2022年8月21日日曜日

アイロンがけは「さとり」の時間

休暇を取って少しのんびりした。
写真はあまり撮らなかった。ただ、のんびりした。

Olympus EM1-II + 12-100mm f4.0 f8.0 1/640 ISO1600



Olympus EM1-II + 12-100mm f4.0 f8 1/400 ISO400



Olympus EM1-II + 12-100mm f4.0 f4 1/400 ISO400




Olympus EM1-II + 12-100mm f4.0 f4 1/320 ISO400


のんびりしている間にも仕事の連絡は毎日のように入ってくる。
忘れないように予定表に書き込む。

休暇を終え、仕事に戻る。
まずはすぐに何かする必要のあるものの確認をし、メールに返信した。
では、課題をひとつずつ片付けていこう。

でもその前に音楽を聴きながら洗濯物を畳んで、それからハンカチなどにアイロンをかける。
レコードを聴きながらのアイロンがけが「わたし流の悟り」。
映画「ディーバ」の中で、リシャール・ボーランジェがフランスパンにバターを塗りながら「Ma satori ce ca」(これが私の悟り)とか言っていた。すべては無、あるのは動きだけ、みたいなことも言っていたように覚えている。
ハンカチやスカーフなどへのアイロンがけも同じ、「無」で動きだけ。
低い温度のスチームアイロン、レコード1枚分の「悟りタイム」。


アイロンがけ完了、問題はこのみっともないアイロン
アイロン台の上でアイロンがけ。
この悟りタイム、一つだけ不満なのが松下電器のスチームアイロン。どうしてこの手の家電製品はチャラチャラした色や形なのだろう。松下だけでなくどのメーカーもみな同じ。
悟りが台無し。まあ仕方がない。そのうちいいのを探して買い替えよう。
で、音楽はもちろんレコード。
CDやストリーミングではダメなのである。

まずアイロンがけの15分前に3台の真空管アンプのスイッチを入れ、レコードプレーヤーのまわりを丁寧に拭き掃除。

手を洗い、レコードをターンテーブルにのせる。
今日のレコードはマリ・サミュエルセンの「MARI」、演奏もいいが選曲もいい。
マックスリヒターやヨハンヨハンセン、フィリップグラスなど。バッハも2曲入っている。
こういう現代音楽と組み合わせて演奏されるクラシックの曲はバッハが多い。ほとんどすべてバッハと言ってもいいだろう。
バッハはそういう音楽なのだ。


トーレンスのレコードプレーヤー、オルトフォンのカートリッジ、マリ・サミュエルセンのレコード

2022年8月2日火曜日

超広角レンズで建築撮影

前回は超望遠レンズでの撮影だったが、今回は超広角。これも最近手に入れたレンズ。パナソニック製ライカ ズミルックス9ミリ(換算18ミリ)。
広角セミマクロということで購入。
つまり寄れる広角レンズということ。
今日はこれを使って「お散歩写真」を撮ってみた。お散歩では寄れることはどうでもいいのだが、使い勝手はわかるので、今日はこれ1本。

また連日猛暑日で屋外での撮影はかなり辛い。
そこで目黒の東京都庭園美術館と雅叙園観光ホテルに行った。
室内の写真の場合、レンズは24ミリや28ミリがよく使われる。35ミリでもよいが空間によっては厳しいことも多い。建築写真などなるべく広い範囲を写したいことが多い。そうなると後ろに下がって離れて撮るのだが、下がるにも限界がある。壁があってそれ以上うしろには下がれない。
壁に張り付くようにして撮るのも無粋だ。そもそも壁に手を触れたりしてはいけない所も多い。

そこで広く撮れる広角レンズを使うのだが問題もある。広角レンズには歪みがあり、広角になればなるほど歪みが増え不自然に見えることになるからだ。だから超広角はあまり使われない。ちょうど良い画角が24ミリや28ミリということだ。
もちろん35ミリや50ミリで切り取られる画角を楽しむのも、超広角で、その歪みを味として見せるような撮り方を工夫するのも写真の楽しみではあるが。

また、望遠レンズや広角レンズというのは、先ほど述べた歪みや望遠の場合は手ぶれなど、初心者には扱いがちょっと面倒ということがあるが、克服するのはそれほど難しくない。何回か真剣に使えば誰でも十分使いこなせるようになる。
望遠であれば、ISO感度を上げてシャッタースピードをブレない速さまで上げる。広角は歪みを不自然に見えないようなアングルで撮影する。
慣れればそれほど難しくはない。

問題は別にあると私は感じている。
望遠や広角は往々にして被写体やアングルは誰が撮っても同じようなものになり、おもしろくない、と。せっかくカメラを持っていったのにネットに山ほどある写真と同じような写真を撮ってもつまらない。望遠では切り取る範囲つまり画角と構成を、広角では立ち位置を工夫するのがポイントだ。

さて、庭園美術館はまあまあ好きな美術館なので今までにも何十回と訪問している。旧朝香の宮邸とも書かれているが皇室のことは全く知らないし興味もないが、おそらく戦前の皇室の誰かの家で、その後あれこれあって今は美術館として東京都所有ということだろう。
様式はアールデコで、そのあたりのモチーフは観る価値があるが、間取りは素人だ。また空間のつながりも今ひとつで、外観も特筆すべき所はない。あれだけ広い庭園がありながらどうして寝室の眺めがこんなにチープなのか、全くもって理解できない。
まあ日本には非常に少ないアールデコ様式ということで今日のお散歩写真に選んでみた。

