2025年9月8日月曜日

9月8日皆既月食

 今日は皆既月食が見られた。台風も通り過ぎて天気も上々、時刻も夜中の3時半がピークなのでまずまずの高度。今回も写真を撮った。ただしカミさんと娘は数日前から体調を崩して今回は不参加。また、私自身も仕事が結構忙しく、そんな訳で家の前で観測と撮影である。まあ仕方がない。

1時半、月食のはじまり、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 1/1600 ISO640、手持ち トリミングなし


1時50分、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 1/640 ISO640、手持ち トリミングなし



2時30分、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 0.5 ISO6400、手持ち トリミングなし



3時27分月食のピーク、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 0.5 ISO6400、手持ち トリミングなし

と、ここで家の前からでは向かいの家の屋根に隠れて見えなくなってしまった。カメラ担いで広いところに行けばいいのだが、今回はここまでにしておこう。明日は打合せもあるので。

次の月食は来年の3月、つまり半年後。時刻は今日よりもだいぶ早く、次は家族みんなで見に行くのもよいだろう。




2025年9月4日木曜日

運転免許の更新で思ったこと

仕事は忙しいが散歩は好きなのでまだまだ暑い日が続くが打合せなど出かけたときは少しだけ散歩するよう心がけている。

打合せの時撮った写真、隅田川

特にウチの近くには海や川や森はないので、そういうのが見られる場所の時は少し早めに家を出て散歩するのが楽しい。

 さて、先日運転免許の更新に東陽町まで行ってきた。普通であれば無事故無違反なら最寄りのウチだったら歩いてすぐの新宿警察署か都庁である。だが前回うっかり失効してしまい、おかげで保険料率は高いわ、更新にわざわざ東陽町まで行かねばならないわ、で踏んだり蹴ったりなのである。失効はもちろん私が悪いのだが、更新のお知らせハガキが届かなかったのも不運だった。どうして届かなかったのかはわからない。届いたが毎日大量に投げ込まれるピザ屋のチラシなどと一緒に誤って捨ててしまったのかもしれない。

また今でも覚えているが免許証に平成34年の誕生日まで、なんて書いてあったこと。私は天皇制に賛成でも反対でもないがこの平成だの令和だのにはことごとく不満なのである。「年」というのは大きく2つの用い方をする。1つはいつなのかという表記である。申込書の今日の日付を書いたり、生年月日を記入するような時。そしてもう一つはある年から別のある年まで何年間あったかという期間を計算する際の起点と終点の表記である。そしてこの両方に平成だの令和だのは不便極まりないのである。

例えば前述の平成34年の誕生日である。年号が変わると意味不明になる。もう一つ期間もそうだ。「1960年代後半からの高度成長期」とあれば今から何年前のハナシなのかは小学生でも5秒で計算できる。だが例えば「昭和60年のヒットソング」なんて言われても今から何年前なのか絶対誰も5秒ではわからない。「あっ、それわかるよ昭和は25足すと西暦になるから昭和60年は1985年・・・」なんて言うアホもいるだろう。一旦西暦に変換してどうすんの、と言いたい。

まあいい。そんな訳で、前回泣く泣くブルー免許になったのだが、今回新しく交付された免許証見たら年号のところにカッコで西暦が追加になっていた。見た瞬間「バカタレ、遅い!」と東陽町の4階で小さな声で言ってしまった。

また今回の更新でゴールドに戻るかなと思っていたら、これが違っていた。一旦失効してブルーになると5年間修行が必要で、3年後の更新時ではまだ修行が足りないのである。やれやれである。もう東陽町なんぞに行かなくて済むと思っていたのに〜。帰ってカミさんに話したら、「じゃあ次は品川だっけ、そこにしたら〜」とケラケラ笑っていた。そだね。

さて、今回東陽町で運転免許を更新して普段気づかないことにも気付かされたのがおもしろかった。私が普段コミュニケートする相手は優良企業の技術や営業の人たちで、そういう人達とは会議でもメールでも、ひと言で言うと「効率的で無駄が少ない」つまり「まともな」コミュニケーションが成立する。たまに「うーん」ということも無いわけではないが、そんなときはちょっと困ったなぁとなるのだが、まあその程度だ。

だが実は世の中の平均はもっとドーンと低くて、たとえば交通安全協会だかの教官も受講者も一緒に働くのはありえないなぁと思うのである。これはまあ向こうも私に同じことを感じているだろうから、世の中の平和は維持されると考えよう。教官は毎日毎日同じことをもう何十回も話しているだろうになぜ?。受講者も同じでマークシート式の問題のシートが配布され鉛筆でもボールペンでも何でもいいので設問に丸バツで答えてくださいと言われた。もし何も持っていない人は鉛筆を貸しますよと。まあうっかり筆記具を忘れる人も1人か2人、筆記具なんてぜーんぜん持ってこないマヌケも2、3人はいるのだろうなどと思いながらヒマなのでぼーっと考え事をしていたら、その教官が、では筆記具を何も持っていない人は前に来て鉛筆を受け取ってください、と言ったとき、なんと受講室の半分以上の人が一斉に鉛筆を取りに席を立ったのだ。一瞬呆気に取られたがすぐに思い直した。普段私が打合せをしている人達がむしろ特別で、そういう人たちとだけ仕事ができるということを素直にありがたいと思わなければいけない、と。

それで思い出したことがある。以前会社勤めをしていたとき、東南アジアの国に技術指導ということで出張に行っていた。そこで始めのミーティングで、「今日の午前中は講義をするので全員会議室に集まって下さい」と言ったら、誰ひとりノートもペンも持ってこなかった。「うーん、そこらへんから教えないといけないのね」とまるで小学校の先生である。「今から講義をするけどノートは取らなくて大丈夫なの?」と聞くと、スタッフのひとりが恐る恐る言った「私たちまだノートもらってません」。そこで「ペンは持っているの?」「デスクにあります」「じゃあコピー用紙は?」「コピー機のところにあります」「じゃあそれとペンを持ってきたらメモが取れるね」「そうです」「じゃあ持ってこようか」でやっとみんな準備を始める。ちなみにやりとりは全部英語でお互い言っていることが分からないということはない。

運転免許試験場の風景はその思い出を見事にフラッシュバックさせてくれた。ああ今や日本も半分は発展途上国になったのだね、と。

でもその東南アジアの国のスタッフはみんな素直で、私が「講義のときは必ずノート、なければコピー用紙でもいいけど、かならずメモが取れるようにして集合すること」と伝えたら全員次から必ず紙とペンを持って集合した。今の日本はため口きいて言うこと聞かないのが多そうで、「必要ならそっちで用意したらいい」なて馬鹿が結構多そうである。そういう意味では日本は発展途上国以下かもしれない。

日本は何をまちがえたのか。「ゆとり教育」と「多様性の尊重」だ。これは間違いない。ゆとり教育は単に努力しない「怠け者」を量産化し、多様性は「わがままな馬鹿」を量産化したにすぎない。ゆとり教育も多様性も各教科ごと成績上位10%にのみ通用する手法で、ゆとり教育したかったら成績上位10%に入りなさい、とやるべきだったのだ。

学校教育といえば、もう一つ。以前取引のあったソフトウェア会社のリーダーの人と海外出張のとき食事をしながら話しをした。ちょうどウチの子の小学校受験のあとだったのだが、その人が言うには子供が小学校に入学するとき、近くの公立小学校で説明会があった、その時集まった多くの親の姿を見て、急いで私立の受験に切り替えた、と。その人が言うには「普段見ないけど、この人達はどこから湧いてきたの」と思ったらしい。

