2021年5月22日土曜日

オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」




 「カヴァレリア・ルスティカーナ」はピエトロ・マスカーニ作曲のオペラである。

マスカーニは19世紀後半のイタリアの作曲家だが本作が唯一のヒットと言ってよいだろう。

 

カヴァレリア・ルスティカーナの話の前に「世界定め」について少し話をしたい。

オペラの上演では、演出家が原曲の時代背景などをアレンジし、例えば現代に置き換えたりして上演されることも多い。

この手法は映画でもよく見られる。ギリシャ神話のストーリーを現代に当てはめたり、アジアの話をアメリカを舞台に置き換えたり、その逆もある。


ただしオペラの場合は映画のように自由に変える、ということはできない。

なぜなら歌や歌詞などを変えることは許されないからだ。

また、歌っている内容と矛盾するような舞台にしてしまうと違和感を感じる妙な物となってしまう。

 

ちなみにこういう舞台、つまり、時代、場所、人物像などを「世界定め」という。

「世界定め」とはもともと歌舞伎用語で、「義経もの」など演目の時代や題材などを決めることを指したもので、演じる側はもちろんのこと、客の方も題名から世界を知ることができた。

観客の楽しみのひとつに、今日の演者がどのようにその世界観を演じるかというのがあり、これがいわば通の楽しみ方だった。

 

このような、客側にもある程度知識を求める芸事というのはヨーロッパや日本、アジアでは珍しいものではなかった。さらに、楽しめない人=教養のない人、となり、そういう俗物とは付き合わないのが「通」や「粋」の世界だった。

 

だが最近は見る側の教養を求めないものが多くなってきた。

これはアメリカ映画の影響と言える。誰でも簡単に理解できる世界、ディズニーランドのような世界。

ディスニーランドはそのコンセプトが世界中の誰でもが等しく楽しめる世界の提供らしい。

つまりお客に一切の知識、教養は求めない。それはそれで良いのかもしれないが、中身は当然のことながら薄っぺらくなってしまう。

 

本来「世界定め」はあらゆる文学、音楽、小説、映画、絵画に少なからず影響する大変重要な要素であり、その作品を味わいのあるものにするにも、それを理解するにも不可欠な知識だった。


だから、もし何らかの世界が現前に展開したときにその世界をよく知らないと感じたら、いくつになっても「おべんきょう」するわけで、その「おべんきょう」に卒業はない。


ホイジンガーの「中世の秋」に描かれている人々の考え方、ベルエポックの魅惑と憂鬱の交じったあの空気、20世紀初頭の理想主義における未来への希望と現実への失望など。

興味は尽きない。だから「おべんきょう」する。

 

だがアメリカ式はこういった「おべんきょう」を必要とせず、多くの人々からその機会まで奪ってしまった。


 

さて、カヴァレリア・ルスティカーナだが、

このオペラはイタリア、ヴェリズモのオペラである。

ヴェリズモというのは「現実主義」と訳される文学の運動で、テーマを歴史上のできごとなどではなく、今生きている現代に求めるものだ。今といっても当時つまり19世紀後半から20世紀初頭にかけての「今」である。


イタリアは当時、不在地主らが富を独占し、農民は大変貧乏だった。

そういう社会矛盾を題材にした作品をヴェリズモ、と呼んだ。

だから「現実主義の文学」というより「社会の中の弱者・貧者の物語」と言っても差し支えないだろう。


そしてヴェリズモ文学の代表作がジョヴァンニ・ヴェルガの「カヴァレリア・ルスティカーナ」だった。

オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」はこの原作を作曲家ピエトロ・マスカーニが出版社だかインプレサーリオ(興業コーディネーター)だかの主催のオペラの作曲コンペで発表し、優勝した曲だ。

 

ヴェリズモのオペラの代表曲にはこのほかに、レオンカヴァロ作曲の「パグリアッチ(道化師)」がある。これも同様にコンペへの応募作だったが、コンペの条件を満たしていないため失格となったものだ。だが素晴らしい作品なので上演されることになり、カヴァレリア・ルスティカーナ同様、現在でも評価が高い。

