2025年10月28日火曜日

おでんと神田川

 すっかり涼しくなり、書斎では冬の部屋着で仕事をしている。エアコンもあまり使わなくなった。使うのは3Dのレンダリングやヒートガン使用時など発熱量が多いときだけである。

涼しくなると「おでん」が食べたくなる。

わが家のおでんの具は、大根、こんにゃく、油揚げ、厚揚げ、がんもどき、さつま揚げボール、ちくわぶ、昆布、結びシラタキ、たこ、豚バラのスライス。

ウチではちくわやソーセージやゆで卵は入れない。これなぜか家族全員の一致した好みで、娘は親の影響だろうが、カミさんともほぼ好みが一緒なのである。強いて言えばカミさんは厚揚げが好きでがんもどきはあまり食べない。私はその逆だが、二人ともじゃあ食べないかといえば必ずしもそうではない。でも「ちくわ入れてみる?」と試しに聞いてみたら「え?なんで?」と言われてしまった。

豚バラは長時間煮てホロホロになったのが美味いので入れる。娘も大好きである。ただしちゃんとアクを取らないと出汁が濁るので要注意。

さて、まずは出汁を取る。かつお節で取る。おでんは何と言っても出汁がうまいので、大鍋にたっぷり出汁を取る。せっせとカンナでかつ節を削る。それに薄口しょうゆ、酒、白出汁少々、海塩少々である。塩は必ず天日干しの海塩を使う。

次に大根、油揚げ、厚揚げの下茹で。特に大根はアクが出るのでしっかり下茹でをし、ざるに空け余熱で水分を飛ばす。油揚げなどは軽く茹でたら水洗いして油分を取り除く。

こんにゃくは塩をつけて手でゴシゴシ洗う。

出汁の入った大鍋に次々に材料を入れてゆく。そうすると鍋がいっぱいになってもう入らなくなる。そこで大鍋から片手鍋に出汁をお玉ですくってよける。その片手鍋にちくわぶを入れて沸騰したら火を止める。ちくわぶは茹ですぎると溶けてしまうので片手鍋に避難なのである。

また、タコとさつま揚げボールはまだ入れない。これらはあまり火を通しすぎると美味くない。

大鍋の方は沸騰したら火を弱火、ごく弱火にして3時間くらいコトコト煮る。沸騰はさせない。

そうそう、誕生日に家族からもらった日本酒があったね。ずっと仕事が忙しくてお酒どころではなかったが、ここのところ少し落ち着いてきたので、おでんと冷酒である。

さて、涼しくなったことでおでんとは別にもうひとつ、ウォーキングを再開した。夏の間はさすがにウォーキングは無理で、それでも西新宿の地下道を歩いてみたり、ショッピングモールを歩いてみたり、はたまたウォーキングの途中で喫茶店で涼みながらの休憩を入れたりといろいろやってみたのだが、どれも今ひとつで続かなかった。西口の地下道は2,3回で飽きてしまったし、ショッピングモールは人が多く、お店を眺めながらではほとんど運動にならない、喫茶店は休憩の後もう歩こうとは思えず・・・と、まあ根性がないのである。

おまけに8月の盆明けから9月末までは上期の〆で仕事が結構忙しく、そんなわけでウォーキングはなしになってしまった。

10月の中旬から少しずつ時間にゆとりもでき、気候もよいのでウォーキングを再開することにした。よく歩くのは神田川沿いの遊歩道である。

神田川は三鷹市の井の頭から杉並区、中野区、新宿区、文京区、中央区と東京を横断する川で、以前は支流も含め大雨によりたびたび氾濫を起こし首都機能に大きく影響を与えかねない理由により、河川幅や流域面積は小さいが一級河川である。神奈川県の横浜市を流れる鶴見川は神田川より100倍くらい大きいが二級河川である。

一級、二級は所轄するお役所が違う。一級河川は国が管理する川で二級は都道府県管理である。一般にいくつかの県にまたがり規模の大きい川は一級河川で、それ以外は二級河川である。だから東京都内で完結し規模も川幅10mくらいの神田川は本来二級河川規模なのだが、例外的に一級河川なのである。

まあ東京都はお金持ちだから神田川くらい自前で河川改修できるので二級河川でもよさそうだが、神田川はもともとは独立した河川として東京湾に注いでいたが、今では浅草橋近くで隅田川につながっており、隅田川はもともと荒川の本流なのでつまり現在の神田川は荒川水系の支流という位置づけなので一級河川なのかもしれない。

さて、その神田川には遊歩道が併設されている区間がそれなりにあり、水質も悪くないので臭ったりしないのでウォーキングにはまあまあよいのである。まあまあというのは不満もあるからで、おおきく次の2点である。

ひとつは河川改修で河床を大幅に下げ、遊歩道を歩いていても水面はほとんど見えないこと。まあ洪水対策は大切なので沿線住民にとっては景色どころではないのだろうが、都市景観という観点からはちょっと残念なのである。

暗渠オーバーフローと親水空間のある都市河川

でも地下に今より大きなオーバーフローを作ってその上を親水空間として河川整備すればすごくよいと思うのだが、どうなのだろう。

もう一つは道路橋が多く、遊歩道近くに横断歩道がないヶ所が結構あり、そのたびに大きく迂回して歩かなくてならないこと。そもそも今ある道路橋は1/3くらいに減らしてもよいと思える。車なら300mくらい迂回するのはどうってことはないからだ。やめてしまう2/3の橋のうち半分くらいは人道橋として架け替えをする。鉄骨造のスリムでおしゃれで安価な橋で、幅も2mくらいでよいだろう。

50mおきに道路橋がある神田川山手通り付近

まあ、いろいろ理由があって今の神田川なのだろうが、東京の街を魅力的にするには都庁のプロジェクションマッピングなどよりこういうところを少しずつでも着実に、なのでは?と思うのだが。





2025年10月7日火曜日

写真のプリント-3

 年度上期の仕事が請求まで含めすべて完了したので、継続案件と下期の新規の仕事に取りかかっている。9月末はかなり忙しく、ギリギリの仕事もいくつかあった。

私は締切ギリギリまで仕事をするのがキライなので、いつも余裕をもってスケジュールを立てることにしている。ギリギリの仕事はどうしてもチェックが甘くなり間違いをする可能性が高く、「こうしておけば良かった」というのが見つかったりもして、そうなるとまず第一にクライアントに申し訳ないと思うし、自分自身でも気持ちがスッキリしない。だから数日、最低でも1日くらいは余裕を見てスケジュールを考える。

また、不測にも体調を崩したりすることもあるかもしれない。そんな時に無理を押して仕事をするのは辛いし、当然出来にも影響する。

だが9月末は駆け込みの仕事もいくつか入ってくる。初めからスケジュールギリギリで、クライアントから「今からで間に合いますか〜」などと依頼がある。そんな案件を含め、いろいろギリギリのスケジュールという状況が半月近く続いた。

10月に入ってある程度落ち着いたら、今度は体調を崩し2日間ほど寝込んでしまった。そりゃ体調も崩すよな〜、と思いながら寝ていた。

さてさて、そんなこんなでいろいろ大変だったが、今週に入って体調も回復し、下期の仕事にかかっている。

下期もイベント対応の販促物など、仕事の依頼がすでに何件か入っており、結構忙しい。進捗管理の黒板には今日の時点で21件の仕事が並んでいる。このうちこちらのコートにボールがあるものが7件あり7件のうち3件は来月以降なので、すぐに取り掛かれるのは4件である。またこれとは別に客先からのリターン待ちの案件が6件ある。これらもいつ再始動になるかわからない。

とまあそんな状況ではあるが、9月に比べれば・・・という訳で、今日は何となく写真をプリントすることにした。写真のプリント-1写真のプリント-2につづく3回目である。

写真プリントはMacに大きな負担をかけないので、別の仕事をしながらでも問題なくできる。また、デザインの仕事である程度作業してちょっと疲れたらこうしてブログを書きながらプリントする写真を選んだりもしている。

選んだ写真はデスクトップにエイリアスやコピーを置いて、プリントし終わったら削除するようにしている。こうすればいくつもウインドウを開いたままにしておく必要がないので仕事の邪魔にもならない。