日本は今貧富の格差がどんどん進んでいる。同時に能力格差や教養格差も同じように着実に進んでいる。やがてこれが階級格差のようになって犯罪も増えてくるのだろう。階級格差は必ず犯罪を増加させる。なぜなら下の人は自分たちが下なのは搾取や不平等の結果で、社会は自分たちを守ってくれない。社会は上の方の人たちが自分たちに都合が良いようにしているから、と妙な原因説を流布する人たちの言説に簡単に乗っかり「そうだ、そうだ」となるからで、これはどうやっても止められないからだ。

さて、先の東南アジアでの出張の時、休日ヒマだったのでショッピングモールに音楽CDを買いに行った。クラシックは無理っぽいけどジャズならあるだろうと思い、店員に「ジャズはどこですか」と聞いたら親切にこの棚です、と教えてくれた。ずいぶん少なかったが、仕方がない、その中から探そうと思いタイトルを見て驚いた。いわゆるジャズは1枚もなく、ディーンマーチンとかフランクシナトラとかバリーマニロウのCDが並んでいた。仕方なく手ぶらで帰ったが、今思うに日本もこの先どんどんこういう風になっていくのだろう。つまりJ-popやらK-popやらAORみたいなのばかりになり、しかもそれらを配信サービスで聞き流すだけに。そうなるとまともに音楽を聴きたい人も音源を入手するのがどんどん難しくなるのだろう。


運転免許試験を出て地下鉄の駅に向かう途中に見えるアパート群。なんだかすごく不安な気持ちにさせる風景で、だから苦手なのかもしれない。





2025年8月30日土曜日

快適な環境、空気と音

私は基本的に香水はおろかトワレもコロンもほとんどつけない、使わない。だがこの時期電車の中など結構汗臭い人も多い。そんなとき、ハンカチにほんの少しトワレを吹き付けたものを持っていると助かることがある。また、自分自身も長時間外を歩くような時、汗をかいて脇の下が微妙に臭わないか気になることもある。そんな時もほんのわずかトワレをつける。あらかじめ出かける前につける。ほんのちょっとだけ。そもそも汗というのはほぼ無臭でぷーんと臭う人は雑菌が繁殖しているからで、きちんとカラダを清潔にしていれば汗をかいたから臭うようなことはない。

話は変わるが、私は子供の頃から目と鼻と歯は自慢ではないが高性能で、視力は余裕で2.0を超えていた。視力検査の時、保健の先生が2.0のCを指して、それにすぐに答えると、「かなりはっきり見える?」と聞かれたので大きさが半分以下でも見えると思います、と答えた。「多分3.0とか4.0とかだね」と言われた。電車で向かい側の窓側席の人が読んでいる新聞の記事が読めた。歯も歯医者には一度も通ったことがない。そして臭いも敏感で、ただしこれは困ったことも多かった。臭いが気になって頭痛がすることも多く、特に汗臭いのとか洗濯物の生乾き臭とか味付け肉みたいなのを焼く臭いは本当に苦手だった、今でも苦手だ。以前東南アジアに出張にほぼ毎月行っていたが空港もオフィスビルも街中もどこも安い揚げ油の臭いがして辛かった。臭いのないのは泊まっていたホテルの中だけだった。だから自分自身、たとえほとんど臭わなくてもわずかでも汗をかくと気になる。だからほんのちょっとトワレなのである。娘も私に似て臭いには私以上に敏感で、一緒に出かけて汗臭い人などが近くにいると逃げ回っている。お腹が痛くなったり、かなり辛いらしい。

で、このトワレ、使う量は少ないので1瓶あると結構長い間保つ。本当は数年で期限切れになるらしいが、それほど気にならないので、涼しい場所に置いて10年以上使っている。

で最近はロクシタンのグリーンティーが好きで使っていたのだがボトルのスプレー部分が壊れてしまった。

そこで100均でアトマイザを買って使ってみたのだが、これが全然ダメで、スプレーすると少し手に匂いがついてしまう。スプレー部から少し垂れるようでアトマイザを手で持つだけで手に匂いがついてしまう。気になるほどではないという人も多いだろうが私はダメ。毎回スプレーのあと石けんで手を洗っていた。

これ、どうにかならないかな、と思ってAmazonで調べると昔の香水瓶みたいなシュポシュポが別になっているものがいくつかあったので、念のためレビューをみると中国製はやはりダメで漏れるだの壊れるだのと悪い評価がそれなりにあって使う気にはならない。もう少しないか調べてみたら日本製のをみつけた。評価もまずまず、すぐに注文した。

デザインの好き嫌いはさておき、さっそく使ってみたがとてもよかった。株式会社ヒロミチという会社のアトマイザ。 ワンプッシュで出る量も少なめでたいへんよろしい。

アトマイザ

こういうの、中国製の全てがダメとは言わないし、国産の全てが良いとも言えないが、やはり中国製は圧倒的に国産と比べ造りが大雑把なものが多い。国産は価格が2倍以上だが長く使うものはよく考えて買った方がよい、とまあこれは常識かな。でも耐久性や使うたびに感じるストレスに値段をつけると中国製は決して安い買い物とは言えないということをもっと意識してもよいと思う。またこのアトマイザのように国内でまじめで確かなものを作っている会社を未来に繋げるために応援することもとても大切なことだ。

さて、トワレやアロマオイルなどはこのほかいくつか持っていて、これは海外出張で早めに空港に着いて免税店をぶらぶらしているとき買ったものが多く書斎だけでも何本か見つけた。


その時の気分で買ったものなのでほとんど使っていない。今年使ったことがあるのは手前のロクシタンと左端のネロリくらいかな。ネロリはアロマオイルなので遠くに置いたアロマディヒューザーに垂らして使う。これもほんの少し。私の仕事では部屋にとじこもって何時間もMacを使っていることが多い。なので時々お香を焚いたり、アロマオイルを使ったりしてリフレッシュすることがある。

さて、匂いの話はこのくらいにして、次は音。
仕事をしながら聞く音楽はMacMiniのitunesからifiのUSB-DAC経由でアンプはmacintosh MA6450、スピーカーはヤマハのNS1-classicを使っている。ただしビデオ編集の仕事の時は、入力をメインのMacStudioに切替え同じスピーカーでプレイバックしている。このMacStudioはオーディオ出力から自作の出力切り替え機で、ヘッドセットとアンプの切替えをする。なのでボリュームはヘッドセットでちょうど良いレベルにしてある。だがそのままでは音楽を聞くときと音量にかなり差があってビデオ編集が終わって音楽に切替えたら音が大きい。夜中などけっこうびっくりする。
まあ、気をつければよいとも言えるので今までそのまま使ってきた。
もちろん解決方法だけはいろいろ考えてきた。ヘッドセットとビデオ編集の音量は今のままで音楽の方のレベルを下げる方法1、または音楽とビデオ編集の音量は変えずにヘッドセットのボリュームだけを下げる方法2の二択である。
原理的にはヘッドセットだけ下げるのが簡単だが切替機を分解して内部に抵抗やら可変抵抗など付けなければならない。残念ながら今は仕事が忙しくそんな時間はない。そこで一旦は簡単にDacの出力側に以前作ったπ型アッテネーター内蔵のピンケーブルでも入れてみようと考えた。
で、さっそくやってみたのだがなぜか音が出ない。π型アッテネーターなんて抵抗器だけなので普通壊れたりしない。π型なのでインピーダンスも変わらない。うーん。仕方がないので元に戻す。でもなぜかまだ音が出ない。やれやれ、あれこれチェックしていて原因がわかった。なんとifiのDACはボリュームがゼロになっていた。なぜかボリュームつまみで出力が変わる。何で?このDACはヘッドホンアンプを兼ねているのでボリュームはヘッドホン出力だけだと思っていた。
つまりπ型アッテネーターなんて使わずにDACのボリュームを下げればよいということで、一気にチカラが抜けてしまった。ではどうしてボリュームが下がっていたのか、それはオーディオ機器はケーブルをつなぐ時または外す時は電源を切りボリュームを下げておくことを基本とするので無意識に下げたのだろう。まあこれは良い習慣なので問題ない。で、音は出るようになったが、ふと思ったのが可変抵抗はアッテネーターに比べ音が悪くなることは一般によく知られているということ。そこでもう一度思い直してDACのボリュームは最大にしてπ型アッテネーターで音量を絞ることにしてはどうか、と再びケーブルを交換した。だが思っていたほど音が良くなるわけでもないし、ちょっとゲインが下がりすぎてどうもうまくない。またケーブルを元に戻した。それでこれではやっていることがオーディオマニアみたいではないかと思い、もうやーめた、となった。