たまたま蜷川実花の写真展をやっていた。彼女の作品には全く興味はないが、派手な色使いが室内にどういう風に反映されるかな、とそれくらい。写真撮影可の展示室もいくつかあった。

だが、期待した光の効果はほとんどなく、前述のように作品にも興味がないので、建物だけレンズの練習で数枚撮っておしまいにした。

娘はあれこれ頑張って撮っていたが、やはり展示作品には全く何も感じなかったらしい。

Olympus EM1-II + Sumi 9mm f1.7 f4.0 1/200 ISO400




Olympus EM1-II + Sumi 9mm f1.7 f4.0 1/200 ISO200




カミさんがこの照明のガラスはラリックらしいよ、と。ラリックにしてはボテッとしてるね、と私。

Olympus EM1-II + Sumi 9mm f1.7 f4.0 1/60 ISO200



というわけであっという間に終わってしまった。結局ありきたりな写真ばかり数枚撮ったのみ。娘も少し物足りなそうなので、それでは雅叙園観光ホテルに行こう、と言うことでタクシーは来ないので汗をかきかき駅まで歩いて戻りそこからはタクシーで向かった。

有名な百段階段を昇って、帰りにシンガポールのホテルのようなラウンジでお約束のケーキセット。

Olympus EM1-II + Sumi 9mm f1.7 f4.0 1/10 ISO200




Olympus EM1-II + Sumi 9mm f1.7 f4.0 0.4s ISO800




Olympus EM1-II + Sumi 9mm f1.7 f4.0 1/4 ISO800




この和風という名の中華趣味と言ったらいいか、横尾忠則になる少し手前でギリギリ頑張っていると言ったらいいか、実におもしろい。ここも今まで何度も来ているが、今回十数年ぶり。建て替えのあと始めて来たが、なかなか良くできていて楽しかった。
ちなみに建て替えてホテル名も雅叙園ホテル東京だったっけな、に変わったらしい。
娘は美術館よりこっちの方が何倍もイイ、と大喜びで、なぜか鯉の写真をずーっと撮っていた。葛西臨海公園のガラス越し熱帯魚より上から眺める鯉の方がイイらしい。

夏の暑い日にはこういうお散歩写真もよい。熱中症のリスクも少ない。





2022年8月1日月曜日

望遠レンズで風景と月の撮影

少し前に注文してあったレンズが先週届いたので、今日は天気も良いし夕陽でも見に行こうと、葛西臨海公園に行ってきた。

届いたレンズはマイクロフォーサーズの300ミリ(換算600ミリ)単焦点と2倍のテレコン(テレコンバーションレンズ)。
日曜日なので水族館は子連れが多く、にぎやかだ。まあ、仕方がない。イスに座ってのんびり水槽を眺めていた。時々奇声を発する子供がいるのには少々うんざりしながら。
全部が全部うるさい子供というわけではない、違いは何なのだろう?親の性格やしつけかな?
まあいいか。

水族館のあと、夕陽を待つ。
だが残念なことに西の空に雲が出ていて夕陽は無理そうだった。
風景写真ではこれにメゲてはいけない。5回くらい通って1回いい写真が撮れれば良いと思うことだ。

今日は日没後、月齢3くらいの月も雲がなければ見られるはずだった。月齢3くらいだと月は太陽が沈んだ直後から2時間くらい見える。その後太陽を追いかけるようにして沈む。だから撮影できるのはその2時間となる。実際にはもう少し短い。日没直後はまだ明るいし、月は水平線に沈むわけではないので見えなくなるのはもう少し早いので。

さて、葛西臨海公園を選んだ理由は2つ。1つは西の空が開けていること、そしてもう1つの理由は日没頃から海風で涼しくなるだろうと。こちらはその通りで、風がとても気持ちよかった。

さて、夕陽をあきらめ撮った写真がこれ。

東京ゲートブリッジの上を通過する飛行機
E-M1-II M300 F4.0、f/4 1/160s ISO400、手持ち トリミングなし






換算600ミリでも手持ちで十分撮影できる。ただし暗くなってくるとカメラのオートフォーカスがかなり怪しくなってくる。まあ仕方がないか。
次に2xのテレコンを使っての比較もしてみた。あたりはだいぶ暗くなってきた。

テレコンというのはレンズの前や後ろに付けて倍率を高めるレンズで、レンズ交換式の場合は後ろつまりボディとレンズの間に装着する。この望遠レンズ、は300ミリの単焦点なので、ズームのように倍率は変えられない。なのでこのコンバージョンレンズで倍率を変える。
ズームレンズは便利だが欠点が2つ。暗いのと画質が単焦点に比べると劣ること。

東京ゲートブリッジ
E-M1-II M300 F4.0、f/4 1/15s ISO1600、手持ち トリミングなし





東京ゲートブリッジ
E-M1-II M300+MC-20 F4.0、f/8 1/6s ISO1600、手持ち トリミングなし




ちなみに撮影場所の葛西臨海公園からゲートブリッジまでは約3.5キロの距離。
最初の1枚目と色合いが大きく異なるのは日没前後で空の色が夕焼けから夕闇に変わったから。RAW現像ではホワイトバランスなどの色調整はしていない。
ピントは少々迷いがちだが、驚くべきは換算1200ミリを手持ちSS1/6で撮影できることだ。このカメラとレンズの双方の手ぶれ補正によってこれが可能ということで、これにはほんとうに感心する。

