この棚は基本的には本棚である。だから本をメインに置くことになる。本はその佇まいがいい。
なぜかは言葉ではうまく言い表せないが、本のある風景は心を落ち着かせる。
似たような例に植物がある。木々や草花は人の気持ちを落ち着かせる。
以前都市計画の本で読んだのだが、木々の無い環境で長時間生活すると情緒不安定になる人が出るらしい、もちろん全く平気な人もいるが。
おそらく、太古の昔、草木も生えない場所は生態系にとって生きにくい環境であり、そこには食料も安息も期待できない。
だからそんな場所にとどまることの辛さを生物としての人間がDNAに刻まれた記憶として覚えていて、情緒を乱すのだろうか。
詳しくはわからないが、おそらくそんなところだろう。
で、木々や草花に比べればはるかに歴史の浅い「本」だが、人が「知」とふれ合う最も有効な手段の一つとして共に過ごしてきたものが「本」である。だから「もっと知りたい」という知識欲が旺盛であれば「本」に触れていたい、と感じるのではないだろうか。
そういう人たちとって「本」はその佇まいからして特別であっても不思議ではない。
この特別というのは、安らぎを与える以上の何かであるようにさえ感じる。
アメリカだか日本だかの調査で、家に本が少ない子供は勉強の成績が良くない、というのがあった。これは事実だから文句の付けようがない。ただしこの結果を、例えば、家に本が少ないのは親が馬鹿だからで、馬鹿の子供は馬鹿が多い、などと評価するとたちまち大炎上することになる。
だがどうだろう、そうではなく、本の佇まいが、人を知に駆り立てるメタファのひとつだから、というのはありえないだろうか。
それがないことで知への扉を開く機会損失となり、結果学習成績も上らない。
この説、どうもアリ、という気がするのだが。
そして、私の本棚の一等地にスキャナーがドーンと置いてあった時のフラストレーションも同様の理由によるものだったとさえ思えてくる。
さて、ではその大切な本棚をどうするか。
まずはこうしてブログに書くことで意識を高める。
サイドデスクまわりはすっきりしたのでよいけれど
それでもエーコの「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」を置いてみた。
これは狼煙(のろし)代わりということで。
この本、エーコでしかもこのタイトルというだけで存在意義がある。実は中身はあんまりおもしろくない。「薔薇の名前」のエーコの著作とは思えない出来なのだが、だが戦いの狼煙としては十分だ。
手前には最近買ったCD。
結構古いトランスを何枚か買ってみた。
猛烈に仕事が忙しいとき聞きながらテンポよく仕事するのに良いから。
だが本棚として眺めると、これだけではスキャナー君に出て行ってもらった意味がない。
もう片方の棚も同様
今はこんな感じ、まだまだ、だ。
以前のっていたニュービートルのプラモデルが置いてある。車はもう廃車にしてしまったが、すごく楽しい車だった。運転席に一輪挿しがついていた。運転するときはここに花を一輪差してゆったりとした気持ちで運転しましょう、ということらしい。時々花を差して運転していた。すぐにしおれてしまうのだが。
だが、こういうのが大好きだった。いまでも好きだ。
逆になんでも損得で判断して、ミニバンに乗って、ホテルバイキングでたらふく食べて元を取ったとか100均で使えるグッズを見つけてラッキー、なんて生活はまっぴらなのだ。
なので廃車したときは家族みんなで記念写真を撮って見送りをした。そしてプラモデルを作って飾ってある。もうこんな楽しい車は出てこないだろう。
さて、この棚、奥行きも高さも十分ある。
オキーフの大型本が置けるようデザインした。
なので、あとはどう使うか。
じっくり考えることにする。
じっくり考えることにする。




