2024年8月14日水曜日

お盆休み、写真表現の探求とアンドレ・ブルトン

 今日は月に一度の通院の日、実は仕事が忙しく伸ばし伸ばしになっていたが、今日も決してヒマというわけではないのだが、お盆でクライアントからはメールも電話もないし盆明けからはまた忙しいだろうから今のうちに行くことにした。毎日ほんとうに暑い。クリニックへ行くときは、待ち時間に本を読むことにしている。今日はロザリンド・クラウス著「オリジナリティと反復」を持って行った。確か1990年代後半に読んだ本である。

オリジナリティと反復



当時、私は写真の芸術性や表現手法について研究していて、この本もその参考として読んだのを覚えている。本にはあちこちに当時の書き込みがある。今日はその書き込みを中心に目を通した。書き込みから当時かなり真剣にそして必死に考えていたことが伺える。自分で言うのも何だが結構イイことも書いてある。少しだけ紹介しよう。

ちなみにこのタイトル「オリジナリティと反復」というのは邦題としてどうなのだろう、原題は「The Originality of the Avant-Garde and other Modernist Myths」である。当時私も不可解に感じ、「前衛や現代美術におけるオリジナリティについて」の方がよい、と朱書きしてある。今ならもう少し気の利いたタイトルを考えるかな。

さて、これは前書きが終わり、第1章の扉に書いてあったメモ。



こう書いてある。
グリッドは近代において象徴と神話的機能を有し、相矛盾するこれらの領域を制御するマザーシステムとして働いた。芸術と精神を統合し、制御することができるものとしてグリッドは長い間モダニズムの構造であった。

モダニズムはキリスト教の神に代わってグリッドやスピードの中に神を見いだした?
現代は神の不在ではなく、神の置換えによって機能している?
意識によって作られるものを排斥し、意識そのものに働きかけることを重視したのも、そうした置換えが行われたから?
以上が右ページのポストイット、続けよう。
構造主義(静的構造)
・研究対象を構成要素に分解し、要素間の関係を整理
 類似する他対象との共通点を探るメタ的アプローチまたは関係
・言語や表現などが形作っている構造に着目
 顕在的な現象と潜在的な既定条件としての関係性を扱う
・要素還元主義を批判、関係論的構造理解を重視
 (1つの要素は他のすべての要素との関係において相互依存的に決定される)

これらとはちがうアプローチ
・元型アプローチ(元型が対象の中でどのように用いられているか)
・機能主義的アプローチ(対象が社会に対してどのような機能を持つか)

ポスト構造主義
・構造そのものが生成され変動するという視点に立つ

まあ、この辺は90年代の流行のさらっとしたまとめ。ちょっとなつかしい。

少しページをすすめて、第1章5節の「シュルレアリスムの写真的条件」の扉


写真が表題もなく1枚存在する場合
 それはインデックスとしての性格を持つ写真としての一面性となる→91ページ
転じて写真がテクスト又は表題の影響を受けて、単に写っているものではなく、
 「写っているもの」+「テクスト」で、例えば「社会的傾向」などが表現されるとき、写真はインデックスではなく、フォトモンタージュ(ひとつの特別な種類の芸術)となる。

うーん、ここは少し読みが浅いというか著者に引っ張られているなぁ。確かにシュルレアリスムは言語表現の芸術だったけどね。ダダも含めてね。
もう少し詳しく書くと、日本ではシュールレアリスムとはシュールなリアリズムとして現実離れした風景をレアリズムつまり写実的に描画する絵画という独自解釈が先行し、ダリのぐにゃりと曲がった時計の絵こそがシュールレアリスムであるとの説が定着した。だが、ブルトンが1924年に出版したシュールレアリスム宣言は全く異なる。ブルトンは文学において、それまで主流であった「その場の空気を表すためだけのだらだらと続く描写」をすべてやめ、それが「登場人物に何らかの決定的意思や経験としてもたらされる事象のみを機械的に綴る」ことを文学として重視した。そしてそのためにはアンシャンレジュームと決別し、自身を受容体として常に高感度に保ち、できごとを思い返したり要約したりまたはそれがどういうことなのかなどと考えるまもなく記述していく、それをシュールレアリスムと呼んだ。

ブルトンの本



「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」と彼の代表作「ナジャ」そして後年出版されたブレッソンの写真集「太陽王アンドレ・ブルトン」この中でおもしろいのは「ナジャ」かな。「太陽王アンドレ・ブルトン」なんてブルトンだし写真はブレッソンだしと期待は高まるかもしれないがはっきり言ってツマラナイ。ブルトンはこのときすでに65歳となかり高齢でほとんど意味不明、ブレッソンの写真もそのほとんどがサエない。この本で最も良い部分はシュルレアリスムは「無意識と偶然の瓦礫のなかを意のままに探求していくことを教えてくれた」という実に洒落た一文だけかもしれない。写真も65歳のブルトンは太陽王と言うよりはむしろ偏屈王で、詭弁踊りでも見せてあげたい。ここはやはり若い頃の写真の方が1万倍イイのである。

アンドレ・ブルトン(ちょっと恣意的すぎるきらいもあるが好きな写真)




マン・レイの写真集にあるブルトン(マン・レイもブルトンも遊んでいる)


さて、「オリジナリティと反復」の朱書きに戻って続けよう。



これは第2章4節の扉に書かれたメモ
ここでは本書にインスパイアされつつも本書を離れて私自身の持論をグリグリ展開している。本書にはこれら以外にもたくさんの朱書きがあるが、なんといってもここが一番おもしろかった。若い私が精一杯努力して、新しい表現をなんとか見つけ出そうともがいていた時期のロジック側の展開である。ちょっと文章起こしに疲れたので、今日は画像の貼り付けに留めるが、ポートレート写真、花の写真と当時の私の理論的側面がここに結実している。
ヒマを見て少しずつ文字起こししていこうと思う。




さて、診察を終えてクリニックの帰りにデパ地下でハムとベーコンを買い、近所のスーパーマーケットでもいろいろ買い物をして帰った。暑い時間はデパ地下もスーパーマーケットも比較的空いているのでよい。
帰宅後みんなで昼食を食べる。
今日もサンドイッチ。ウチは家族全員パンが好きなので米の飯よりパンの方がみんな喜ぶ。もちろん私もパンの方が好きである。ただしスーパーマーケットのパンはほとんど買わない。ごくごくたまにタカキベーカリーというメーカーのパンを買うくらい。打合せなどで出かけるとデパ地下などでパンとハムやベーコンを買って帰る。だからお盆中のように出かけることがないとパンが食べられない。真夏でなかったら散歩がてら買いに行くのも良いが、連日こう暑いと足が遠のく。今日はクリニックの帰りに寄れたので家族みんな幸せである。



デパ地下で買ったクルミパンにレタスとハムをはさんでサンドイッチ。あとコーヒー。ただし今日は暑い中少し歩いて汗もかいたので、キンキンに冷えた炭酸水もうまい。コーヒーを飲んだり炭酸水を飲んだり。
クルミパンにしたのはオーブントースターを使いたくなかったから。ウチは古い家なので、ダイニングキッチンは冷房の効きがすごく悪い。だからなるべく熱源を使いたくなかったので。パン屋で買ってきたクルミパンはトーストしなくても十分美味かった。ま、厳密にはコーヒーを淹れるのに湯を沸かしたけど。最高の昼食のあとは書斎で仕事。だが待てよ、久しぶりに仕事の環境チェックをしておこう。忙しいとは言えお盆休み中なので少しだけ自分自身のための時間を取りたい。だから「まてよー」と考える。