この300ミリ(換算600ミリ)レンズはフォーサーズとしては重いレンズの部類で、重さが1.2キロある。トートバッグにこれとカメラボディを入れると、私にとっては限界に近い重量だ。
麻のジャケットの肩の部分が裂けてくる。やれやれ。
だがこの時間帯に超望遠手持ち撮影ができる誘惑は唯一無二と思うと、やはりジャケットの肩が裂けようが左腕が疲れてパンパンになろうが許せてしまう。
そしてその上テレコンありだとこんなのが撮れる。日没後に換算1200ミリ手持ちなんてどう考えてもあり得なかったことだと思う。

さて、ゲートブリッジを撮影し、夕陽や月は次の機会、と言いながら駅に向かい、ふと見上げると雲の切れ間に月が見えた。ラッキーだった。
少々疲れてはいたが、頑張ってこれもテレコンありなしで撮影。

月齢3の月
E-M1-II M300、f/8 1/100s ISO2500、手持ち トリミングなし




月齢3の月
E-M1-II M300+MC-20 F4.0、f/8 1/100s ISO2500、手持ち トリミングなし






同上トリミング



テレコンを買った理由が月の撮影のためだったので、この結果には大いに満足している。
月齢3でこの程度撮れるなら、半月だろうと満月だろうと月食だろうと全く問題なく手持ちで撮影できる、ということだから。
ちなみに月齢3とは新月から3日目なので、これが三日月のことかと言えば実は少し違う。
三日月の語源は中国語で、中国にゼロはないので新月(月齢0)が1日目となり、三日月は月齢2となる。まあ、どうでもいいが。

と、そんなわけで夕陽こそ撮れなかったが、まあまあの結果で満足の遠足だった。
夕陽はそのうち、次は満月を撮影してみようと思う。

満月は日没後すぐに東の空の地平線から昇ってくるので、今度は東の空が開けている方がよい。ただし三日月は日没後すぐに沈むのに対し満月は月の出から一晩中空にある。
だから単体での月の写真なら、真夜中に真上に昇った満月を撮ればいい。
次回は試しなのでそれでもよいが、できれ月の出を撮りたいと思っている。そうなると東の空がひらけている方がいい。
私は鳥はほとんど撮らないので美しい月の写真こそがこのレンズの使命だ。

月の出の時刻や方角を調べるにはi-phoneアプリのMoon Seekerが大活躍する。

ところで、月はいろいろ調べて知れば知るほど魅力がある。
地球からの距離は約38万キロ、光の速度が秒速30万キロだから、光は1秒ちょっとで届く。マッハ33の月ロケットで4日くらい。
月は地球のまわりをだいたい1か月かかって1周する。1か月という単位を「月」と呼ぶのは月が地球を1周する期間だから。
1周することで新月から半月、満月、半月、そして再び新月と形が変わっていく。このそれぞれ、例えば新月から半月とか半月から満月が1か月の4分の1つまり1週間である。だから週の初めの曜日は月にちなんで「月曜日」という。英語でもフランス語でも同じ、「月の日」と呼ぶ。Moon day → Monday 。
1か月で1周なので月の出は毎日約50分づつ遅くなる。今日月の出が夜7時だったら明日は7時50分頃となる。また満月は常に太陽の反対側なので、夏は太陽が高く昇るが満月は低く昇り、逆に冬は満月が高く昇る。

その後、12日くらい経ち、満月の写真も撮影してみた。風が強い日で空気中に塵も多いあまり良いコンディションとは言えない晩だったが試してみた。

結果はまあまあ。

満月
E-M1-II M300+MC-20 F4.0、f/8 1/160s ISO200、手持ち トリミングなし





月の上部に色収差が出ている。これはちょっと気になる。
これはAdobe Camera RAW のフリンジ除去を使った方が良いかもしれない。
また、次回撮影時は絞りを少し変えて試してみようと思う。と言ってもテレコン付きでf8.0のレンズなので変えると言ってもわずかだろうが。

雲に隠れる満月
E-M1-II M300+MC-20 F4.0、f/8 1/5s ISO1600、手持ち トリミングなし





これは雲に入った満月、ISOを1600まで上げてもシャッタースピードは1/5秒。やはり楽しいレンズだと思う。

来月の満月ではもう少し工夫して撮りたいと思っている。まあ天気次第ではあるが。

また、今回は地上物と合わせた月の撮影も試したかったのだが雲があって月の出を撮影することはできなかった。
ただし、わかったこともある。月の明るさと地上物の明るさが極端に違うとうまくいかない。日没直後で地上にある程度光が残っている状態で月が昇ってくる日が狙い目となる。

iphoneアプリのMoon Seeker でチェックすると満月2日前が日没と月の出の時刻の差が光のバランスが良さそうなので、次回は9月8日に試してみようと思う。