働く空間の快適性というのは仕事の能率云々の前に生きていく上ですごく大切だ。何しろ起きて活動している時間の半分以上を過ごす空間である。ここが快適なことはまずもって肉体的にも精神的にも健康な生活のための重要な要素だからである。今日は書かなかったが能率的に仕事をするための道具、パソコンはもちろん作業台や文房具、工具なども重要ではあるが、まず空間そのものの快適性というのは最初に考えた方がよいと思っている。道具などはいつでも買い換えができるが環境はなかなかそうもいかないし、快適な空間づくりとは時間のかかるものでもあるからだ。例えば私は一般の住宅でよく使われるビニールクロスの壁・天井というのが苦手で、そこをどう仕上げるかはなかなかむずかしい。また照明もそうである。天井照明というのが苦手なのでブラケットやスタンドなどで部屋全体の雰囲気を作っていくのは結構時間がかかる作業だ。もちろんこういうことはすべてチャレンジでもあり、その作業は決して苦にはならない。むしろ好きで好きでたまらないくらい楽しい。照明は以前は書斎だけで電球を15個以上使っていた。電気代と球切れという問題があったが、こうした問題を抱えながらもやめられない楽しさと快適性があった。それが今ではLED電球である。電気代も球替えも全く気にする必要がなくなった。実によい時代である。音環境も同じで内装や照明ほどではないが聞き疲れしないよい音で音楽をかける環境を作るのはそれなりに時間がかかる。

話は変わるが、環境ついでにもう一つ、先日クライアントとの打合せで文京区へ出かけた。クライアントのオフィスの近くには小石川後楽園があり、そこの塀が実に風情があってよかった。こういう「環境」つまり街の持つ力というのは私がどう頑張ってもひとりではどうにもならないなぁ、などと考えながら歩いた。
ここは、それはそれはもうただ美しいとしか言いようのない、心がジーンと感じるようなそんな空間だと言える。
美しい小石川後楽園の外塀

だがここ小石川後楽園も後楽園そのものはよいのだが、よりによってこの美しい塀の反対側には清掃工場の中継地みたいなのと道路会社みたいなのがあって台無なのである。私が国土交通大臣だったら死ぬ気で「こういうところにこういう物は建ててはいけません法」を立案したい。もちろん清掃事業も道路工事屋も仕事としては必要でそれを悪く言うつもりは毛頭ない。だがここに建ててはだめだ。ここにはもう少し文化的なものを建てる、そうすることで街の魅力が大いに増すだろう。そしてそんな街に仕事場があったらどんなに楽しいだろうと思いながら打合せに向かった。ちなみに打合せ先のクライアントのビルはあまり魅力的なビルではなかったので、いいなぁ、とは感じなかった。






2025年8月17日日曜日

お盆休みの予定

 製造系や建設系の会社はお盆休みのところが多い。ちゃんとした会社は有給休暇と合わせて1週間丸々休みを推奨しているようで、私のクライアントはまさにこの業界なので1週間の間ほとんど動きがない。だが盆明けまでという仕事も結構多いので私には休みはない。

私は特にお盆に休みが欲しいとは思っていないので、むしろ急な連絡がないのでいつもより集中して仕事ができてありがたいとさえ感じている。

休みはそのうち少し落ち着いたら平日にでもとればいい。その方がどこに行くにしても空いている。

というわけで8月9日の土曜日から缶詰になって働いていたのだが、その仕事も15日金曜までにだいたい目処がついたので、残りの仕事をしながら少し時間にゆとりができた。そこで今日はカミさんと娘と連れだって横浜にでも出かけようかと話をしていたのだが、残念なことに連日12時間以上働いていたせいで少し体調を崩してしまった。朝、頭が重い、気分がすぐれず耳鳴りが止まらない。お出かけは中止で少し横になって休むことにした。私の仕事はデザインの仕事なので肉体疲労というのはほとんどない。だが邪魔が入らず集中して仕事をしているとやはり疲れる。だがこういう疲れは精神的なものなので根性と気合いで乗り切れるはずだ、というのが気持ちの奥底にあって、どうしても無理をしてしまう。するとときどき今日のようなことになるのである。だが半日寝ていると治るので無理しない方がいいなどとは思っていない。こうなったら休めばいい、で今まで乗り切ってきた。

医者に話すと「とんでもない」と言われるが、まあいいだろうと思っている。

さてそんなわけで夕方から起きて仕事の続きである。だがせっかくのお盆だから仕事以外にも少し何かしたい。お出かけできなかった分・・・

今日はとりあえず無理はしないでMacの仕事のデータの整頓をすることにした。まあこれも仕事とは言えなくもないが、まあきちんと整頓して使いやすくなるのは半ば趣味のようなもので、「仕事」という感じはしないのでよしとする。

さて、その整頓だが、これは以前から少し気になっていたことで、私は何社ものクライアントから何年も仕事をいただいているので1件ごとにプロジェクトを並べると何百件にもなっている。例えば何らかの商品のカタログの制作を受注し、データを制作する。できあがってこれで1件である。この商品の展示会向けのパネルを制作するとこれで2件目。そしてここから先がまだある。カタログやポスターは改訂がある。ちょっとした簡単な改訂からもう少し手のかかる改訂まで様々だ。そしてその改訂のたびに前のデータは残しておき、別案件としてデータを制作する。もちろん元のデータを利用して改訂データを作るのだが、上書きして改訂版を作ることはできないという意味だ。つまり改訂のたびに3件目、4件目と増えていく。それはかまわない。

だが類似別商品などが増えてくるとその会社の仕事のフォルダを開くとずらーっと20件30件の商品フォルダがあり、ぱっと見で見つけるのが難しくなる。そこで今日はカテゴリーごとにサブフォルダをつくり整頓し直すことにしたのである。初めからそうしなかったのはフォルダの階層が多いのと案件数が多いのとどちらが見つけやすいかという判断による。始めは案件数が少ないので階層を深くするよりずらっと並んでいた方が見つけやすいから。