さて、今日は黒板から。
黒板には何も書かれていない。毎月、月初めにi-phoneで写真を撮ってから全部消して掃除をし新たに書き直すことにしているのだが、今月は忙しかったので今日になった。月に一度だけぞうきんで水拭きする。黒板は水拭きすると表面が傷むので水拭きは最低限にするほうがよい。ウチはだいたい月に1度である。

黒板


この黒板はすごく気に入っている。何より好きなのはチョークを当てたときのカチカチという感触である。

次にMacの机。

Macの作業机

朝、薬を飲んだときの水の入ったコップが置いてある。左端には薬も見える。うーん。ちょっと考えよう。

次、サイドデスク。

サイドデスク

毎回サイドデスクにはうんざりさせられる。よし、この盆休み中にここだけは何とか手を打とう。確か前回もここは何とか・・・と言いながら結局何も変わっていない。ダメである。

最後に作業机。


作業机


仕事の途中で試しプリントしたものが置いてある。少し気になる点もあるが、まあここは今回はパス、サイドデスクを重点的に改善しよう。


その後、サイドテーブル回りの改良が終わった。飲み物のピッチャーとグラス、夜中時々チビチビやっているグレンリベットのボトルなどをテーブル下に棚板を付けてそこに移動した。飲みかけの薬や書きかけのメモ用紙は簡単に取り出せるキャビネットの引き出し最上段に。電話機もテーブル下に移動。メモブロックは量を減らしテーブルライトのベースの上に置いた。これでだいぶすっきりした。もちろん仕事の時はここにファイルやらメモ用紙やら色見本帳などが置かれることになるが、それは全く問題ない。

サイドテーブル(改)





2024年8月11日日曜日

ペーパー裁断機とテーブルソー

 毎日かなり暑い。先日工房に冷房を付けたので今年はこの時期でも快適に作業することができる。冷房のおかげでペーパー裁断機のワゴンもほぼ完成し今はニスの臭いが飛ぶまで工房に仮置きしている。工房に冷房を付けた理由はこのワゴンのためではなく新規に受注予定の模型の製作のためで、まだ正式に受注はしていないが、事前に模型屋さんから取った見積もりが完全に予算オーバーで、仕様を多少変更しても予算内に収めるのが難しいことが明らかなので、ウチで製作することになりそうだからである。実は冷房を付けたのは少し前で、正確にはウチで製作となっても慌てずに対応できるようにしたということだが。仮に模型屋さん製作となっても7月〜9月の3ヶ月間工房が使えないのは辛いので、これを機にと考えた。

さて、今日は打合せで飯田橋に行った。簡単なリーフレットと展示会用パネルの制作の打合せ。暑いがジャケット、ネクタイで出かける。私はノーネクタイやノージャケットが嫌いで、気温が30度を超えようが35度を超えようが必ずジャケット、ネクタイで出かける。以前会社で働いていた時も1日中ジャケットを着て仕事をしていた。周りが全員ワイシャツノーネクタイでホーチミンかハノイにいるみたいになっても一人でジャケット、ネクタイで通した。ネクタイやジャケットなしではワイシャツというものは機能しないと考えていたからで、ジャケットやネクタイが嫌ならYシャツではなくブラウスを着ればいいのに、と思っていた。今でもそう思っている。ちなみにアロハやかりゆしでもよいが私はシャツをズボンから外に出すのが露天のインチキおじさんみたいに見えて嫌いで、ダサいと言われようが何と言われようがズボンの中に入れて着る。そうね1950年代のアメリカのファッションかな、マーロウとかガタカとか、ね。ああいうのが好きなのである。これはもちろん自分自身のことで他人のことは気にならない。でもゆるゆるのTシャツにすねの出る短めのパンツ、それにサンダルやスニーカーというのは見るのもあまり好きではない、近所のゴミ捨てじゃあるまいし・・・。

さて、打合せから帰ってしばらくすると今度はテーブルソーが届いた。夕食後開封し組立て、そして簡単な動作確認をした。ものすごい轟音でこれは夜はちょっと使えそうもない、まるでジェットエンジンである。まあ仕方がない。

テーブルソー


ペーパー裁断機のワゴンはニスの臭いがしなくなったので、書斎に持ってきて裁断機を置いてみた。普段は下段に置き、使うときに天板にのせる。

ペーパー裁断機


ペーパー裁断機は重さが17キロもあるのでどこかにしまっておいて使うときに持ってくるのは大変なのでこの方式にした。この裁断機、手がかりがないので持ち上げるのはちょっと面倒だが仕方がない。少し加工して持ち上げるためのハンドルを付けるのもよいが、それほど使用頻度は高くないので今のままでよいだろう。今日は試しに少し紙をカットしてみた。B4サイズの厚口色上質紙からメモブロックを切り出してみた。以前はカッターナイフを使って4〜5枚ごとにカットしていたので、B4サイズ100枚からメモブロックとして600枚切り出すのに1時間くらいかかっていたが、裁断機を使うと3分で終わった。

メモブロック

メモブロックを切り出しながら、機械の癖や力のいれ加減、さらにストッパーの効き具合などを確認する。メモブロックは失敗しても使えるのでここで十分検証しておく。

その後、印刷所に注文してあった絵本300部が届いた。そう、先日紹介した絵本の印刷が決まったのだ。ちょっと驚きだったが予算縛りが厳しいのでいつもの印刷所は使えずネットの印刷を依頼した。だが費用が安い分サイズは定型に限られる。そこで裁断機を購入し手弁当でカットすることにした。で、届いたのでさっそく加工することにする。

印刷所から届いた絵本

20センチ角にカットするので上下約5センチ(正確には48.5ミリ)と小口側も1センチカットする必要がある。通販でも特注サイズに対応してくれるところはあるだろうが、今回選んだ印刷所は定型のみだった。メモブロックで練習してあったのでスムーズに作業できた。全部で1時間くらいを想定していたが失敗するとたいへんなので丁寧に作業し、2時間ちょっとかかった。

裁断機でカットしているところ

この裁断機、ダイシン商事のDS-858A4という機械だが、値段は2万円弱にもかかわらず性能はとても満足している。重量があるので安定しているが、そこが利点でもあり欠点でもある。つまり使っているときは重量があり安定し使いやすい。びくともしない。だが仮に使用後どこかに収納しようとするならこの重さと手がけのない形状に困るだろう。

私個人的はとても気に入ったので点数を付けると80点くらいだ。満点でない理由は重量ではない。固定ハンドルとプラカバーのためである。固定ハンドルはまあまあよくできてはいるのだが、2時間の通し作業では少々手に負担が大きかったこと。プラカバーは透明でよかったのでは、青は暗いとちょっと見えにくい。あと裁断のためのレバーは差し込み式なのだが少々ゆるゆるでもう少しサクッとはまる方がよいだろう。まあどれも細かなことだが。

絵本、裁断前(左)と裁断後(右)


梱包完了


さて、裁断機のワゴンはその後工房で余っていた棚板をカットし中間棚も取り付けた。これで完成である。中間棚にはシーラーとラミネータを置くことにした。シーラーとはビニール袋をニクロム線で熱し封をしながらカットする機械で、シュリンクフィルムを使えばドライヤーやヒートガンを使ってぴったり包装することができる。ラミネータはA3サイズまで可能な大型である。どちらも使用頻度は低いが、結構かさばる機械なので置き場に困っていた。これで解決である。両方とも箱は捨てて布地でホコリよけのカバーをかければいいだろう。


