富貴寺は九州、大分県の国東半島にある、現在は天台宗の寺で、平安時代の建立(大堂はおそらく11-12世紀頃)らしいが詳細は不明で、また後世に改修など手を加えられた部分もあるが、紛れもない平安建築の傑作である。
ふきでら、ふっきじ と呼ぶ人もいるが、正しくは ふきじ おおどう と読む。
学生時代に興味を持ち、行ってみようかと考えたが何しろ交通の便が悪く、あきらめた。今回は車で別府の温泉に行ったので少し迂回して訪ねてみた。
さて、そんな富貴寺だが、結果は少々残念だった。
建築そのものは紛れもなく傑作なのだが、現在管理している住職のセンスなのか何なのかよくわからないが、この大堂の素晴らしさをスポイルするようなことがあまりに多かった。
まあ、仕方がないのだろうが、期待が大きかった分落胆も大きく、石段を上がって大堂と向き合った瞬間、どうでもよくなってしまった。
富貴寺大堂(国宝)やる気が失せてテキトーに撮った写真、あしからず。
この大堂は正面から眺めた姿がとにかく美しい。全てのバランスが完璧なのだ。濡れ縁の高さと壁、軒の出、屋根のそり、どれをとっても最高のバランスで、日本の建築のベストテンの5位以内には確実に入ること請け合いだ。
だから、石段を上がり、まずはその美しい姿を正面からじっくり眺めるのが作法というものだ。
だが、なぜど真ん中にこんなものを立てる?ご開帳記念?そんなものこんなところに置くんじゃない。
これですべて台無しだ。
さらにお堂のなかであれは住職ではないだろうが、大声で解説する人がいて、まったくもって不愉快だった。仮にも仏(阿弥陀如来)を静置し、山村奥深くにある国宝建築のお堂である。心静かに鑑賞するのが作法と思うのだが。
まあ、これが今風なのだろう、マジョリティの嗜好がこれなら仕方がない。
だが私はもうすっかり興ざめで、重文の阿弥陀如来像も板絵も眺めることなく可哀想な国宝建築を後にした。
扉(金物からして後に付け替えられた物だろう、だが大変美しい)
瓦(これも大変美しい)
今回の教訓。
たとえどんなに素晴らしいものとわかっていても、残念なことはある。
自然も天候もそして人も、こちらの期待に応えてくれるとはかぎらないのだ。