帰宅後は持って出かけたカメラとレンズを軽く掃除。このレンズは1.2キロと重いので、カメラに付けた状態でストラップで肩から下げて持ち運ぶことはできない。
そこでトートバッグに入れて持ち運んでいる。撮影の時だけバッグから取り出し、レンズ側をホールドしながら持つ。撮影が終わったらまたバッグに入れる。
ただし家に着いたらすぐにバッグから取り出す。入れっぱなしは禁物、カビが生える。

掃除はキムワイプで軽く拭き、カメラのグリップとレンズのピントリングなどは固く絞った手拭いやウェットティッシュなどで拭いて、水気は残さず、さらに風通しの良いところで乾燥させる。

私は皮脂でペタペタするのが大嫌いなのでこうすれば、次に使う時もサラサラで気持ちがよい。

2022年7月31日日曜日

パラドックス

クレタ人はいつも嘘をつくとクレタ人が言った。
有名な嘘つきのパラドックスである。

これは説明は不要なくらい有名だが真偽の判定が不可能な例題として扱われている。

同じく「誤った2分法」というのがある。これは白でないなら黒だという誤った選択法のことだ。
わかりやすい例を挙げると「賛成でないなら反対ということだな」と言うもの。
賛成でも反対でもない場合が往々にしてあるが、誤った2分法では上記のようにそのような選択肢を与えない。

さらに数学的になるとゲーデルの不完全性定理というものがある。自己言及のパラドックスの数学版だ。

こうした理論を少しでも知ると、バカ言ってんじゃないよ、と思えることが世の中に数多く存在することがわかる。

例えば「A案かB案か、または他に何かありますか?」と言った問いかけは実に多い。
小学校の学級会から会社の会議でも、これのオンパレードだ。
これが非常に危険なのは、その場で皆が膝を打つような「他の何か」が出てこないならA案かB案のどちらかを選ぶことを強制しながら、表向きは合意して決定したことになるからだ。

そもそもすぐに別の良い案など出るわけがない。「えーと1週間ほど時間もらえますか?」などとは誰も言えない。言いにくい。なぜなら1週間後に皆が納得するような画期的な良い案を私が考えてくる、と宣言するように聞こえるからだ。

だからA案かB案に決まる。
他の選択肢の存在を証明できないならA案又はB案を選択すると言い換えても良い。

だが「証明できない」ということは、本来あるかもしれないしないかもしれないということで、決して「ない」と同義ではない。

さらにA案かB案のどちらが「やりがいがあるか」とか「おもしろいか」などとバリエーション展開することもある。

こうなるとさらにタチが悪い。なぜなら暗黙のうちににA案かB案のどちらかに見かけ上、賛同以上の好意を表明したような形で帰結されるからだ。

先のクレタ人の話にしても、実はこれはパラドックスなどにはなっていないのは周知の通り。

そもそも「全て嘘」というのは実は「全て真実」と意味的には同等で、間違いが許されないこういったシステムは実現不可能なのだ。

無理に作るとHAL9000のような運命が待っている。

だから達成不可能な前提条件を絶対条件にした理論など語るも無駄ということなのだ。
回答は往々にして「あやふや」でファジーでフラジャイルなものなのだ。だから意味があるとも言える。

そして、この「あやふや」や「証明できない別の選択肢」の中に本来選択すべき、が存在することが実に多いのである。

ところでHAL9000だが、難解と言われるあの映画だがアーサーCクラークは本作の前に「歩哨」という短編でそのアウトラインをすでに発表してあった。

もうすっかり内容は忘れてしまったが、その時感じたのは、2001は小説の最後の方の比喩的な表現とかキューブリックの映像で、何か哲学的な何かを表現した、みたいな話に勝手に盛り上がってしまったけど、まあそれで儲かるならそれでもいいや、だったのだろうが、そんなのではなさそうだ、ということだった。

この小説は小難しくなく、単なるファンタジーで、キューブリックもそのファンタジーの映像化そのものであり、哲学的な含みなど全く無いな、と。

人は死んだら星になる、というファンタジーをそれっぽく冒険SFの収束しないストーリーの結末にポンと付け加えた、と言うか置き換えただけだ。それがスターチャイルドで、その視点からは全てがファンタジーで地球での核戦争の閃光も花火のようでキレイなのだ。つまりそんなことどうでもいいのだ。星になり星の世界に価値観がシフトしておしまい。だから完全無欠のコンピュータもその暴走も、もうどうでもいいや、と放り投げた、というより考えるのやめた。というお話し。

ところが映画化であれだけ評判になると、あーだこーだが始まり、ああなってしまった。
私も高校生の時最初に映画館で観た時は、うーん?となったのを覚えている。

誰も「違いますよー、意味なんて考えるだけ時間の無駄ですよー」とは教えてくれなかった。数多い書評や映画評論も。

皆こぞって難解な映画にそれらしい妙な散文的なものばかりで、そしてそれらは皆、作品を無条件に礼賛するものばかりだった。
まあ面白い小説だし映画だったからね。

だがその後続編2010が出た時は笑うしかなかった。原作は読む気にもならなかったが映画は観た。2001から9年経ったはずなのに時代は80年代に戻っていて、しかもどうでもよかったHAL9000の故障の原因が映画のテーマになっていた。その原因も何かこう後付けで幼稚、高校生のSF研究会が放課後みんなで話し合って決めたようなものだった。