今日の1枚目

プリント中、プリンターはエプソンのPX-5002

写真用のプリンターにはエプソンのPX-5002を使っている。このプリンターはすごく気に入っている。プリント品質が高いことはもちろん、機械としての完成度が高く、信頼がおける安定したプリンターと言える。もう10年以上使っている。そろそろ15年になる。

このプリンターが発売された当時、インクジェットプリンターはエプソンとキヤノンが販売合戦を繰り広げていた。インクジェットプリンターは他にもブラザーやヒューレットパッカードも作っていたが写真プリントでは全くオハナシにならなかったので、事実上エプソン、キヤノン対決だった。

電気店に行くとキヤノンが実演に力を入れていた。そこにはあからさまにエプソンのプリンターでプリントしたサンプルを「E社製写真用プリンターでのプリント」として、自社のプリントと比較する、というやり方をよく目にした。

気になって置いてあるサンプルを見るとエプソンは顔料インクのプリントでキヤノンは染料インクだった。そりゃ顔料インクより染料インクの方が発色が良いに決まっているから、それを見せて「キヤノンの方がいいでしょ」という売り方。

だが染料インクは蛍光灯の下に2日も置くと退色して使いものにはならない。プリンターから出てきた直後だけを見せての比較にいかにもキヤノンらしいな、と感じたものだった。私がサンプルを手に取って眺めているとキヤノンの若い小僧が「どうですか〜」と言って寄ってきたので、「キヤノンは染料インクなので耐候性が気になります」と言ったら「アルバムに入れて保存すれば数ヶ月は保ちます」なんて言う。「数ヶ月でいいの?」「額装した場合は?」と聞いたら「それなら顔料系の方がいいかもしれませんね〜」とか行って向こうへ行ってしまった。「ちぇ、面倒な客に当たった」みたいな顔をしていた。ちなみにキヤノンも今は顔料系インクである。キヤノンはもう少し営業にまともな人を雇ったらどうよ、といつも思う。ま、いいけど。

さて、今日プリントした写真

Portrait E-420+Leica Summilux25mm F2.2 SS1/160 ISO400



Portrait DP2merill F4.5 SS1/120 ISO400




Portrait DP2merill F2.8 SS1/50 ISO100





2025年9月25日木曜日

クラウディア・カルディナーレ

 数日前に「時間がほしい」と書いたが、なければつくる方法を考えればよい、というわけでどうやって時間を作るのか考えている。

もちろん仕事の時間、食事や入浴の時間、睡眠時間は削らない。ではどうするか。1日を1時間伸ばして25時間にすることにした。もちろん25時間時計なんて実際にはないだろうしあってもオモチャだろう。そんなものは必要ない。全てのスピードを5%上げるのである。そして時刻を決めてできなかったことをその時間にやることにする。その時刻は流動的にせず決めておく。またやることも事前に決めておく。決め事は入浴の時に考えればよい。入浴直後はエアコンの風で涼みながら仕事をしたいので、入浴後仕事をしばらくした後の気分転換、または夕食の後だろうか。夕食後だと入浴時に翌日の予定を考えることになる。

まずは仕事の休憩時間を少し長めに取ってその時間を使ってみようと思う。結果として仕事の時間が削られただけとならないように仕事量は今以上に厳格に管理することにする。

と、ここまで書いておきながら体調を崩して丸2日仕事を休んでしまった。仕事に関してはギリギリのスケジューリングはせず、常にある程度余裕を持たせているので2日程度では深刻なことにはならない。だが頭痛の残るコンディションでせっせと遅れを取り戻すのはかなり辛い。つまり今の私に必要だったのは効率化ではなく健康管理だったということだ。

いろいろ考えてきたことを全部捨てて、仕事の時間を減らすことにした。

さて、今日は打合せで八王子まで行ったのだが本を忘れてiPhoneでFacebookを眺めていたらクラウディア・カルディナーレが亡くなったとあった。特別好きな女優というわけではないのですべての出演作を観たわけではないが、フェリーニの8・1/2、ヴィスコンティの山猫、あとはウェスタンやフィッツカラルドは観たことある。他にどんな映画に出ていたかな、フィッツカラルドが80年代でそれ以降は引退していたのかな、と思いニュースサイトを眺めてみたが、全く扱われていなかった。

ソフィアローレンと並ぶフィルム黄金時代のイタリアを代表する女優である。なぜ?、ネットにはつまらない顔をしたタレントみたいなのが薬物容疑で保釈されただの天皇家のボクちゃんが万博に行っただのどーでもよいつまらないハナシばかり。これが今という時代だ。無教養な人のくだらない興味だけがオモテにズラーッと並ぶのである。やれやれ。

さて上記の4作のうち好きなのは8・1/2とフィッツカラルドの2作だ。このうち8・1/2は言わずと知れたフェリーニの代表作である。

フェデリコ・フェリーニ監督「8・1/2」イタリア映画 1963年


この映画でクラウディアはカットは少ないがとても重要な役を演じている。演技も存在感もよい。だが残念ながらカメラが悪い。フェリーニはこの映画をドキュメンタリータッチで描きたかったのだろうがそのためかカメラがイーカゲンなカットが結構多い。

フェリーニの8・1/2から

このシーンは全体を通してかなり重要なカットだがクラウディアの演技は申し分ないがカメラは素人同然である。おまけにピンポケなのである。それはないよなぁ、と観るたびにもったいないと思う。

次にフィッツカラルド。8・1/2が60年代後半だったと思うがこれは80年代の映画。

ウェルナー・ヘルツォーク監督「フィッツカラルド」西ドイツ映画 1982年


映画そのものについては以前ココにも書いたので割愛するが、クラウディアはここでもすごくいい。8・1/2ではミステリアスな役だったが、この映画「フィッツカラルド」では陽気な役で、クラウディアが出るシーンはパッと花が咲いたような華やかさがある。この映画、全体を通して決して重苦しいストーリーではないが、能天気なハナシではない。その中で役どころを十分に理解し最高に演じている。クラウディアの良さはさておき、私の大好きな映画だ。

フィッツカラルドから

このシーン、主役のフィッツカラルドが後ろに隠してもっていた包みを笑いながら取り上げて開封するところ。すごくいい。ケラケラ笑いこけても決して下品にならない。

で、残る山猫とウエスタンは学生の頃にテレビで観たことあるが、もういつのことだったかもよく覚えていない。高校生の頃かと思う。山猫は時代とともに没落してゆく貴族の最後の栄華を描いた作品だったように記憶しているが、退屈な映画だったように思う。ウェスタンはこれも有名な映画だがあまり良いとも思わなかったような気がする。そもそもマカロニウェスタンのねちっこいイジメがバカみたいに続くのが嫌いな理由だった。マカロニウェスタンは全部ストーリーが同じ。「いじめ→放浪→帰還→仕返し」これ、今でも好きではない。「いじめ」と控えめに書いたがだいたい家族が皆殺しにされる。あとスクリーンいっぱいに映し出される汚い顔も同様、生理的に受け付けない。

というわけでウェスタンはパスだが山猫はこれを機にもう一度観てみようと思う。さっそくAmazonで調べてみると中古のDVDしかなかった。仕方がないからそれを注文した。6千円ちょっとだった。

届いた山猫のDVD


さて、翌日、今度は打合せで千葉に行った。昨日今日と2日かけて八王子から千葉へ東西に結構な距離を移動したことになる。測ったことはないのでわからないが100キロ弱だろうか。右に50キロ、左に50キロである。両方比べると八王子の方が街としては好きだ。千葉の人には申し訳ないが、千葉はどうも好きになれない。これは昔からで、なんでだろう、土建屋が強くて道路は立派だが建物が貧相なALC版ばっかりでその横をダンプカーがかっ飛ばしているイメージが強い。車のマナーも悪く、どこに行っても歩道に片側乗せて斜めに駐車している。電車はしょっちゅう遅れる揺れのひどいJRか不便の極み京成しかない。今日も総武線快速が15分遅れていて予定の電車に乗れなかった。その点、八王子はJRはオハナシにならないが、京王が時間通りで揺れも少なくとても快適だ。