裁断機を下に、その上の中間棚にラミネーターとシーラー




2024年7月25日木曜日

60年代後半〜70年代初めのロック

 この時期、つまり梅雨が明けて(実際にはまだ明けていないが連日35度の猛暑で夏の盛りである)暑いこの時期、仕事をしながら聴く音楽、ひとつは先日紹介したグラナドスのピアノ曲、そしてもう一つは60年代後半、70年代前半のロックである。ピンクフロイドやイエス、フリートウッドマックなど、学生時代にレコードやカセットテープで聴いていた音楽。ただし60年代後半なんてリアルタイムエイジではないので、録音されたものを聴いていたので、そういう意味では今の若者と変わらない。

もうリアルタイムエイジな人たちはみんな壊れかけの爺さん婆さんである。

でもかまわない、ジリジリと暑い日は学生時代の夏休みを思い出させ、その頃聴いていた音楽を懐かしく思う。お金はなかったけど楽しかった。

村上春樹は小説でドアーズとかヤードバーズなどを登場させ、その時代を感じさせる手法をとっている。だがこれは実はドアーズもヤードバーズもロクに聴いたことがない世代に対しての方便でもある。そしてその方便の使い方がすごく上手いのが彼の小説である。誰も彼も「そうね、そんな時代だったね」と感じる嘘の付き方である。人は真実でつながるより、嘘でつながった方が強い、つまり共感できるというのを上手に使った手法である。

だが、実際にドアーズなんて聴いたことある人、多分相当少ないが、そういう人には「ちょっとこの空気、違うんでは?」となる。そうなった途端彼の小説は耳障りは良くても、どこか表面的で、微妙な違和感が残るのである。そんなわけで最近はほとんど読まなくなった。

ドアーズのどの曲を聴いてもあの頃のあの夏の雰囲気はない。基本ポップなロックバンドだからで、「ジリジリ感」がないからである。そこが違和感のもとであり、何度聴いても「これかなぁ」となるのである。

Doors、Light my fire(YouTube)


こういう音楽は結構多い。つまりイメージと実際が乖離している例。

他にもストイックなロックバンドがお気軽ラブソンググループになってしまった例もある。例えばフリートウッドマック。このバンドが有名なのは大ヒットアルバム「Rumore」に寄るところが大きい。だが私の好きなフリートウッドマックは違う。「Rumore」のポップバンドではなくリズム&ブルース「English Rose」のフリートウッドマックである。「ジリジリ」とした夏の空気がそこにある。

English rose (YouTube)

Freetwood Mac「English Rose」 


こういう例は他にもまだある。

たとえばイエス、有名なのはポップバンドYESの「ロンリーハート」だが、夏のジリジリとは無関係だが、プログレッシブロックバンドYESの「Close to the edge」や「Fragile」の方が何倍もいい。

YES



シカゴもポップバンドでの「素直になれなくて」ではなくブラスロック時代のシカゴ「長い夜」。

長い夜(YouTube)


ピンクフロイドも「ザ・ウォール」以降のピンクフロイドではなく、「神秘」や「雲の影」のピンクフロイドで、PULSEではなくポンペイライブのピンクフロイドである。

ポンペイライブ(YouTube)

Pink Floyd 「Umaguma」


ついでに書かせてもらうとイーグルスの「ホテルカリフォルニア」なんて大嫌いだし、ツェッペリンの「天国への階段」もダメ、聴く気にならない。ションベン臭いから。

イーグルスはさておき、ツェッペリンは好きなバンドなので時々聴く。1stアルバム、2ndアルバムがダントツにイイ。ライブ盤のHow the west was wonのDaze and cofusedも大好きである。3rd.アルバムでうーん、4th以降はPresenceも含めてどうもねぇ、なのである。これ、いわば当たり前のことと思っていたのだが、そうでもないらしい。4thアルバムのBlack Dog 、Rock and Roll そして天国への階段とかいいよね、という人結構多い。ふーん。Rock and Rollなんて高校の学園祭レベルだと思うんだけどね。曲の最後のドラム、聴いてみなさいよ、何よコレ!とか思う。ジョンボーナムのドラムはね、こんなのではないのだよ、と。そうね、たとえばこれを聴けばわかる。

ちなみにAORなんて死んでも聴かない。演歌や歌謡曲と同じくらい聴かない。つまり全く興味がない。

このように書いてくると、今まで音楽の趣味の合う人とはほとんど出会わなかった。映画もそうだ。しかしそれでいいと思っている。

さて、その後カミさんと炎天下の下近所のスーパーマーケットに行くとき、梅雨の話になったら「あら、とっくに梅雨明けしたわよ、先週だったかな」と言われた。知らなかった。





2024年7月16日火曜日

デザインのこと

模型製作の仕事は、試作模型ができあがったのでクライアントのオフィスへ持って行き、確認の打合せ。軽いが大きくてかさばるので地下鉄で運ぶので打合せは朝夕の通勤時間を避け、昼すぎにしてもらった。模型は好評でおそらくそのまま仕様は変えずに本製作になる見込み。さてどうやって作るか・・・

その翌日、新規の仕事の相談で遊園地に下見に行く。夏休み前の平日の遊園地は外国人が圧倒的に多い。気温は一昨日より若干下がったとは言えかなり蒸し暑い。帰宅して熱いシャワーを浴びて、少し横になって休む。バテたので。

以降、今日まで缶詰になって仕事をしている。ただし昨日と今日は少し涼しかったので工房にエアコンを取り付けた。一体型の安いエアコンである。本体が確か5万円くらいだった。取付工事は自分でするのでかかった費用は本体購入費用だけである。


冷房機を付けた壁は工房改修時に設置した壁で以前勝手口があった。冷房をつけるときは玄関から出て外を回って勝手口を開け、廃熱を逃がしてやる必要がある。少々面倒だが冷房のない工房で夏場は作業できないので、それに比べれば勝手口を開けに行くくらいどうということはない。そのうち冷房機の排熱口部分だけ扉をカットしてわざわざ開けなくてもよくしたいが、それはまあそのうち。この冷房機の右側の壁には棚板を付けようと思っている。物が入りきらないからである。ただしそれも少し先でいいだろう。

さて、今日は少しデザインのことを書こうと思う。今どきデザインとは見た目をカッコよくすることである、などと思っている人はまずいないだろう。だが実際には、たいした機能があるわけではない外観を渋くシンプルにしただけのつまらないオーブントースターがデザインの良いオーブントースターなどと言われており、デザインという言葉の本質的な意味と慣用的な意味の間には未だ大きな隔りがある。特に日本や東南アジアではその傾向が顕著であり、そのため最終的にデザインに費用をかけることを無駄とまでは言わないまでも贅沢あるいは余裕があればすることとの意識が根強い。

本来、製品において安全性や利便性、経済性などに直接大きく影響のある「デザイン」という要素が、「無くてなならないもの」ではなく「贅沢なオマケ」となり、ヘタをすると「タダでやってくれるなら・・・」と、見た目をよくするためのお化粧と同じ扱いになっているのである。

ではせめて「見た目」だけでも独自の魅力を追求しているか、と問えば、それすらも悲しいかな、目を背けたくなるものが多い。例えば自動車のデザイン、利益が1兆円を超える日本を代表する自動車メーカーが製造するタクシー、そう、最近よく見かけるジャパンタクシーなど、明らかにロンドンタクシーの程度の低いコピー商品でしかない。オリジナルとの比較は大安吉日に明治神宮へ行くと見ることができる。明治記念館という結婚式場で式を挙げるカップルとその親族は明治神宮に参拝する際、その移動にロンドンタクシー2台とジャパンタクシー数台を使っているので両者が並んでいるところを見ることができるのである。見た目をまねした程度の低いコピー商品なんて日本は何年も前に卒業したと思ってはいけない、今でもまだ続いているのである。