 

この2曲、カヴァレリア・ルスティカーナとパグリアッチは両方とも短いので、上演もDVDなども同時にされることが多い。カヴ&パグ(Cav&Pag)と略されるほどだ。

 

カヴァレリア・ルスティカーナのあらすじは、

復活祭の日、主人公のトゥリドゥは兵役に行っている間に婚約者ローラが裕福な男アルフィオと結婚してしまったので、サンタという別の女性と婚約した。だがトゥリドゥは今でも時々ローラと逢っている。

それを知ったサンタはアルフィオに告げ口する。

トゥリドゥとアルフィオは決闘となり、トゥリドゥが殺されておしまい。という内容。

どこがヴェリズモかというと、ストーリーをこう書けばわかるだろう。

トゥリドゥは貧乏だから兵役に行く、金持ちに自分の女を盗られる。そして最後にその金持ちに無残に殺される。

おわかりいただけただろう。

 

このオペラ、有名なのは、始まってすぐのアリア「おおローラ」、合唱「オレンジの花」そして超有名な「間奏曲」そしてアリア「乾杯の歌」だ。

 

この作品が素晴らしいのには、前述のように短いオペラでありながら名曲が多いのはもちろんだが、サンタという女性の心の葛藤を音楽作品ならではのものとして表現しているからというのが大きい。

元婚約者のローラは美人でサバサバしていて陽気、サンタはたいてい美人ではなくちょっと暗く垢抜けない。演出家もそのあたりをうまく表現する。ローラが現れると場面にパッと花が咲いたように華やかになり、曲もそういう曲だ。だがサンタは違う。そして婚約者の心を憂い、告げ口を悩み苦しむ。有名な美しい間奏曲ではサンタの悩む姿を見せながら曲が進むものも多い。これは普通の人にとって感情移入しやすい、つまり観客の心をつかみやすい役どころであると同時に、歌はうまいが見た目は今ひとつのソプラノ歌手の大活躍の舞台として2重によくできているのである。まさにストーリーも何もかもがヴェリズモなのだ。

 

さて、「世界定め」についてに話を戻そう。

このオペラ、原作の舞台は南イタリア、シチリアの山間部の貧しい村だ。

だがオペラでは前述の通り演出で様々な世界定めの変更が可能だ。

カウフマン主演の2015年ザルツブルグ音楽祭での上演は、舞台が大きく変わって同じイタリアでも、1910〜20頃の北イタリアの工業地帯だ。

そしてこれがなかなかよい。4面構成のダダや未来派を彷彿とさせる舞台構成。歌手陣もよい。

 

チューリッヒオペラでの2009年の上演はオリジナルを意識したオーソドックスな時代背景をモダンでシンボリックなセットで楽しめる。歌手陣も割とよい。

 

2015年のイギリスロイヤルオペラ、コヴェントガーデンでは時代は現代、舞台はパン屋だ。ここまで変えてしまうとちょっと違和感があり、しかも観ていて無理も多い。歌手陣は今ひとつパッとしない。しかも前奏曲の部分で最後に殺されたトゥリドゥが担い出されていくという映画的手法まで使われている。オペラに映画的手法を使ってはいけない。なので賞をもらっているかもしれないが、このDVDはペケ。

 

2019年フィレンツェ音楽祭の上演はブルーレイで画質は良いが、演出はチープでエンジニアも素人、現代に良くある機材だけが最高、というやつだ。

地元の子供たち参加の子供祭りのようで、演奏も歌手陣も今ひとつ、残念ながらペケ。

 

