、空間に本があることで、「思考の信管(トリガー)」が作動し知への探求へ促されるからである。本にはその佇まいだけでもそんなチカラとミリョクがあるのだ。だがそこに本棚がなければこうした意識の発動が起きず、つまり何も始まらないか、または始まりにくいのである。知への探究心を欠いた子供の成績が良くなるわけはないのである。

写真も飾ることでその写真が「思考の信管」となるのである。

アイドル写真のような「ポートレート」や植物図鑑にありそうな「花の写真」、信用金庫のカレンダーのような「風景写真」・・・・

そうではない何かがほしくなるための「思考の信管」である。




2024年8月25日日曜日

写真の理論について(前編)

 ロザリンド・クラウス著「オリジナリティと反復」に私が朱書きした最後の項目についてテキスト起こしをすることにした。

写真理論についてのメモ(朱書き)


前回、1990年代のおそらく後半のものと書いたが、もっと新しいことがわかった。おそらく本を買ったのは1990年代の遅くまたは2000年代の始めで、そして読み始めたのはしばらく後でおそらく2008年頃であろう。なぜならこの本を読みながら理論と実践を交互に繰り返していたことを思い出したからである。当時どんな写真を撮っていたか当時の「花」と「ポートレート」写真を見返してみた。

当時写真の題材として「花」と「女性ポートレート」を主に撮影していた。被写体に「風景」が含まれていない理由は、照明や演出によって物語性の付加ができないと考えていたからだ。

今日はまず、その頃撮影した花の写真をいくつか紹介する。

「Cala」 Ricoh GR digital f2.4 SS1/100 Jan.2008.


「Cala」 Ricoh GR digital f2.4 SS0.3 Jan.2008.


「Tulip」 Ricoh GR digital f2.4 SS1/400 Jan.2008.




「Tulip」 Ricoh GR digital f7.1 SS1/60 Jan.2008.




Melancholy」 Ricoh GR digital f7.1 SS1/320 Dec.2008.





無題」 Ricoh GR digital f5.6 SS1/30 Dec.2008.



カメラはGR digital、ただし元祖GRである。画素数は600万とあったが1/1.7インチセンサーなので実効解像度は300万〜400万画素といったところだったと記憶している。また、RAWはかろうじて撮影できたが1枚撮影するごとにインターバルで10秒待つ必要があった。今から考えると信じられないような仕様だった。しかしながらレンズ先1.5センチまで寄れる「広角マクロ」という特異な画角が「花」をあたかも人格を持つように撮影するという私のスタイルに合致し、しばらくの間愛用した。

撮影では透過光にこだわった。透過光によって花は言葉を話し始めた。そしてその考えをさらに発展させることができないかを常に考え続けた。

そのひとつの答えが「Brazing Flowers」だった。

Brazing Flowersより」 Olympus E-420+3535Macro f5.0 SS1/6  Apr.2009.






Brazing Flowersより」 Olympus E-420+3535Macro f3.5 SS1.3  Apr.2009.






Brazing Flowersより」 Olympus E-420+3535Macro f4.5 SS1/5  Apr.2009.





Brazing Flowersより」 Olympus E-420+3535Macro f5.6 SS0.5  Apr.2009.



Brazing Flowersは花の儚さと美しさを同時に表すものとして当時夢中になって撮影した。花はしばらく部屋に飾って、捨てる直前に撮影した。それでもネットでは「かわいそう」などと言われたのを思い出す。「だから捨てる前にだってば」と言ってもムダだった。またBrazingFlowerの前、花を毎日枯れ果てるまで撮影し続けることも試した。枯れた花はもの悲しく、そしてBrazing Flowersとは違った美しさを持っていた。

枯れた花」 GR Digital f7.1 SS2.0  Mar.2008.




これも批判があった。わざわざ枯れた花なんて、という批判だ。だがこれはこれで美しいというのがわからないのだろうか、と感じた。ネットの批評とはこの程度と、このとき以来批判は一切無視することにした。だがこの枯れた花は単にドライフラワーであり、批判もとんちんかんだが、表現としても大したことないものだった。

そして、こうした実践と理論を同時に進めることで何か新しい物ができると信じていた。

さて、本題に移る前にもう少し当時の写真を。今度はポートレート。
ポートレートでも花と同じような考え方で撮影を始めた。だが、光は透過しないし見えない人格を引き出すような手法はそのまま使えない。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、そんなことで悩んだあげく普通の芸のないポートレートやphotoshopでのレタッチに新しい表現の活路を模索した。

無題」 GR Digital f2.4 SS0.5  Jul.2008.




こういうのもアリかなと思いながら、同時にどうも違うというのもわかっていた。

花のように炎というわけにはいかないので、かわりにシャボン玉を飛ばしてみたりした。

シャボン玉ポートレート」 Olympus E-420+Sumi25 f1.4 SS1/60  Nov.2011.




とにかくこの当時はいろいろ試した。これはポップアート表現
POP」 Olympus E-420+Sumi25 f1.6 SS1/40  Sep.2009.






Apple」 Olympus E-420+Sumi25 f1.6 SS1/40  Sep.2009.





「」 Olympus E-420+Sumi25 f1.4 SS1/40  May.2009.





「ランタン」 Olympus E-420+Sumi25 f2.8 SS1/80  Jan.2012.





総じて女性ポートレートでは花と違って、自分の撮影スタイルを決めずに何度も行きつ戻りつでトライアルを繰り返した。2008年から2012年頃にかけて約5年間くらいだろうか。そして見えてきたのが「物語」と「磁場」だった。

被写体の本来持つポテンシャルに頼らず、物語とその周辺に発生する磁場を捉えることが、私のポートレート写真のスタイルになった。
また、基本カメラ目線の写真はほとんど撮ることをやめた。これはカメラ目線は視線が勝ってしまってどうしても被写体の周りに磁場が発生しにくいからだった。
上の写真は光そのものを被写体と同格に扱うことで新しい表現となるかもと撮影したのだがカメラ目線でその目論見は薄らいでしまった。こういうことは撮影の時ではなく現像してコーヒーを飲みながら眺めているときに気が付くことが多かった。


「鏡」 Olympus E-420+Sumi25 f2.2 SS1/60  May.2010.






「  」 Olympus E-420+Sumi25 f1.8 SS1/125  Apr.2011.





「  」 Olympus E-420+Sumi25 f2.0 SS1/205  Feb.2011.






「  」 Sigma DP2m f2.8 SS1/13  Nov.2012.






「  」 Sigma DP2m f4.5 SS1/125  Dec.2014.






「  」 Sigma DP2m f2.8 SS1/60  Oct.2014.






「  」 Sigma DP2m f2.8 SS1/13  Apr.2017.