さて仕事のデータのハードディスクは8TBの容量で現在5TBを使用している。空き容量が3TBということだ。これが2TBを切ったらハードディスクを容量の大きなものに取り替える。ハードディスクは通常容量の20%から30%を空けておくのが望ましい。昔と違ってフラグメンテーションをそれほど気にする必要はないが、それでもその作業はコンピュータが自動でやっているだけで、何のことはない書き込み読み出しの回数は容量が圧迫してくるとどうしても増える。だから少なくとも20%は空けておく。8TBの20%は1.6TB、30%なら2.4TB、だからまあ2TBを切ったらまたは近づいたら買い替えということだ。

通常のイラストの仕事や写真編集などではデータ量は大したことはない。3Dも同様。だが動画になると一気にデータ量が増える。

例えば3週間以上かかかって制作した大きなグラフィックの制作、全体で15GBくらいである。だが数時間で編集したビデオ編集のデータは30GB以上にもなる。だから仕事量とデータ量は別なのである。

まあ予測は難しいが今年いっぱいは今のままで大丈夫だろう。

さて、明日はお盆中に制作したデータを再度すべてチェックして、クライアントに送付する予定だ。それが終わって時間が余れば写真のプリントでもしようと思う。出不精だなぁ・・・。

さて、翌日。結局仕事が結構忙しく写真をプリントする時間は取れなかった。盆休みを昨日までで切り上げて今日から働いている勤勉な人からチェックバックが帰って来たからだ。加えて印刷所に発注してあった絵本が予定より1日早く届いたので、これの裁断と梱包もする必要もあった。

と言うわけで結局大して自分のことはできなかったが、仕方がない。気分転換にいつもの仕事空間の写真を撮って検証である。

まずはMacを使ってのメインの仕事机。


飲みかけの炭酸水のボトルと奥に柿ピーがあるがここはこんなものだろう。
次はサイドデスク

ここは作業中の仕事のファイルなどが置いてある。ここも仕事中なのでこれでよい。
次に作業机

さっきまで絵本の梱包をしていたのでテープやらカッターなどが置いてある。余った絵本も置いてあるがこれはあとで図書室へ持って行く。右端の人形はもう何年も前に買ったもので、ずっと飾ってあったのだがキレイに掃除してしまうことにしたのでここに置いてある。盆休み中ならできると思っていたが忙しくてそれどころではなくなり置きっぱなしになっている。まあ仕方がない。ここはあとで片付ける。こうして作業中の机を眺めると左側に道具などを仮置きする棚板でもあったほうがよいかなと思う。今度試しに付けてみよう。





2025年7月17日木曜日

写真のプリント-2

 前回から引きつづき写真のプリントをしている。さて、プリントした写真はどのように鑑賞するか。額に入れて部屋に飾るのが一番だ。そうすれば鑑賞する機会は他の方法に比べ圧倒的に多くなる。そして毎日見ていると次はどうすべきかも見えてくる。素直に反省して次の撮影で解決するように撮ればいい。

さて、そのためにはまず大切なのは「気づき」である。気づかなければそれまでである。すべてはこの「気づき」から始まると言っても過言ではない。写真が趣味の人というのは社交性が今ひとつの人が多く、そういう人は写真も下手で上達しない傾向がある。何人も知っている。「これでいいんだ」「こういうものだ」系のおっさん達は特にこの傾向が強い。

知人で山の写真を撮っているおじさんがいた。カメラは100万円超の高級機だ。写真アルバムを見せていただいたが、小学校低学年でも撮れるような写真の連続で、景色のいい方向にカメラを向けてシャッターを切りました。みたいな写真しかない。それが何百枚も続く。また別の人は花の写真で、みんな同じような画角の、できの悪い植物図鑑のような「庭の水仙が咲いたので朝起きてパジャマのままちょこっと庭に出て撮ってみました」みたない写真。それを会社の会議室みたいなところに何枚も飾っている。管理職の人なのでだーれも「ダサッ」なんて言わないのだろう。ハッキリ言ってウチの娘が始めてアジサイを撮影したときの写真の方がマシだった。

娘が撮影した最初の花の写真

これは娘にオリンパスの一番安いデジタル一眼のダブルレンズキットを買ってあげたときに練習に近所の新宿中央公園で撮影したアジサイの写真。アドバイスしたのは「花にこだわらずに背景にこだわって望遠で絞り開放で撮ってごらん、ただしピントは花に合わせてね」ということだけ。カメラを買ってあげてすぐの頃。

写真で大切なことは自分で撮影した写真をしっかり眺め、この写真は何が違うのか、何が新しいのか、を絶えず自分自身に問いかけることだ。

そんな堅苦しいこと言わないで趣味なんだから自分の好きなように撮ればいい、という意見も多いが、それはある意味正しい。だが私の考えでは同時に決して正しくない。人に迷惑をかけていないし法律違反でもないし自分が楽しいのだから「正しい」と言える。だがそれは「正しくないことはしていません」という消極的で空虚な「正しい」であると私は思っている。もちろん一部の撮り鉄の人たちのように「正しくない」ことをするのは論外だが、自己満足という名のゴミのような写真を何万枚も撮り続けることは決して正しくはないと信じている。たえず写真と真摯に向き合い、悩み、工夫して、試して、また考えて・・・とそれを何年も続けるから写真に「意味」が生じるというのが私の考えだ。好きなように撮ればいいじゃん、ではないのである。つまり「意味」のないことは「正しくない」とは言えないが決して「正しい」とも言えないということだ。そう信じている。

さて「気づき」だった。これは撮影の時も撮影した写真の鑑賞の時もかなり重要な要素で、「気づき」がうまく発動しないと何も始まらない。そもそも「気づき」は写真に限らずデザインでも料理でも同じように重要で、例えば料理の下手な人はいつまで経ってもレシピ片手に大さじ小さじなのである。そこに「気づき」は起きにくい。手続きの連続に忙殺されてしまうからだ。気づく余裕がない。もちろんそんなやり方も「正しい」のだろうが、それでいいのだろうか。

何にせよ気づくことが初めの一歩なのである。そして気づけば「考える」。何も言われなくても考える。そして「どのように考えるか」に進むことができる。

写真では「もう少しアンダーの方が」とか「被写界深度が深い浅い方が」などが考えることと思われがちだがそうではない。そんなこと考えたらそれで終わってしまう。先のおじさんの仲間入りとなる。

アングルや露出やピントの調整というのは目的ではなく手段である。さらに言うと、「目的はいい写真を撮ることでアングルや露出やピントはその手段」というのもダメである。手段を極めたからといって良い写真が撮れるわけではないからである。もちろんアングルや露出などは大切なことである。だがそこには考えるほどの奥行きはない。電車に乗って目的地に行くのにいくらの切符を買って何行きの電車に乗るかみたいなもので、知識としては必要だが時間をかけて考えるほどのことではないからである。

ではいったい何を考えるのか、私は「物語」だと思っている。この写真は何を物語っているのか、何を物語るようにするのか、それこそが目的であり、意味だと信じている。

ただしこの場合「物語」は文脈のあるいわゆる「ストーリー」ではない。絵本の絵とはちがうのである。「ぐりとぐらは森へ宝探しに出かけました」みたいなストーリーとは全く異なる「物語」である。

たとえば女性ポートレート、「この女性は今こういう経験をしてこんなことを考えている」ではストーリーになってしまう。私の言う「物語」とは例えて言うなら「磁場」のようなものであって、その時の彼女のまわりに発生している「なにか」でありそのなにかを仮に「磁場」と呼ぶことにすると、この「磁場」がオーディエンスに何かを語りかける、という「物語」である。だから物語るのは彼女ではなくその写真を眺める「私」であり「あなた」とも言えるのだ。また、だからこそその写真に作品としての普遍性が宿るのである。