あー、「2001」に真面目に付き合わなくてよかった〜と思った。

2022年7月28日木曜日

お散歩写真、新宿

新宿に用があって出たついでに写真を撮った。

今日もDP2merrill。このカメラは基本的に風景専用のカメラといっても差し支えないだろうが、さらにどちらかというと明るい日なたより日陰が得意だ。

もちろんポートレイトに使えない、モノ撮りに使えない、という訳ではないのだが結構ストレスがあるのは否定できない。
さて、最近雨の日が多かったが、久しぶりの晴天、真夏の太陽がギラギラしている。気温も非常に高い。
そんな所はちょっと苦手なDP2merrillだが、まあ試してみるのはよいだろう、と持って出た。

撮影はすべてRAW+JPEGで、基本JPEGは確認用として、今回はRAWをSPPで現像しphotoshopで仕上げた。

うっかりISO感度を400のままで撮影してしまった。その他の設定もあまり考えずに撮ってしまった。
反省である、まあ暑さのせいということにしておこう。

ISOは100で絞りは5.6か6.3くらいが適正だったね。
おかげでSPPでだいぶ手を加えることになった。それでも白飛びしないところがたいしたもの。

DP2merrill f3.5 1/1250 ISO400




DP2merrill f3.5 1/1250 ISO400




DP2merrill f3.5 1/1250 ISO400 SPPでモノクロームに変換



DP2merrill f3.5 1/1250 ISO400









2022年7月12日火曜日

お散歩写真、品川

今日のお散歩写真は先日出かけた品川シーサイド。

娘と一緒に写真の練習。私はSigmaのDP2merrill。
このカメラは換算45ミリレンズの単焦点なのでアングルに工夫が必要になる。
ズームレンズなら大きさの調整もできるので自由度も高い、カメラを覗きながら写す範囲を決めることができる。それはそれで楽しいのだが、単焦点では全くやり方が違ってくる。単焦点での風景写真は画角が決まっているので、カメラを向ける前に常に「これくらいの範囲が写る」と頭に置いといて、その画角に合わせて被写体を選ぶようにして歩く。もちろん近づいたり離れたりして写す範囲を調整することはできるが、景色の場合は移動による調整は限定的なことが多い。

例えば富士山、もっと大きくと思ったら単焦点では車で何キロも移動する必要があり、現実的ではない。そうこうしているあいだに陽が沈んでしまう。

だから単焦点では例えば富士山なら、大きさは変えられないので、他に何を一緒に写すかを考えた方が現実的だ。これならそれほど移動しなくても済む。

街並みならもっと自由だ。いろいろあるものを組み合わせてどう撮るか、そこが単焦点の風景写真のおもしろさだろう。

常に画角を頭に入れて、散歩し、立ち止まって撮影し、また歩く。お散歩写真の楽しみ。

また下の例の1枚目や2枚目のように、飛行機や人の動きを見て、ここに来たらシャッターを押そう、というのも有効だ。

画角とともに、シャッターチャンスを考えながら歩く。初めはうまくいかない、気がつかないで通り過ぎる。だが続ければかならずうまくいくようになる。

さて一緒に来た娘はいつものオリンパス。最近はこの手の写真はもう十分上達したので、私からアドバイスは必要ない。時々見せてもらって「いいね」と、それだけ。

カメラを買ってあげたのが去年の5月頃だったかな、出かけるときにいつも持って出て、撮り続ければ1年で普通に良い写真が撮れるようになる。要は続けることだ。
でもまだ「瞬間の切り取り」は難しいらしい、もう少し練習かな。

で、今日の写真は、RAW現像なしで、カメラ生成のJPEG。

DP2merrill f/4 SS1/800 ISO100




DP2merrill f/4 SS1/1250 ISO100



DP2merrill f/4 SS1/1000 ISO100




DP2merrill f/4 SS1/25 ISO100



帰りにジャスコだったかサティだったかで買い物。でも何だろう、あまり好きではないな、この雰囲気。どうしてだろう?

ではなぜ買い物したかというと、ここのカミソリが良いから。家の近くの同じ系列のスーパーにも以前はあったのだが、先日ストックがなくなったので買いに行くと置いていなかった。
なのでついでに買って帰った。




2022年7月11日月曜日

イラストレーターの初期設定フォントの変更



イラストレータの初期設定フォントは「小塚ゴシック」となっている。
べつに小塚さんに恨みはないが、初期設定フォントを簡単に変更できないのは困ったものだと思っている。だが方法はある。

今日はadobeイラストレーターの初期設定フォントの変更方法について。

その前に初期設定フォントの「小塚ゴシック」について。
理工学系の文章を扱うデザイナーで小塚ゴシックを使う人はかなり少ないと思う。理工学系に限らず「小塚ゴシック」は使わない、という人も多い。それもわかる、私もそのひとりだから。
まずは簡単にその理由について。
比較するのは「小塚ゴシック」と「ヒラギノ角ゴ」。
理工学系文書で私が使わない理由から。
円の直径を表す「φ」、アルファ、ベータ、ガンマのガンマ「γ」の形が特殊。
また、算術記号の「+」「−」「×」のサイズがまちまち。