この会社、みっともないド派手なラジエターグリルをつけたミニバンも作っている。現在の技術では乗用車のラジエターグリルは不要か、またはあってもかなり小さくても十分である。おそらくミニバンという外観上差別化の難しい、つまりどう工夫してもつまらないものにしかならない車になんとか差別化するため、ガバッと目立つ物を付けたのだろう。そういうメソッドは私はデザインとは呼びたくない。ただしこうしたデザインの不毛は、単にこのメーカーにその責があるとは言えない。大衆のニーズがそこにあるからというのが大きい。あのチャンピオンベルトのようなラジエターグリルのみっともないミニバンは結構人気があるらしい。

そもそもミニバンとは一体何だろうか。家に旦那と奥さん、子供3人、じいちゃんばあちゃんがいて週末はみんなで仲良く車で出かけるのだろうか。それなら仕方がない、乗車定員の関係でミニバン以外に選択肢はないからである。だが夫婦と子供2人だけならミニバンなんて必要ない。いざというときたくさん乗れた方がいい、とか家が狭いのでせめて車は広々と・・・ということだろうか。なんて情けないみみっちい発想だろう。

そんなこと個人の勝手だ、と鼻息の荒いアホも出てきそうだが、それならこう言いたい、あなたがミニバンを選ぶのはあなたの勝手だろうし、それをどう思おうとそれは私の勝手だ、と。

ウチは以前ニュービートルに乗っていた。家族は4人である。だから4人定員の車で十分だった。後ろの座席は狭かったがみんなでワイワイ楽しくドライブしたものだ。車なんてそんなのがいいのだ。ミニバンが必要になるような事態、つまり6人も7人もなんてことは年に1度もなかった。そんなときはレンタカーでも借りればいい。みみっちい発想でミニバンなんて買うことはないのだ。

New Beetle

映画ローマの休日でグレゴリーペックが相棒の写真家の車から降りるシーン。先に降りたヘップバーンが笑いながら見てる。これ車がすごく小さい、でも実に楽しそうに見える。これでいいのだ、車なんて。

ローマの休日から


これはカメラにしてもパソコンにしても同じだ。以前働いていた会社で同僚から、Macを買いたいのだけどどれがいいですか、と聞かれた。何をするか決まってるのか聞くと、これからいろいろやってみたい、とのことだった。彼は28万円のMacブックをこれが候補、と言っていた。そうね、私のアドバイスは一番安い10万円のMacBook Airかな。これだと例えばビデオ編集なんかを本格的にやろうと思ったらちょっと辛いし、モニターがモニターだから写真編集もね、でもできないわけではない。だからいろいろこれでやってみると1年くらいでかなり不満が出てきて、そしたらその時ステップアップした方がいい、と答えた。当時はMacはほぼ毎年モデルチェンジしていたので1年か2年経つと今のフラッグシップと同じくらいの性能がエントリークラスで出てくるし、それに用途によってはデスクトップの方がよい場合もある、と説明した。彼は結局28万円のを買った。1年後、調子はどう?と聞くと、ネット見るくらいしか使っていないと言っていた。彼には申し訳ないがこういうのを「みみっちい発想」と呼ぶのだ。

カメラも全く同様で、初めからフルサイズなんてバカみたいと思うのだ。この「コレ買っておけば間違いない」という発想がみみっちいのである。お金をケチるからとか貧乏だから、みみっちいのではないのである。カメラなら安いの買って余ったお金を撮影に費用をかける方が10倍いいし100倍楽しい。

コレも趣味なのだから個人の自由で、撮る楽しみもあるし持つ楽しみもあり人それぞれだという間抜けもいるだろう。そうだその通りだ。私はダメだなんて言っていない。私の目から見ると間抜けでみみっちいと言っているだけである。筒井康隆の小説に「農協月へ行く」というのがある。あの小説、冒頭に金蔵という農家が出てくる。駅前の畑が不動産屋に数億で売れて高級品に囲まれて生活している。持つ楽しみというのが金蔵のアイデンティティーである。もちろん金蔵が高級家具を買うのも金蔵の自由である。趣味なんだから。筒井康隆が金蔵と農協を笑い飛ばすように、私も声高に「趣味なんだから個人の自由」なんて言ってる間抜けを笑い飛ばすのである。

デザインとは物の本質であり、選ぶ人のライフスタイルや思想に大きく影響され同時に影響を与える。だからこれ買っとけば間違いない、みたいな発想で選んでいると生活の本質までもがミニバンになってしまうのである。

筒井康隆著「農協月へ行く」


ちなみに、決して何でもかんでも安い物を買っておけばイイなどと言っているわけではない。工具や事務用品などは決して100均などで揃えず、初めからある程度良い物を買っておいたほうが良い場合が多い。この違いは説明するまでもないだろう。




2024年7月4日木曜日

作業環境のチェックと絵本作り



自分の作業環境を定期的にチェックすることにしている。仕事の環境は「仕事をしやすく、快適なこと」が大切だ。これをもう少しかみ砕いて考える。

「仕事をしやすい」「快適」とはどういう状態か。「快適」は本来「仕事をしやすい」の一要素ではあるが、「しやすさ」だけではないプラスαを考えてここではあえて別にした。

「仕事をしやすい」というのは、作業場所に十分な広さがあり、道具や材料が手近にわかりやすく置かれていて、かつそれらが扱いやすく十分に機能を発揮することができる状態にある、ということだろう。さらに作業を阻害する要因を十分遠ざけておくことも大切だ。

次に「快適」だが、ここでは例えばいい音楽とか気持ちの良い空気、飲み物やスナックがあったり、そしてこれはとても重要なことだが「遊び心」があることである。

日本人は生真面目で「仕事」≠「遊び」であり、「仕事とは耐えることで、ずっとオレもそうしてきた」みたいな大馬鹿者が職場に一人でもいるとそれはもう辺り一帯を巻き込んで皆で不幸になる。「(仕事とは)そういうものだ」とか「そういうものじゃない」が口癖の者がいても同様だ。対処法は1つしかない。「テキトーにおだてて、ある程度目をつぶってもらう作戦」である。これはかなり有効なので試してみるとよいだろう。ちなみに「どーもやりたくない」ことはその逆をすればよい。すぐにやらなくてすむようになること受け合いだ。

さて、個人事業主である私は上記とは完全に縁が切れて、今となっては敵は自分だけである。だがこの「自分」が予想以上に強敵なのである。つまり「つい・・・」、「時間がなくて・・・」、「今はこれをやらないと・・・」といった言い訳をはじめる。これはデザインに限らないと思うが「言い訳の仕事」はロクなものにならない。やれ「時間がないから」だの「クライアントの要望通り」だとか、そういう人とは絶対チームを組まない。つまり共同作業はしない。きっぱり。そしてこれが大切なことだが自分自身がそういう言い訳モードの罠に落ちないように常に気を配る必要がある。

どんなに忙しくても何度かの、「待てよ・・・」が必要であり、ぱっと立ち上がって「あたりを見渡す」のが必要なのだ。私の場合は、「待てよ・・・」はコーヒーを飲みながらやこうしてブログを書きながら考えることにしている。「あたりを見渡す」は近くに置いてあるデジカメで作業環境の写真を撮ることにしている。ちなみにこのぱっと立ち上がって写真はすごく効果的だ。このとき当然だが一切片付けてはダメだ。ありのままを撮る。そして眺める。眺めるだけでよい、何がダメなのかすぐにわかる。すごく効果的だ。

今回も撮ってみた。


まずは作業机。ここは、娘が昨夜遅くまで作業に使っていた。ただし寝る前に片付けることをルールにしているので今は割とキレイだ。作業しながら飲んでいた麦茶のグラスが残っている程度、まあよいだろう。