また、海外旅行に行くとき、昔は国際線はすべて成田で、例えばイタリアやフランスから帰ってくると成田エクスプレスに乗るわけで、そうすると空港からしばらく千葉の街の眺めを見ることになり、昨日(一昨日)までいたローマやミラノ、パリやバルセロナの街からALC版のみすぼらしい千葉の街並み景色が変わり「日本に帰って来るというのはこういうことなの?」とがっかりだった。でも新宿に着いて高層ビルを眺めながらタクシーで帰宅すると「そう悪くもないな」と毎回感じるのである。

千葉はあと煮物や煮魚が信じられないくらい甘いのも辛い。島根に行ったときに食べたノドクロの煮付けが最高で、千葉でも食べられるというのでわざわざ銚子まで行った。料理店で注文して食べたら甘いのなんのでもうガッカリ。仕方がないので早々に店を出て漁港で別に買ったノドクロを家に帰ってから煮付けのリベンジ、その他仕事柄接待などで千葉の料理店には結構行ったことがあるがどこも似たり寄ったりだった。他にも残念ながら良いところが見つからない。

だから今日は気が重い。せっかく良い天気なのにね。ま、仕事なので仕方がない。





2025年9月11日木曜日

時間がもう少しほしい

 仕事が忙しくなり、今月は休みなしで働いている。個人経営のデザイン会社なんて仕事があって忙しいのはとてもうれしいことなのだが、もちろんだから頑張って働くのは全く苦にはならないが仕事以外の時間がほとんど取れないのが少し辛い。

仕事の管理表

黒板の仕事の管理表は今年は1列でMAX15件くらいにしたいと思っていたが、現状29件で2列となっている。このうち青のマグネットは制作作業は終わっていてあとは請求なのでそれらを除くと17件、結構頑張ったね、でもまだ多い。

今日ふと思ったのは最近レコードをまったく聴いていないということ。仕事しながら聴くitunesだけになっている。レコードも買っていない。タワーレコードのポイントも失効してしまったようだ。まあそれは仕方がないかな。でも今日見たらレコードプレーヤーのカバーの上に小さな蛾が死んでいるのを見つけて、なんか「ふうっ」とため息がでた。

もう1ヶ月以上さわっていないメインのステレオ


読書の時間もあまりない。半年ほど前にクライアントから勧められた一冊の本から始まった一連の自然災害に関する読書も最近は電車の中以外では読む時間がとれないので進みが遅い。

手前の3冊が最近買った本

そんな毎日ではあるが、比較的時間をかけていることが2つある。ひとつは食事である。料理や食事の時間はできる限りしっかり取ることにしている。だいたい料理に1時間、食事に1時間、そして食後に30分くらいである。もちろん切羽詰まってのときはご飯に目玉焼きをのせて急いで掻き込んでおしまい、なんてこともあるが、そんなのは年に数回だ。普段はいくら忙しいと言ってもそうまではならない。
さて、ウチは1日2食なので毎日5時間くらいは食事に時間を使っていることになる。料理は気分転換になるし何より好きなので苦にならない。食後はよくデザートを食べながらコーヒーを飲む。そして映画を観る。30分かせいぜい1時間くらいなので1本の映画も分割して観る。
最近観た映画でおもしろかったのは「侍タイプスリッパー」と「あのこは貴族」の2本。「侍・・」は単館ロードショー映画だが、かなり口コミでヒットしたらしい。まあおもしろいのだが私のお薦めは「あのこは貴族」の方だ。こっちの方がはるかにおもしろいし、映画としての出来もよかった。これは読んだことはないが原作もよいのだろうが、脚本と監督のチカラによるところが大きいだろう。キャラクター設定、ストーリー展開、カメラワーク、音楽とどれを取ってもまったく欠点が見つからない。こんな映画は久しぶりだ。監督は岨手由貴子、主演が門脇麦と水原希子、さらに脇を固める助演の俳優陣もみなとてもよい
あのこは貴族

あえてストーリーは書かないが、この映画、登場人物に悪人はひとりも出てこない。わかりやすい善と悪ではないのである。ストーリー展開上「イヤなヤツ」に見える人もいるがそう感じる人は見方が浅い。みなそれぞれの価値観のなかで全うに生きている。
この映画、電通やテレビ屋の映画のように主演の女優が「めいっぱいキラキラ」するようなこともない。また基本、女子映画なのだが「かもめ食堂」や「すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん」のような善良だがナイーブで少しオツムの弱い女の子ウケのする映画ともまったく異なっている。
そしてそのストーリーも「説明的」になりすぎる昨今の映画とは一線を画している。全てが淡々と進んでいく。
カメラもいい。今の東京を良いとか悪いとかでなく淡々と映し出す冒頭のシーンから、登場人物たちの距離感や背景など、どれをとっても完璧なのである。この映画を観た後「侍・・・」を観るとまるでテレビ番組のように見えるから不思議だ。それくらい「あのこは貴族」は映画としてよくできている。
「侍・・・」はテレビの時代劇がテーマなので意図的にあのようなテレビっぽい絵作りなのかもしれないが、そうであったなら、テレビ的絵作りの部分と映画的絵作りの部分をうまく使い分け、全体でどのように構成していくかにチャレンジしてほしかった。
さて「あのこは貴族」だが、カミさんもすごく気に入ったらしくて、もう何度も観たよ、と言っていた。
おすすめの映画だ。

さて、私の話に戻ろう。もうひとつ時間をかけているのはお風呂だ。忙しくても身体をしっかり洗ってそして少し熱めの湯船にゆっくり最低でも15分ほどつかる。15分は結構長いのでのぼせてしまう。だから風呂場の窓と入り口の扉を開けて外の空気を入れている。前にも書いたが熱い風呂に時間をかけて入ることで身体がリセットされ、ウィルスなどに対抗する作用があるように思っている。まあ私は専門家ではないのではっきりとしたことは分からないがたぶん間違いないだろうと思う。だからちゃっちゃとシャワーだけで済ます人は病気になるリスクが少し高いのでは、と思っている。

さて、いろいろ書いてきたが、時間がなくてできないことが結構たくさんある。それを今日は備忘録として書いておこうと思う。

・仕事の管理用データベースの制作
今はそれぞれの仕事のフォルダの中に費用関係のフォルダがあって、そこに見積書やら注文書、納品書、請求書、外注費の支払いなどのファイルが並んでいる。この方式の良いところは物件のデータと費用のデータが同一の物件フォルダに入っているので成果品と費用の紐付けがわかりやすいこと、それと特にデータベースなどプログラムしないでエクセルやPDFなどを作って入れておけばよいのでインフラの整備がほぼ不要なこと。強いて言うならエクセルで見積書や納品書のフォームを作る程度で、数時間でできる。逆に欠点はいろいろな案件が同時進行する中、費用についてチェックするときいちいち一つずつ物件のフォルダを開いてファイルを探す必要があること。物件の数が少ないときは今の方法でよかったが多くなっているとデータベースで一元管理した方が良いので、時間ができたら具体的に検討をしたいと思っている。

・メインのステレオの埃対策
メインのステレオはスピーカーは別にして、レコードプレーヤー2台とCDプレーヤー、プリアンプと真空管パワーアンプ3台、そのほかにフォノイコライザー2台、昇圧トランス1台がある。このうちレコードプレーヤーと真空管アンプは埃を嫌う。いまはレコードプレーヤーにはカバーをかけているが真空管アンプは1ヶ月も放っておくとうっすら埃がたまる。カバーをかけるか扉をつけるか何らかの対策をしたい。レコードも最近買っていないので時間ができたら何枚か新しいのを買いたいとも思っている。

・工房のリノベーション
工房は模型製作のために購入した大型の機械などが増え手狭になっている。かといって絶対的な部屋の広さはどうにもできないので、効率的なレイアウトと収納方法で快適な作業ができるようにできる限りのことはしたいと思っている。幸い昨年冷房を取り付けたので暑い日でも快適に作業できる。だが、なにぶんにも時間が取れずにそのままになっている。なんとかしたい。

・図書室の本棚の本と資料の整頓
念願の図書室が完成して、少し涼しくなったら図書室でのんびり本でも読みたいと思っているのだが、その前に図書類の整頓が必要だ。これはのんびりやればいいと思ってはいるが、まったく進まないのはあまり良くない。少しずつでも進めていきたい。