あまり気にしないで使っている例を見るが、例えば「直径10m」を

とあるべきところを

と表示して違和感を感じないのだろうか、と不思議に思う。
ちなみにギリシャ文字のファイが上記のように2種類あるのは問題なく、ファイという文字としては小塚ゴシックも間違っているわけではない。問題は円の直径を表す記号としてのファイである。
これが四角形の話なら問題なかった。□であれば、□50で何かと間違う心配は皆無だろう。
だが円の直径を示すのに○を使うと0(ゼロ)やO(オー)と間違える。
そこで棒を加えて表すこととした。よく数字の0(ぜろ)の中に点を打ってO(オー)と区別するのと同じ考え方である。
この棒を加えた○の代用にギリシャ文字のファイを代用できるため今では直径をファイと表現するのが一般的となった。ただし、あくまで○に棒の代用なので、ファイならなんでもよいと言うわけではなく、小塚ゴシックの文字形状は正しいとは言えないということである。
ときどきあまり気にせずに小塚ゴシックと同じ形のファイを数式組版で使っている例を見かけるが、これは間違いである。

また「+」「−」「×」の他にも、式の中で大きさがまちまちの算術記号を使うのは、私には考えられない。見た目のバランスが悪いし、わかりにくい。
数式はもっとエレガントであるべきだ。
ヒラギノ角ゴと異なり小塚ゴシックは大きさがあまりに異なりバランスが悪い。
似たような記号でこんなに大きさが違うものを同じ数式の中に使うのはいかがなものだろうか。

つぎに「ひらがな」のプロポーションについて。

私は「ひなさましきち」、略して「ひなさま問題」と呼んでいる。小塚ゴシックのあまりバランスの良くないひらがな7文字である。







まあ「ひらがな」に関しては好みの問題もあるので一概にどうとは言えないが。
メタボな「ひ」、てんの向きがビミョーな「な」、独特のプロポーションの「さ」、へんてこな返しのついた「ま」など、そして共通するてっぺんの「ハネ」など、どうなのだろう?
少なくとも私は好きではない、だから使わない。

最後に私は絶対使わない小塚シリーズだが、数字は見やすくキレイなのでノンブルには良い。だが仮にノンブルに小塚ゴシック使うと、間違えて、または他の人が作ったデータを読み込んだときにフォント検索で小塚ゴシックを見つけて変更、というのが面倒になる。
だからもし小塚ゴシックが初期設定フォントでさえなかったら、もう少し使えたのに残念である。

さてさて、前置きが長くなった。別に「小塚ゴシック」を貶すためにこの記事を書いているわけではない。

問題は、adobeイラストレーターの初期設定フォントが「小塚ゴシック」固定で、ドキュメントを新規に作るたびに「小塚で作りましょ〜」となる点だ。
そこを変更する。
その方法を紹介する。

Macの自分のユーザフォルダを開く。
「ライブラリ」フォルダを探す。もしない場合は非表示設定となっているので、表示に変更する。
Finderで、ユーザフォルダをアクティブな状態で、メニューバー>表示>表示オプション
を選ぶ。

”ライブラリ”フォルダを表示にチェックを入れる。


ライブラリフォルダを開く。
ライブラリ>Application Support>Adobe>Adobe IllustratorXXを開く
XXはバージョン番号。
ja_JPフォルダの中のNew Document Profilesを開くといくつかAIのファイルがある。


たとえばイラストレータで新規ドキュメントを作るときのプロファイルに「プリント」を使うなら、ここで「プリント.ai」をダブルクリックしてイラストレーターで開く。

ただし念のため、先に予備をデスクトップにコピーしておく。
「プリント.ai」をイラストレーターで開いたら、
メニューバー>ウィンドウ>書式>文字スタイルを選択する。


「標準文字スタイル」をダブルクリックする。


基本文字形式でフォントファミリーを「小塚ゴシック」から好きなフォントに変更し、OKをクリックしウィンドウを閉じる。

メニューバー>ファイル>別名で保存、を選択し、もとのファイルの上書きを行う。
(直接の上書きはできないようになっているので、別名で保存を選び上書きする)

これで完了。
adobeイラストレータで新規ドキュメントを作成し、そのときプロファイルを先ほど上書きしたものを選ぶ。
文字ツールにある初期設定フォントが「小塚ゴシック」から先ほど選んだフォントに変更になっているはずだ。
うまくいったら、デスクトップにコピーしておいたファイルは削除してかまわない。


さて、この初期設定フォントの変更だが、サイズなども変えることができるので、自分でよく使う文字サイズを選んでおくのもよいだろう。

2022年6月30日木曜日

冷やし中華

忙しかったのでブログは半月ほど更新できなかった。今日は少し落ち着いたので、料理について。

今日は冷やし中華。
材料は、中華麺(ウチは細麺が好み)と具材とタレ。
具材は、錦糸卵、キュウリ、もやし、鶏もも肉、ローストポーク、ミョウガ、しその葉、クラゲの塩漬け、干し椎茸。


タレの材料は、穀物酢、しょうゆ、ごま油、中華顆粒スープの素、焼き肉のタレ、ごま。

まずは具材の準備
最も時間がかかるのが干し椎茸。水で戻すのに約6時間、冷蔵庫で。
塩クラゲも1時間くらい前に水に漬けて塩気を抜く。

鶏もも肉は、鍋に入れて水から茹でる。茹でる際、皮は剥いでおく。剥いだ皮はテフロンのフライパンで油は入れずに塩コショウで炒めておく。
茹でる際、長ネギの青いところをいっしょに茹でる。
沸騰したらアクを取り除き、さらに3分ほど茹で、火を消しそのまま中まで火が通るように少しのあいだ置いておく。
中まで火が取ったら、小ボウルに移し冷ましておく。