作業机のヨコには金尺(金属製の定規)が4本とブラシなどが下げてある。金尺は使用頻度がとても高い道具なので常にここにぶら下がている。定規は材料の下に埋もれやすく、いつも探してばかり、というのは時間のムダなので、連続して使うときを除きすぐに戻すことを心がけている。金尺は「アル助」だったかな、そんな名前のアルミの定規でとても使いやすい。裏に滑り止めのゴムが貼ってあり、カッター仕事ではずれにくく優秀だ。長さは、30cm、45cm、60cm、1mの4種類を使っている。ただしアルミなので正確な長さは測ることができない。アルミは温度で伸び縮みが大きい。1mの定規で気温が40度変わると1ミリ差が出る。20度でも0.5ミリ変わる。0.5ミリは場合によっては無視できない。ただし室温が15度〜25度くらいで保たれていれば、あまり神経質にはならないでも良いが、一応誤差が出ることは知っておくことが大切だ。

さて、次


ここはコンピュータの机のヨコのサイドデスク。ここは散らかりやすい場所である。そもそもこのサイドデスクというのは仮置き場であって、仕事の資料やファイル、メモなどを置いて、それらを見ながらMacで作業をするための場所である。だから仕事中はある程度物が置いてあるのは仕方がない。麦茶のポットとおつまみの瓶もまあ仕方がないだろう。さらに見てみると奥に名刺整頓のローロデックス、その手前にスケッチを描いた黄色のメモ用紙、スタンドの足元にポストイット、あとはペンとファイル用の輪ゴム。それに電話機やメモブロックなどなど置いてある。
ただし冷静に考えれば、ここは改善の余地がありそうだ。まず奥行きがあまりないところに麦茶のピッチャーはどうだろうか。仕事中の水分補給は頻度が高いので席を立たないですむほうが良いが、天板の下でもよい。また、固定電話機はいらないかも・・・。もともと名刺の電話番号が携帯電話だけというのがインチキ商売っぽくて嫌だったから設置したのだが、最近いろいろな会社が名刺には携帯電話オンリーとしていて、それなら私も、と名刺から固定電話の番号を消してしまった。
それだけでもずいぶん変わるはずだ。

次はサイドデスクの延長線上の棚である。

手前から、メモブロック、置物のバレリーナ、置き時計、アンプと置いてある。アンプのヨコはカラーインクジェットプリンター、そしてその上は本棚である。カラーインクジェットプリンターにはホコリよけの黒いカバーがかけてある。また、本棚には本のほか、ポストカードが立ててある。またアンプの上には自作のオブジェ、プリンターの向こうにはアート作品が置いてある。
まあ、ここはこのままで良いだろう。
問題はさらにその上、見えないところにLANの機器が置いてある。見えないのでケーブルもごちゃごちゃしている。ここは少し整頓した方がよいだろう。

さて、今日は外注に指示を出したり、印刷の手配をしたり、請求書を送ったりクライアントと電話で話したりと雑用が多かった。手のかかる面倒な仕事は自分自身にエンジンをかけてこれが温まる前に別のことで邪魔をされるとやりにくい、非常にやりにくい。いろいろと考えていることが飛んでしまうので。なので今日の仕事はキャラクターデザインのブラッシュアップとコンセプトブックづくりにした。これなら途中で邪魔が入ってもすぐに復帰でき、中断が問題ないので。

このキャラクターはクライアントから地方で展示会があるので少し相談にのってほしい、と依頼された仕事である。ブースデザインと展示パネルの制作というのが依頼内容だったのだが、キャラクターつまりマスコットの提案をしてみた。建設系の展示会はたいていツマラナイ。乱暴に言うと遊び心がまったくないからである。ふざけた展示がいいという意味ではなく、製品や技術のコンセプトをただツラツラと書いただけのパネルでは多くの人の記憶にはとどまらない、ツマラナイ。だから今回はキャラクターをデザインしそれに少し説明を手伝ってもらう手法を提案した。それで先日プレゼンがあったのでその趣旨を説明し採用されることとなった。こういう会社は大事にしたい。どういうことかというと、このように予定のないもの、特に予算しばりが厳しい場合はまず「却下」されることがほとんどだからである。「おもしろいけど今回はそこまでは・・・」「予算的にちょっと・・・」「もう会議で方針が決まっていて・・・」「上に説明するのがいまさら・・・」と。8割くらいは跳ね返される。そういう会社にはうんざりである、というのは嘘で、全く気にならない。こちらも「だめ元」だからである。

今回は採用になって良かったが、費用縛りが厳しいらしいので、極力費用を抑えながら効果的に使う提案を考えることにした。詳しい説明はここでは書かないが、キャラのコンセプトを説明したら喜んでもらえたので、それを冊子にまとめることにした。もちろん配布する予定は全くない。だが展示する・しない、配る・配らないに関係なく出展する当事者に楽しんでもらうこともあっても良いのだ。そう、「仕事とは耐えること・・・」「ムダを省いて効率的に・・・」のあえて逆をいくのである。そう、一見矛盾したことを書いている。「キャラは効果的・・・」と「あえてムダかもしれないものを・・・」という相反する考えである。

そう、阿呆は「矛盾!」と言って喰ってかかるかもしれない、まさにここが仕事のものすごくおもしろいところなのである。この2項目が決して矛盾していないことは言うまでもない。こういうことが理解できない人とは仕事どころか、あまり話もしたくない。


で、つくったコンセプトブック。全部で10ページ。キャラクターの説明をさらりと絵本にまとめてみた。出版するわけではないので完成度は高めていない。そもそもそんな時間もない。これは3時間でつくった。わたしに今かけられる時間の限界がそれくらいということ。ちゃんと絵本にするならおそらく何十倍も時間がかかるだろう。だがストーリーは頭の中にできている。電車で移動中や夕食の準備をしながら、または寝ている時になんとなく考えていたものをツラツラと描くだけである。本来時間がかかる作業は絵本全体を通してキャラクターの連続した見え方である。少しむずかしい言い方をすると自己同一性の維持ということになる。絵本の中でキャラクターは当然動きがある。右を向いたり左を向いたり上を見たり・・・。この時キャラクターの特に顔が同じキャラクターに見えないとダメである。もちろん桃太郎が金太郎になるようなことは誰もしない。だがほんのわずか、微妙な違和感を感じないよう十分時間をかけて描いていくことが大切である。今回は時間の関係で顔はほとんど変化しない。ブルーナ方式である。だがブルーナはさておき、これでは作品に奥行きが出ない。だからここは大切というシーンであえて顔の向きや表情を変えることにした。ここに少し時間をかけた。ちなみに今回の絵本は幼児向けに販売するわけではないので漢字にルビは振らなかった。本来幼児向けであれば全ての漢字に、小学校高学年向けなら小学校で習う約1000字以外の漢字にはルビを振る必要がある。以前小学校高学年向けに作った絵本では漢字を全てチェックし、必要なルビを降ったり、ひらがなの方が良いものはひらがなにした。例えば「出来る」は「できる」にする。ちなみに私は「出来る」が嫌いなので通常の出版でも特にクライアントの希望がない限り「できる」を使うようにしている。

さて、できあがったコンセプトブック(絵本)は1部だけマット紙にプリントして製本した。できあがりをチェックするためである。娘がやってきておもしろがって見ていた。句読点抜けの誤植も見つけてくれた。

さて、その後クライアントとの打合せでこの絵本の印刷が決まった。部数は300と少なめだがそれでも配布するというのだから驚きだった。しかし同時に予算はかなり厳しいということで、あまり時間をかけてブラッシュアップすることは費用的にも時間的にもむずかしい。
仕方がないので、手弁当で半日かけてブラッシュアップして印刷所に入稿した。