・2階の廊下の漆喰
2階の廊下の漆喰壁が傷んで所々ヒビが入っている。そこで全面的に漆喰を上塗りしようと思っている。これも寒くなると乾燥が遅いし、漆喰特有の海藻のにおいが抜けにくくなるので冬が来る前に済ませたいのだが。

・そのほか細々としたこともいくつかある。倉庫のダンボールの整頓、脱衣所の棚の改修、2階の引き戸の交換、模型材料の整理、大型事務機の作業スペースの製作、写真のプリント、レコードを買ったり聞いたり、水彩画の練習、などなど。




2025年9月8日月曜日

9月8日皆既月食

 今日は皆既月食が見られた。台風も通り過ぎて天気も上々、時刻も夜中の3時半がピークなのでまずまずの高度。今回も写真を撮った。ただしカミさんと娘は数日前から体調を崩して今回は不参加。また、私自身も仕事が結構忙しく、そんな訳で家の前で観測と撮影である。まあ仕方がない。

1時半、月食のはじまり、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 1/1600 ISO640、手持ち トリミングなし


1時50分、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 1/640 ISO640、手持ち トリミングなし



2時30分、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 0.5 ISO6400、手持ち トリミングなし



3時27分月食のピーク、E-M1-II M300 F4.0 + MC-20、f/8 0.5 ISO6400、手持ち トリミングなし

と、ここで家の前からでは向かいの家の屋根に隠れて見えなくなってしまった。カメラ担いで広いところに行けばいいのだが、今回はここまでにしておこう。明日は打合せもあるので。

次の月食は来年の3月、つまり半年後。時刻は今日よりもだいぶ早く、次は家族みんなで見に行くのもよいだろう。




2025年9月4日木曜日

運転免許の更新で思ったこと

仕事は忙しいが散歩は好きなのでまだまだ暑い日が続くが打合せなど出かけたときは少しだけ散歩するよう心がけている。

打合せの時撮った写真、隅田川

特にウチの近くには海や川や森はないので、そういうのが見られる場所の時は少し早めに家を出て散歩するのが楽しい。

 さて、先日運転免許の更新に東陽町まで行ってきた。普通であれば無事故無違反なら最寄りのウチだったら歩いてすぐの新宿警察署か都庁である。だが前回うっかり失効してしまい、おかげで保険料率は高いわ、更新にわざわざ東陽町まで行かねばならないわ、で踏んだり蹴ったりなのである。失効はもちろん私が悪いのだが、更新のお知らせハガキが届かなかったのも不運だった。どうして届かなかったのかはわからない。届いたが毎日大量に投げ込まれるピザ屋のチラシなどと一緒に誤って捨ててしまったのかもしれない。

また今でも覚えているが免許証に平成34年の誕生日まで、なんて書いてあったこと。私は天皇制に賛成でも反対でもないがこの平成だの令和だのにはことごとく不満なのである。「年」というのは大きく2つの用い方をする。1つはいつなのかという表記である。申込書の今日の日付を書いたり、生年月日を記入するような時。そしてもう一つはある年から別のある年まで何年間あったかという期間を計算する際の起点と終点の表記である。そしてこの両方に平成だの令和だのは不便極まりないのである。

例えば前述の平成34年の誕生日である。年号が変わると意味不明になる。もう一つ期間もそうだ。「1960年代後半からの高度成長期」とあれば今から何年前のハナシなのかは小学生でも5秒で計算できる。だが例えば「昭和60年のヒットソング」なんて言われても今から何年前なのか絶対誰も5秒ではわからない。「あっ、それわかるよ昭和は25足すと西暦になるから昭和60年は1985年・・・」なんて言うアホもいるだろう。一旦西暦に変換してどうすんの、と言いたい。

まあいい。そんな訳で、前回泣く泣くブルー免許になったのだが、今回新しく交付された免許証見たら年号のところにカッコで西暦が追加になっていた。見た瞬間「バカタレ、遅い!」と東陽町の4階で小さな声で言ってしまった。

また今回の更新でゴールドに戻るかなと思っていたら、これが違っていた。一旦失効してブルーになると5年間修行が必要で、3年後の更新時ではまだ修行が足りないのである。やれやれである。もう東陽町なんぞに行かなくて済むと思っていたのに〜。帰ってカミさんに話したら、「じゃあ次は品川だっけ、そこにしたら〜」とケラケラ笑っていた。そだね。

さて、今回東陽町で運転免許を更新して普段気づかないことにも気付かされたのがおもしろかった。私が普段コミュニケートする相手は優良企業の技術や営業の人たちで、そういう人達とは会議でもメールでも、ひと言で言うと「効率的で無駄が少ない」つまり「まともな」コミュニケーションが成立する。たまに「うーん」ということも無いわけではないが、そんなときはちょっと困ったなぁとなるのだが、まあその程度だ。

だが実は世の中の平均はもっとドーンと低くて、たとえば交通安全協会だかの教官も受講者も一緒に働くのはありえないなぁと思うのである。これはまあ向こうも私に同じことを感じているだろうから、世の中の平和は維持されると考えよう。教官は毎日毎日同じことをもう何十回も話しているだろうになぜ?。受講者も同じでマークシート式の問題のシートが配布され鉛筆でもボールペンでも何でもいいので設問に丸バツで答えてくださいと言われた。もし何も持っていない人は鉛筆を貸しますよと。まあうっかり筆記具を忘れる人も1人か2人、筆記具なんてぜーんぜん持ってこないマヌケも2、3人はいるのだろうなどと思いながらヒマなのでぼーっと考え事をしていたら、その教官が、では筆記具を何も持っていない人は前に来て鉛筆を受け取ってください、と言ったとき、なんと受講室の半分以上の人が一斉に鉛筆を取りに席を立ったのだ。一瞬呆気に取られたがすぐに思い直した。普段私が打合せをしている人達がむしろ特別で、そういう人たちとだけ仕事ができるということを素直にありがたいと思わなければいけない、と。

それで思い出したことがある。以前会社勤めをしていたとき、東南アジアの国に技術指導ということで出張に行っていた。そこで始めのミーティングで、「今日の午前中は講義をするので全員会議室に集まって下さい」と言ったら、誰ひとりノートもペンも持ってこなかった。「うーん、そこらへんから教えないといけないのね」とまるで小学校の先生である。「今から講義をするけどノートは取らなくて大丈夫なの?」と聞くと、スタッフのひとりが恐る恐る言った「私たちまだノートもらってません」。そこで「ペンは持っているの?」「デスクにあります」「じゃあコピー用紙は?」「コピー機のところにあります」「じゃあそれとペンを持ってきたらメモが取れるね」「そうです」「じゃあ持ってこようか」でやっとみんな準備を始める。ちなみにやりとりは全部英語でお互い言っていることが分からないということはない。

運転免許試験場の風景はその思い出を見事にフラッシュバックさせてくれた。ああ今や日本も半分は発展途上国になったのだね、と。

でもその東南アジアの国のスタッフはみんな素直で、私が「講義のときは必ずノート、なければコピー用紙でもいいけど、かならずメモが取れるようにして集合すること」と伝えたら全員次から必ず紙とペンを持って集合した。今の日本はため口きいて言うこと聞かないのが多そうで、「必要ならそっちで用意したらいい」なて馬鹿が結構多そうである。そういう意味では日本は発展途上国以下かもしれない。

日本は何をまちがえたのか。「ゆとり教育」と「多様性の尊重」だ。これは間違いない。ゆとり教育は単に努力しない「怠け者」を量産化し、多様性は「わがままな馬鹿」を量産化したにすぎない。ゆとり教育も多様性も各教科ごと成績上位10%にのみ通用する手法で、ゆとり教育したかったら成績上位10%に入りなさい、とやるべきだったのだ。

学校教育といえば、もう一つ。以前取引のあったソフトウェア会社のリーダーの人と海外出張のとき食事をしながら話しをした。ちょうどウチの子の小学校受験のあとだったのだが、その人が言うには子供が小学校に入学するとき、近くの公立小学校で説明会があった、その時集まった多くの親の姿を見て、急いで私立の受験に切り替えた、と。その人が言うには「普段見ないけど、この人達はどこから湧いてきたの」と思ったらしい。