そして、ここで最初に戻るのだが、写真を鑑賞するときに「物語」を感じることが大切で、そのために最も適したメディアがプリントなのである。わたしがA2サイズのプリントに魅力を感じているのもこのサイズのプリントが最も訴求力が強いと感じているからなのである。

もちろんA3やA4がダメという意味ではない。だが並べて眺めるとA2サイズはまるで違うのである。それは経験によって裏打ちされた私にとっての事実なのだから変えようがない。また大きければ大きいほど良いとも限らない。A1サイズ以上になると手に取って眺めることができない。鑑賞には大きな壁面が必要になる。残念ながら我が家にはA1サイズを何枚も並べて俯瞰することができるようなそんな大きな壁面も部屋もない。その点A2サイズは額に入れても手に取っても眺められるサイズ感が鑑賞にとって最適なのである。だから少々費用はかかるがA2サイズでプリントすることにしている。

さて昨夜も仕事の合間に何枚かプリントした。乾燥が終わって手に取って眺めてみる。最高の時間の過ごし方だ。

A2サイズでのプリント

ほとんどが女性ポートレートだが何枚か静物や景色もある。物語は必ずしもポートレートでなくても体現できる。ただし風景では難しいこともあるが・・・

今回撮影した写真その2
Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/30 ISO100



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/60 ISO400


Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400


Melancholy GR-digital(元祖) F7.1 SS1/320 ISO64



Boat E-420+70-300 F5.6 SS0.8s ISO100



Moon E-M1II+M300 F4 SS1/20 ISO640



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/40 ISO100


最後にプリントサイズについてもう少しだけ。私にとってA2サイズが一番と書いたが、もちろん広い広い家で写真を飾るスペースが十分にあったらA1サイズでもA0サイズでもよいと思うし、そういう展示ができたらいいだろうなとちょっと憧れるものもある。逆に、スペースによってはA4サイズを何枚か並べて展示するのもよいと思う。もっと小さくて絵はがきサイズもありだろう。要は場所と眺め方で適当なサイズは異なるのでどのサイズがベストとは一概に言うのは難しいかもしれない。ただしA2サイズというのは手に持って眺めることができる最大サイズであることは大きな特長ではあると思う。昔々まだフィルムカメラだった頃はA2サイズのプリントなんてできなかった。いや費用がいくらかかっても良いというならできただろうが、現実的な値段では無理だった。おそらくプロラボに頼んで3〜5万円くらいだったと思う。ウチのインクジェットプリンターの1枚1000円程度とは比べものにならないくらい高かった。だからこそ今写真を撮っている人にはプリントすることをお勧めしたいと思っている。
ちなみに私は絵はがきサイズというのも好きで、これはたくさん並べて展示できるのがよい。仕事のスペースの横にも絵はがきコーナーがあって15枚くらい飾ってあって半年に一度くらいいくつか入れ替えて遊んでいる。
絵はがきサイズのプリント





2025年7月10日木曜日

写真のプリント-1

 今日は打合せで午後外出、帰宅は夕方6時近くになった。カミさんと娘も散歩がてらついてきた。打合せのビルの下のおしゃれなカフェで待っていて一緒に帰った。帰りはラッシュ時である。ひとりなら我慢するが二人がいっしょなので比較的空いている路線を選び少し遠回りをして帰った。

夕食前にスイカのスムージーを作ってみんなで飲んだ。夕食はとろろそばと刺身とミニステーキ。ウチはみなステーキはわりと好きだが量はたくさんは食べない、食べられない。なのでサーロイン1枚をみんなで分けて食べることが多い。それでも最後余ったりする。

毎日暑い。今日もおそらく35度くらいあったと思う。私はいつも仕事ではワイシャツにネクタイ、ジャケットででかける。どんなに暑くても襟付きのワイシャツの場合はネクタイとジャケットである。だからあまりに暑くてジャケットもネクタイも辛いときはスタンドカラーのワイシャツやブラウスにする。これはポリシーで変えるつもりはない。幸い今年はまだネクタイとジャケットでもなんとかなっている。もちろん多少は汗をかく、それは仕方がない。だが汗臭いのはもう絶対ダメなのでそこには気を使っている。汗は本来無臭なので汗をかいても汗臭いとはならない。脇などが臭う人は雑菌が繁殖しているからで、そうなったらボディブラシにミューズ石けんつけて1日に数回ゴシゴシ洗えば数日で臭いはなくなる。

さて、仕事がどんどん新しく入ってきて忙しさは例年以上となっている。だが今日はちょっと疲れた。なにかこう夏バテのような感じで、まったくやる気が起きない。そうは言っても・・・となるのが通常だがこんな時に無理に働いてもロクなことはない。デザインの仕事では特にだ。あとでやり直しになるのが目に見えている。

なので今日は、今日だけは仕事をさぼって楽しい楽しい写真のプリントをすることにした。

写真は前回書いたようにデータベースがあるのでそれを眺めながらプリントの候補を選ぶことが多い。そうして選んだ写真を次にファイルしてあるA4サイズプリントを眺めながらチェックする。

今日のプリントはA2サイズなので1枚のプリントに千円以上かかる。プリントしてイマイチだとちょっともったいない。なので念入りに写真をチェックする。ヨシ、となったら念のためもう一度A4サイズでプリントして色味を確認後A2サイズでプリントする。プリンターはEPSONのPX-5002、プリント用紙はエプソン純正写真用紙絹目調。エプソンの写真用紙にはクリスピアというのもあり、どちらかというとクリスピアの方がメジャーのようだ。だがクリスピアの光沢の強いテッカテカの紙は高級感は出るが写真そのものをきちんと表現、鑑賞するには光沢が強すぎる。なので絹目調の方が優れていると私は感じている。絹目調というのは誤解されやすいネーミングだが半光沢紙という意味で昔のDPEショップの絹目調とは全く異なる。反射が強すぎるクリスピアに比べ絹目調は自然な仕上がりで好感が持てる。一時期ノートパソコンのモニターや安いホームユースのモニターがテッカテカの反射の強いものがお店で高級に見えるので人気があったが、クリスピアはあれと似たような感じだ。だから私はほとんど使わない。

写真用プリント用紙いろいろ(A4サイズ)

いろいろ試してエプソン写真用紙絹目調に落ち着いた。もちろん紙によって雰囲気がだいぶ変わるのは事実でそれを作品作りの一部として楽しむのはアリかもしれない。でも私はあまりそういうことには興味がない。局紙なんておもしろいけど数回使って「なるほどね」でおしまい、もう何年も使っていない。クリスピアも光沢紙指定されたとき以外はまず使わない。

さてA2サイズのプリントである。

A2サイズでプリント中のポートレート



大きなサイズで徐々にプリンターから出てくるのは多少のドキドキとそして自分で言うのも何だがその美しさに最高の時間だ。音楽も大切だ。今日はヒューイットのバッハ。ちょっとブレッソンかぶれかな、まあいい、今日出かける前に朝食を食べながら見たブレッソンの記録映画に感化されたのは否定しない。そしてその時、ああ写真のプリントもいいな、最近あまりなかったし、と思ったのだった。

もう1枚は燃える花

プリント中の「燃える花」



これもポートレート同様にA4サイズで確認プリント後A2サイズでプリントした。

最後にプリントしたすべての写真を物干し竿にぶら下げて乾燥させる。バインダークリップ(目玉クリップ)の挟む部分にフェルトを貼って印画紙にキズがつかないようになっている。だいたい12時間くらい干しておけば問題ないようだ。