まだいくつもあるが、最後にフランコ・ゼッフィレリ監督の映画版、つまり舞台の上演ではないカヴァレリア・ルスティカーナを紹介しよう。

時代は原作の通り、南イタリア、シチリアの山間部の貧しい村。

だが、これはあくまで映画であってオペラの公演ではない。ただし余計なセリフなどを加えたりせず、音だけ聞いていればオペラの上演と全く同じだ。

違いは舞台でもセットでもなく、村や畑や境界や広場でのロケという点だ。


トゥリドゥをドミンゴが歌う。ドミンゴはこういうのは本当にうまい、さすがだ。しかもゼッフィレリだ。映画好きでゼッフィレリを知らない人はいないだろう。一見の価値がある。古いフィルムなのでDVDで画質や音は今ひとつ、しかも前述のように映画でありオペラ舞台ではないので、この曲のこれがベストだとは言えないが、原作を十分知り尽くした演出で、この物語を理解するにはこれがおすすめだ。

 

願わくば、もう少しオーソドックスな演出で良い演奏者の舞台公演が観てみたいものだ。

すごくキレイだけど歌はそこそこのソプラノ歌手、あんまりキレイでないけどすごく歌のうまいメゾソプラノ。それにちょい悪な雰囲気のテノール。いっぱいいそうだけどね。

 

さて、ヴェリスモは登場人物に、しかも弱者に感情移入できることが第一条件とも言える。それができないリアリズムなどリアリズムとは言えないからである。

しかしヴェリズモオペラは、ストーリーも同じような物では飽きられるし、そもそもオペラ化も難しい。この2作以降は長く続かなかった。

逆に、それだけカヴァレリア・ルスティカーナとパグリアッチがよくできていた、と言えるのだが。

 

オペラとしては長続きしなかったヴェリズモだったが、当時の社会の実情には最も即したものではあった。世界恐慌と第1次大戦から次の大戦へ、貧しい人たちは題材の山だ。

 

また、ヴェリズモ以降、急激にイタリアオペラそのものが衰退していった。イタリアオペラはプッチーニのトゥーランドットで終焉を迎えたといっても過言ではない。


オペラに変わって、ヴェリズモを引き継いだのが映画だ。

ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ウンベルトD」「自転車泥棒」「靴みがき」などの社会派リアリズムの映画だ。

 

シーカのこれらの映画に共通するのは、貧困と絶望、しかしそれでも何とか生きていく人間の希望だ。

だが見終わってどーんと落ち込むシーカの社会派レアリズムより、美しい曲と弱い人間、そして希望の安売りなどしないマスカーニやレオンカヴァロのオペラの方により魅力を感じるのは私だけだろうか。

 




左上、2015年ザルツブルグ音楽祭での公演DVDだが画質も音も合格点。カウフマンの主人公トゥリドゥも良い。

サンタ役のモナスティルスカは歌も容姿も迫力。



ローラ役のアンナリーザ・ストロッパもきれい。



 

右上、映画版DVD、監督はフランコ・ゼッフィレリ。トゥリドゥをプラシド・ドミンゴ。サンタをエレーナ・オブラスツォワ。舞台ではないことと、81年の制作で画質も音も今ひとつなのが残念だが名作。

 

手前左、2009年チューリッヒ歌劇場での公演。ブルーレイで画質も音も良い。歌手陣も良い。ローラがそれほど美人でなく、サンタがわりと美人というのはめずらしい。

 

手前中央、2019年フィレンツェ五月音楽祭劇場での公演。演出があまりよくない。歌手陣も今ひとつ。

 

手前右、2015年イギリスロイヤルオペラ。演出がひどすぎで、演じている内容と歌と完全に食い違っているのでお話しにならない。オレンジの花が緑の丘に香り・・・という歌のシーンでパン屋がパンを作っている。さらに間奏曲のあと、本来は街の広場で繰り広げられるシーンが狭いパン屋の前で繰り広げられる、どう見ても不自然だ。そもそも全く復活祭の日の出来事というのを無視している。

歌手陣も冴えない。おまけに映画手法のフラッシュバックを取り入れている。オペラを全く理解していない。なのでペケ。