日本は今貧富の格差がどんどん進んでいる。同時に能力格差や教養格差も同じように着実に進んでいる。やがてこれが階級格差のようになって犯罪も増えてくるのだろう。階級格差は必ず犯罪を増加させる。なぜなら下の人は自分たちが下なのは搾取や不平等の結果で、社会は自分たちを守ってくれない。社会は上の方の人たちが自分たちに都合が良いようにしているから、と妙な原因説を流布する人たちの言説に簡単に乗っかり「そうだ、そうだ」となるからで、これはどうやっても止められないからだ。

さて、先の東南アジアでの出張の時、休日ヒマだったのでショッピングモールに音楽CDを買いに行った。クラシックは無理っぽいけどジャズならあるだろうと思い、店員に「ジャズはどこですか」と聞いたら親切にこの棚です、と教えてくれた。ずいぶん少なかったが、仕方がない、その中から探そうと思いタイトルを見て驚いた。いわゆるジャズは1枚もなく、ディーンマーチンとかフランクシナトラとかバリーマニロウのCDが並んでいた。仕方なく手ぶらで帰ったが、今思うに日本もこの先どんどんこういう風になっていくのだろう。つまりJ-popやらK-popやらAORみたいなのばかりになり、しかもそれらを配信サービスで聞き流すだけに。そうなるとまともに音楽を聴きたい人も音源を入手するのがどんどん難しくなるのだろう。


運転免許試験を出て地下鉄の駅に向かう途中に見えるアパート群。なんだかすごく不安な気持ちにさせる風景で、だから苦手なのかもしれない。





2025年8月30日土曜日

快適な環境、空気と音

私は基本的に香水はおろかトワレもコロンもほとんどつけない、使わない。だがこの時期電車の中など結構汗臭い人も多い。そんなとき、ハンカチにほんの少しトワレを吹き付けたものを持っていると助かることがある。また、自分自身も長時間外を歩くような時、汗をかいて脇の下が微妙に臭わないか気になることもある。そんな時もほんのわずかトワレをつける。あらかじめ出かける前につける。ほんのちょっとだけ。そもそも汗というのはほぼ無臭でぷーんと臭う人は雑菌が繁殖しているからで、きちんとカラダを清潔にしていれば汗をかいたから臭うようなことはない。

話は変わるが、私は子供の頃から目と鼻と歯は自慢ではないが高性能で、視力は余裕で2.0を超えていた。視力検査の時、保健の先生が2.0のCを指して、それにすぐに答えると、「かなりはっきり見える?」と聞かれたので大きさが半分以下でも見えると思います、と答えた。「多分3.0とか4.0とかだね」と言われた。電車で向かい側の窓側席の人が読んでいる新聞の記事が読めた。歯も歯医者には一度も通ったことがない。そして臭いも敏感で、ただしこれは困ったことも多かった。臭いが気になって頭痛がすることも多く、特に汗臭いのとか洗濯物の生乾き臭とか味付け肉みたいなのを焼く臭いは本当に苦手だった、今でも苦手だ。以前東南アジアに出張にほぼ毎月行っていたが空港もオフィスビルも街中もどこも安い揚げ油の臭いがして辛かった。臭いのないのは泊まっていたホテルの中だけだった。だから自分自身、たとえほとんど臭わなくてもわずかでも汗をかくと気になる。だからほんのちょっとトワレなのである。娘も私に似て臭いには私以上に敏感で、一緒に出かけて汗臭い人などが近くにいると逃げ回っている。お腹が痛くなったり、かなり辛いらしい。

で、このトワレ、使う量は少ないので1瓶あると結構長い間保つ。本当は数年で期限切れになるらしいが、それほど気にならないので、涼しい場所に置いて10年以上使っている。

で最近はロクシタンのグリーンティーが好きで使っていたのだがボトルのスプレー部分が壊れてしまった。

そこで100均でアトマイザを買って使ってみたのだが、これが全然ダメで、スプレーすると少し手に匂いがついてしまう。スプレー部から少し垂れるようでアトマイザを手で持つだけで手に匂いがついてしまう。気になるほどではないという人も多いだろうが私はダメ。毎回スプレーのあと石けんで手を洗っていた。

これ、どうにかならないかな、と思ってAmazonで調べると昔の香水瓶みたいなシュポシュポが別になっているものがいくつかあったので、念のためレビューをみると中国製はやはりダメで漏れるだの壊れるだのと悪い評価がそれなりにあって使う気にはならない。もう少しないか調べてみたら日本製のをみつけた。評価もまずまず、すぐに注文した。

デザインの好き嫌いはさておき、さっそく使ってみたがとてもよかった。株式会社ヒロミチという会社のアトマイザ。 ワンプッシュで出る量も少なめでたいへんよろしい。

アトマイザ

こういうの、中国製の全てがダメとは言わないし、国産の全てが良いとも言えないが、やはり中国製は圧倒的に国産と比べ造りが大雑把なものが多い。国産は価格が2倍以上だが長く使うものはよく考えて買った方がよい、とまあこれは常識かな。でも耐久性や使うたびに感じるストレスに値段をつけると中国製は決して安い買い物とは言えないということをもっと意識してもよいと思う。またこのアトマイザのように国内でまじめで確かなものを作っている会社を未来に繋げるために応援することもとても大切なことだ。

さて、トワレやアロマオイルなどはこのほかいくつか持っていて、これは海外出張で早めに空港に着いて免税店をぶらぶらしているとき買ったものが多く書斎だけでも何本か見つけた。


その時の気分で買ったものなのでほとんど使っていない。今年使ったことがあるのは手前のロクシタンと左端のネロリくらいかな。ネロリはアロマオイルなので遠くに置いたアロマディヒューザーに垂らして使う。これもほんの少し。私の仕事では部屋にとじこもって何時間もMacを使っていることが多い。なので時々お香を焚いたり、アロマオイルを使ったりしてリフレッシュすることがある。

さて、匂いの話はこのくらいにして、次は音。
仕事をしながら聞く音楽はMacMiniのitunesからifiのUSB-DAC経由でアンプはmacintosh MA6450、スピーカーはヤマハのNS1-classicを使っている。ただしビデオ編集の仕事の時は、入力をメインのMacStudioに切替え同じスピーカーでプレイバックしている。このMacStudioはオーディオ出力から自作の出力切り替え機で、ヘッドセットとアンプの切替えをする。なのでボリュームはヘッドセットでちょうど良いレベルにしてある。だがそのままでは音楽を聞くときと音量にかなり差があってビデオ編集が終わって音楽に切替えたら音が大きい。夜中などけっこうびっくりする。
まあ、気をつければよいとも言えるので今までそのまま使ってきた。
もちろん解決方法だけはいろいろ考えてきた。ヘッドセットとビデオ編集の音量は今のままで音楽の方のレベルを下げる方法1、または音楽とビデオ編集の音量は変えずにヘッドセットのボリュームだけを下げる方法2の二択である。
原理的にはヘッドセットだけ下げるのが簡単だが切替機を分解して内部に抵抗やら可変抵抗など付けなければならない。残念ながら今は仕事が忙しくそんな時間はない。そこで一旦は簡単にDacの出力側に以前作ったπ型アッテネーター内蔵のピンケーブルでも入れてみようと考えた。
で、さっそくやってみたのだがなぜか音が出ない。π型アッテネーターなんて抵抗器だけなので普通壊れたりしない。π型なのでインピーダンスも変わらない。うーん。仕方がないので元に戻す。でもなぜかまだ音が出ない。やれやれ、あれこれチェックしていて原因がわかった。なんとifiのDACはボリュームがゼロになっていた。なぜかボリュームつまみで出力が変わる。何で?このDACはヘッドホンアンプを兼ねているのでボリュームはヘッドホン出力だけだと思っていた。
つまりπ型アッテネーターなんて使わずにDACのボリュームを下げればよいということで、一気にチカラが抜けてしまった。ではどうしてボリュームが下がっていたのか、それはオーディオ機器はケーブルをつなぐ時または外す時は電源を切りボリュームを下げておくことを基本とするので無意識に下げたのだろう。まあこれは良い習慣なので問題ない。で、音は出るようになったが、ふと思ったのが可変抵抗はアッテネーターに比べ音が悪くなることは一般によく知られているということ。そこでもう一度思い直してDACのボリュームは最大にしてπ型アッテネーターで音量を絞ることにしてはどうか、と再びケーブルを交換した。だが思っていたほど音が良くなるわけでもないし、ちょっとゲインが下がりすぎてどうもうまくない。またケーブルを元に戻した。それでこれではやっていることがオーディオマニアみたいではないかと思い、もうやーめた、となった。