乾燥中の写真



さて、リフレッシュできたと言っていいかな、明日からはまた仕事が忙しい。

翌日、仕事の合間にまたプリント。正確に言うと仕事をしながらプリントである。写真のプリントというのはどうもちょっと中毒性のようなものがあって、一度手を出すともう1枚、さらにもう1枚となかなかやめられない。昨夜は眠くなってやめたが、寝る前に乾燥させていた写真を今日ファイルやポートフォリオフォルダに収納しながら眺めているともうダメであるもっとプリントしたい。仕事の片手間でもよいから・・・となった。

昨日と今日プリントしている写真はオリンパスのE-420というカメラで撮影したものが中心で、レンズはパナライカの25ミリ。今の高性能カメラと比べるとまるでおもちゃのようなカメラである。だが当時私はカメラの性能に依存するような写真に抵抗を感じていて、ニコンやキヤノンのフルサイズカメラもかなり価格的は下がってきて決して手が出ないようなものではなかったのだが、このオリンパスで通していた。オリンパスは安かったのもあるがとても軽いので長時間の撮影も無理な姿勢での撮影もなんとかこなすことができた。

もちろん高性能のカメラを否定するつもりはないが、カメラの性能がよいと良い写真が撮れるなんて考えている人もまずいないだろう。だが高性能を手にしてそれで撮影する喜びなんてものは結構あるのでは、と思っている人も多い。わたしはそういうのがいやだった。

道具はドンドン使って腕を上げる。常に自分に厳しく、工夫して、試して、悩んで、考えて・・・。それを何年も続ける。デザインだって3D-CGだって水彩画だって料理だってそうだ。テレビを見るヒマもゲームするヒマもないくらい根性と気合いで取り組む。根性は続けるために、気合いは始めるために、だ。そうすればこうして何年も前におもちゃのようなカメラで撮った写真を今でも大きくプリントして楽しむことができる。その時の私の最大限がここにはしっかり宿っているのだから。もちろんスキルの上達に伴い、道具が確実に足をひっぱてしまうこともある。そんな時はフルサイズでも中判サイズでも購入すればよい。だが私に限って言えば今のところマイクロフォーサーズで事足りている。

今日の1枚目、ポートレート

プリント中


私は前にも書いたがポートレートの場合カメラ目線の写真はあまり撮らない。これはめずらしくカメラ目線である。もちろん理由があってのことだが、小難しい話は今回はパス。

今日の2枚目、これもポートレート
プリント中のモノクロポートレート


3枚目
次々とプリントする


というわけで今回はここまで、
今回つまりこの2日間でA2サイズでプリントした写真

Portrait E-420+Leica Summilux25mm F7.1 SS1/200 ISO400



Brazing Flower E-420+3535macro F4.5 SS1/5 ISO100



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F2.2 SS1/60 ISO400



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.8 SS1/125 ISO400



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F4.5 SS1/80 ISO400




2025年6月29日日曜日

SigmaのRAW現像ソフトSigma Photo Pro

 久しぶりに写真のこと。今日は仕事の合間に私が撮影した写真のデータベースを眺めていたら、DP2merillで撮影した女性ポートレートの1枚が以前のRAW現像に気になる部分を見つけたのでもう一度現像することにした。

写真データベース

私はポートレートでも花でも風景でも何でも撮影した写真は1週間以内に最初のRAW現像をすることにしている。これはRAW現像の際、撮影のときのイメージが消えてなくなる前に現像したほうがよいと考えているからで、1週間以内であれば感じたこと、話したことや雰囲気、その時の気分みたいなものもまだ頭に残っている。RAW現像ではパラメーターを変更することで調整できる幅は結構ある。だから例えば夕焼けだったらもっと赤い方がキレイ、もっとコントラストを上げた方が・・・と撮影の時のイメージとは明らかに異なる方向へも持って行くことができる。SNSやYouTubeにアップされているものはそういうものが多い。彩度をかなり上げて地面の日陰が不自然に青くなった画像や動画は普通によく見る。それがダメとは言わないが、「いいね」ほしさためだけの薄っぺらいものに私には感じられる。もっと大切なものは自分の中にあるはずだ。だから1週間以内に現像し、そのときその空気を再現するようにRAW現像を行う。いったんそうしてできあがった画像はリファレンスとして残るので、仮にRAW現像をやり直すときもそれがガイドとなってくれる。風景だけでなくポートレートや花でもだいたい同じだと感じている。

具体的な現像のプロセスは、始めに全撮影データをカメラのメモリーカードからMacの新しいフォルダへコピーし、そこにJPEGやRAWといった名称のサブフォルダを作り、撮影データを分けて入れる。実際にはカスタムアイコンをつけたフォルダセットが作ってあるのでそれをコピーし、そこに分類する。

フォルダセット


次にRAW現像だが、撮影は時に数百枚になることもあるので、当然すべてをRAW現像はできない。撮影時にRAW+JPEG最高画質で保存するので初めはJPEG画像を見ながらハネる写真を決めていく。ただし削除はしない。Macのファイルラベルを使う。ピンボケやまちがえてシャッターを切ったりした明らかな失敗は「青」のラベル。また構図や表情が今ひとつでダメかもというものは「緑」のラベルをつける。かなり厳しく査定する。そうするとラベルのついていないものは平均すると半分くらいになる。これも実際には撮影により9割ハネる時もあればほとんどハネるものがない場合もある。半分は実感としての平均である。次にJPEGのラベルと同じラベルをRAWファイルにも付け、次に残った写真から良さそうなものをえらび現像しながら「黄色」や「オレンジ色」のラベルを付ていく。それらはPhotoshopファイル形式でPSDフォルダに保存するので、現像後はPhotoshopでレタッチを行う。通常はAdobeのCamera RAWにより現像からレタッチまでシームレスに作業することができる。

ただし、DP2merillはセンサーが特殊で汎用のRAW現像ソフトつまりCamera RAWが使えない。Fovionというセンサーのためである。なので現像にはシグマが提供するPhoto Proを使う以外方法がない。細かな設定なしでただ読み込むだけならPhotoshopプラグインも用意されているが、調整できないRAWなんて意味がないのでここでは触れないことにする。私も一度インストールしてすぐに消してしまった。

さて、そういう訳でSigma Photo Proで現像したデータをTIFFに書き出し、それをPhotoshop でレタッチを行うわけだが、以前も書いたがSigma Photo Proは動作がすごく遅い。調整のパラメータを少し変更するだけで一呼吸待つ必要があり微調整に時間とても時間がかかった。こう言っては何だが「Pro」が聞いて呆れる使い勝手だった。

私のMacはM1ultraのMacStudio だが、このソフトを使う限りお世辞にもその性能を活かしているとは言えなかった。だからポートレート写真集の制作にあたり、RAW現像をやり直しているのだが、このカメラで撮影したデータだけは何となく後回しになっていた。そんなわけでしばらく使っていなかったのだが、今日起動するとアップデートの案内が出た。以前もアップデートで期待したが結果は変わらずで、今回もそうかなと思いながらもインストールして起動したら、あら不思議だいぶ速くなっていた。どうして?と思いシグマのサイトを見ると、少し前にアップルシリコンにネイティブで対応したと書いてあった。うーん、これかな?