2024年6月29日土曜日

グラナドスを聴きながらイベントの仕事

 かなり忙しい、開業以来最も忙しいと言ってもよいだろう。現在仕事が23件ほどあり、このうちこちらのコートにボールがあるものが何と15件である。昼も夜もなく平日も休日もなく働いているが大丈夫だろうか。

今日は大雨の中、打合せで大手町まで出かけた。大手町は地下鉄の駅を降りるといつもは地上を歩いて目的のビルまで行くのだが、今日は大雨なので地下道を歩くことにした。

地下道からつながる打合せのビルの地下にこんなお店を見つけた。

新大手町ビルの地下にあるたばこ屋

だがここ、誰もいないし、ショーケースの中は昔の商品がディスプレイされているだけ、「塩」だってこんなところで買う人はいないはずだ。つまりこれは「お店」に見せかけた「セット」なのだ。赤い公衆電話も使えないだろう。たぶんアミューズメントパーク世代の今の人たちには違和感はないのだろう。だが私にはこういうのはちょっと違う気がして、そうね嫌悪感とまでは言わないが、どこか蝋人形館につながる「うすら寒さ」を感じるのだ。江戸東京博物館があまり好きではない理由のひとつもこれと同じ。

さて、帰宅後は少し休んで仕事である。何しろ数が多いので、スケジュールよく考えて仕事をしないと後手に回ってしまう。3D-CGの仕事が全体の7割くらいあって、これらは集中して作業すると結構疲れる。そこでイベントの仕事をときどき気分転換ではさむことにした。今日はマスコットの提案を作ってみた。

マスコット

予算が厳しいそうなので、これは却下かもしれないが、そんなことはどうでもよいのである。つまり「却下されたらどうしよう」なんて考えずに作るのである。もちろんフィギュアを作るのは予算的に無理だからそこは考慮してイラストをシートにプリントしてレーザーカッターで切り出した透明アクリルに貼り付け脚を付けただけのシンプルなもの。今日は試作としてカラープリントを77でスチレンペーパーに貼り付けくりぬき簡単な脚をつけた。デスクの上のプリントアウトはブースのデザイン案、これはCGである。マスコットは当然まだ未完で髪の色や服のデザインはまだ検討もしていないが、なんとなく作ってみた。ポイントは手にいつも花を持っていることかな。正式にゴーサインが出れば少し時間をかけてしっかりデザインすることになる。

さて、いつも仕事をしながら音楽を聴いている。初夏のこの時期、今日は梅雨の大雨だったが、天気が良く暑い日には聴きたくなる音楽がある。グラナドスのピアノ曲である。エンリケ・グラナドスは19世紀末のスペインロマン派の作曲家で、同時期にはアルベニスもいる。アルベニスの方が有名だが、私は圧倒的にグラナドスのファンである。そして演奏はこれはもう決まり切っている。アリシア・デ・ラローチャである。異存を唱える人はいないだろう。それぐらいラローチャである。つまりグラナドスと言えばラローチャ、ラローチャと言えばグラナドスなのである。

ラローチャのグラナドス


昔から大好きで、とくに初夏のこの時期によく聴く。以前東南アジアに出張に行ったときはいつもi-phoneに入れて、ホテルの部屋で仕事をしながらBluetoothスピーカーで聴いていた。BOSEやSONYの音が苦手な私にはこれ、B&OのA2。実にナチュラルで聞き疲れしない。現地では特に2月とか3月はぴったりの気候だった。日本はまだまだ寒い時期だが、30度超えで空気が乾燥している。日なたはジリジリと暑いが木陰は涼しかった。

Bluetoothスピーカー、B&O

休みの日は車で出かけてブーゲンビリアがたくさん咲いているところでのんびりこれらを聴きながらスケッチを描いたりしていた。ほんとうはアールグレイのアイスティがいいのだけれども絶対に無いのでペリエとかオレンジエードみたいなのをオーダーした。スケッチを描きながら実に楽しかった。これでカーマインレッドのスカートに白いブラウスの素敵な女の子でも歩いていたら最高だな、などと考えながら。

ブーゲンビリア



2024年6月16日日曜日

試作模型、カルーソーとジーリを聴く

 模型の仕事を2件受注した。正確には1件は1台だが、もう1件は2台違う物を作るので、合計3台製作する。このうち最初の1台はすでに模型会社に発注済みなので私は本製作には関わらない。ただし各部の確認をクライアントと事前にCGで行うので作業は結構ある。もう1件の2台は概ね受注したがまだ仕様が固まっていない状態。そこでまずは仕様を確定するために、模型の模型を作ってクライアントの確認を取ることになった。クライアントと言っても相手は会社なので意思決定は一人や二人ではない。こうした事前作業でコンセンサスを得ておくことは大変重要なのである。だから手間を惜しまずせっせと作業する。また以前も書いたが模型は控えめに言ってもあまり儲からない。だが、スケッチや模型のようなアナログな作業はMacの作業が多い中で気分転換にもよいのである。

スケッチを描いているところ、A3のライトテーブルを使う


さて、試作模型は発泡スチロールを使う。正確にはスチレンペーパーという材料で材質は発泡スチロールと同じポリスチレンだが、均質で薄い板状の材料である。模型を作る人なら100%知っている材料でもある。カッターナイフで簡単に切ることができる。厚さは1mmから5mmくらいまでをよく使う。それ以上厚いのもあるだろうがそうなるとスタイロフォームを使うことが多いので、まあ5mmくらいまでだろう。

このスチレンペーパーは類似商品にスチレンボードというものもある。これはスチレンペーパーの両面に紙が貼ってあるもので、スチレンペーパより丈夫である。模型づくりにも使うことがあるが、紙が湿度によって伸びたり縮んだりするのでかなり反る。だから私は使わない。そもそも私がスチレンペーパーを使って作るのは試作品なので丈夫さは必要ない。紙を貼ってわずかに強度を上げるより、製作しやすさが第一だからである。

そして本番の製作では通常アクリル板を使う。アクリルは加工はたいへんだが強度的にすぐれ仕上がりも美しい。それに比べ試作は大きさと雰囲気の確認用なので強度も美しさも必要ない。

それにしても紙なしがスチレンペーパーで紙ありがスチレンボードというのもわかりにくいネーミングである。画材屋の店員も勘違いしていることが多い。画材屋で購入する際は、自分で見て買うから間違えることはないが通販は名称だけでなく仕様を確かめないと危険である。

また通販で扱っているものはサイズが小さい。B4サイズにカットして4枚とか5枚一袋になっている。そのサイズで間に合えば良いが、もっと大きなサイズが欲しいときは、やはり画材屋に買いに行くしかない。画材屋では基本A1サイズを買うことができる。大きいので買うときは1枚なんてことはあり得ない。ふにゃふにゃなので家に着く前に折れてしまう。だから最低でも10枚以上まとめて買う。そうすれば折れる心配はかなり減る。今回も1mm、2mm、3mm、5mmと4種類を5枚、全部で20枚ほど買った。値段は厚さであまり変わらずだいたい1枚700円〜800円くらいなので20枚も買うとそれなりに費用がかかる。

画材屋さんで買ってきたスチレンペーパー

買って帰ったスチレンペーパーは保存場所にも気を使う。ダンボールに入れおくのが一番良い。アルミパネルなどが入っていたA1サイズの箱があればそれを使うのがよい。ただし、A1サイズは切り出すときに大きな作業テーブルが必要なので、何枚かを半分のA2サイズにカットしておく。こうすれば作業スペースでハンドリングできるので。