働く空間の快適性というのは仕事の能率云々の前に生きていく上ですごく大切だ。何しろ起きて活動している時間の半分以上を過ごす空間である。ここが快適なことはまずもって肉体的にも精神的にも健康な生活のための重要な要素だからである。今日は書かなかったが能率的に仕事をするための道具、パソコンはもちろん作業台や文房具、工具なども重要ではあるが、まず空間そのものの快適性というのは最初に考えた方がよいと思っている。道具などはいつでも買い換えができるが環境はなかなかそうもいかないし、快適な空間づくりとは時間のかかるものでもあるからだ。例えば私は一般の住宅でよく使われるビニールクロスの壁・天井というのが苦手で、そこをどう仕上げるかはなかなかむずかしい。また照明もそうである。天井照明というのが苦手なのでブラケットやスタンドなどで部屋全体の雰囲気を作っていくのは結構時間がかかる作業だ。もちろんこういうことはすべてチャレンジでもあり、その作業は決して苦にはならない。むしろ好きで好きでたまらないくらい楽しい。照明は以前は書斎だけで電球を15個以上使っていた。電気代と球切れという問題があったが、こうした問題を抱えながらもやめられない楽しさと快適性があった。それが今ではLED電球である。電気代も球替えも全く気にする必要がなくなった。実によい時代である。音環境も同じで内装や照明ほどではないが聞き疲れしないよい音で音楽をかける環境を作るのはそれなりに時間がかかる。

話は変わるが、環境ついでにもう一つ、先日クライアントとの打合せで文京区へ出かけた。クライアントのオフィスの近くには小石川後楽園があり、そこの塀が実に風情があってよかった。こういう「環境」つまり街の持つ力というのは私がどう頑張ってもひとりではどうにもならないなぁ、などと考えながら歩いた。
ここは、それはそれはもうただ美しいとしか言いようのない、心がジーンと感じるようなそんな空間だと言える。
美しい小石川後楽園の外塀

だがここ小石川後楽園も後楽園そのものはよいのだが、よりによってこの美しい塀の反対側には清掃工場の中継地みたいなのと道路会社みたいなのがあって台無なのである。私が国土交通大臣だったら死ぬ気で「こういうところにこういう物は建ててはいけません法」を立案したい。もちろん清掃事業も道路工事屋も仕事としては必要でそれを悪く言うつもりは毛頭ない。だがここに建ててはだめだ。ここにはもう少し文化的なものを建てる、そうすることで街の魅力が大いに増すだろう。そしてそんな街に仕事場があったらどんなに楽しいだろうと思いながら打合せに向かった。ちなみに打合せ先のクライアントのビルはあまり魅力的なビルではなかったので、いいなぁ、とは感じなかった。






2025年8月17日日曜日

お盆休みの予定

 製造系や建設系の会社はお盆休みのところが多い。ちゃんとした会社は有給休暇と合わせて1週間丸々休みを推奨しているようで、私のクライアントはまさにこの業界なので1週間の間ほとんど動きがない。だが盆明けまでという仕事も結構多いので私には休みはない。

私は特にお盆に休みが欲しいとは思っていないので、むしろ急な連絡がないのでいつもより集中して仕事ができてありがたいとさえ感じている。

休みはそのうち少し落ち着いたら平日にでもとればいい。その方がどこに行くにしても空いている。

というわけで8月9日の土曜日から缶詰になって働いていたのだが、その仕事も15日金曜までにだいたい目処がついたので、残りの仕事をしながら少し時間にゆとりができた。そこで今日はカミさんと娘と連れだって横浜にでも出かけようかと話をしていたのだが、残念なことに連日12時間以上働いていたせいで少し体調を崩してしまった。朝、頭が重い、気分がすぐれず耳鳴りが止まらない。お出かけは中止で少し横になって休むことにした。私の仕事はデザインの仕事なので肉体疲労というのはほとんどない。だが邪魔が入らず集中して仕事をしているとやはり疲れる。だがこういう疲れは精神的なものなので根性と気合いで乗り切れるはずだ、というのが気持ちの奥底にあって、どうしても無理をしてしまう。するとときどき今日のようなことになるのである。だが半日寝ていると治るので無理しない方がいいなどとは思っていない。こうなったら休めばいい、で今まで乗り切ってきた。

医者に話すと「とんでもない」と言われるが、まあいいだろうと思っている。

さてそんなわけで夕方から起きて仕事の続きである。だがせっかくのお盆だから仕事以外にも少し何かしたい。お出かけできなかった分・・・

今日はとりあえず無理はしないでMacの仕事のデータの整頓をすることにした。まあこれも仕事とは言えなくもないが、まあきちんと整頓して使いやすくなるのは半ば趣味のようなもので、「仕事」という感じはしないのでよしとする。

さて、その整頓だが、これは以前から少し気になっていたことで、私は何社ものクライアントから何年も仕事をいただいているので1件ごとにプロジェクトを並べると何百件にもなっている。例えば何らかの商品のカタログの制作を受注し、データを制作する。できあがってこれで1件である。この商品の展示会向けのパネルを制作するとこれで2件目。そしてここから先がまだある。カタログやポスターは改訂がある。ちょっとした簡単な改訂からもう少し手のかかる改訂まで様々だ。そしてその改訂のたびに前のデータは残しておき、別案件としてデータを制作する。もちろん元のデータを利用して改訂データを作るのだが、上書きして改訂版を作ることはできないという意味だ。つまり改訂のたびに3件目、4件目と増えていく。それはかまわない。

だが類似別商品などが増えてくるとその会社の仕事のフォルダを開くとずらーっと20件30件の商品フォルダがあり、ぱっと見で見つけるのが難しくなる。そこで今日はカテゴリーごとにサブフォルダをつくり整頓し直すことにしたのである。初めからそうしなかったのはフォルダの階層が多いのと案件数が多いのとどちらが見つけやすいかという判断による。始めは案件数が少ないので階層を深くするよりずらっと並んでいた方が見つけやすいから。

さて仕事のデータのハードディスクは8TBの容量で現在5TBを使用している。空き容量が3TBということだ。これが2TBを切ったらハードディスクを容量の大きなものに取り替える。ハードディスクは通常容量の20%から30%を空けておくのが望ましい。昔と違ってフラグメンテーションをそれほど気にする必要はないが、それでもその作業はコンピュータが自動でやっているだけで、何のことはない書き込み読み出しの回数は容量が圧迫してくるとどうしても増える。だから少なくとも20%は空けておく。8TBの20%は1.6TB、30%なら2.4TB、だからまあ2TBを切ったらまたは近づいたら買い替えということだ。

通常のイラストの仕事や写真編集などではデータ量は大したことはない。3Dも同様。だが動画になると一気にデータ量が増える。

例えば3週間以上かかかって制作した大きなグラフィックの制作、全体で15GBくらいである。だが数時間で編集したビデオ編集のデータは30GB以上にもなる。だから仕事量とデータ量は別なのである。

まあ予測は難しいが今年いっぱいは今のままで大丈夫だろう。

さて、明日はお盆中に制作したデータを再度すべてチェックして、クライアントに送付する予定だ。それが終わって時間が余れば写真のプリントでもしようと思う。出不精だなぁ・・・。

さて、翌日。結局仕事が結構忙しく写真をプリントする時間は取れなかった。盆休みを昨日までで切り上げて今日から働いている勤勉な人からチェックバックが帰って来たからだ。加えて印刷所に発注してあった絵本が予定より1日早く届いたので、これの裁断と梱包もする必要もあった。