まあいい、どうにせよこれでRAW現像のストレスからだいぶ解放される。RAW現像のやり直しができる。

ところでシグマはまだこのFovionセンサーの新型開発は諦めていない、「開発中」と正式にアナウンスしているが、シグマには申し訳ないが私はもう新型が出ることはないと思っている。なのでこのDP2merillを大事に使って、壊れたらそれまでである。もう少し言うとシグマのような会社では「チャレンジし続ける企業」としてのブランディングイメージが最も大切で、そのために表向きセンサーを開発しているという態度を取っているにすぎない、と感じているからだ。もちろん全く開発していないものを「している」というのは嘘になる。だから年間僅かな予算はつける。どこかの大学と共同研究にでもすれば活動としてはおもしろいかもしれないし費用も大幅に抑えることができる。仮にFovionに確実な勝機があるならフルサイズの前にAPS-Cで新商品をとっくに出しているはずだし、衰退が続くカメラ業界で何年も先の見えない開発にリソースを割く余裕のある会社はないからである。

さて、以前撮影したデータのRAW現像をもう少し追い込んでみたいと思っていたので、今日はよい発見をした。

さっそく2枚だけRAW現像してみた。白黒前提で撮影したポートレート。

Sigma DP2merill F3.2  SS1/160 ISO400


Sigma DP2merill F3.2 SS1/125 ISO400

こうしてレタッチを終えた写真はキャビネサイズでプリントしチェック、必要に応じてレタッチを加えたり再度RAW現像からレタッチを行い再びキャビネでプリントし、よければA4サイズでプリントすることにしている。したがってプリントした写真の枚数は結構多い。キャビネのアルバムが30冊くらい、A4サイズは300枚くらいを5冊のファイルに入れてある。さらにその中からA3やA2でプリントする写真を決める。このプロセスは実に楽しい。A2サイズがプリンターから出てくるのを見ているのは今でも飽きない。

私は写真はプリントすることで作品としての命を持つと信じている。パソコンのモニターで見る写真がダメとは言わないが、プリントとは大違いなのである。例えて言うなら音楽のコンサートでの生演奏とレコードやCDくらい違うと感じている。トーレンスの520+オルトフォンMC20、真空管アンプ3台のマルチアンプで大型スピーカーの我が家のステレオ装置でもコンサートホールで聴くのと比べたらオハナシにはならないのである。

ただしパソコンで管理するのはプリントをファイルで管理するのに比べ利点もある。だからキャビネでOKまでいった写真は前述のデータベースにいれる。データベースのよいところは他のファイルとの関連を見たり撮影情報などを見られることである。

最後にDP2merillでのポートレートは白黒だけでなくカラーも挑戦したが人工照明下で発色が安定せず、黄色の偽色の発生などに悩まされた。今考えれば意地を張らずに白黒専用カメラとして使えばよかったと思っている。ま、いいけど。

逆にこのDP2merill、白黒写真専用カメラとして使うならまだまだ使えるということで、今でも時々持ち出しては遊んでいる。





2025年6月26日木曜日

ウォーキングと健康管理と仕事の環境

 毎日暑い、天気が良ければ気温は35度近くまで上がるし、雨の日は湿度100%で蒸し暑い。かかりつけの医者からウォーキングで毎日8000歩ほど歩いてください、と言われている。約4キロである。

炎天下の下4キロ2時間近く歩くのは健康にかえって悪そうに思う。雨の日も同じ、濡れながら足元が滑りやすいのに2時間も歩くのは現実的ではない。

と、ここまでは愚痴である。だから「できない」ではあまりに能なしである。仕事でも趣味でもあきらめの早い人は何をやっても絶対うまくいかない。すぐに「わたしにはムリ」なんて人とは付き合いたくない。こう言っては何だが「無理無理病が伝染するから」。

で、かかりつけのお医者は埼玉にイオンモールがあってその中を歩くのがいいですよ、と教えてくれた。ま、そういうのもアリかもと家族で出かけた。

レイクサイドタウンモール

調べると越谷レイクサイドタウンというモールらしい。新宿からは少し遠い。埼京線でナントカ浦和で乗り換えてさらに武蔵野線というローカル電車で、とナビに出た。埼京線はすごく混むので使いたくない。別ルートを調べたら大江戸線で新御徒町乗り換えでつくばエクスプレスという、寝過ごしたらその日のうちに家に帰れなくなるような名前の電車に乗って途中のなんとか駅で武蔵野線に乗り換えるルートをみつけた。これなら家からずっと座って行けるかも。その予想は的中で家族みんなでのんびり座ってモールの駅に着いた。なるべく歩くことを心がけながらショッピング。たしかに歩数は出てその日は1万7千歩だった。でもショッピングしながらのんびり歩いてもあまり運動にはなっていないように思う。

また往復も含め、ほぼ丸1日つぶれてしまう。仕事が忙しいときはとてもじゃないがこんなことできない。

実はその前に梅雨になったらモール歩きもありかも、というのは自分でも考えていて6月の始めに豊洲のなんとか言うモールに出かけたのだが、その時もまあまあ歩数は出たのだがやはり運動とは少し違うかなとは感じていた。だが埼玉の方はすごく広いので豊洲よりは運動になるかもと考え、加えてカミさんと娘もうれしそうに「行く行く!」というので行ったのだが結局運動にはならなかったのである、残念。

豊洲から日本橋への船、海上自衛隊の新型小型ミサイル艇といった感じ

豊洲の時は帰りにIHIの旧ドックから船で日本橋まで行けるのを知った。こんなちっこいドックで船を作ってたんだね。ちなみに今は豊洲と呼んでいるがここは旧石川島で、IHIの最初の「I」は石川島の「I」である。

で、その小さなドックに船が泊まっていて、「あと5分で出ますよ〜」というので乗ってみた。運賃はたったの500円。それで20分くらいだったけど隅田川のプチ船旅を楽しめてそれだけは良かった。

さて話を元に戻そう、ウォーキングである。以前は大げさなのはイヤなので「散歩」と呼んでいたが最近は「運動」を意識して「ウォーキング」と呼ぶことにしているが、梅雨から夏季にどうするか。

残るは新宿の地下道や中野や阿佐ヶ谷の屋根付きの商店街などかな。でも両方とも人が多い。特に商店街は混んでいるところを行ったり来たりなんて現実的ではない。新宿の地下道も人は多いし、とその時ふと思いついた。新宿よく使う西口から三井ビルまでの地下道(4号街路)や東口と西口をつなぐメトロプロムナードは人が多いが、アイランドタワーから都庁前駅を経由して甲州街道から新宿南口に至る経路はそれなりに距離があるが人は少ない。試しに歩いてみることにした。あまり涼しくはないのはちと辛いが炎天下や雨の中よりはマシだ。人もまあ少ない。梅雨と夏はここを歩いてみよう。で、飽きたらまた考えようかね。

さて、今日は雨が降ったりやんだりだったが夕方にはもう降りそうもなかったので蒸し暑いが笹塚まで歩くことにした。このルートは実は割と歩きやすいルートなのである。なぜなら西新宿から笹塚の手前まで神田川の支流である和泉川暗渠の上が遊歩道になっているからで、もちろん屋根はないが雨さえ降らなければそこそこよいウォーキングコースになっているからだ。笹塚に着いたらクイーンズシェフというスーパーマーケットがあるので少し買い物をしたりもできる。休憩したくなったら駅ビルの2階に喫茶店もある。