とりあえずそれぞれ数枚づつA2サイズにカットする

では、製作にかかる。接着はスチノリという接着剤を使う。試作模型なのでスピードが大切なので瞬間接着剤を使いたいところだが瞬間接着剤はスチロール樹脂には使えない、溶かしてしまうしそもそもくっつかない。そこでスチノリを使うのだが固まるのに少し時間がかかるのでマスキングテープで留めたり、軽く重しをしながら少しずつ組み立てる。急いで作業するとうまくいかない。気長に時間に余裕を見て製作する。つまりある程度貼ったら固まるまでMacで別の仕事をして、また組み立てて・・・のくり返しとなる。

製作中の模型の模型

さて、では製作にかかろう。

製作の前には、前回(・・・リセットしてから次にかかろう)に書いたが、作業机をリセットする。つまり前の作業のもの、スケッチの道具やら何やらはすべて片付けて作業机の上は「何もなし」にしてからはじめる。

模型製作の途中でまたスケッチを描く必要があったら、今度は模型の材料や道具を全て一旦片付ける。組立て中の模型は棚の空きスペースに避難、作業机の上をキレイに片付け、布巾で拭いてからはじめる。決して、ちょっとだからと机の端に寄せて空きスペースを作ってそこで・・・というのはダメである。なんのかんので片付けた方が確実に早く、そして気持ちよく仕事ができる。これは長年の経験で断言できる。

今日は模型を作りながら久しぶりに古い古い録音のイタリアオペラを聴いた。エンリコ・カルーソーである。カルーソーが亡くなったのが1921年なので、録音は当然それ以前である。つまり蝋管方式ラッパ吹き込みである。だがそれがかえって味であり、たまに聞くと楽しいのである。模型作りにもよく合う。

少し前の映画でクラウス・キンスキー主演の「フィッツカラルド」というドイツ映画があった。主人公フィッツカラルドは南米ペルーのイキトスという実在の街にオペラハウスを建てることを夢見て未開のゴム林に船で目指すというもので、航行不能な川を越えるため船で山を越すというとんでもない話である。実際に撮影でも船の山越えを行い、あまりの過酷な撮影に主演をはじめキャストが途中で何度も入れ替わり撮影し直したらしい。その中で主演のクラウス・キンスキー演じるフィッツカラルドはカルーソーにあこがれ、カルーソを蓄音機でかけながら川を進むのが印象的だった。曲はヴェルディのリゴレット第3幕「美しき愛らしい娘よ」やマスネのマノンの「夢の歌」などがとてもよいのである。大好きな映画である。

また、ロシア映画で「草原の実験」というのががあった。この映画で主人公の美少女がお父さんのトラックのエンジンで発電して家でラジオを聞くシーンがある。確か映画の最初の方。ここでラジオでかかっていたのも蝋管方式の録音のイタリアオペラだった。ただしカルーソーではなくベニャミノ・ジーリだと思う。ジーリも亡くなったのが1935年なのでカルーソーと録音はあまり変わらない。この歌手もいい。だがカルーソーと比べるとやや劣るかな、まあこれは仕方がない。

カルーソーとジーリのCD

写真にあるカルーソーのCDは11枚組、ジーリは7枚組。これらを連続して全曲聴く、なんてことはあり得ないが、いくつかピックアップしたプレイリストを聴きながら模型を作るのはなんとなく楽しいものである。

ちなみに「草原の実験」で少女が聴いていたのはレオンカヴァロ作曲の「道化師(パグリアッチ)」の「おお、コロンビーナ」だった。いい曲である。

この曲は、同じくイタリア ヴェリズモ(現実主義)の作曲家マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」とほぼ同じ時期の作品である。たしか1890年頃の初演。少し「カヴァレリア・ルスティカーナ」の方が早い。

そしてこの2つのオペラ、「道化師」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」はともに通常のオペラに比べかなり短いので、2曲合わせてDVDになることが多い。私もDVDを何枚か持っている。だが模型を作りながら映像を見るわけにはいかないので、今日は音だけ、カルーソーとジーリである。

ちなみに「道化師」は単純なストーリーだが妙にわかりにくいのが特徴で、劇中劇という体裁を取っているので、登場人物と、その人が劇中劇で演じる役があり、しかも現実と劇中劇で人物を変え同じようなストーリーが展開するので、ぼーっとしていると「あれ??」となる。

あらすじは、

主人公カニオ(劇中劇ではパリアッチ)は移動劇団の座長で、奥さんネッダ(劇中劇ではコロンビーナ)も同じ劇団の団員。劇団にはほかに二人、トニオ(劇中劇ではタッデーオ)とベッペ(アルレッキーノ)。その他に村(興行地)の青年シルヴィオである。劇中劇のストーリーはパリアッチ(座長のカニオ)は道化師(パグリアッチ)でその奥さんのネッダ演じるコロンビーナは座長の目を盗みベッペ演じるアルレッキーノとできているというものだが、劇の外、現実世界では座長の奥さんネッダは村人(青年)シルヴィオとできている。劇が始まる前に、つまりリアルな世界の方で、ネッダとシルヴィオの話すのを盗み聞きしてその関係を知った座長のカニオは悲しみに暮れながらも、その感情を隠して人を笑わせる道化師の悲しみを歌う。「パリアッチはパグリアッチなので悲しくても皆のために歌う〜♪」。そして、劇中劇が始まると劇の中で、アルレッキーノとコロンビーナがいい仲で、劇のセリフまでさっきのネッダとシルヴィオの会話と同じなので、トニオはついに頭が混乱し舞台で劇を忘れて、奥さんに詰め寄る。それを劇のストーリーだと思った客は喜んで見ているが、やがて実際に奥さんを刺し殺し、お客はパニック、観客として見ていたシルヴィオは助けに駆け寄ったものの同じく刺される。そこで座長は我に返り「芝居はおしまいです」と言って幕。

カニオは「捨てられていたおまえをここまで大事に育てたのはオレなのに〜♪」みたいな歌を歌いネッダを殺す。こういう男と女の関係はずっと変わらない事件のテーマである。さんざん貢いでオレの人生はお前のために・・・みたいな男が女に手をかけるのは今でもよくある。女に一方的に入れ込んでその気になっている阿呆はこのオペラを見た方がよいというものだ。男は手段が「貢ぐ」で目的は「女」だが、女は手段が「男」で目的は別にある。うまくいく訳がないのである。女にとって手段は大切なので「あなたは私にとって大切」かもしれないが、決して目的ではない。オペラ道化師より単純明快で分かりやすい。だからわからない男は阿呆なのである。

ちなみに「草原の実験」の曲「おお、コロンビーナ」は劇中劇で奥さんとできている役の団員ベッペ(アルレッキーノ)が「奥さんを愛している〜♪」と歌う歌」。いい曲だが主役が歌う歌ではないのである。だからだろうカルーソーのCDにこの曲はない。カルーソーは主役の座長役だからである。でもジーリのCDにはこの曲がある。おそらくジーリが主役級ではないというのではなく、単にいい曲なので歌いましょ、と。カルーソーの時代のストイックさはないのである、ジーリのCDは他の選曲も割と自由に歌いたい曲を単にピックアップして歌っている感がある。ワーグナーやヘンデルの曲まで入っているのがその例である。カルーソーの時代はオペラの一部の良いところをレコード(と言っても蝋管)にしたのだろうが、ジーリの時代には市民権を得たレコードが、レコードはレコードとしてエンターテインメントとして違うスタイル、つまりいい曲をお茶の間でどうそ、に変わったからだろう。


2024年6月8日土曜日

印伝ポーチの製作と環境をリセットしてから次にかかろう

 先日カミさんの付き添いで服飾材料を買いに蒲田のユザワヤへ行った。家の近くにもオカダヤと少し小さいがユザワヤ新宿店があるが蒲田のユザワヤは本店なので大きく布地などの品揃えが豊富なので年に2回くらい行く。