と言うわけで結局大して自分のことはできなかったが、仕方がない。気分転換にいつもの仕事空間の写真を撮って検証である。

まずはMacを使ってのメインの仕事机。


飲みかけの炭酸水のボトルと奥に柿ピーがあるがここはこんなものだろう。
次はサイドデスク

ここは作業中の仕事のファイルなどが置いてある。ここも仕事中なのでこれでよい。
次に作業机

さっきまで絵本の梱包をしていたのでテープやらカッターなどが置いてある。余った絵本も置いてあるがこれはあとで図書室へ持って行く。右端の人形はもう何年も前に買ったもので、ずっと飾ってあったのだがキレイに掃除してしまうことにしたのでここに置いてある。盆休み中ならできると思っていたが忙しくてそれどころではなくなり置きっぱなしになっている。まあ仕方がない。ここはあとで片付ける。こうして作業中の机を眺めると左側に道具などを仮置きする棚板でもあったほうがよいかなと思う。今度試しに付けてみよう。





2025年7月17日木曜日

写真のプリント-2

 前回から引きつづき写真のプリントをしている。さて、プリントした写真はどのように鑑賞するか。額に入れて部屋に飾るのが一番だ。そうすれば鑑賞する機会は他の方法に比べ圧倒的に多くなる。そして毎日見ていると次はどうすべきかも見えてくる。素直に反省して次の撮影で解決するように撮ればいい。

さて、そのためにはまず大切なのは「気づき」である。気づかなければそれまでである。すべてはこの「気づき」から始まると言っても過言ではない。写真が趣味の人というのは社交性が今ひとつの人が多く、そういう人は写真も下手で上達しない傾向がある。何人も知っている。「これでいいんだ」「こういうものだ」系のおっさん達は特にこの傾向が強い。

知人で山の写真を撮っているおじさんがいた。カメラは100万円超の高級機だ。写真アルバムを見せていただいたが、小学校低学年でも撮れるような写真の連続で、景色のいい方向にカメラを向けてシャッターを切りました。みたいな写真しかない。それが何百枚も続く。また別の人は花の写真で、みんな同じような画角の、できの悪い植物図鑑のような「庭の水仙が咲いたので朝起きてパジャマのままちょこっと庭に出て撮ってみました」みたない写真。それを会社の会議室みたいなところに何枚も飾っている。管理職の人なのでだーれも「ダサッ」なんて言わないのだろう。ハッキリ言ってウチの娘が始めてアジサイを撮影したときの写真の方がマシだった。

娘が撮影した最初の花の写真

これは娘にオリンパスの一番安いデジタル一眼のダブルレンズキットを買ってあげたときに練習に近所の新宿中央公園で撮影したアジサイの写真。アドバイスしたのは「花にこだわらずに背景にこだわって望遠で絞り開放で撮ってごらん、ただしピントは花に合わせてね」ということだけ。カメラを買ってあげてすぐの頃。

写真で大切なことは自分で撮影した写真をしっかり眺め、この写真は何が違うのか、何が新しいのか、を絶えず自分自身に問いかけることだ。

そんな堅苦しいこと言わないで趣味なんだから自分の好きなように撮ればいい、という意見も多いが、それはある意味正しい。だが私の考えでは同時に決して正しくない。人に迷惑をかけていないし法律違反でもないし自分が楽しいのだから「正しい」と言える。だがそれは「正しくないことはしていません」という消極的で空虚な「正しい」であると私は思っている。もちろん一部の撮り鉄の人たちのように「正しくない」ことをするのは論外だが、自己満足という名のゴミのような写真を何万枚も撮り続けることは決して正しくはないと信じている。たえず写真と真摯に向き合い、悩み、工夫して、試して、また考えて・・・とそれを何年も続けるから写真に「意味」が生じるというのが私の考えだ。好きなように撮ればいいじゃん、ではないのである。つまり「意味」のないことは「正しくない」とは言えないが決して「正しい」とも言えないということだ。そう信じている。

さて「気づき」だった。これは撮影の時も撮影した写真の鑑賞の時もかなり重要な要素で、「気づき」がうまく発動しないと何も始まらない。そもそも「気づき」は写真に限らずデザインでも料理でも同じように重要で、例えば料理の下手な人はいつまで経ってもレシピ片手に大さじ小さじなのである。そこに「気づき」は起きにくい。手続きの連続に忙殺されてしまうからだ。気づく余裕がない。もちろんそんなやり方も「正しい」のだろうが、それでいいのだろうか。

何にせよ気づくことが初めの一歩なのである。そして気づけば「考える」。何も言われなくても考える。そして「どのように考えるか」に進むことができる。

写真では「もう少しアンダーの方が」とか「被写界深度が深い浅い方が」などが考えることと思われがちだがそうではない。そんなこと考えたらそれで終わってしまう。先のおじさんの仲間入りとなる。

アングルや露出やピントの調整というのは目的ではなく手段である。さらに言うと、「目的はいい写真を撮ることでアングルや露出やピントはその手段」というのもダメである。手段を極めたからといって良い写真が撮れるわけではないからである。もちろんアングルや露出などは大切なことである。だがそこには考えるほどの奥行きはない。電車に乗って目的地に行くのにいくらの切符を買って何行きの電車に乗るかみたいなもので、知識としては必要だが時間をかけて考えるほどのことではないからである。

ではいったい何を考えるのか、私は「物語」だと思っている。この写真は何を物語っているのか、何を物語るようにするのか、それこそが目的であり、意味だと信じている。

ただしこの場合「物語」は文脈のあるいわゆる「ストーリー」ではない。絵本の絵とはちがうのである。「ぐりとぐらは森へ宝探しに出かけました」みたいなストーリーとは全く異なる「物語」である。

たとえば女性ポートレート、「この女性は今こういう経験をしてこんなことを考えている」ではストーリーになってしまう。私の言う「物語」とは例えて言うなら「磁場」のようなものであって、その時の彼女のまわりに発生している「なにか」でありそのなにかを仮に「磁場」と呼ぶことにすると、この「磁場」がオーディエンスに何かを語りかける、という「物語」である。だから物語るのは彼女ではなくその写真を眺める「私」であり「あなた」とも言えるのだ。また、だからこそその写真に作品としての普遍性が宿るのである。

そして、ここで最初に戻るのだが、写真を鑑賞するときに「物語」を感じることが大切で、そのために最も適したメディアがプリントなのである。わたしがA2サイズのプリントに魅力を感じているのもこのサイズのプリントが最も訴求力が強いと感じているからなのである。

もちろんA3やA4がダメという意味ではない。だが並べて眺めるとA2サイズはまるで違うのである。それは経験によって裏打ちされた私にとっての事実なのだから変えようがない。また大きければ大きいほど良いとも限らない。A1サイズ以上になると手に取って眺めることができない。鑑賞には大きな壁面が必要になる。残念ながら我が家にはA1サイズを何枚も並べて俯瞰することができるようなそんな大きな壁面も部屋もない。その点A2サイズは額に入れても手に取っても眺められるサイズ感が鑑賞にとって最適なのである。だから少々費用はかかるがA2サイズでプリントすることにしている。

さて昨夜も仕事の合間に何枚かプリントした。乾燥が終わって手に取って眺めてみる。最高の時間の過ごし方だ。

A2サイズでのプリント

ほとんどが女性ポートレートだが何枚か静物や景色もある。物語は必ずしもポートレートでなくても体現できる。ただし風景では難しいこともあるが・・・

今回撮影した写真その2
Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/30 ISO100



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/60 ISO400


Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400



Portrait Sigma DP2m F2.8 SS1/50 ISO400


Melancholy GR-digital(元祖) F7.1 SS1/320 ISO64



Boat E-420+70-300 F5.6 SS0.8s ISO100



Moon E-M1II+M300 F4 SS1/20 ISO640



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.4 SS1/40 ISO100


最後にプリントサイズについてもう少しだけ。私にとってA2サイズが一番と書いたが、もちろん広い広い家で写真を飾るスペースが十分にあったらA1サイズでもA0サイズでもよいと思うし、そういう展示ができたらいいだろうなとちょっと憧れるものもある。逆に、スペースによってはA4サイズを何枚か並べて展示するのもよいと思う。もっと小さくて絵はがきサイズもありだろう。要は場所と眺め方で適当なサイズは異なるのでどのサイズがベストとは一概に言うのは難しいかもしれない。ただしA2サイズというのは手に持って眺めることができる最大サイズであることは大きな特長ではあると思う。昔々まだフィルムカメラだった頃はA2サイズのプリントなんてできなかった。いや費用がいくらかかっても良いというならできただろうが、現実的な値段では無理だった。おそらくプロラボに頼んで3〜5万円くらいだったと思う。ウチのインクジェットプリンターの1枚1000円程度とは比べものにならないくらい高かった。だからこそ今写真を撮っている人にはプリントすることをお勧めしたいと思っている。
ちなみに私は絵はがきサイズというのも好きで、これはたくさん並べて展示できるのがよい。仕事のスペースの横にも絵はがきコーナーがあって15枚くらい飾ってあって半年に一度くらいいくつか入れ替えて遊んでいる。
絵はがきサイズのプリント