もやしはさっと水洗いのあと、小鍋で湯を沸かし塩を加え、20秒くらい茹でる。
ザルにあけてよく水気を切る。水でさらさない。小ボウルに入れて冷ましておく。

錦糸卵をつくる。卵はフォークを使ってよく溶いて、テフロンのフライパンにペーパーで薄く油を塗り、お玉1杯弱ずつくらいで薄焼きにする。裏返す際は、フライ返しを使うと破けるので両手で端をつかんでひっくり返す。ただし熱いので、端をフライ返しで3センチくらい持ち上げ、10秒ほど置く。そうすると冷めるので、手で持っても大丈夫になる。
右手フライ返しで持ち上げ、10秒立ったら左手で持ち上げたところをつかみ、フライ返しを置いて、右手で少し離れたところを持ち、両手でよっこらせ、とひっくり返す。
いろいろやってみたがこれが一番良い方法だと思う。
何枚か焼けたら、皿に入れて冷ましておく。

干し椎茸を冷蔵庫から取り出し、斜めスライスでなるべく薄くカットする。
戻し汁を鍋に少し入れて日本酒を少し加え、スライスした椎茸を3分ほど煮る。これで味が良くなる。
できあがった椎茸は良く絞っても小ボウルに入れ冷ましておく。

キュウリやローストポークをカットする。普通はハムを使うようだがローストポークやローストビーフの方が美味い。

鶏肉が冷めたらこれもスライスする。なるべく薄く。

水で戻したクラゲはさっと湯通しし冷水でよくすすぎ、氷水でしめ、絞って水気を切り小ボウルに入れておく。

中華麺をたっぷりのお湯で茹でる。茹で上がったら冷水でよくすすぐ。両手でもみ洗いするように良くすすぎ、最後に氷水でしめる。

中華麺を皿に盛り、具材をのせる。

干し椎茸の煮汁は大さじ2くらい残し残りは捨てる。大さじに2の戻し汁に中華顆粒スープを少し加え、十分冷めたら冷やしておいたお酢、しょうゆ、ごま油、ごまを加え軽く混ぜる。

ウチは甘いのが苦手なのでミリンは入れない。代わりに叙々苑の焼き肉のタレを少し加える。

これは先々週かな、暑くなり始めたので「冷やし中華にしようか?」と言ったら、娘が「キライ」と言うので、「どうして?」と聞くと、「甘いから」。

なら甘くないの作ればいい、と試しにミリン無しで少し工夫して作ったら、すっかり気に入ったらしく、週に一度は冷やし中華になった。

このタレをたっぷりかけて食べる。


我が家の冷やし中華の完成、具だくさんでまったく麺が見えない。
こういうのを「見た目もおいしい」と言う。
一度これを食べると、お店の冷やし中華が貧相に見える。
だから外では食べない。
さて、
まだ6月だというのに梅雨が明けたらしい。
これからしばらくは週に一度は冷やし中華かな。

2022年6月14日火曜日

お散歩写真、西新宿

先日夕方、仕事の合間に新宿まで散歩した。梅雨入りしたらしく雨の日が増えてきた。だから天気の良い日は散歩には貴重だ。

仕事はそこそこ忙しいがなるべく散歩するようにしている。
最近は再び遊園地の仕事が増えてきた。新型コロナもだいぶ落ち着いてきて、各遊園地とも集客増を狙って新しいアトラクションや施設の改善に積極的なのだろう。
この日の散歩のカメラはDP2Merrill。画角は45ミリ(APSC30ミリ)なので、眺めている景色、つまり視野角の半分を撮影する画角となる。
正確には人間の視野角は180度近くあるが、意識して見られる範囲は60〜90度くらい。
45ミリレンズの視野角が約40度なので、だいたい半分くらいとなる。
見ている風景の半分を捨てる、ここが辛くもおもしろいところ。

新宿のような高層ビル群の街並みでは、人間の視野角より少し広いレンズを使った方がダイナミックでおもしろい写真が撮れる。しかし広角はどうしてもありきたりになりがち、誰が撮っても同じようになる。
それでもダイナミックで非日常的な視野はそれだけで良く見える。
そう、「非日常」、これがキーワードのひとつ。
非日常とはどういうことかと言うと、例えば空の色が青だと特別感はない。だが夕焼けで真っ赤に染まると特別感があり、それだけで価値が上がったように感じる。紫や緑になったらもっとすごい。それが非日常性ということ。

以前、南の島のビーチリゾートで休暇を過ごしたことがある。いわゆる「真っ青な空、透明な海、真っ白な砂浜」というところ。私にとっては「非日常性」のすんばらしい眺め。

水深5mくらいのところでも海底をクリアに見ることができる。泳いでみた。空を飛んでるみたいになる。正に「非日常」。

そのリゾートでバイトをしている近くの漁師のおっちゃんと話をした。
彼が言うには、ここで生まれてずーっと見ているから別に何とも思わない、と。
彼が特別なのではなく、人とはそういうものなのだ。大変勉強になった。