ちなみに私は健康オタクではないので、怪しい健康法や怪しい食事習慣などにはまったく興味がない。ヘンテコな器具を買ったり身体にイイからとなんでもかんでも酢をかけたりゴマをかけたりとかはしないという意味だ。これは私の考えで私は専門家ではないので確証はないが、食事を例にとってみると、身体に良いものというのは一定量以上の摂取は無意味で、元々どんな食品も良い部分と悪い部分があって、取り過ぎると良い部分はある程度以上は意味がなくなり悪い部分の影響が出てくる可能性が高いと思っている。また栄養士の人には申し訳ないが、栄養学なんてものにはあまり意味がないとも思っている。よほど偏った食習慣は別にして、おいしく料理ができれば比較的まんべんなく身体の欲するものは取ることができるので、要は栄養ではなくおいしく料理することの方が100倍意味があると考えているからだ。料理の下手な人は野菜が不味い。そうすると野菜を食べない。でも栄養学的に野菜を食べる必要があるから、まずいまずいピーマン料理を食べる。そんなものが身体にイイわけがない。ピーマン100グラム食べたのでOKではないのである。

あと、ピーマンついでに言うと子供でピーマンが嫌いという場合、間違いなくお母さんは料理が下手であると自信を持って言える。

ピーマンはちゃんと料理したらすごく美味い。子供たちは目を輝かしてパクパク食べる。そしてそのように食べたピーマンだからこそ身体によいのである。

食事以外では、入浴はシャワーだけで済ますのはやめて湯船につかるようにしている。私が心がけているのはそれくらいだ。なぜ湯船かといえば、湯船につかってくつろぐのが好きというのが一番だが、それだけでなく、これも私は専門家ではないので確証はないが、身体を温めることが病気の予防にある程度効果があると思っているからで、例えば風邪を引くと熱が出る。怪我をしてばい菌が入ると患部のまわりが腫れて熱を持つ。これは熱によって身体を元に戻そうとする働きが起こるからではないかと考えている。もちろん熱が上がりすぎると良くないし怪我も化膿して熱を持っている状態で放っておくのはダメだが、熱には身体を正常な状態に戻す作用があるように感じている。だから湯船に、少し熱いといっても43度くらいでよいのだが15分か長ければ30分くらいゆっくり入ると身体に良いというのが私が感じていることだ。のぼせるときは窓を開け、入り口の扉も開けて涼しい空気を入れる。それでも30分の時は途中でぬるい水に近い温度のシャワーを浴びたり、しばらく湯船から出てまた入ったりしている。入浴後は涼しい風をあびて水分をたっぷり取る。すごく気分がよい。

我が家は古い古い木造住宅だが改修の時、浴室だけはユニットバスだが一番大きいサイズにした。体育座りで湯につかるのは嫌だったので。足は伸ばしてのんびりしたいのだ。大工は工事が大変だとブーブー文句を言っておったが・・・。


さて、仕事が結構忙しくなってきた。

黒板とカラーマグネット

現在仕事は14件、怪しい引き合いはあと2件くらいあるがそれは来てから考えるのでここには書かない。14件中こちらにボールがあるものが赤印で7件ある。この7件のうち3件は大物で数ヶ月かかる仕事でやるべきことも多いし難しいものもある。そして忙しさは8月末までは続く予定だ。その先はわからない。

去年は仕事をしすぎて、今年は税金がすごいことになっている。カミさんがケラケラ笑いながら住民税が来たよ、すごいよー、と言っておった。やれやれ。だから今年の仕事量は去年の半分くらいがいいかなと思っているのだが・・・

さて、黒板の写真のついでにいつもの写真チェック。何度も書くが働く環境を抜き打ちで時々写真に撮って眺める。

まずはMacの作業机

Macの作業机

ここはいつもこんな感じ。かかりつけのお医者から水分よく取ってね、といわれたのでゴマ麦茶のピッチャーとコップは机の隅に置くことにした。あとは電卓だけ。これはここが定位置。

次にサイドデスク
サイドデスク

ここには仕事の資料が置いてある。スケッチブックは打合せのメモが書いてある。メモと言ってもほとんど単語が数行書いてあるだけで、どちらかというと客先でサラサラとスケッチを描いて見せるためにスケッチブックにしている。このスケッチを描いて見せるというのはデザイナーや建築士には絶対必要なスキルだと思っている。ちょっと散らかっているがここはこれでよいだろう。
次は本棚
本棚

まあ、いいかな。
最後に作業机
作業机

ここは使った物が出しっぱなしだった、反省、反省。黄色いファイルは昔作ったカタログを挟んでいるファイルの1つで、参考に古いカタログを探してそれをサイドデスクに置いて見ながら仕事をしていた。使い終わったらまたこのファイルに戻して本棚に戻す予定だったので出しっぱなし。緑のファイルは昨日の打合せに持って行ったファイルで、カバンから出してここに置いてあとで見ようと思っていた。その下はチェックする予定の今の仕事のプリントアウト。まだ終わってないのでここに置いてある。スタンプ台とスタンプは昨日の打合せ資料に日付スタンプを押してそのまま出しっぱなし。ドライヤーはシュリンクフィルムの作業が終わって冷やしてそのまま出しっぱなし。うーん。ちゃんと片付けないとダメだね。

今日は健康管理みたいなことを書いたのでついでに書くと、働く環境というのもすごく健康に重要な要素だと思う。だがコレは機能的な机と長時間疲れないイスがあればいいなんてことではなく、もちろんそれらも大切なのだろうが、もっと広い意味での環境作りが大切で、いい空気と水と光と音、ストレスなく使える道具たち、そしてたのしい遊び心のある空間が必要なのである。

いい空気と水と光と音とは、ちょうど良い室温で匂いはなにもないかあっても少し離れたところで炊いた竹のお香やネロリのアロマなど。だが僅かに香る程度でそれ以上はダメ。

お香を焚くミニ火鉢


光は明るい天井照明など捨ててブラケットやスタンドによる局所照明で各部空間を照明により演出するような見せ方を心がけること。水というのは麦茶のピッチャーとかね、これは今使っているのでも不満はないがもっといいものがないか探している。モールに行ったら必ずチェック。でもまだ決定打には出会っていない。こういうものはまずまずの物を買って、そのあと本当に良い物を時間をかけて探すしかない。

次に音、静かな室内で小さな音でよい音楽が流れていることが私の理想。BOSEやSONYではなく、品のある豊かな音空間。これには現状では満足している。今流れているのはIsabelle AntenaのOtra BeberaでスピーカーはヤマハNS1classic、アンプはMacintosh MA6450、とても気持ちがいい音で仕仕事中も気分がよい。

ストレスなく使える道具は私の場合一番大切なのはコンピューター、一番使っている時間が長いから。これにも満足している。今の環境はMacStudioでモニターはナナオのColorEdge、キーボードはLogitecのMX KEYS for MAC、マウスは同じくLogotecのPro X Superlight。どちらも純正より遙かに使いやすい。純正のキーボードやマウスはサブ機で使っているがメイン機はこれ。

道具はほかにもいろいろあり、先の黒板などもそうだが今日は省略。

最後に遊び心。これはどうでも良いなどと考えてはいけない。遊び心のない空間でよいアイデアなんて生まれない。少なくとも私には無理だ。名刺管理にローロデックスを使ったり、仕事場の壁に以前撮影した絵はがきサイズの写真を飾ったり、クリップボトルや電気スタンドなどなど、遊び心を考えた道具や小物で毎日楽しい。

絵はがきサイズにプリントした写真

電気スタンドとローロデックス

お気に入りの絵はがき(手前)と以前撮った花の写真

バレリーナの置物とフロントにヒビの入ったアンプ

でもこうして改めて眺めてみると、遊び心の方はもう少し何か変えてもいいように思えてきた。今のままでもダメではないが、少し飽きたのかな、それとも・・・