2025年7月10日木曜日

写真のプリント-1

 今日は打合せで午後外出、帰宅は夕方6時近くになった。カミさんと娘も散歩がてらついてきた。打合せのビルの下のおしゃれなカフェで待っていて一緒に帰った。帰りはラッシュ時である。ひとりなら我慢するが二人がいっしょなので比較的空いている路線を選び少し遠回りをして帰った。

夕食前にスイカのスムージーを作ってみんなで飲んだ。夕食はとろろそばと刺身とミニステーキ。ウチはみなステーキはわりと好きだが量はたくさんは食べない、食べられない。なのでサーロイン1枚をみんなで分けて食べることが多い。それでも最後余ったりする。

毎日暑い。今日もおそらく35度くらいあったと思う。私はいつも仕事ではワイシャツにネクタイ、ジャケットででかける。どんなに暑くても襟付きのワイシャツの場合はネクタイとジャケットである。だからあまりに暑くてジャケットもネクタイも辛いときはスタンドカラーのワイシャツやブラウスにする。これはポリシーで変えるつもりはない。幸い今年はまだネクタイとジャケットでもなんとかなっている。もちろん多少は汗をかく、それは仕方がない。だが汗臭いのはもう絶対ダメなのでそこには気を使っている。汗は本来無臭なので汗をかいても汗臭いとはならない。脇などが臭う人は雑菌が繁殖しているからで、そうなったらボディブラシにミューズ石けんつけて1日に数回ゴシゴシ洗えば数日で臭いはなくなる。

さて、仕事がどんどん新しく入ってきて忙しさは例年以上となっている。だが今日はちょっと疲れた。なにかこう夏バテのような感じで、まったくやる気が起きない。そうは言っても・・・となるのが通常だがこんな時に無理に働いてもロクなことはない。デザインの仕事では特にだ。あとでやり直しになるのが目に見えている。

なので今日は、今日だけは仕事をさぼって楽しい楽しい写真のプリントをすることにした。

写真は前回書いたようにデータベースがあるのでそれを眺めながらプリントの候補を選ぶことが多い。そうして選んだ写真を次にファイルしてあるA4サイズプリントを眺めながらチェックする。

今日のプリントはA2サイズなので1枚のプリントに千円以上かかる。プリントしてイマイチだとちょっともったいない。なので念入りに写真をチェックする。ヨシ、となったら念のためもう一度A4サイズでプリントして色味を確認後A2サイズでプリントする。プリンターはEPSONのPX-5002、プリント用紙はエプソン純正写真用紙絹目調。エプソンの写真用紙にはクリスピアというのもあり、どちらかというとクリスピアの方がメジャーのようだ。だがクリスピアの光沢の強いテッカテカの紙は高級感は出るが写真そのものをきちんと表現、鑑賞するには光沢が強すぎる。なので絹目調の方が優れていると私は感じている。絹目調というのは誤解されやすいネーミングだが半光沢紙という意味で昔のDPEショップの絹目調とは全く異なる。反射が強すぎるクリスピアに比べ絹目調は自然な仕上がりで好感が持てる。一時期ノートパソコンのモニターや安いホームユースのモニターがテッカテカの反射の強いものがお店で高級に見えるので人気があったが、クリスピアはあれと似たような感じだ。だから私はほとんど使わない。

写真用プリント用紙いろいろ(A4サイズ)

いろいろ試してエプソン写真用紙絹目調に落ち着いた。もちろん紙によって雰囲気がだいぶ変わるのは事実でそれを作品作りの一部として楽しむのはアリかもしれない。でも私はあまりそういうことには興味がない。局紙なんておもしろいけど数回使って「なるほどね」でおしまい、もう何年も使っていない。クリスピアも光沢紙指定されたとき以外はまず使わない。

さてA2サイズのプリントである。

A2サイズでプリント中のポートレート



大きなサイズで徐々にプリンターから出てくるのは多少のドキドキとそして自分で言うのも何だがその美しさに最高の時間だ。音楽も大切だ。今日はヒューイットのバッハ。ちょっとブレッソンかぶれかな、まあいい、今日出かける前に朝食を食べながら見たブレッソンの記録映画に感化されたのは否定しない。そしてその時、ああ写真のプリントもいいな、最近あまりなかったし、と思ったのだった。

もう1枚は燃える花

プリント中の「燃える花」



これもポートレート同様にA4サイズで確認プリント後A2サイズでプリントした。

最後にプリントしたすべての写真を物干し竿にぶら下げて乾燥させる。バインダークリップ(目玉クリップ)の挟む部分にフェルトを貼って印画紙にキズがつかないようになっている。だいたい12時間くらい干しておけば問題ないようだ。


乾燥中の写真



さて、リフレッシュできたと言っていいかな、明日からはまた仕事が忙しい。

翌日、仕事の合間にまたプリント。正確に言うと仕事をしながらプリントである。写真のプリントというのはどうもちょっと中毒性のようなものがあって、一度手を出すともう1枚、さらにもう1枚となかなかやめられない。昨夜は眠くなってやめたが、寝る前に乾燥させていた写真を今日ファイルやポートフォリオフォルダに収納しながら眺めているともうダメであるもっとプリントしたい。仕事の片手間でもよいから・・・となった。

昨日と今日プリントしている写真はオリンパスのE-420というカメラで撮影したものが中心で、レンズはパナライカの25ミリ。今の高性能カメラと比べるとまるでおもちゃのようなカメラである。だが当時私はカメラの性能に依存するような写真に抵抗を感じていて、ニコンやキヤノンのフルサイズカメラもかなり価格的は下がってきて決して手が出ないようなものではなかったのだが、このオリンパスで通していた。オリンパスは安かったのもあるがとても軽いので長時間の撮影も無理な姿勢での撮影もなんとかこなすことができた。

もちろん高性能のカメラを否定するつもりはないが、カメラの性能がよいと良い写真が撮れるなんて考えている人もまずいないだろう。だが高性能を手にしてそれで撮影する喜びなんてものは結構あるのでは、と思っている人も多い。わたしはそういうのがいやだった。

道具はドンドン使って腕を上げる。常に自分に厳しく、工夫して、試して、悩んで、考えて・・・。それを何年も続ける。デザインだって3D-CGだって水彩画だって料理だってそうだ。テレビを見るヒマもゲームするヒマもないくらい根性と気合いで取り組む。根性は続けるために、気合いは始めるために、だ。そうすればこうして何年も前におもちゃのようなカメラで撮った写真を今でも大きくプリントして楽しむことができる。その時の私の最大限がここにはしっかり宿っているのだから。もちろんスキルの上達に伴い、道具が確実に足をひっぱてしまうこともある。そんな時はフルサイズでも中判サイズでも購入すればよい。だが私に限って言えば今のところマイクロフォーサーズで事足りている。

今日の1枚目、ポートレート

プリント中


私は前にも書いたがポートレートの場合カメラ目線の写真はあまり撮らない。これはめずらしくカメラ目線である。もちろん理由があってのことだが、小難しい話は今回はパス。

今日の2枚目、これもポートレート
プリント中のモノクロポートレート


3枚目
次々とプリントする


というわけで今回はここまで、
今回つまりこの2日間でA2サイズでプリントした写真

Portrait E-420+Leica Summilux25mm F7.1 SS1/200 ISO400



Brazing Flower E-420+3535macro F4.5 SS1/5 ISO100



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F2.2 SS1/60 ISO400



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F1.8 SS1/125 ISO400



Portrait E-420+Leica Summilux25mm F4.5 SS1/80 ISO400