景色を撮るというのもそういうことで、見慣れたもののなかに見慣れない何かを発見をすることがおもしろみなのだろう。
普段あまり気にしないものに改めて注意を向ける、そんなような。
だからDP2Merrillで撮影するときも、そんな風に被写体を探してみる。

撮ってみてイマイチもたくさんある。気にすることはない。それがスキルアップというものだ。お湯を注げば誰でも失敗せずに作れるカップヌードルに料理の面白さは無いように、失敗しない写真にもおもしろみは無いはずだ。

さて、今回はカラーと白黒を同じ写真で生成してみる実験をしてみることにした。
白黒写真はそれがダメだとは思っていないが、白黒にするだけで安直に作品ぽくなる、という危険をはらんでいる。

だから街撮りで白黒は非常に危険とも言える。
これは芸術の特性というものと関係してくる。美術評論の高階秀爾氏の著書「現代美術」(筑摩書房)に「芸術は常に現実から何かを引き去ることで成立する」というたいへん示唆に富んだ名文がある。

絵画は現実から立体3次元から1次元を引き去り2次元にする。次元を引き去る。

彫刻は3次元のままなので、材質やスケール感を引き去る。だから等身大で着色された彫刻はほぼ存在しない。そんなものは蝋人形と同じで芸術性は全く感じられない、と。

無論引き去ればそれで合格、ということではない。引き去ることは必要条件ではあるが十分条件とは言えないからだ。

しかしながら写真の場合、色を引き去ることで芸術性が高まったように感じてしまうのもまた事実だ。だから「非常に危険」なのである。
風景写真は難しいのだ。

ナイアガラやマッターホルン、ゴビ砂漠、フィレンツェ、そんな所に行けば非日常的で素晴らしい景色が眼前に広がっている。だが過去に数万人、いや数千万人が同じような写真を何億枚と撮っているだろう。

そういう景色が近くに無いことを嘆くより、身近にありながら埋もれているおもしろみを発見すること、そして単に白黒にして「なんちゃってノスタルジック写真」にするのではなく、そうではない何かを歩きながら見つけることがおもしろみだと思う。

普段あまり気にしない彫刻に夕陽が当たり激しいコントラストで際立っていたり、悪趣味な超高層ビルが新しくできた美術館の窓ガラスに、まるで映しだすことが目的だったかのように反射していたり、高さのまるで異なる高層ビルと街路灯がまるで語り合うように向かい合うように見えたり、と。

アイランドタワー近くのこれはリキテンシュタインの彫刻かな
DP2merrill f/4.5 SS1/800 ISO100 SPPカラー現像




同上 DP2merrill f/4.5 SS1/800 ISO100 SPPモノクローム現像




損保(旧安田火災)美術館の新しい入り口 
DP2merrill f/4.5 SS1/60 ISO100 SPPカラー現像






同上 DP2merrill f/4.5 SS1/60 ISO100 SPPモノクローム現像



コクーンタワーと街路灯
DP2merrill f/4.5 SS1/200 ISO100 SPPカラー現像




同上 DP2merrill f/4.5 SS1/200 ISO100 SPPモノクローム現像










2022年6月12日日曜日

なつかしい絵本

最近、また遊園地の仕事依頼が増えてきた。先週は名古屋、今週は首都圏だが家から電車を4回も乗り継いで打合せに行ってきた。

その時都営大江戸線でまた絵本のラッピングをしてある車両を目にした。楽しい絵なので、よく見える席に移動した。


「だるまちゃんとてんぐちゃん」という絵本の絵。前回見つけたのが「ぐるんぱの幼稚園」だったので、福音館続き、こういうのは好きだ。
家に帰って写真を見せながらカミさんと娘に話すとおもしろがっていた。
次は何かな?、あと何があったっけ?
という話になった。

「ぐりとぐら」、そして「たろうのおでかけ」、娘が、それなら「そらいろのたね」は?と言うので、どうして知ってるの?と聞くと、ウチの図書室にあると言っていた。

あと福音館ではないが「ちいさいおうち」や「ちびくろさんぼ」なんてのも有名だね。ちびくろさんぼはクレームがついて絶版となったが、最近出版社を変えて復活したらしい。
絶版とはバカな話だね。
「ぐるんぱ」と「そらいろ」と「ちびくろ」は家にあるようなので、その他を注文することにした。なつかしいので。

Amazonは嫌いなのでヨドバシに注文した。昨日注文して今日の朝届いた。
今日のブランチはオムライス。


食べ終わってからみんなで絵本時間。
サイフォンでコーヒーをいれる。
梅雨入りしたらしいが今日は快晴、外からの風が気持ちの良い日だ。サイフォンは少しの風でもアルコールランプの炎が揺らぐので、今日届いた絵本を風よけにした。


コーヒーとタカノのフルーツゼリーで絵本タイム。
娘は塗りむらとか線とかよく見ると粗も多いけど、でも上手いなぁとか
たろうのおでかけの表紙のアヒル、羽根を緑で塗るのなんて思いつかない、と言っていた。
私が「バートンは緻密な絵だけど絵全体にダイナミックな動きがあってすごい」と言うと娘はじっと眺めていた。私には懐かしさが主だったが、娘にはずいぶん参考になったようだ。


あと1冊、「ひとまねこざる」が取り寄せでまだ届いていない。
さて、日曜とは言え仕事が山積みだ。
だがしばしのあいだ、のんびり。