仕事はまだまだ忙しいのだが運動不足解消とまではいかないが、こういうショッピングは歩数が出るのでなるべくカミさんと一緒に行くようにしている。

ちなみにユザワヤは品揃えは豊富でその点に不満はないが、店舗は垢抜けせずなんともサエないところが残念である。まあ「紺屋の白袴」とでも思っておこう。だが服飾用品店なのに店頭で焼き芋なんて売っているのはどうなのだろう。

で、カミさんはいろいろ布地やら何やらと買い物をして、私はと言うとカミさんの近くであれこれ見て回って気に入ったものがあれば買う程度。なので何も買わない時も多いのだが、今日はたまたま見つけた印伝を、これでポーチを作ったらおもしろそうと買ってみた。

印伝は基本的に柄が細かく見た目がみみっちい。どうしてもちまちましたものになる。だから印伝のバッグなんてものはあるかもしれないが見たことがない。印鑑入れとかキーホルダーとかそういう小さなものによく使われている。ポーチなどに使ってもたいていダサくなる。私もちまちまデザインは好きではない。

だからいつもは印伝なんてスルーしていたのだが、先日ココに書いた古い白黒の時代劇が気に入って、そういう世界に少し惹かれていて、それで立ち止まって眺めていた。

それで見つけたのがこの柄。これならいいかもしれない、と。そもそもポーチはバッグに入れて使うもので、ティッシュや予備のマスク、のど飴、ウェットティッシュなどを入れている。だから手で持って歩くバッグなどとは違い、多少柄も「おもしろみ」がないと退屈である。

購入した印伝(ただし合皮)

ちなみにポーチは何年も使っているとどうしても汚れてくるのでキズや汚れの目立つ無地は避けたい。1年くらいでみすぼらしくなる。そして前述のように印伝のようなチマチマ柄はデザイン的に今ひとつ。さらにあまり大きな柄もダメで、おばさんぽくなる。またキャラクターやグッズ柄も全てとは言わないが幼稚な感じになるので大抵使えない。

つまり原則「無地」「ちまちまくり返し」「ワンポイントなど大柄」「キャラやグッズ柄」以外から布選びをすることになる。そして多少面白みを持たせたデザイン、つまりなんとなくおもしろいものを選ぶのである。

おもしろいとは、例えば「意外性がある」「何かを暗示させる」「本来とは違った形でなんらかのスタイルを表現する」などなどである。

そんなの難しくないか?と思う人もいるだろうが、反対である。とりとめもなく「何かいい物は・・・」と探すより圧倒的に楽になる。

さらに言えば何かデザインするときもこのように考えながらデザインすると方向性が見出しやすい。デザイナーとはこういうトレーニングをやってきた人たちのこと、と思っている。だから◯◯だから□□した方がよい、といった会話が成立する。自称デザインがわかっている人にはそれができない。良いの悪いのと好みを言うことしかできない。もちろんそれでかまわない。自分の価値基準で好き嫌いを言うのは自由だからである。だが、寝る間を惜しんでデザインの勉強を続けた人とは大違いなのである。だがデザイナーも別の意味でダメなところも多い。あまり頭がよくないのに、わかったような口をきいて総スカン食らうというのはよくある話である。

さて、仕事の合間にのんびり作り始めたポーチだが、1つ目ができあがった。時代劇を意識したのでがまぐちにしてみた。

できあがったポーチその1(右側)

もともと使っていたポーチと並べてみた。古いポーチは2016年5月に作ったもので、バッグを持って外出するときは常にバッグに入れてある。柄は気に入っているのだが、8年も経ちかなりくたびれてきた。「ちまちま」でも「大柄」でもないくり返しパターンである。

2016年に作ったポーチ

これは2016年に前のポーチを作ったときに撮った写真


できあがった時に撮った写真を今のと比べると、やはり今はだいぶくたびれてきたのがよくわかる。


さて、今回購入した印伝は合皮なので正確には「印伝もどき」である。生地サイズは50センチ×90センチ。ポーチ1つではだいぶ余るので、この際ポーチを3種類作ることにした。ちなみに本来の「印伝」とは鹿革のバックスキンに「うるし」でドット柄を付けたものである。

さて「印伝もどき」を使ってまず1つめは写真のように「がまぐち」タイプを作った。「がまぐちの口金」は「ジッパー」(ファスナー)より出し入れが楽である。片手でポチッと簡単に開けられる。ただし金具が他の物にキズをつける可能性があるので、バッグにカメラなどとは一緒に入れられない。ポーチはあと2つ作るので、2つ目は今使っている物と同じようにジッパーにしようと思う。

さて、できあがったがまぐちタイプだが、今日は打合せがり、パソコンもカメラも無しなのでさっそく使ってみた。なかなかよかったので満足している。

次に2つ目のジッパーを使ったポーチ、これは前回より少しだけ大きくする。強力タイプのアルコールウェットティッシュが今のポーチだと出し入れがきついので。デザインは両サイドを印伝、ジッパーの部分はぐるり合皮とした。

ポーチが2つ

柄合わせでサイズを決める必要があるので仕方がないが、あと2センチくらい小さとちょうどよかったかも。

さて、3つ目のポーチだがノーアイデアである。それにスケッチの仕事が入り、ミシンやら裁縫道具を一旦片付けてライトテーブルをセットすることになった。作業机はコレしかないので仕方がない。仕事優先である。あと、よくキチンと片付けずにちょっとヨコにやって別の仕事をはじめる人が多いが、あまりよくない。なぜ良くないかと言えば、物がどこに行ったかがわからなくなりやすいから。仕事の効率をドーンと下げるのは「やりなおし」や「修正」ではなく「必要なものが見つからない」である。これはかなり自信を持って言える。

全部片付けてライトテーブルとスケッチ用紙を準備する


Macを使ってデザインの仕事をしていても、「データをどこに保存したか」「必要なファイルはどれか」「不要なファイルはどれか」をきちんとできない人は仕事も遅い。きっぱり。

その点、私は仕事は早い、これは自慢できる。なぜならファイルはMacを触らなくてもどこに何が入っているか、かなり昔の物は除きすべて把握しているからである。ま、それだけではないが・・・。

会社勤めしていたときも、海外まで国際電話でスタッフから問い合わせがくることがよくあった。「あのデータどこにありますか?」と。どこどこのフォルダーのなになにの中の・・・といつも正確に答えられた。そしてそこにちゃんと見つけられた。自慢話のように聞こえるかもしれない大したことではない。ロジックを決めてそれをちゃんと守ればどうということはない。そして、なんとなく作業してデスクトップに置きっぱなしにして、あとで一段落したらきちんとしよう、と言う人はいつも「あとで渡しますから待ってください」だった。私の経験ではそういう人は仕事も遅かった。

脱線してしまった。だから別の仕事に切り替えるときは、前の仕事の道具や資料や材料など、すべて片付ける。そしてさっぱりと何もない机の上に、別の仕事の材料を出し仕事にかかる。面倒なようで確実に2倍はスピードがあがる。片付けにかかる時間はたいてい2〜3分である。捜し物は5分以上かかることも多い、そして捜し物は1回や2回ではすまないからである。

それでけではない、机がごちゃごちゃしていると多少脳もそれに影響を受ける。どこかのタイミングで「待てよ・・・そもそも・・・」というのは非常に大切だが、環境がパキッとしていないとそれが発動されないか、またはされにくくなるのである。だからダメである。この「マテヨ」は実は仕事で特に重要な「気づき」であり、これが発動されない人たちと組んで仕事をすると苦労多くして成果は今ひとつになることが多いからである。